第四章(8)
「光よ。万物を包み、癒し、焼き払う金色の精霊よ」
詠唱と共にユランがミラに向けて右手を突き出す。
「集え、輝け。散流する欠片よ集いて、我が下で魔を滅する輝石となれ」
ユランの空の手に光が集う。それは、聖堂内に満ちる、ごくごくあふれた光の粒子。
エクソシストの魔術の媒体は、この世界に満ちる【光】そのものだ。
だが、魔術師としての格が違えば、当然扱える媒体の規模も違う。並みのエクソシストが扱える【光】の総量と、エクソシストの上位に名を連ねるユランとでは天と地ほどの差がある。
すでに、ユランの手に収まる光はまともに直視することさえできないものになっていたが、ユランはさらに詠唱を追加した。
「諸共一切、ここに集え!」
ユランの声が聖堂に響き渡り……
そして、世界が暗転した。
一瞬の闇。だが、聖堂の電灯に明かりが灯り、闇をかき消す。聖堂に色が戻り、ミラとユランの姿が露わになる。
ユランに変わったところは見られない。
「なんだ、不発……」
そう、思わずミラが呟きかけたその時。
ユランの左手が空中にルーンを刻み……
「錬成し、出でよ! 光より生み出せし、金色の剣よ!」
ユランの声と共に、世界は光に包まれた。
「むっ!」
ミラが、思わず手で庇を作る。視界を埋め尽くす金色の光。その光は徐々に収束し――
「千年の刃にて、彼の敵を葬らん」
ユランの掌の中で、一振りの光の剣と化した。
「素晴らしい……」
ミラの口から感嘆の言葉が漏れる。神々しいまでに光り輝く、黄金の剣。両刃の刀身は、ただそこにあるだけで空間を切り裂いているように見える。
ユランが、高々と剣を天へ向けて突き上げる。未熟なものならば、その姿だけで畏怖され、許しを請うだろう。
だが、ミラはそんなユランの威光を真っ向から受け止め、それでなお好戦的な笑みを崩さなかった。所詮は剣。ミラのように遠隔で魔術を操る者にとって、これほど有利な相手はいない。
そんな……
そんな甘い考えを持たないからこそ、ミラはエクソシストや魔女狩りたちから逃げ延びてきたのだ。
交差する金色の瞳と、白銀の瞳。
「エイルっ!」
未来と過去の狭間で、鋭い声が聖堂の沈黙を切り裂く。
その声に一瞬遅れ、聖堂内に無数の光の剣が出現した。光の剣はドーム状にミラとエイルを包み込み、閃光の中へと閉じ込める。剣の切っ先は、ただ一本の例外もなく、ミラとエイルに向けられていた。
ユランが、掲げた光の剣を振り下ろす
同時に、ドーム状に宙に錬成された光の剣たちが、一斉にミラとエイルに向けて降り注いだ。空中を駆ける剣は、まさに光速。その刃から、逃れるすべはない。
一瞬にして、聖堂の中心に、無数の剣で作られた光球が完成した。
しかし、その光球を作り出したユランの顔に、勝利の安堵はない。
ユランの瞳は、ミラが倒れる未来を見ていない。
「なるほど。光が媒体ならば、この空間すべてがお前の武器ということか」
その声は、驚くほどに落ち着いていた。
カラン……と甲高い音を立て、光の剣が床に落ち、ガラスの破片のごとく砕け散る。その一本を皮切りに次々と光の剣が床を叩いた。砕け散る光の破片が、冷たい床でまばゆく輝く。
すべての光の剣が消滅すると、その中心から大きな花の蕾が現れた。闇を連想される紫紺色の花弁が、ゆっくりと花開く。
闇の花から現れたミラは、旨そうに煙草を吸いながら、涼しい顔を浮かべていた。
そんなミラに、ユランが呆れた顔で呟く。
