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第四章(12)

「さてと、壊れたおもちゃには興味ないから。これはいーらない」

 ミリンスが、その手に持っていたものをゴミのように和馬の前に投げ捨てる。それは、全身を牙や爪でズタズタにされた、ジークフリートのなれの果てだった。だが、致命傷になったのは、その胸にぽっかりと空いた傷だろう。背中から腹部へ、完全に貫通している。

 和馬の生み出した伝説の騎士は、その唯一の弱点、菩提樹の跡を貫かれていた。

 床にぶつかると同時に、ジークフリートの身体がガラスの破片のごとく砕け散る。

「うそだろ……。どうやって」

「うーん、別に。ちょっと、奥の手を出しただけだよ」

 和馬の疑問に、ミリンスは光り輝く爪の先を唇に付け、その先をピンクの小さな舌先でチロリと舐めた。その姿にぞくりとするのは、淫猥に見えるからじゃない。

 底知れない戦いへの狂気に、和馬は思わず戦慄した。

「くっ!」

 和馬が顔を歪める。狭い部屋、入り口は塞がれ、吹き抜けの天井には再びエクソシストが張った結界が復活している。完全な袋小路。一切の退路がない。

「ふふふ~ふ~ふ~ん♪ どうしようかな~♪」

 楽しげに鼻歌を奏でながら、ミリンスが鋭い光を放つ牙を覗かせる。

 和馬はただこの緊張に耐え、背中にレミナを庇いながら、タイミングを伺っていた。

「おにぃ~さん。もう絵はないの?」

「……さぁな」

「ふ~ん。な~んだ、つまんないの」

 苦渋の表情を浮かべる和馬に、ミリンスが面白くなさそうに唇を尖らせる。

 そんなミリンスの態度に、和馬の中で何かが膨れ上がった。

 おい、俺は何でここまで来たんだ? 今ここで引いたら、あの時と変わらないんじゃないのか? 結局、敵から逃げ、怯え、日陰で過ごす。レミナを助けると誓ったあの日、和馬が臨んだ力はそんなものだったのか?

 いや、違うっ!

 和馬があの時に臨んだ力は、レミナを決してはなさない力。自分がいれば大丈夫、そうレミナを安心させる力だったはず。そうだ、何を逃げ腰になることがある。

思い出せ、和馬。お前には、まだ、とっておきの絵が残っているだろう。

「まぁ、しょ~がないか。結構楽しめたし、痛くないようにしてあげよ~」

「おい、お前」

「ん、何。おにぃ~ちゃ……え?」

 自分を呼ぶ声に、ミリンスが意識を和馬の方に向ける。同時に、強大な魔のイメージが吹き荒れた。

魔のイメージは、すぐさまある形を成す。それは腕だ。硬質感のある黒紫の肌。節くれだった強靭な筋肉。凶悪さの中にどこか気高さを感じさせる手の先からは、ミリンスのそれと反する、漆黒の爪が伸びている。

 それは、和馬の素肌に描かれた、常人のものとは異なる悪魔の腕だった。腕の絵は右肩口から伸び、胸から腹部に掛けて惜しみなく描かれている。いや、それは本当に絵なのだろうか。どう見ても、それは本物で……

 ミリンスの心が和馬の描いた右腕に囚われたる。

 伝説の騎士をも圧倒するミリンスの創造力。それは、たやすく世界の根源から、己のイメージを引きずり出した。

「……アハ♪」

 ミリンスの顔が恍惚に染まり、その眼はただ一点に注がれる。それは、世界を掴み、握り潰し、蹂躙する可能性すら秘めた悪魔の腕。

身体に描かれた右腕は絵ではなく、確固たる現実の右腕として和馬の右肩に降臨した。

 起源より生まれ落ちた悪魔の腕を、和馬が何度か握りしめる。胸を覆う戸惑いと、胸に躍る高揚感。身体の中に流れる血がマグマのように沸騰し、それでいて心は氷のように凍てついている。

 視界の端に、閃光が流れる。光の帯は、5本の爪。闇を切り裂き、ミリンスの爪が和馬に切り掛かる。その一撃は、あのジークフリートの鋼の肉体すら切り裂いたものだ。ただの人間が受け止めるなど、狂気の沙汰に他ならない。

 だが、和馬の中で爆発した狂気は、嬉々として光の爪に立ち向かった。

 和馬の右腕が、和馬の意志を飛び越えて跳ねあがる。激突する光と闇。相反する精霊が混沌の狭間で弾け、凄まじい衝撃となって爆発した。暗き闇は周囲の壁を食いちぎり、白日の閃光が闇の食い千切った瓦礫を吹き飛ばす。

