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プロローグ



 たとえ、お前がどんな姿になっても……



 プロローグ

 イギリスの北端の国ウェールズ。そのハイランド地方ロッホアバー地区に連なるグランピアン山地のベン・ネビス山と言えば、登山家の間でも有名な山だ。木々は雄々しく生い茂り、緑の絨毯が広がる山道は、疲れを心地よく癒し、日々の喧騒から解放してくれる。

 そんなベン・ネビス山の山間、四方を森に囲まれた登山道から離れたその辺境地には、一軒の小屋があった。

 日も落ち、時はもう夕刻。山の空は、すでに薄紫の帳が落ちている。活気賑わう町から遠く離れた、その小屋は完全に人の世界から孤立していた。

 好き好んで、こんなところに住むのは、まともな人間とは思えない。

「……ここか」

 同時に、こんな辺境の小屋に尋ねるのも、まともな人間ではないだろう。

 ぎぃっと、重い音を立てて、その青年は見た目こそ古いが、しっかりとした作りの木のドアを開いた。

「ん? どこの物好きだ。こんな、くたびれた山小屋に」

 暖炉の前の椅子に腰掛けていた人物が、読んでいた古本を閉じ、ハイスキーな声を漏らす。小屋の主は、こんな小屋に住んでいるとは思えないほど若い女性だった。おそらく、30歳には届いていないだろう。すっと伸びた鼻は知性を感じさせ、アーモンド形の双眸は、気の強いモデルや女優を思わせる。

 情熱的な赤い髪を後頭部で纏めた彼女は、めんどうくさげな視線を来訪者に送った。

 来訪者をその瞳に移した女性が、その目を訝しげに細める。来訪者が漂わせる雰囲気には、久しく感じたことのない狂気が揺れている。

 稲光が走った。一瞬遅れて、遠雷が轟く。今夜の天気は荒れそうだ。

 青年は、東洋人の様だった。別に、いまどき東洋人でも観光でベン・ネビス山に登りに来るものは少なくない。ただ、青年は山登りというよりも、どこかインドア派の雰囲気をまとっていた。部屋で読書でもしているのが似合いそうで、ますますもって、こんなところへ来る類の相手とは思えない。

 嵐の訪れを感じされる雷に動じる素振りを見せず、青年は、まっすぐにその山小屋の主に向かって言った。

「あんたが、魔術師か」

 再び、遠雷が轟いた。

 赤髪の美女が唇を尖らせ、感心したように口笛を鳴らす。

「どこで、それを。本場ロンドンのエクソシストや魔女狩りの馬鹿どもでさえ、ここは知られてないんだがな?」

 少しばかりの警戒と、強い好奇心、そして好戦的な危なげさを混ぜ、美女のダークブラウンの瞳が青年の双眸を射抜く。

 彼女の質問を真っ向から受け止めた青年は、その質問に答えず、代わりに両手を地に着き、大きく頭を下げた。

「頼む。俺に魔術を教えてくれ」

 ガンッと、鈍い音が小屋に木霊する。勢い余った青年の額は、小屋の床板を思いっきり叩いていた。

 青年の言葉に、赤髪の美女の整った眉がピクンと跳ね、厳しい表情を作る。

「何か、わけあり。だな」

「どうしても、助けたい奴がいる」

「女か?」

「……ああ、そうだ」

ほほう……と、赤髪の美女の唇が、楽しげに弧を描く。

「つまり、惚れた女か?」

「この世界で、一番愛している女だ」

 臆せず、そう宣言する青年。

 赤髪の美女は、その青年から漏れる裏の世界の匂いを見逃さなかった。

「そうか。……それで、そいつは人間か?」

「……いや。あいつは」

 再び、山に雷が落ちた。

「吸血鬼だ」

 稲光が、青年の影を濃く山小屋の中に刻み付ける。

 青年の言葉に、赤髪の美女は、その艶やかな指先で自身の細い顎を撫でながら、思案した。

 青年の瞳に燃える炎。紛れもない本気だ。

 面白い。

 口元に小さな笑みを浮かべて、青年に問う。

「じゃあ、覚悟を見せてもらおうか」

「覚悟?」

「ああ、そうだ。まさか、魔術なんてものを、なんの対価もなく会得できるなんておもっちゃいないだろう。教えてもらえるとも、な。だから、お前の覚悟を見せてみろ。それによっちゃ、お前の話しを聞いてやる。ただし」

