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第一章(2)

「まるで、パンダだな。レミナ」

「……うるさい」

 笑いながら言った和馬の言葉に、ソファーから起き上がったレミナは、顔をしかめながら呟いた。雪のように白い肌に加えて、紫紺の瞳の目もとにはクマが浮かんでいる。その顔は確かにパンダだ。

 気だるそうに身体を揺すり、レミナが指先で目元を擦る。うつらうつらと揺れる頭は、今にでも夢の世界へ旅立ちそうだ。

「それで、絵は描き上がったのか?」

 そんなレミナに苦笑をもらしながら、和馬が油のにおいが染み出すキャンバスへ目を向ける。新聞紙2枚ほどのキャンバスには、肩を寄せながらビル群の夜景を眺めるカップルが描かれていた。仲睦まじく寄り添い合い、今にも囁きが聞こえそうな男女。男性の方の左手には、女性に隠すように小さな小箱が握られている。

 レミナの名は、ここ半年で鬼才の画家として広く世間に知れ渡っていた。有名な評論家からも称賛を受け、「個展を開かないか」という誘いも来ているらしい。一般人にも受けがよく、特に女性からの指示は、同年代の画家の中では間違いなくトップクラスだ。

 誰もがうらやむ才能に、美貌。

 しかし、彼女が吸血鬼であるということを知る者はいないだろう。

 この吸血鬼に恋をし、今も一緒に同居している奇天烈な青年、和馬を除いては。

 レミナは口に手を当てて大きくあくびをすると、「さてと」と言って、絵の方に目を向けた。

「あと、最後の仕上げが残ってる。……さて、パパッと終わらせるか」

 レミナが、絹のように繊細な金髪の長い髪を揺らして立ち上がる。レミナが描く絵は美しいが、レミナ自身もある種の芸術的な光を放っている。吸血鬼がそうなのか、それともレミナが特別なのか。とにかく、生まれながらの魔性の女だ。

 レミナが、キャンバスの脇に置いた筆に手を伸ばす。しかし、筆を持とうとした細い腕は、その寸前で和馬に掴まれた。

「なに?」

「睨むなよ。それと、ちょっとは休憩して外に出ろよ」

 和馬の誘いに、レミナはめんどくさそうに首を横に振った。

「私はアウトドア派じゃない」

「家の外までは出なくていいから、せめてこの部屋のドアからは出ろ。いったい何日閉じこもってんだ? 引き籠りかよ」

「お前が絵を掛けるようになれば、私も籠らずに済むんだがな」

「んぐっ」

 微笑を浮かべるレミナに、和馬は悔しさと情けなさが半々といった苦い顔を浮かべ、押し黙った。

 黒木和馬、18歳。職業、売れない画家。

 もともと、このアトリエも和馬のものだ。

 資産家ながらも豪放磊落な親に、「お前の好きなように生きろ」と言われ、幼いころからの夢だった画家を目指して、もう数年。絵の技術や才能はあっても、レミナのように和馬の絵が世間で花を開くのは、まだまだ先だ。

