第四章(14)
「師匠っ!」
「あらら。【光の防壁】まで、発動しちゃったんだ。これじゃあ、本格的におにぃちゃんたち逃げられないね」
もはや完全に殺気を消したミリンスは、まるで自室でくつろぐようにその場に座り込むと、煌々と輝く天井を見上げながら和馬に言った。
「【光の防壁】は敵の攻撃を弾く最強の盾であり、敵を射止める最多の矢。まぁ、ドラゴンを止めるのは無理っぽいけど、おにいちゃんたちはここから逃げられないし。おんなじことだよね」
「同じじゃ、ねぇよ」
「え?」
ミリンスの言葉に、和馬は鼻で笑って答えた。
「師匠たちが迎えに来れないなら、俺たちがここから出ればいい。そんだけの話しだろ」
そう、答えは単純だ。そんな単純な答えに、ミリンスは珍しく狼狽えた。
「あ、あははは……。頭おかしくなっちゃった? 一応言っとくけど、あの光の中は、エクソシストの聖域だよ。そこにいる吸血鬼のおばちゃんはおろか、おにぃちゃんだってあの光に触れたら、イチコロだってば。特に、そんなカッコいい腕を付けてちゃね」
ミリンスが、和馬の右腕を指差す。そこには、光がもっとも嫌い、光をもっとも嫌う魔の腕が宿っていた。もし、和馬が光の中に入れば、一瞬にしてその身を浄化されるだろう。
和馬も、ミリンスの言うことは分かっていた。分かっていたが、不思議と恐怖はなかった。
この気持ちは、さっきと同じだ。ミリンスを圧倒したあの時と。
やれるか、やれないか。できるか、できないかじゃない。和馬がやれば、あの光の帯を突き抜けることはできる。それは世界の起源と繋がり、この世界の一端に触れる者にのみ得られる確信だった。
だが、今のままじゃ。まだ足りない。
「てかてか、どうやってあの空の上に行くの。まさか……跳ぶとか?」
「ああ、飛ぶさ。だから、ちょっと手を貸してもらう、ぞっ!」
和馬が、マントのように羽織っていたローブを脱ぎ去り、素肌の背中をミリンスに見せつける。その瞬間、今日一番の強烈なイメージがミリンスの中に流れ込んだ。
二対の闇。広げれば、その闇はたやすく世界を覆うだろう。羽ばたけは、その闇は気高く空を舞い、幾千里もの闇の空を駆けるだろう。
その闇は風を捕え、光を蹂躙する常夜の双翼。
闇を具現がしたような漆黒の翼が、今和馬の背中に降臨した。
「す、すごい……」
感嘆の声が、ミリンスから漏れる。これが、人が芸術に魅入られるということなのだろう。普段はどんな巨匠の絵も落書きにしか思わないミリンスが、その絵に感動し、完全に惹き込まれ、そしてそのありあまる資質により、起源からそのイメージを引きずり出した。
ばさっばさと、和馬が軽く闇の翼を羽ばたかせる。不思議だ、具象化したのは初めてのハズなのに、まるで生まれた時からこの背中についていたような気がする。軽く飛べば、もう天の終わりまで飛び上がれそうだ。
体の中に、マグマが流れる。それは、闇のマグマ。だが、不思議と気分は穏やかだった。
闇は、確かに人を恐れさせる。けれど、人が眠るとき、闇は人に安らぎを与える。和馬は、すべての闇の民を思いながら、この背中の翼を描き上げた。
横暴な光に負けぬ、漆黒の誇り高き闇の翼。
和馬が歩み出す。へたりつくミリンスの隣をすれ違い、惚けた表情を浮かべているレミナの所へ。
「レミナ……。俺は、醜いか?」
和馬が闇の右腕と、闇の翼を掲げながら、レミナに尋ねる。
異形の腕に、異形の翼。その姿は、もはや人間とは言い切れないものになっている。
だが、和馬の言葉を飲み込んだレミナは、眼に涙を浮かべながら、ゆっくりと顔を横に振った。
「そんな、わけ……あるか。カッコいいぞ、和馬」
「だろ。それと、同じだよ。見てくれなんかより、大切なのは。ここ、だろ」
和馬が微笑みながら、黒い腕で自らの胸をドンと叩く。
そんな和馬に、レミナは少女のようにはにかんだ。
「ばか、カッコつけるな。和馬の癖に」
そう言いながら、レミナはゆっくりと立ち上がり、そのまま倒れ込むように和馬に抱きついた。
そして、そっとレミナは和馬の耳元に自分の口を寄せた。
「和馬。さっきの誓い、まだ答えを言っていなかったな」
その声は、熟れた果実のように甘く、若葉のように瑞々しかった。
「私、レミナ・クーウェレン・マルクセルがここに誓う。たとえ、お前がどんな姿になっても……、この先に、私たちにどんなことが起こっても……。私は、和馬から離れない」
レミナの声が、レミナの言葉が、レミナの思いが世界に沁みる。
その穢れ無き純粋な思いに、世界が答える。穏やかな闇が二人を包み込み、世界が二人の門出を祝福する。
そして、ふたりはどちらからともなく唇を寄せた。ほんの一瞬の、永遠に続きそうな誓いのキス。
キスが終わり、和馬はレミナの腰に手を回し、その身体をしっかりと抱きしめた。
闇の翼が大きく羽ばたく。ふわりと、二人の身体が宙に浮く。その荒々しくも雄々しい翼は、この世で一番大切なものを運ぶため、絹のように柔らかく風を捉えた。
世界が二人を祝福し、風が翼をゆっくりと押し上げる。
和馬とレミナが、エクソシストたちの光の帯に近づく。すると、眼を焼くほどの光の帯の中に、安らぎに満ちた暗き闇の穴が浮かび上がった。
「行くぞ。レミナ」
「ああ。お前と二人なら、どこまでも」
和馬の言葉に、レミナが和馬に抱きつく腕に力を込めながら微笑む。
そして二人は光の帯に浮かんだ、闇の空洞を突き抜けた……