「ただし?」

 息を飲む青年に、赤髪の美女はピンと立て一本だけ立てた人差し指を突きつけた。

「チャンスは一回きりだ。それで、私が納得しなかったら、二度と私の前に現れるな。わかったか?」

「一回きり……」

「なんだ、不服か? じゃあ、この話はなしだ。とっとと帰れ」

「いや、待てっ! それでいい」

 迷いのない青年の目に、赤髪の美女の笑みが濃くなる。

「よし。じゃあ、明日、同じ時間にもう一度訪ねてこい。そこで、お前の覚悟を見せてみろ」

「わかった」

 青年が、地に着けた腕を離し立ち上がる。

 いつの間にか、外ではぽつぽつと雨が降り出していた。


                *

 前日の小雨は、日付が変わることには大雨となり、昼過ぎには暴風雨となっていた。強風に吹かれる雨の飛礫が窓を叩き、小屋の中に激しい音を鳴らす。

 その子供は、ジッと水の筋が幾重にも流れる窓を見ていた。中世的な顔立ち、男の子と言われれば、なるほど、と頷くだろうし、女の子と言われても、やはり頷くだろう。

 その子供は、徐々に暗さを増す窓の外を見ながら、後ろで椅子に腰掛ける赤髪の美女に尋ねた。

「マスター。昨日の男の人、来るかな」

「ああ、来るだろうな」

 細い煙草を静かに吸い、味わうように紫煙を吐き出す赤髪の美女が断言する。

 そう、昨日の男は必ず来る。そういう目をしていた。

 昔、彼女の弟がある決断をした。あの時の目だ。

「ふ、どうして。私は年下のあの目に弱いんだろうな」

 自嘲気味に笑い、銀縁の腕時計を確認する。

 そろそろ、約束の時間だ。

 がちゃっと、ドアノブが捻られる。続けて、吹き荒れる風と降り注ぐ雨の騒音が、小屋の中に雪崩れ込んだ。

 稲光。頭からずぶぬれになった昨日の青年が、右肩を戸口に預けながら立っている。左手には、何か筒状の物を握っているのが見える。

「ふ、ずいぶんな格好だな。んで、お前の覚悟は決まったのか?」

 軽い調子で話しかけてやるが、返事はない。

 その代わりに、青年は左手に持つそれを、小屋の床に投げた。ゴンッと、奇妙な音を立て、ソレが床の上を跳ねる。ソレは布でぐるぐる巻きにされていて、一見して何かはわからない。

 だが、そのわからない何かからは、とてつもない情熱が溢れ出ていた。ビリッと肌を刺すほどの情念に、赤髪の美女の表情が一瞬にして変わる。

「エイル。ちょっと、ソレを持って来い」

「はい、マスター」

 エイルと呼ばれた先ほどの子供が、床に転がる筒状の物を抱え、赤髪の美女に手渡す。

 ゆっくりと、赤髪の美女が筒状のソレに巻きつけられた布を解く。

 赤髪の美女が、その双眸を見開く。

 煌々と燃える暖炉の火。その暖かな光が照らしだしたソレは――


 人の右腕だった。


 今一度、赤髪の美女が青年の方を見る。青年は、戸口に右肩を預けていた。だが、その右肩から延びるはずの右腕はなく、だらりと下がった肩から先の上着は、うなりを上げて吹き荒れる風に激しくのたうっていた。

 一層強い風が吹き、ついに青年の身体が小屋の中へ倒れ込む。

「エイルッ!」

「はい、マスター」

 主の意思を汲み取り、エイルが子供とは思えない俊敏な動きを見せ、倒れてきた青年の身体を受け止め、支える。その身体は、氷のように冷たかった。

 だが、その黒眸は炎のごとく燃え、赤髪の美女の双眸を射抜いた。

「画家になる。それが、俺の夢だ。右腕は、俺の夢だ。俺の夢は、くれてやる。だから、あいつを助ける力をく……れ……」

 青年の意識は途切れ、ガクッと首が折れる。

「あ、こら。お前っ!」

 赤髪の美女が青年に駆け寄り、その頬に手を伸ばす。しかし、その頬に触れた途端、美女の指は弾かれたように青年の頬から遠ざかった。

 冷たい。まるで、死人じゃないか。

 赤髪の美女は舌打ちするなり、すぐにエイルに指示を飛ばした。

「エイル。すぐにそいつをベッドに寝かせろ。それから、湯を沸かせ。私はルーンと薬草の準備にかかる」

「はい、マスターっ!」

 主の指示を受け、すぐにエイルが行動を開始する。

 エイルにベッドに寝かされながら、青年は無意識のうちに、何度も何度も同じ名を呼んでいた。


――「レミナ」――と





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