 何も言い返せずうつむく和馬の頬を、レミナの冷たい指がそっと撫ぜた。

「すまん、ちょっと苛めすぎた」

「禁句を言っといて、ちょっとも何もないと思うぞ」

 子供のようにいじける和馬に、レミナが楽しそうに笑いながら、頬を撫でる手で和馬の顔を引き寄せた。

 チュ……

 囁きのような音を漏らし、レミナの真っ赤な唇が和馬の頬にキスをする。

「な、ななな、おい、ちょっと!」

 慌てて飛び退く和馬に、レミナはいたずらが成功した少女の笑みを浮かべた。

「お・わ・び。だよ」

「んの……。あ~、くそ。んじゃ……。これは、そのお礼だよ」

「あ、こら。だから仕上げを」

「いいから、来いっ!」

 照れ隠しで早口になりながら、和馬が有無を言わさずレミナの手を引く。和馬がアトリエとして使っている部屋から、リビングへ。その手は、どこか急かすように力強かった。

「……これは?」

 食卓へ案内されたレミナは、細い双眸をぱちくりさせた。

 テーブルには、食欲をそそる匂いと湯気を上げる料理。戸惑うレミナに笑いかけ、和馬が彼女のイスを引く。

「今日は、俺たちが出会って一年目だからな」

「そうか、もうそんなに経つのか……」

 レミナが、雪のような白い肌の腕に走る、火傷のような傷跡を擦りながら呟いた。

 一年前、和馬はエクソシストに追われ、負傷したレミナを助けた。レミナが「何故?」と尋ねると、和馬は「あまりに綺麗だったから」と答えた。

 思えば、なんと変な人間だろうか。吸血鬼を捕まえて、綺麗だからというそれだけの理由で助けるとは。本当に、正気の沙汰とは思えない。

 そんな和馬を、レミナは気に入ってしまったのだ。それ以来、この奇妙な同棲は続いている。 和馬が父に建ててもらったアトリエは、吸血鬼の隠れ家であり、和馬の宝物だ。

 透き通る琥珀色の白ワインが、二つのグラスに注がれる。

「私は、血のように赤いワインが好きなんだが?」

「そう言うな。魚料理には白ワインだろ」

「ならば、明日は肉料理だな。それも、血の滴るような。もちろん、焼き方はレアレアで」

「注文が多いな」

「ふん、当然だろ。誰のおかげで、お前がここにいられると思ってるんだ」

「はいはい、その通りでございますよ。レミナ姫」

 軽口に続き、チンとワイングラスがなる。 和馬の料理、今日は格別に美味い。小食なレミナも、今日はいつも以上に料理を食べていた。

「うん、美味いな。和馬、さっさと画家を諦めて、本格的に料理人を目指したらどうだ?」

「お前は、俺に死ねって言うのか?」

「なんでそうなる」

「絵を描くのは俺の生き甲斐だ。俺の生き甲斐を奪ってくれるなよ」

「でも、腕は確実に料理の方が上だけどな」

 悔しいが、レミナのその通りだった。和馬自身、自分の料理技術が日に日に上達しているのを、ひしひしと感じている。

 くそぉ、絶対に絵の方でぎゃふんと言わせてやる。

 意気込み虚しく、もはや画力よりも料理の腕が勝ってしまった和馬の料理がなくなった時、アルコールで白い肌をほのかに上気させたレミナが潤んだ瞳で問いかけた。

「なぁ、和馬」

「ん? なんだ」

 訊き返す和馬に、レミナは視線を自分の顔が映るワイングラスに落とした。憂い気に小さく吐息を漏らし、続ける。

「和馬は……、いつまで私と居てくれるんだ?」

 おびえる声が、静かに部屋へ溶けた。肩を震わせて返事を待つレミナ。いつもは尊大で、傲慢で、悪戯好きで、人をおもちゃにするレミナが、怯えている。

 口を開きかける和馬より先に、レミナがさらに続ける。

「私は……人に、誰かに優しくされるなんて、初めてだった。誰かを、こんなに愛おしく思うなんて……思ってもみなかった」

 紫紺の瞳が、不安げに揺れる。

 そんな瞳とワイングラスの間に、細長く黒いケースが滑り込んだ。

「和……」

「開けてみろよ」

 和馬に促され、レミナがケースを開ける。

 中には、逆十字架のネックレスが入っていた。

「これは……?」

 顔を上げ、唇を震わせるレミナに、和馬が優しく微笑む。

「十字架は神への敬愛。逆十字架は魔への敬愛。だったよな」

 ケースを持つレミナの白い手に自らの手を重ね、和馬はさらに続けた。

「神様が許さなくても、たとえ、世界中のすべてを敵に回しても、俺はレミナの隣にいてやるよ。俺は、レミナが好きだからな」

「和馬……」

 潤んでいた瞳から涙がこぼれる。冷たかったレミナの手は、いつの間にか温かくなっていた。

 そして……

 招かねざる客は、ドアを蹴破る音と共に二人の世界を切り裂いた。


                *

 荒々しく蹴破られた玄関のドアに続き、無数の足音が廊下を踏み荒らす。リビングのドアが続けて蹴破られると、純白のローブに身を包んだ人影が部屋の中に雪崩込んできた。

「な、なんだ?」

「和馬っ!」

 動転する和馬。対してレミナの行動は素早い。

 レミナは素早く和馬の腕を引くと、まるで姫を守る騎士のように和馬の身体に身を寄せた。鋭い紫紺色の瞳が、自分たちを取り囲む白い集団を忌々しげに睨む。

「エクソシスト」

 レミナが唸るように呟く。和馬もその言葉でようやく事態が飲み込めた。

 和馬が自分たちを取り囲む白い集団に視線を走らせる。人数は8人。頭からすっぽりと白いローブを被る姿は、まるでお化けだ。体つきから、男だけでなく女性も混ざっていることが伺える。

