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第四章(9)

「レミナーっ!」

 愛しき吸血鬼の名を呼び、和馬はエクソシストの本部を駆け抜けていた。どうやら、聖堂にかなりの兵力を投入していたらしく、本部の通路はほとんど素通り。仮に敵に出くわしたとしても、残った切り札がアレば、並みの敵なら切り抜けられる。

 そう、相手が並みの敵なら。

「あは、まだこんなとこにいたんだ。お兄さん」

 背後で聞こえたその声の主は、一瞬にして和馬の目の前に立ちはだかった。

「くそ。お前かよっ!」

 悪態を漏らす和馬に、両手両足に光の輪を携えたミリンスが、ぷくぅっと頬を膨らませる。

「なんだよ、つれないお兄さんだな。こんなにかわいい女の子捕まえて」

「お、女のか?」

「え、なにそのリアクション。普通に傷つくんだけど」

 和馬の言葉に、ミリンスがより一層頬を膨らませる。まぁ、カル師匠が男なぐらいだから、今更ミリンスが女の子だと告白されても、何とか受け入れられるが。

「じゃあ、優しい女の子ってことで、ひとつレミナのいつ場所を教えてくれないか?」

 それは、時間稼ぎのために和馬がした、ダメもとの質問だった。

「ん、ああ。あの吸血鬼のおばちゃんか。それなら、この通路をまっすぐ行って、二つ目の階段を上がった上の部屋に閉じ込めてあるよ」

「え!」

 だからこそ、驚くほどあっさりと帰ってきた答えに、和馬は声を上げずにはいられなかった。

「ほ、ほんとうか」

「ぶ~、失礼な。これでも、エクソシストだよ、光の使者だよ。嘘なんてつかないさ」

 ミリンスが和馬に見せつけるように、腕にぶら下がった光の輪を持ち上げる。

 もしかして、話し合いでこの場を切り抜けられるかもしれない。

 そんな期待が和馬の脳裏を過る。

 だが、それは淡い期待に過ぎなかった。

「じゃあ、そろそろ」

 ミリンスが、ゆっくりと拳を引き……

「遊ぼうか、お兄さん。僕ねぇ、強い人とか、面白い人と戦うのが好きなんだ」

 弾丸の如き速さで、一気に和馬との間合いを詰めてきた。突き出される拳を辛うじて避ける和馬。小さな拳はそのまま和馬の脇を通り過ぎ、後ろに置かれていた大きな花瓶に突き刺さった。

 ミリンスの腕に下がる光の輪が、辺りの光を吸収し、激しく回転する。光の螺旋がミリンスの腕を包み込み、一瞬にして弾け、花瓶を粉々に吹き飛ばした。

小さな拳と油断でもしようものなら、一撃で人体を破壊する獣の一撃。

和馬の頬を、冷たい汗が伝う。全神経が、魂が告げている。

 ここが、ミラを救い出す最難関だと。

 和馬に躊躇はなかった。

 残るキャンバスはあと二枚。ドラゴンをかき上げたキャンバスの次に大判な板と、ハガキほどの小さな板。

 和馬はその二枚のうち、大判のキャンバスと掲げた。

「あはっ!」

 真っ向からキャンバスを受け止めたミリンスの顔が、恍惚に歪み、惚ける。

 ミリンスが魅入られたのは、圧倒的な強者のオーラ。

 龍を殺し、その魔血を浴び不死身の身体を手に入れた英傑。

ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公、

ジークフリートが、今現世に蘇った。

しかも、ただ蘇っただけではない。

和馬の絵は、見る者が魅入られれば魅入られるほど、そのイメージが強ければ強いほど、そのイメージを力に反映する。

ミリンスは言った、強い者と戦いたいと。そんなミリンスが、強者のオーラを振り撒く伝説の英霊の絵を見ればどうなるか。

ミリンスの創造力が生み出したものは、最強の具象化に他ならない。

「なにこれ、つっよそ~!」

 ミリンスが、飛び跳ねて喜ぶ。そして、その言葉に答えるように、伝説の騎士が龍殺しの剣を携えて、ミリンスへと斬り掛かった。

 笑みを湛えながら、ミリンスが迫る白刃に対し、わずかに身を捩る。ジークフリートの愛刀、バルムンクがミリンスの金髪をわずかに切り取りながら空を切る。

 一方ミリンスは、身を捩りながら半身を引き、すでに拳を作っていた。繰り出される光の拳の一撃が、ジークフリートの脇腹に突き刺さる。瞬間、腕の光の輪が回転し、辺りの光を収束。爆発的なエネルギーが炸裂する。

「え、なに? うわっ!」

 だが、その一撃ではじけ飛んだのは、ジークフリートではなくミリンスの方だった。ジークフリートの身体には傷一つついていない。

「うわ~、かったーい。ああ、そういえば、龍の血を浴びたんだけ、そいつ」

 攻撃が聞かないことに失望するどころか、むしろ喜びに満ちた表情で、ミリンスがジークフリートを睨みつける。

「なるほど。神話や伝説がそのまま具象化するわけか。んじゃさ、もちろん弱点も一緒だよね」

 ミリンスの両足に巻かれた光の輪が回転する。

 次の瞬間、ミリンスの姿が霞んだ。

 さっき、通路で一気に和馬の前へ回り込んだ時のように、ミリンスは高速でジークフリートとの間合いを詰め、一気にその背後へ回り込む。

 ジークフリートの弱点は、龍の血を浴びるときに一点だけ浴び損ねた、菩提樹の跡。

 ミリンスは指先を束ねると、鋭い突きをジークフリートへ向けて解き放った。

 だが、

「うわっ!」

 突きがジークフリートに刺さる寸前で、ミリンスが慌てて腕を引き、仰け反る。その鼻先を掠める切っ先。右から流れた刀身が、今度は弧を描いてミリンスの腹部に迫る。

 ヤバい、と思うよりも早く、ミリンスは後方へと飛んでいた。まさに野生の感。

 大きく飛び退いたミリンスは、腹部の服が切り裂かれていることに気が付き、「ひゅぅ~」と楽しげに口笛を吹いた。

 攻撃は通じず。弱点を突こうにも、相手はその弱点を完璧に守ってくる。

「これは~、奥の手使っちゃおうかな、お兄さん」

 楽しげに、そして勿体ぶりながら、ミリンスが和馬の方を振り向く。

 だが、先まで和馬がいた通路は、すでにもぬけの殻になっていた。

「ありゃ、失敗失敗。遊びすぎて、逃がしちゃったか」

 ミリンスが、濡れた唇の隙間から、小さく舌を出す。

 けど、目の前にこんなにおいしい獲物がいるのに、背中を向けて追いかけるなんて選択肢は、ミリンスの頭にはなかった。

「まぁ、いいや。どうせ行くとこ分かってるし。とりあえず、こいつぶっ倒そ」

 にこやかな笑みを浮かべながら、ミリンスはその獣のような鋭い双眸にジークフリートを収め、声高らかに詠唱を紡ぎ始めた。


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