第五章 我、黒イ薔薇ノ君哉。12
黒い空間に浮かんでいる。
ぷかぷかぷかぷか。抵抗もなく。
「死んだか」
最後に見えた景色は、あの綺麗な男の鳴き顔だった。泣いても綺麗だなんて反則だ。私なんて物凄い不細工な面になるっていうのに。
「元が不細工な造形は何をしても不細工ということだ」
「そうね……ってうるせーわよ狐」
半目になりながら身を起こすと、狐が真顔でこちらを見ていた。その顔は怒っているような、悲しんでいるような……微妙な顔で何とも言えない。
「楽しめたか?」
「何が?」
「もとより小娘を楽しませる為に、我がここへ連れてきた。ここでは、楽しめたか?」
おいおい。このタイミングで、そんなこと聞くわけ……?
楽しかったかどうかって聞かれたら、楽しくないことだらけだったとしか答えられない。
でも――。
「楽しいことは沢山あったわ」
「……そうか」
この後、私はどうなるのだろう。元の世界に戻れるのだろうか。
「それはお前次第」
「私次第……?」
「お前は、あの世界に未練がありすぎる」
未練? そんなことはない。あの世界は嫌いじゃなくなったけど、大好きってわけでもないのだ。
帰れるのなら、元の世界に帰りたい。
「どちらに行っても良いが、次にお前と離れた時……それは我とお前の最後の接触となるだろう」
「どういうこと?」
「我の寿命がつきかけているということだ」
「寿命……?」
この狐にそんな者があったのだろうか。なぜか、何故か急に物凄く悲しくなってきた。もう、お別れ? この諸悪の根源の狐と?
「なんか……悲しいんだけど……」
「お前が元の世界で直してくれた社があるな。あれは、私の大切な友が建てたものだ。しかし、長い年月の間にすっかり忘れ去られておった。やがて我の力は弱まり、今にも消えようとしていたところでお前が現れたのだ」
「何よそれ……この長すぎる旅行は最後の力だったってこと? だったら、もっと別の有意義なことに使いなさいよ」
「我は非常に有意義な時間を過ごせたと思うておる。それにな、友が言うておったのだ。恩を仇で返すなと。人間のくせになかなか良いことを言う」
狐はそう言って微笑むと、薄れながら遠くへ歩いていく。追いかけたいのに、体が重くて動けなかった。
「待ってよ……行かないで……待ちなさい!」
「どこへ行くかは小娘の決めること。なあに、我の心配はするな。また友に会えるかと思うと、この旅も案外悪いものではない」
「あんたの心配なんかしてないわよ……! 行かないで……!! もう最後だなんて言わないでよ……!」
「そうだ、ついでに小娘の中にいる小者を取ってやったぞ。とは言ってもあの若造が貴様の胸を刺し貫かねば、全てを取り去るのは難しかったが」
「はあー!? まさかそれが追い打ちでアンタ死ぬんじゃないでしょうね!? 力全部使ったの!? ちょっとぉー! 待ちなさいってばー!!」
ボロボロ泣きながらなんとか狐に近づこうともがく。しかし、体はとうとう動かないまま、狐はフッと消えてしまった。
「酷い……なんでこんな……最後の最後までふりまわしやがって……! ありがとう、このバカ野郎!!」
狐が消えていった方向に向かって叫びながら、私は久しぶりに鼻水を垂らしながら大声で泣いた。