 エクソシストの集団は取り囲むやいなや、一斉に声を上げた。

『神は我らに囁いた。汝らに光あれ。光は力となり、力は導く道となり、汝らの糧となる』

『民を照らす光があらば、民を惑わす闇もあろう』

『ならば、汝らに光の精霊を授けよう。我の代わりに、民を導かんために。我の代わりに、闇から民を守らんために』

『闇を滅する光の精霊よ。光の網となりて魔を捉えよ』

 詠唱と同時にエクソシストたちの間に光りの筋が走る。その光に圧倒されたかのように、リビングの電灯がバリンッという破裂音と共に爆ぜ割れた。細かなガラスの破片が、エクソシストたちの光に照らされ降り注ぐ。電灯の割れた夜の部屋は、その光により真っ白に照らされていた。

「【光のフラッシュネット】」

鋭い言葉と共に八人のエクソシストを結んだ光の筋は網となって、和馬とレミナめがけて降り注いだ。眼を焼く白光。和馬が思わず身を竦ませる。

「和馬、大丈夫だ」

 その和馬の体を、レミナの腕が優しく抱いた。

「ハッ!」

 光の投網を見つめ、レミナが短く息を吐く。同時に振り上げた右腕は、光の網をあっけなく切り裂いた。レミナの右手の爪が伸び、鋭い五本の刃となっている。五指の爪に断絶された網がバラバラにほつれ、淡く瞬きながら降り注ぐ。

 エクソシストに動揺が走った。逆に、和馬から動揺が引き、その代わり悔しさが込み上げる。

 助けられちまったな。くそ。

 悔しさと、頼もしさが和馬の中で入り混じる。

 一方、レミナは眼を細めると、爪の鋭く伸びた右手をエクソシストに掲げながら、凍てつく氷のような声でエクソシストに問いかけた。

「なんだ、奴らはいないのか?」

 レミナの言葉に、エクソシストたちは何も答えず、じっと間合いを保つ。しかし、全員が全員、不動を貫けたわけではない。ほんの些細なものであったが、レミナの眼は誤魔化せない。女性らしい口元のエクソシストに、動揺の翳が浮かんだことをレミナは見逃さなかった。

「なるほど、ただの足止めか」

 レミナが小さく顎を引きながら、その紫紺色の瞳を和馬に向けた。アイコンタクトを受け、和馬も顎を引く。

 もう……このアトリエは諦めるしかなさそうだ。おやじ、ごめん。

 和馬の意思を受け、レミナは申し訳なさそうに目を伏したかと思うと、今度は一転して厳しい眼差しをエクソシストへと向けた。

「どけ。邪魔しなければ、命はとらない」

 有無を言わさない口調ではあったが、それが逆にエクソシストたちのプライドに火を付けた。

 エクソシストの一人が、微かに覗く双眸を憤怒に燃やし、レミナに向けて両手を掲げる。

「闇を貫く光の精霊よ。光の槍となって、魔を穿て!」

 詠唱と共に、エクソシストの手の平に光が溢れだす。煌煌と輝く両手の光は、次の瞬間、お互いに共鳴するかのようにより一層輝きだした。エクソシストが、光に包まれた両手の平を合わせ、力強くレミナに向けて突き出す。

