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第二章(3)

「まず、大前提だ。私は魔術師であって、魔法使いじゃない」

「それって、違うのか?」

「このアホの子っ! 全然違う!」

「んだっ!?」

 ピンと立って中指が親指に引っ掛かり、強烈なデコピンが和馬の額に炸裂した。

 ふっと、ミラが指先に息を掛け、出来の悪い子供を叱りつけるようなまなざしで、和馬を射抜く。

「あんな反則じみた奴らと、魔術師を一緒にするな。魔法使いは、この世界の常識の向こう側にいる存在だ。そうだな、レベルで言えば『神』に近い。人間で本物の魔法使いになった奴なんて、有史以来いいとこ5人ぐらいだろうさ」

「じゃあ、魔術師ってなんなんだ?」

「魔術師は、魔術を学んだもの。どちらかというと、学者のイメージの方が強いぞ」

「でも、マスターだってこの前、何もないところから木を作り出しただろ。あれも、魔法じゃなくて魔術なのか?」

 和馬が、一週間前、隠れ家の床板から突然木の枝が伸びてきたことを思い出して尋ねる。

 正直、あれを見せられたら、和馬にしてみれば魔術も魔法も同じようなものだ。

 和馬の質問に、ミラは口をへの字に曲げながら、思案するように眉を寄せた。

「わかった。じゃあ、一つずつ、赤ん坊でもわかるように丁寧にいこう」

 ミラの疲れたようなため息に、なんだか和馬は泣きそうになった。

「まず、基本中の基本だ。魔術師は、その術を使うのに三つの要素がある。『ルーン』『精霊』、そして『媒体』だ。魔術師は、この三つを使って、魔術のロジックを完成させる。時に、和馬。生粋の魔術師の本場は、ここ北欧だ。何故だかわかるか?」

「ああ、ソレはわかる。魔術師の母体が、『北欧神話』に密接な関係があるからだろ。今、マスターが言った『ルーン』や『精霊』も『北欧神話』だ。逆に、アメリカには魔術師や魔法使いの習慣があまりない。あっちは、キリスト教の一神教。北欧神話のようにたくさんの神や、精霊なんかの文化がないからだ。あっちの宗教的な構図は、神と悪魔。よく混合する奴もいるけど、『北欧神話』は神対神。『聖書』は神対悪魔だからな」

 スラスラと説明する和馬に、ミラは「ほぉ」っと感心するように口元を吊り上げた。

「魔法使いと魔術師の違いも判らない劣等生が、よく知っているじゃないか? ああ、私を探す間に、古文書を読み漁ったんだっけ?」

「いや、違う」

 和馬は、どこか寂しげな影を落としながら、首を横に振った。

「俺の夢は画家だったからな。だから、美術的な価値の高い絵画を見てきた。んで、トップクラスの意匠の作品は、結局宗教と密接に絡んでくるだろ。宗教は信仰の対象になる、神話や聖書に絡んでくる。キリスト教なら、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』。ローマのギリシア神話なら、サンドロ・ボッティチェリの『ビーナスの誕生』。北欧神話なら、モンテン・エスキル・ヴィンゲの雷神トールを描いた『Tors strid med jättarne

』なんかが躍動感がすごくて、俺は好きだな。だから、俺は神話や聖書の類は、勉強したから知識なら自信があるぞ」

 思わず熱が入った和馬に、ジッと話を聞いていたミラが不敵な笑みを浮かべた。

「な、なんだよ」

「いや、お前はいい武器を持っている。と思ってな」

「武器?」

「ああ。いや、今はいい。しかし、それだけの知識があるなら、ますます持って魔術師と魔法使いを混合した制裁が必要だな」

 バツンっと、再びイギリスの北端ウェールズのグランピアン山地に、心地よいデコピンの音が木霊した。

「しかし、こんな大自然の中で、素っ裸になった男に二度もデコピンをするとは、何とも貴重な経験だな」

「俺には、権利を楯にした苛めにしか思えないが」

「まぁ、楽しめ」

 笑うミラは心の底から楽しんでいた。

「さて、そろそろ本題に戻すとするか。まず、もう一度いうが、魔術師は『ルーン』、『精霊』、『媒体』の三つを使って、魔術のロジックを完成させる。そうだな、画家志望のお前に合わせて言うなら、『ルーン』は『絵を描く技術』、『精霊』は『絵の具』、『媒体』は『筆とキャンバス』で、完成した『絵』が『魔術』だと思えばいい」

「なる、ほど」

「本当にわかってるか?」

「…………」

 和馬が苦い顔をして、ミラから視線を逸らす。

「わからないならそう言え」

「悪い」

「こらこら、私は、お前の、マスターだぞ。謝り方ってものがあるだろう」

「すみませんでした。俺にもわかるように教えてください。マスター」

「うん、けっこう」

 視線を戻すと、満足したとばかりに意地悪な笑みを浮かべるミラがいた。

「まずは、『ルーン』についてだ。その前に、お前のルーン文字についての知識を教えてもらおうか。画家志望君」

「えっと、『ルーン文字』はゲルマン語の表記に用いられた文字体系のことだ。スカンジナビア語やゴート語が源で「神秘」「儀」などを意味している音素文字。ルーン文字は呪術や儀式に用いられた神秘的な文字としてよく紹介されてるけど、実際は日常の目的で使われていて、ルーン文字で記された書簡や荷札なんかもけっこう残ってる。北欧を中心に使われていたルーン文字はいくつかの字体があるけど、特に使われていたのは長枝ルーンと短枝ルーンだ。北欧神話の主神オーディンはルーン文字の秘密を得るために、ユグドラシルの木で首を吊り、グングニルに突き刺されたまま、九日九夜、自分を最高神オーディンに捧げたとされている」

