第三章(5)
「はぁ、師匠の面目丸つぶれじゃないか」
小屋の扉を前に、ミラは苛立ちながら捨てた煙草を足で潰した。続けて二本目の煙草を咥え、火を付けると大きく吸い込み、天上でミラを見下ろす月へ紫煙を吐き出す。
空の頂点を過ぎた月は、綺麗な三日月となってミラを見下ろしていた。
「くそ、月まで私を笑いやがって」
もはや、ミラの苛立ちの対象は月にも及んでいた。
和馬の問題を師匠に相談して、一週間。予想通は師匠は親身になって話を聞いてはくれたが、はっきり言って収穫はなし。
いや、むしろバッドニュースを抱える羽目になってしまった。
時間のなさに拍車がかかる、そんな特大級のバッドニュースだ。
頭を抱えながら、ミラが小屋の扉を睨めつける。無性に蹴りたくなってきたが、さすがにそれは自粛しておいた。ただでさえ、師匠の威厳がなくなりそうな今の状態を、これ以上落としたくはない。
和馬たちは、もう眠りに着いているころだろう。
たっぷり時間をかけて二本目の煙草を吸い、さらに三本目を吸い尽くす。四本目の煙草を取り出そうとして、煙草が空になったことが分かり、ようやくミラの手が扉の取っ手に掛かった。
音を立てないよう、そっと扉を開く。案の定、小屋の中は静まり返っていた。
さて……時間はあるな。朝までに、どう和馬に説明するか考えねば……。
頭を悩ましながら、ミラが電気のスイッチに手を掛ける。和馬の寝床は、小屋の奥だ。リビングの電気を付けても、まず気づきはしないだろう。
パチっと音を立てて小屋の明りに電気が走る。数度瞬いた電灯が、次の瞬間まぶしい光を放つ。
暗闇に灯った光に、一瞬ミラの目が眩む。
目はすぐ光に慣れ、部屋の中が鮮明になる。
そして同時に、ミラの心は何かに囚われた。
「な、なんだ!」
思わず声を上げてしまったミラが、反射的に自分の胸に手を当てる。激しい動機、しかし心は驚くほど穏やかだった。花の瑞々しい香り。葉の生命力。様々なイメージの本流が、一気にミラの中に流れ込む。
長いようで短い、一刹那。
ハッと、ミラは我に返った。自分の小屋のリビング。別に、何か変わったところがあるわけでもない。
「魔女狩りどものトラップ……というわけでもなさそうだな。……ん、あれはなんだ?」
見慣れたリビングに見慣れないものを見つけ、ミラがその傍に歩み寄る。と、その足が不意に止まった。
自分の手に走る、穏やかな違和感。いつの間にか、ソレを落とさないように持ち上げられた腕を見て、ミラが目を見開く。
ミラの掌には、灰色の美しい花と花瓶が握られていた。
ドクンっと、ミラの胸の鼓動が加速する。
ゆっくりと視線を流し、止まりかけた思考に動くように命令する。
リビングに置かれた見慣れないもの。それは、キャンバス。美しい濃淡で描かれているのは、鮮やかな灰色の花と花瓶。
そう、それはミラの手の中にあるものと寸分変わらなかった。
頭が一瞬にして沸騰する。
次の瞬間、思考を追い越した感情が、ミラの口から迸った。
「和馬! 今すぐ出てくるんだ! 今すぐに」
三日月が天上で笑う深夜。小屋の中に、ミラの悲鳴に似た声が響き渡った。