「光の剣は、この世のすべてを切り裂くはずなんだがな」
「ふ、お生憎だな。この花は私が対エクソシスト用に作った闇の花だ。闇は光を飲み込み、喰らう」
「そうか。では、教えてやろう。その闇を焼き切る光があることを」
ユランが腰を低く落とし、光剣を構える。
横薙ぎの一閃。光の斬撃が聖堂を駆ける。光の斬撃は当たりの光を吸収し、輝きを一層増しながらミラへと飛来する。
横に跳び、ミラが光の斬撃を躱す。ミラの身代わりとなって光の斬撃を受けた闇の花は、その花弁を切り裂かれると同時に、切断面から発火した。
飛び退いたミラへと迫る、第二第三の光の一閃。その狙いは、まるでミラの動きが分かっていたかのように正確だ。
いや、実際にユランは分かっているのだ。ミラが次にどんな行動を選択するかを。
その【未来視の邪眼】によって。
「フフ、いやらしい攻撃だな」
そんな圧倒的に不利と思われる状況であっても、ミラの微笑は崩れなかった。
迫る刃に、ミラは落ち着きながら床に種を撒き、ルーンを刻む。一瞬にして成長する木々。衝突する木と光の刃。光の刃に蹂躙された太い木が、悲鳴を上げて倒れ込む。
光の剣を構えるユランへ向けて。
「それがどうした」
迫りくる巨木に対し、ユランは光の剣を縦に振るった。その斬撃の軌跡を閃光が駆け、大木を真っ二つに切り開く。
その二つに割れた大木の向こうから、無数の種がユランへ向けて降り注いだ。しかも、ただの種じゃない。先端が鋭利に尖った種は、掠りでもすれば全身を麻痺させる毒をもった、悪魔の種だ。
だが……
「知っているさ」
降り注ぐ毒種の雨に向けて、その声は冷たすぎるほど落ち着いていた。
ユランが腕を持ち上げ、振り上げた光剣で大きく円を描く。剣の刀身が描く軌跡には、光の帯が出現し、降り注ぐ種からユランを守る盾となる。放たれた毒種は、光の楯に触れるや否や、一瞬にしてその身を灰に変えた。
「この攻撃は、まだ続くんだろ」
言葉と共に、ユランは飛んだ。音を立てて崩れ落ちた大木を踏み台に、割れた大木で挟まれていたその場所から離脱する。
いかに光の楯を作ろうと、ユランはすべての種を迎撃できたわけではなかった。生き延びた種は即座に芽吹き、辺りに棘を持った蔦を張り巡らせる。あっという間に、大木の隙間は、大量の棘のある蔦に埋め尽くされた。もし、ユランが留まっていたならば、あの蔦に身体を囚われ、棘から染み出した毒に、すべてを奪われていただろう。
攻撃となれば、相手の動きを呼びきる最強の矛。
ひとたび防御に回れば、いかなる攻撃をも予知する最強の盾。
「ふむ、さすがに隙がないな」
ミラの言うとおり、ユランには突くべき隙がまったくと言っていいほどなかった。
「そうだ。わかっていると思うが、このまま続けても勝ち目はないぞ。降伏しろ」
「そうか? 存外、そうでもないかもしれんぞ」
クックックと喉の奥で笑いながら、ミラが楽しげに煙草を味わう。
「そういう言葉は、私に一撃でも喰らわせてから言うんだな」
挑発的な笑みを浮かべ、ミラが指先で挟んだ煙草の先端を、ユランへと向ける。
「そうか。では……少しばかり痛い目を見てもらおう」
ユランの声に冷たさが増し……その金色の瞳がより一層激しく輝いた。
先を読みによる、未来からの一撃。
ユランの左手が宙を踊り、ルーン文字を積み重ねた。
「闇を切り裂きに光の筋。幾千折なり、彼の敵を包む牢獄と化せ」