「【光のフラッシュスピア】」

 呪文と共に、男の突き出した手の先から、鋭い光の槍がレミナに向けて放たれた。闇を穿ち、光槍がレミナに喰らいつき、そのレミナの身体ごと弾けた。

「やったか!」

 エクソシストが歓喜の声を上げる。それが、レミナの幻影とも気づかずに。

 ふぅっと、エクソシストの耳に熱い吐息が掛けられる。瞬間、エクソシストの身体に、この世の物とは思えない甘美な快楽が駆け巡り、その身体を支配、昏倒させた。

「ふふ、ヤキモチなんか妬くなよ。和馬」

「ば、ばっきゃろう!」

 実は少し妬いていた。

 力の差は歴然。和馬がレミナに抱きかかえられながら、安堵の息を漏らした、その時――

 ――和馬は絶望を知った。

 はじけ飛ぶ壁。そこから現れた影を、和馬は一瞬獣かと思った。

 壁をぶち破ったのは少年だった。金髪碧眼、その身体から漏れるのは、確実な敵意と、殺意。だが、それは重いものではなく、どこか快楽のようなものが混じっていた。

 小さな体が、跳ぶ。瞬間、和馬の身体が、いや、正確には少年の手に喉を鷲掴みにされたレミナの身体が後方へと引っ張られた。身体を打ち付ける衝撃。今度は別の壁が破壊され、木片が和馬の身体を叩く。

 辛うじて開けた細い視界。和馬が見たのは、両腕両足に光の輪を付けた、中学生くらいの少年だった。顔立ちは端正で、美少年というに何のためらいもない。少年が笑う。さも、楽しそうに。喜びを表現するかのように、少年がその小さな手を振り上げる。拳と肉がぶつかる、鈍い異音。傍らにいたレミナの口から、苦しげなうめき声が漏れる。

 少年が振り落した拳は、まるでハンマーのような威力を持ってレミナの腹部を殴りつけ、突き抜けた衝撃で床を陥没させた。

「このっ。何しやがるっ!」

 和馬が足を跳ね上げる。子供を蹴り飛ばすなんて普段はあり得ないが、この非常事態は和馬から常識という鎖を引き千切っていた。

 予想外の攻撃だったのか、和馬のつま先は少年の脇腹に突き刺さった。軽い。少年の身体が、和馬の予想を超えてあっさりと吹き飛ぶ。

 やべぇっ! やっちまった

 あとから追いかけてきた理性に、和馬の顔から血の気が一気に引く。

 その次の瞬間、もうもうと立ち込める誇りを割って飛び出た少年の手が、和馬の喉仏に迫った。避けるタイミングなんてありはしない。それは、気づいた時には和馬の喉仏を握り、後頭部を床に叩きつけていた。激痛が脳を突き抜け、眼がカッと熱を持つ、呼吸が妨げられ、息苦しさが和馬を襲う。

「和馬を、離せぇぇぇぇーっ!!」

 怒号。それは、悲鳴に近かった。

 見えない何かに殴られた少年が横手に吹き飛び、和馬の喉を襲っていた圧迫感が消失する。

「大丈夫か、和馬」

「げっほ、げほ。死、死ぬかと思った。なんだ、こいつらは」

「我々は、エクソシストだ」

 その声は、こんな殺伐とした空気の中で、ひどく落ち着いていた。

 警戒心を最大限に引き上げながら、和馬とレミナが声の方を向く。

 壊された家具の向こうに、一人の青年が、エクソシストたちを従えるようにして立っていた。

 見た目はかなり若い。もしかしたら、和馬と大差ないかもしれない。顔つきは整っており、髪は白髪。ダークブラウンの瞳は、なぜか片目だけが金色だった。

 他のエクソシストとは異なり、ビジネススーツと西洋の騎士を合わせたような奇妙な服を着た青年は、和馬とレミナを一瞥すると、その手をスッと差し出した。

「単刀直入に言おう。その吸血鬼を、渡してもらいたい」

「単刀直入に言えばいいってもんじゃないぞ。はいそうですか、って言って渡すと思うか」

「もちろん思ってはいないさ。だから、少し手荒な手段に取らせてもらおう。ミリンス」

 青年が呼びかけると共に、先ほど少年が吹き飛んだところで湧き上がっていた埃から、何かが飛び出した。

 四肢にあの光の輪を携えた、さっきの少年だ。

 少年は頭を擦りながら、どこか楽しげにレミナを睨みつけた。

「いってぇ~。さっすが吸血鬼、わけわかんない力使うね。狼男やドラグーンとやるより、楽しいかも。――――ねぇ、もっと遊ぼうよ」

 凍えるような好戦的な笑みを漏らした少年の姿が霞む。

 だが、レミナにはその動きが見えていた。ナイフより鋭い五指の爪を伸ばし、迫りくるミリンスに突き立てる。

 ミリンスは笑いながら、自分に迫る五つの爪の間に、自らの指を差し込んだ。伸ばされた爪の中ほどで、ミリンスがその小さな手を握る。瞬間、ガラスの割れるような音と共に、レミナの爪が砕け――