 吹き荒れた混沌の暴風は、エクソシストが張った結界ごとレミナを縛り続けてきた牢獄を吹き飛ばした。砂塵が舞い、瓦礫が倒壊する轟音が辺りに響く。

「和馬っ!」

 和馬の姿を見失ったレミナが、砂塵を振り払いながら叫ぶ。すると、その眼の前の砂塵が、突然盛り上がり、人影が飛び出してきた。それは、両手両足に光りの輪を付け、片腕の爪を無残に砕かれたミリンスだ。

 目前に飛び出してきたミリンスにレミナが身体を強張らせる。だが、ミリンスの瞳は、レミナを一切映していなかった。

「おにぃさん……最高だよ」

 光の獣の好奇心は、今はただ一転、自身と反する魔の腕に囚われていた。

 砕かれた部屋の残骸が、屋根の下へと転がってゆく。三人は、聖堂の屋根の上にいた。夜風が吹き、砂塵が攫われる。その砂塵が晴れ止まぬうちに、光の獣は屋根を踏み砕いた。凄まじい蹴りの推進力が、光の獣を弾丸の勢いで前方へと撃ちだす。闇の空を斬る光の帯。それはまるで、夜空を切り裂く箒星だ。

「喰らえっ!」

 自身を災厄の箒星に変えたミリンスが、光の爪を和馬へと振り落とす。和馬は、光の爪を、闇の腕で真っ向から受け止めた。甲高い音が響き、光の爪が弾かれる。

「まだまだ」

 ミリンスのか細い足が跳ね上がり、光の槍と化した爪先が、和馬のわき腹に迫る。僅かに体を引き、爪先を躱す和馬。光の槍が腹を掠めて通り過ぎたかと思えば、ミリンスは身体が無防備になることも厭わず、軸足にしていた左足を蹴り上げてきた。

 閃光の爪先が、和馬の顎を捉える。

「それが、どうした」

 和馬の声が、静かに闇に溶けた。

 確実に命中すると思われたミリンスの爪先が、虚しく空を切る。相対して繰り出される闇の拳は、狙い澄ましたかのようにミリンスの腕で輝く光の輪を殴りつけた。

 闇を纏った一撃を受け、光の輪が硝子のように砕け散る。

「えっ?」

 自身の砕かれた光りの輪を眼に映し、ミリンスの動きが一瞬止まる。いや、ミリンスは止まらざる追えなかった。全身の動きを止め、眼に全神経を集中しなければ、ミリンスは和馬の動きを追うことは出来なかった。

 上から下へ流れる黒き爪が、ミリンスの残った光りの腕輪を切り裂く。今度は水平に闇の軌跡が走り、両足の光の輪が砕かれる。三つの光が砕かれる音は、腕の薙ぐ速度が速すぎて、ただ一回の破裂音に重なった。

たった二つの、そのとてつもなく無造作な動作に、獣は動くことが出来なかった。

 もがれ、砕かれる光の輪。

 ピタッと、漆黒の爪がミリンスの額にあてがわれる。

「諦めろ。俺は、レミナを連れてここを出る」

「かっくいい~。でも、どうやって?」

 額に死を押しつけられながら、ミリンスはぺろりと唇を舐めた。まるで、その瞳には怯えが写っていない。

「確かに、僕の武器は壊されちゃったけど。どうやってここから逃げる気なの?」

 にこにこと無邪気に笑いながら、ミリンスが小首を傾げる。ここは、彼らエクソシストの本拠地であり、外界から閉ざされた不可侵不可出の領域。逃げることは、たやすいことじゃない。

 確かに、ミリンスの言うとおりだ。けれど、ミリンスの浮かべた笑みは、エクソシストとしての勝ち誇ったものでもなければ、自らの負けに自暴自棄になったものでもなかった。

 ただ、純粋な好奇心。

 自分の負けよりも、エクソシストとしての矜持よりも、ミリンスの好奇心は和馬たちがこのあとどうやって脱出するかに向けられていた。

「ねぇ、どうや……」

 まるで誘っているように甘い声を出しながら、ミリンスが再び和馬に尋ねた、その時。

光の庭園で、すさまじい爆発が巻き起こった。

「え、ななな、なに?」

 耳をつんざく爆音。身体を震わせる衝撃。閃光が目を焼き、爆風があたりに吹き荒れる。

 肌を焦がす爆風にミリンスが振り向くと、荒廃と化した庭園の中心で、空に向かって頭を持ち上げる、神代の伝説が目に飛び込んできた。庭園に走る炎の紋様。その中心で天に火を吐くドラゴン。ドラゴンの炎に導かれるように、紋様が浮かび上がり、火の刻印が暗き夜空に刻まれる。炎の刻印が刻まれたのは、このエクソシストたちの城と現世を隔てる不可視の壁だ。

 そんなドラゴンの頂点に、和馬は見知った小さな影を見た。


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