ユランの詠唱を受けて、聖堂に満ちていた光が収束し、格子状にミラを包み込む。
【光牢】
まさにそれは光の牢獄。四方八方を包み込む光は、捉えた者の影を消し去り、その動きの全てを補足する。逃れるどころか、隠れることすら許さない。
そして、ユランの邪眼が捉える。
光の刃が腹部を掠め、地面に崩れ落ちるミラの姿を。
「これで、終わりだ」
静かな宣告と共に、ユランは右手に携えた光剣を振るった。
光剣の指揮を受け、牢獄に満ちる光の中に刃が生まれる。光の牢獄を作るのに集中することもあり、生み出せる刃はいかにユランといえど五枚が限度だが、それで十分だ。
光の蹂躙が始まった。
五枚の刃が、一斉にミラへ向かって乱れ飛ぶ。
ミラが傍らにいたエイルを突き放す。同時に、二人の間を、光の刃がすり抜けた。刃はすぐさま反転し、前方から飛来した別の刃と共にミラを狙う。
「ふ、狙いは私だけか。けっこう!」
口に咥えていた煙草を吐き捨て、ミラは横手に跳んだ。前後から飛来した光の刃がぶつかり合い、激しい閃光が生まれる。その閃光を割って飛び出した第三の刃は、ミラの右足を狙っていた。
「あまいっ!」
ミラが靴底で床を蹴る。すると、ミラの前方の床が隆起し、太い根が幾重にも盛り上がった。根に突き刺さる光の刃。刃はすぐさま根を切り飛ばしたが、その先にすでにミラない。
四本目の刃は、大きく円を描くようにミラへと迫ってきた。
ミラが、勢いよく人差し指を天上へ向かって突き上げる。再び床が振動し、床を割って現れた木々は、一瞬にして光の牢獄を密林に変え、光の刃からだけでなく、ユランからもミラの姿を覆い隠した。
だが、それもユランが見た未来の一部でしかなかった。
「爆ぜろ」
ユランが、手を力強く握りしめ、一気に開く。すると、密林の中で三つの閃光が弾けた。閃光は木々の間、葉の隙間から隈なく密林に染み込み、その中を照らし出す。
「そこだっ!」
ユランが再び腕を振るう。木々の間をすり抜け飛翔する五枚目の光の刃。その刃先は、寸分の狂いなく木々の間に身を顰めたミラへと向かっていた。
わずかに身をよじり、寸前で光の刃を裂けるミラ。ザクッと音を立てて、光の刃が、ミラが背中を預けていた木の幹に突き刺さる。
避けきったか、と俄かにミラが脱力した、その時。
固い床を切り裂き、残った最後の光の刃が、ミラへ向けてその刃を輝かせた。
「なっ!」
全ての予想を裏切る白刃の輝き。ミラのお株を奪う、不可視の床からの一撃。
「ぐっ!」
鋭い刃がミラの腹部に突き刺さった。
ミラの身体が傾き、ゆっくりと地面に倒れ込んだ。
「マスターっ!」
草木を操ることに集中していたエイルが、密林と化した聖堂を走り、ミラへと駆け寄る。その軽い身体を抱きかかえると、服の端から滴った鮮血が、ピチャリと音を立てて床で弾けた。
「マスターッ、マスターッ! マスタァアアアーッ!」
エイルが何度もミラの肩を揺すり、声をかけ続ける。だが、ミラの閉じた瞼は、一向に開かない。
「ば、馬鹿な……」
しかし、その場にいる誰よりも動揺していたのは、ほかでもないユラン自身だった。
ユランの精神のブレを受け、ミラたちを包み込んでいた光の牢獄が、淡く瞬き、崩れ落ちる。
降り注ぐ光の洪水の中を、ユランは駆け出していた。
殺すつもりなどなかった。まして、深い傷を負わせるつもりなど、なかった。最後に放った刃は、あくまでミラの動きを先読みし、身体を掠めるだけのハズだった。
なのに、なぜ?