「ああ、そうだ。そして、それが魔術の始まりでもある」

「どういうことだ?」

「だから、オーディンが苦行中で手に入れた、ルーン文字の秘密が、魔術師の核の一つだということだ」

「いや、ちょっと待てよ。さっき、マスターは魔法使いと魔術師を一緒にするなって言ったじゃないか。魔法使いは、神クラスなんだろ。言ってることが違うぞ」

「うん、よくそこに気が付いた。そして、その答えは、どっちも真実だ」

 眉を顰める和馬の目の前で、ミラはスッと腕を持ち上げると、指先で空中をなぞり始めた。

 ミラは指の動きを止め、今度はポケットから何か小さな種を取り出し、和馬の足元に投げる。すると、次の瞬間、和馬の足元に転がった種が急速に成長し、一本の木が伸びあがってきた。慌てて飛びのいた和馬の目の前で、地中へ根を、空へ幹を伸ばした木が高々と伸びあがり、木の葉の屋根を作り上げる。

 唖然とその光景を見ている和馬に、ミラは澄ました表情で言った。

「確かに、ルーンは元々魔法使いや神の領域だった。だが、それは昔の話。今はもう、ルーンは私たちの世界まで降りてきている存在だ」

「よく、わからねぇ」

「まぁ、そうだろうな。話が少し前後するぞ。ちゃんと着いてこいよ」

 言いながら、ミラは木の幹に背中を預けて座ると、旨そうに煙草を吸った。

「さっき、私は神や魔法使いを『常識の外の存在』と言っただろう。私たち人間はな、この世界の常識の中でしか生きられない。ただし、『世界の常識』以外に、この世界には、さらに『ある社会の常識』と、個人個人の『自分の常識』ってやつがある。例えば、和馬。お前は吸血鬼に出会うまで、吸血鬼なんて存在は『和馬の常識の外』だっただろう。でも、それは『世界の常識の中』にあり、それに私たち『魔術師の常識』の中にもある。ここまでは、わかるか?」

「なんとか、着いて行ってるよ」

「よし。それでだ。人はふつう、『自分の常識』の外にあることは受け入れられない。そんなことをすれば、『自分の常識』がブチ壊れちまうからな。それは、『社会の常識』ってやつも同じだ。だけどな、和馬。この常識ってやつは、一度その垣根を超えると、今まで非常識だったものが、とたんに常識になることだってある。今までの『和馬の常識』の中には、魔術や吸血鬼みたいなオカルトなんて非常識だった。でも、その吸血鬼と出会って、和馬がその常識を受け入れたものだから、その垣根は超えられた。いわゆる、和馬はこっちの世界の住人、になったわけだ。ここまではOKか」

 くすくすと笑うミラに、和馬が眉間に皺を作りながら頷く。

「大丈夫。まだ、なんとか理解できる。続けてくれ」

「よしよし。でだ。和馬が吸血鬼と出会った時みたいに、常識って奴は、時折、ほんの偶然や必然、奇跡が起きたら、たやすく垣根を超えることがある。魔術師と魔法使いや神は別物だって言ったろ。これは、『魔術師の常識』の上に『魔法使いや神の常識』があるからなんだが、今言った奇跡ってやつのおかげで、『魔法使いの常識の一端』が『魔術師の常識』に降りてくることがある。そうなれば、もう非常識は非常識じゃなくなって、常識になる。『ルーン文字』もその一つだ。と言っても、降りてきたのが『ルーン』だけじゃ、まだまだ『魔法使いや神の常識』にまったく届かないがな」

 ミラが再び煙草を咥える。歯の隙間から零れる陽の下で、赤い先端がチロチロと燃えた。

「話は長くなったが。『ルーン文字』はすでに『魔術師の常識』の中にある。そして、和馬は『魔術師の常識』に足を踏み入れている。『ルーン文字』は技術であり文学だ。そして、技術や学問である以上、体得はできる。詳しい扱い方は後々もうちょっと詳しく教えるが、『ルーン文字』が『何かわからないもの』って感覚だけは、捨てておけよ。受け入れようとしないと、一切受け入れられないもんだからな」

 短くなった煙草をポケットから出した灰袋に押し込むと、ミラは新しい煙草を咥えながら、マッチを擦って火を付けた。

「さて、どうする。いったん休憩するか? 頭の中がパンクしそうだろ?」

「いや、大丈夫だ。続けてくれ」

 和馬の双眸に強い光が宿る。レミナを助ける糸口を掴んだこと。ただ、それだけで、和馬の胸の中で、抑えきれない情念が爆発の時を待ちわびるように、静かに、静かに凝縮されていく。

 ミラは目を細めて笑みを作りながら頷いた。


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