 ――レミナが逆手で放った衝撃波を受けたミリンスの身体が、錐揉みしながら吹き飛んだ。

 巻き上がる埃のカーテン。だが、今度のミリンスの立ち直りは早い。埃のカーテンを突き破り、壁を蹴り台にレミナに肉薄する。

 そんなミリンスに鋭い声が飛んだ。

「上だっ! ミリンス」

 ミリンスが即座に棚を蹴り、その進行方向を捻じ曲げる。次の瞬間、ミリンスが突き進もうとしていた場所が、大きく凹んだ。レミナ作った重力場だ。

 しかし、見えないものを何故?

 レミナが謎の青年の方を向く。

 青年は、聞き分けのない子供を叱るように、ミリンスに言った。

「ミリンス、あまり遊ぶな。それに、少し騒ぎすぎだ。時間もない。この意味が分かるな」

「え~、でも~」

「分かるな」

 首の後ろで両手を組み、不満げに口を尖らせたミリンスへ青年が釘を刺す。

 青年の言葉に、ミリンスはふてくされながらも、「わかったよ」と頷いた。

「あ~あ、おもしろくない。じゃあ、さっさと終わらせ……よっ」

 再び、ミリンスの姿が霞んだ。いくつかの音が、和馬の耳を同時に叩く。もはや、攻防が目で追えない。

「和馬っ!」

 攻防の最後に聞こえたのは、レミナの叫び声だった。同時に、和馬の身体に激しい圧力が掛かり、気が付くと背中から腕を取られ、身体を床に終えられていた。

 しまった!

 そう思った時には、すべてが終わっていた。

「動かない方がいい。吸血鬼。どうすればいいか、分かるな」

「和馬は関係ない! すぐに放せっ!」

 レミナが青年に向かって吠える。

 その言葉を待っていたかのように、青年はさらに声を落として続けた。

「そうだ、彼は元々関係ない。巻き込んだのは、お前だ。吸血鬼」

 その言葉は、レミナと和馬の頭を殴りつけた。

 レミナの口元が震える。和馬に流した双眸には、激しい怯えと後悔が揺れていた。

「私が……巻き込んだ……」

「そうだ」

 口元を震えるレミナに、青年が頷く。

「なっ。おい、レミナ。そんな話気にすん、ぐごっ!」

「は~い。お兄さんは、ちょ~っと黙ってようか。お話が終わるまでさ」

 そう言って、和馬の背中に跨るミリンスは、和馬の顔を楽しげに床に押し付けた。

 反論を許さない口調で、青年がさらに続ける。

「吸血鬼。今もし、万が一にも我々を退けてたとしても、次の刺客がすぐにお前たちを襲うだろう。そうなれば、お前の恋人に、もう普通の暮らしはない。逃げながら、怯えながら暮らすしかない。そうなれば、いつか恋人はお前を捨てるだろう」

 ブチっと、和馬は初めて怒りで血管が切れる音を聞いた。

「てめぇー。っっっざっけんなよっ!」

「うわ、よくその大勢で喋れるね」

 驚きを通り越して感心するミリンスを無視し、床との間にできた微かな隙間で口を動かし、和馬が叫ぶ。

「こらっ! レミナっ! そいつの言うことなんか、一ミリも聞くんじゃねぇぞ。いいか、約束してやる。俺は、どんなことがあっても、お前を捨てねぇ。お前を愛し続けてやる。だから、そんな奴の言うことなんか、全部、無視すれば……いい……」

 和馬の声が止まる。振り向くレミナの瞳には、悔しさが涙となって溢れていた。

 その足が、ゆっくりと青年の方に向けて動き出した。

「なっ! おいっ! レミナ。レミナぁーっ!」

 和馬が叫ぶ。だが、レミナは振り返らない。無言のまま、その足は止めず、ゆっくりと和馬から離れていく。

 叫び続ける和馬。そんな和馬に、青年が黄金の瞳を向ける。重なる和馬の黒眸と、男の金眸。男は、和馬の目に何を見たのか、一瞬驚いた表情をした後、微かに何かを思い出すようなその眼に宿し、静かにレミナを連れて出て行った。

 結局、「さよなら」の一言もないまま、レミナは和馬の前から姿を消した。


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