第三章(2)
気が付いた時には、日が上っていた。窓から覗く太陽は高く、窓際に濃い影を作っている。ぐぅ~っと、せつなく鳴く腹の虫。時計を見たら、すでに昼近くになっていた。
「和馬。起きたの?」
「ああ。おはよう、エイル」
眠たそうに眼を擦りながら、エイルが和馬を上目遣いで見上げる。その大きな瞳には、心配そうに和馬の顔を覗き込んだ。
「顔色悪いよ」
「ちょっと、嫌な夢見てな」
「大丈夫?」
手をぎゅっと握り、エイルが和馬に尋ねる。
和馬は力なく微笑むと、「だ……」よ、開きかけた口を閉じた。
大丈夫、じゃなかった。
その言葉を言うことが憚られるほど、和馬の失意は大きかった。
レミナを奪われ、片腕を支払い、苦しい修行に耐え、やっとのことで掴んだ奪還の糸口は、驚くほどあっけなく和馬の手からすり抜けた。
助けたいのに、助けれない無力な自分を、和馬は思いっきり殴りたくなった。
膝が震える、眼が、喉が、心が乾く。
今度は自嘲気味に微笑み、和馬は虚しい笑顔で天井を仰いだ。
「悔しいな」
虚しさに、悔しさに、やるせなさに、知らず知らずのうちに残された左手に力が籠る。
ただ、その手の中には、小さな手があった。
暖かくて、小さな手が。
冷たく、そして熱いほどに握られた手を、エイルがそっと握り返した。
「和馬」
「エイル。それに、お前たちも。」
和馬が、自分の左手に視線を下ろす。そこには、和馬が見つけた精霊たちが、エイルに負けじと和馬の手に自らの手をかざしていた。
「……ごめんな」
思わず、和馬は呟いてしまった。その顔は、泣きそうになっていた。
そんな和馬の耳に、そっと優しい声が届いた。
「和馬、あのね。エイル、詳しいことはよくわからない。エイルは精霊だけど、世界とか、そういう大きいのはわかんない。でもね、エイルは和馬のこと好きだよ。この子たちも、みんな和馬のこと好きだよ。だから、だから……」
エイルはより一層強く和馬の手を握った。そして、翡翠色の透明感のある瞳をまっすぐに和馬に向けて、言った。
「和馬。自分を嫌いにならないで」
ドクンと、和馬の鼓動が高鳴った。
和馬は夢を見ていた。目の前にはもう一人の自分がいて、和馬と、もう一人の和馬が罵り合う夢を。どうしようもなく情けない自分に向けて、ありったけの文句を言う夢を。
どうやら、エイルには見透かされたらしい。さすがは四精霊と同等の精霊で、ミラの契約精霊だ。こんな未熟な弟子のことは、なんでもお見通しらしい。
下手な嘘は誤魔化されるし、嘘なんか付きたくない。
それは、こんな自分に寄り添ってくれる他の精霊に対しても同じだ。
和馬はよく考えて、未熟な自分への憤りと、絶望への不安、そして、それでも諦めようのない信念を織り交ぜた強い瞳で、答えた。
「エイル。悪い、俺は、俺自身が嫌いだ」
「和馬……」
「そんな顔すんなよ。ほら、お前らも。嫌いって言っても、全部嫌いってわけじゃないんだよ。下手でも絵を描いてた自分は好きになれたし、レミナを好きになった非常識な部分も、俺は満足してる。でもな、それでも俺は、今の弱い自分は許せないんだ」
和馬の言葉は、太陽のような熱を帯びていた。暖かな、それでいて、自分自身をも燃やし尽くしそうな。
ただ、先ほどまで和馬に帯びていた翳は、その強い意志の光にかき消された。
和馬が窓の外に目を向ける。その、はるか先にいるエクソシスト、そして最愛の吸血鬼を見据えて。
「俺は、強くなる。絶対に、レミナを助けられるように」
黒木和馬の心は、未だ折れてはいなかった。
だが、身体というものは、どうにも正直なもので……
ぐぅ~~~きゅるるるるる~~~
「………………」
「………………」
いっそ清々しいほど高らかに、和馬の腹時計は正確に12時を告げた。
「………………」
「そういや、昨日の昼から何にも食ってなかったな」
「………………」
「……」「……」「……」「……」
ため息が聞こえてきそうな静寂の中、さっきまで本気モード全開で圧倒的な雰囲気を漂わせていた和馬が、ぎこちなく笑いながら「あ~。え~っと。その」と口ごもり、照れる自分を隠すように、早口で言った。
「とりあえず、飯にすっか」
「うん…………ぷ……ふふふふ、アハハハハハハハハ」
和馬の提案に、エイルは何とか必死に我慢して頷いたが、すぐに笑いのダムが決壊し、精霊たちと共にお腹を抱えて笑い始めた。