ユランの心が焦燥に囚われた、その時。
プシューッと何かを吐き出す音が聖堂に響き、紫色の霧があたりに立ち込め始めた。
「な、なんだこれは!」
よく見れば、その霧は先ほどミラが大木の間に発芽させた、毒の種が生み出す紫の蕾から放たれていた。霧はあっという間に聖堂内を包み込み、ユランの眼からすべてを包み隠す。
「ハーッハハハハハ。これしきの事で心を乱すとは、精神鍛錬が足りないな、ユラン」
その声は、未熟な弟子を弄ぶ喜びなのか、これ以上ない艶に満ちていた。
「ミラか。ということは、やはり先の一撃は致命傷になっていないんだな」
「もちろんだ」
声に合わせ、霧が左右に割れる。
紫の霧と新緑の密林のトンネルを抜けた先で、何かを服の下から取り出すミラの姿が見えた。
ミラの服の下から現れたのは、雲のように白い綿だった。
「それは、あの青年の腹に仕込んでいたものか」
「ご明察。だが、ただの綿と思うなよ。私が特別に作り上げた種に、精霊の朝露を掛けた特別製だ。タイミングさえ外さなければ、一回くらいお前の光の刃でも受けられる」
「なるほど……だが、なんでお前はそのタイミングがわかったんだ?」
【未来視の邪眼】を持つユランならば、そのタイミングは分かる。だが、ミラが持っているのは【過去視の邪眼】。未来が見えるはずがない。
「ふ、そんなもの簡単だよ」
そんなユランの疑問に、ミラは平然とした表情で答えた。
「最後の一撃は、お前が教えてくれたんだよ。ユラン」
「どういうことだ?」
眉を顰めるユランに、ミラは白銀に輝く【過去視の邪眼】を指差した。
「確かに、私に未来は見えない。だが、予測することはいくらでもできる」
「予測、だと」
「ああ、そうだ。相手の過去から、次の攻撃を、癖を、思考を。私は相手の過去を見ることで予測することができる」
楽しげに解説するミラは、ユランに二本指を立てた手を突き出した。
「特別に、二つほどお前の癖を教えてやろう。ひとつ、お前は相手の攻撃のマネをする癖がある。相手の虚を突くため、そして、相手を完膚なきまでに叩き潰すためにな。もう一つの癖は、攻撃の回数だ。お前は必ず、六発目の攻撃で決めにくる」
そう、ミラにとって最後の攻撃は予想外ではあっても、予測を裏切るものではなかった。
「私を倒せる奴がいるとすれば、私の予測を超える、そんな奇想天外なやつぐらいだよ」
そう、自らの腕を切り落とし、世界に見放され、世界の起源からの具象化という魔法レベルの魔術を無意識に作り出した、あの和馬のように。
「さてと、私も行くか。脱出の結界破りは、さすがに師匠だけじゃ骨だろうからな」
「待て、まだ俺は負けてないぞ!」
踵を返すミラを、ユランの焦った声が呼び止める。
そんなユランに、ミラはどこか悲しげな表情で振り向いた。
「無駄だ。もう勝負はついている」
「なぜ、そう言える。そんなに、俺がこの組織にいるのが気に食わないのか?」
「まぁ、それもあるにはあるが。今は現実的な問題を言ったまでだ。まぁ、安心しろ、その霧は毒でもなんでもないから、死にはしないさ」
その言葉を最後に、ミラとユランを繋いでいたトンネルが、紫の霧に塗りつぶされる。
「ま、待て。くそ、こんなものっ!」
ユランが、目の前の霧をかき消そうと、光を集めることに意識を集中する。
だが、光は一向にユランの下に集おうとはしなかった。
「なぜだっ!」
声を張り上げるユラン。
「教えてやろうか?」
ミラの声は、ひどく遠くの方から響いてきた。
「霧に光を当てても、表面に移ることはあっても、霧の奥深くまで照らすことはできない。それと同じことだ、その霧の中にいる限り、いかに光が存在していても、もはやお前の下に集うことはない」
「たとえ、たとえ新たな刃が作れなくとも、俺にはまだこの光剣があることを忘れたか」
ユランが光剣を振りかぶり、大きく横に薙ぐ。
「無駄だよ」
結果は、無情にも下された。
「お前の光剣は、辺りの光を操ることで光の刃を解き放つ。だが、光の刃が飛ぶのは、そこの空間に光の刃を維持するだけの光があるからだ。その光剣だけでは、何もできない。それは、お前の過去が告げている」
ミラの声は、もはや集中しなければ聞こえないほど離れていた。
「ユラン……元気そうで安心したよ。じゃあな」
途切れた声は、この上なく優しげだった。
「くそ……。好き勝手、言ってくれるな」
俯くユランの頬を、透明な滴が伝う。
泣いているが、その口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。
掌から零れ落ちた光剣が、床に当たり砕け散る。
【未来】と【過去】の邪眼使い。
その軍配は、【未来】を知ったがために敵へ逃げ込んだ青年ではなく、【過去】を受け入れ【今】を歩むことを選択した【過去の瞳】に上がった。




