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第三章(3)

「さてと、腹も膨れたことだし。強くなるには、どうしたもんかな」

 カランと、氷の入ったコップを机に置き、和馬は呟いた。

 ミラは身体を休めて英気を養えと言ったが、和馬にはそんなことをしている時間はないし、悠長にミラを待つほど気も長くはない。

 師匠であるミラを信頼してないわけじゃないが、何もしない自分を許せるほど、和馬は楽天的でもないのだ。

 食事の片づけを買って出てくれたエイルに甘え、和馬は思考を巡らせてみる。

 魔術の基本修行には、大きく分けて三つの要素がある。精神の鍛練、肉体の鍛練、知識の集積だ。精神は瞑想、知識は魔術書を読めばいい。肉体の鍛練は、そのまま身体を鍛えることにある。

「健全な精神は、健全な肉体に宿る。か」

 しばし考えた和馬は、肉体の鍛練を選択した。正直、まだ精霊と契約できないことに対する、やきもきした感情が残っていて、精神を鍛えるにはあまりよくないタイミングだし、魔術書を読み漁るのは夜でもできる。それよりも、身体の中でいつまた暴れかねない不安や苛立ちを、何とか汗と共に吐き出したかった。

 丁度いいタイミングで洗い物を終えたエイルと共に、和馬は小屋の外へ出ると、小屋の裏へ回り、薪割りの準備を始めた。軍手を歯で噛みながら左手に付け、切り株台を転がし、適当な位置にしっかりと固定する。隻腕の左腕を何度か回し、ついでに首、肩と回して軽く身体をほぐすと、和馬は切り株台に薪を置き、斧を手に取った。

 ずっしりと重みのある斧を、和馬が危なげない手つきで、しっかりと振り上げる。そして、台の上にセットした薪に狙いを定めると、左手一本で一気に斧を振り落した。斧の刃が薪の中心に食い込み、木を裂く音と共に一気に叩き割る。

 カコーンと、小気味のいい薪割りの音が、静かな山間に木霊した。

「うっし!」

 軽く気合を入れ、和馬が別の薪をセットする。薪割りと、肉体の鍛練の一石二鳥だ。ただ、効果は絶大。初めてこれをやった時は、次の日は左手がひどい筋肉痛で、スプーンも握れないほどだった。

 数か月の薪割りは、今まで筆を握り続けてきた和馬のやわ手を、豆だらけの力強い手に変えていた。

 再び和馬が斧を振りかぶり、二つ目の薪が両断される。和馬は、その断ち切れる薪の感触を、しっかりと確かめた。

 10も薪を割れば、汗が噴き出てくる。そして、一心不乱に薪を割っていれば、ほんのひと時であっても不安から解放される。今はただ、逃げる道を選ぼうとも、それが最善だと和馬の直感が告げていた。

 日中、和馬はこうして薪割りをしたり、沢に水を汲みに行ったりして、自然に触れながら過ごした。町で絵を描いていたころには、感じられなかったものが、ここでの暮らしで感じられる。夕方にはすっかり汗だくになり、少しすっきりした和馬は、夜空に浮かびかかった星に向かい瞑想をし、夜には魔術本を三冊読破しベッドに着く。

 そんな日が、1週間ほど続いた。

 ミラは、まだ帰ってこない。

 和馬に、焦燥が募っていた。

「マスター、まだ帰ってこないな」

 今日は、朝から大粒の雨が降っていた。山をどんよりとした雨雲が包み込み、遠くの方でオオカミの遠吠えのような音を立て、暴風が森の木々を揺らしていく。

 朝から家に閉じこもっていた和馬は、苛立っていた。こう天気が悪いと、身体を動かして発散することもできないし、集中力が乱れているおかげで瞑想も、魔術書を読む気にもならない。

 抑えようとしても、自然と貧乏ゆすりをしてしまい、なんだかなにもかも面白くない。

 そんな和馬に、なんとか気持ちを紛らわせてもらおうと思ったエイルは、「そうだっ!」と瞳を輝かせると、不意に和馬の袖を引っ張った。

「ねぇ、和馬和馬。絵、描いてよ!」

「え? 絵って、あの絵か?」

「うんと~、たぶんその絵だとおもうけど。ねぇねぇ、和馬、画家目指してるんでしょ。書いてるところ、僕、見たいよ」

 いつも自分のことを「エイル」と名前で呼ぶエイルが、自分のことを「僕」と呼ぶのは、和馬に本当に何かをお願いするときの癖だ。ずっと前に、失敗しておねしょしたときは、明け方近くにこうして和馬にせがんできたこともあった。

 今は和馬の気を紛らわせたいから、こうしてお願いしてるんだろう。それぐらい、和馬にもわかる。ただ、和馬は微妙な表情をして、机に肘を立てた左腕に、顎を乗せて「絵か~」と唸った。

 レミナを助けようと思ってからか、和馬が絵を描いていないのは。それまでは、絵を描くことが当たり前で、絵を描くために毎日があった。ミラがアトリエで和馬以上の絵を描くようになってからも、筆を取らない日はなかった。

 思い出すと、無性に絵を描きたい衝動に突き動かされる。

 ただ、それでも和馬は難しい顔をし続けた。

「つっても、この腕だし。な」

 和馬が自嘲気味に笑いながら、空の右袖に目を向ける。和馬は元々右利きだった。当然、絵を描くのも右手だ。

「それに、俺は右手を、夢を対価にマスターに魔術を教えてもらうことを契約したからな。マスターの許可なく書いていいもんか……」

「大丈夫だよ。和馬は絵を描かない契約をマスターと結んだわけじゃないし。もし、マスターに怒られるなら……」

 少し俯いて言いよどんだエイルは、小さな手をぎゅっと握りしめて身体を震わせると、怯えながらもしっかりした言葉で言った。

「僕も、一緒に怒られてあげるから」

「怒られる前提かよ」

「え、あう、ぅ~ん……」

 和馬の言葉に、エイルが青菜に塩をかけたように萎れる。

 そんなエイルの小さな頭に、和馬の掌がポンと乗せられた。

 エイルが顔を持ち上げると、そこには困った顔をした和馬が、しょうがないなぁと笑っていた。

「怒られるのは嫌だから」

 椅子に座っていた和馬が、エイルの前にしゃがみ込み、その小さな額にこつんと自分の額をぶつける。

「マスターには内緒。二人だけの秘密だぞ」

「うんっ!」

 和馬の言葉に、エイルは顔を赤らめながら、満面の笑みで頷いた。

 そんなエイルに、和馬は心の中で呟く。

 ありがとな、エイル。と。


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