第五章 我、黒イ薔薇ノ君哉。07
おかしい。やっぱり私はあの戦いを見て頭がおかしくなったのかもしれない。
「これが噂の吊り橋効果……」
いや、ちょっと違うかな……恋ではない。まだ恋ではないのだ。たぶん。
しかし、あの男が……ルイが異常にキラキラして見える。しかもそのキラキラのせいで優しく接してしまう私。そのせいか、ルイもルイで妙に優しく接してくる。
寒くはないか、腹は減ってないかと私の面倒ばかり見る。その度に、私は目の前のキラキラ男にバカみたいに気を使いながら『あ、大丈夫です』なんて敬語になってしまう。
「恋ではないわ。恋ではないの。芸能人格好良いってはしゃいでいるレベル。でも……」
このままだとまずい。
何がまずいってこの状況がだ。キラキラ男に異様なほど胸が騒ぐ私。そして異常に優しいキラキラ男。
経験から、このままだと私は――。
「スミレ姫~惚れちゃった?」
「ねぇわよ……!」
音がするほどユンを殴る。周りにいた人がギョッとした顔をするが、ユンはひーひー言いながら笑い転げていた。
まずい。顔に出ているのか。ユンにバレているのであれば、セナにばれるのも時間の問題だ。
「参ったなあ……」
戦地について陣地内に天幕を張っている騎士たちを見ながら、私は深い溜息を吐いた。
ところで、私の役割はと言えば陣地の奥でジッとしているだけでいいらしい。できれば常に術を使うなりして自分で自分を守るように言われた。
真っ先に作られた私用の天幕に入り、立派な椅子に腰かける。そして息を吐いて術を発動させた。背中から羽が出るのと同時に鱗粉が辺りに舞う。その美しさに周りにいた騎士はため息を吐き、ボーっとそれを見ていた。
「棘を出すわ。術を解除するまで、ここには誰も入ることができない。だから、ルイは私の心配なんてしていないで自分を守ることを考えて。ユン、この人をよろしくね。傷を付けたら許さないわよ。それからニコラス、貴方は私とここへ残るのだから安心しなさい。貴方が死ぬことはないわ」
「いいか、スミレに守ってもらおうと思うなよ。いざという時はスミレの盾になれ」
忌々しい者を見るような目でルイがニコラスを睨みつけると、ニコラスは真っ青になりながら何度も頷く。
苦笑しながら天幕から追い出し、人差し指で地面にいくつか小さな穴をあけた。その穴にそっと力を注ぎこむと、メキメキ音を立てながら小さな芽が出てくる。それはあっという間に伸びると、黒い棘となって天幕の内側を包囲した。
その時、突然強烈なめまいが襲う。
「……っ」
「スミレ様……!」
駆け寄るニコラス。その腕に支えられ、何とか蹲らずに済んだ。
「あれ……なん、か……」
「何を食べたんですか貴女は……!」
私の顔を覗き込んで、ニコラスが真っ青な顔で叫ぶ。
何を言っているのかが理解できなくて聞き返すと、ニコラスは何かに気付いた顔をしてから私を床に座らせ、私の荷物をひっかきまわす。そしてそこから取り出したのは、側室の2人から貰ったお菓子だった。
「……なに、お腹すいたの?」
ニオイをかいだニコラスが顔をしかめ、スラングを吐いてののしる。
「黒い薔薇の君に毒をもるだなんて!!」
毒……? 私はそこまで嫌われていたのか。でもどうしてニコラスは気付いたんだろう。
「スミレ様、今解毒剤を――」
「なんっ……で、気付いたの……?」
「その話は後です」
鞄をゴソゴソ漁りながら、薬を取り出す。しかしお目当ての物がないのか、手につかんだ物を投げ捨てては鞄をゴソゴソと漁っている。
「ハクゲキという毒です。摂取すると、数時間後に目が充血し始め、唇が紫になる。あっという間にこの状態におちいるため、発見が遅れることが多いのです。それが第一段階。次の段階に入るのはもっと早い。爪の色が黒く変色していき、完全に真っ黒になった時には命を奪う。この頃には動機やめまいがおさまることから、稀に自分では気付かない場合もあるのですが……死ぬといっても大抵は大事には至りません」
説明しながらも薬を探すニコラス。
その額には汗がにじみ、必死に私の為を思って動いてくれているのが分かった。
「なぜならこれは鈍行だからです。第一段階から第二段階までの流れは速いのですが、爪が完全に変色するまでに大体1~2日。爪が完全に黒くなる前に誰かが気づいて薬を飲ませれば大抵は助かる。だからこの毒を選んだのでしょう。それに解毒薬は手に入り易い。これを使う暗殺者はまずいません。貴族同士の脅しあいにはよく使われますが。あった! 薬です。これを飲んで下さい。しばらく寝ることになりますが、2日も寝れば――」
「2日!? なら却下よ」
「いけません!」
かたくななニコラスに苦笑する。いつの間にこの忠実な僕はここまで成長したのだろうか。なぜか妙に嬉しくなって、私は手を小さく振った。
その瞬間、棘がニコラスを襲う。
「ス、スミレ様……!? うわぁっ……!」
棘はあっという間にニコラスを覆い尽くすと、天幕の天井まで引き上げる。しばらく棘がユサユサと揺れていたものの、やがて静かになった。
「これで……邪魔者は誰もいない。そしてここには誰も入って来られないわ」
スーッと冷えた何かが心の奥底まで下りてきて、先程までの高揚感が一気に消えていく。
ここからは、私の戦いが始まる。
――開戦してしばらく。
遠くの方で騎士たちのぶつかる声がする。かすかに聞こえることから、そう遠くは無いけれど近くもない場所で戦っているのが分かる。
黒い薔薇の君の力は再生。それを上手く発揮できなかった変わりに、私は新たな能力を開発していた。
それは棘を自由自在に操って増殖させる力。
「…………」
目を閉じて少し手を動かせば、棘がするすると地面の中を伸びて天幕の外へ出て行くのが分かる。土の下をひたすらつき進み、陣地内へ棘を広げていく。思ったよりもその作業は大変で神経を使った。
脂汗をだらだらと垂らしながら、ひたすら根気よく棘を広げていくと、その棘を通じて人の動きが読めるようになったのに気づいた。予測していなかったけど、これはよい副産物だ。
「敵が来ても、これなら把握できそうね」
というのも色が見えるのだ。正確に言うと頭に浮かぶ。
味方と思われる人物が歩くと青い光がぼんやりとその方向に浮かび、遥か彼方の開戦していると思われる場所には薄っすらと赤い光が混ざっている。もう少し棘を伸ばしていけば分かると思うが、あの赤い光は恐らく敵ということだろう。
「陣地は私が守る。ここは重要な拠点なんだから、私も頑張らないと」
私はひたすら棘を陣地に張り巡らせていきながら、全神経を集中させて辺りに敵がいないかどうかを探っていく。
しばらくそうしていると、ようやく陣地をすべて覆えるだけの棘を張り終わったことが分かった。幸いこの辺りに敵はいないようなので、さらに領域を広げようと手を動かした。
その時だった。
小気味良い音とともに棘に小さな花が咲く。その音は次々と鳴り響き、あっという間に天幕の中はむせかえる程のバラの臭いが広がった。
「これは……」
その中の1つが、ポトリと落ちて干からびる。また1つ、また1つと落ちては干からびる。
「……まさか」
もしかして、これは……仲間の命をしめしているのだろうか?
ひときわ大きく咲いたバラの花が満開になった時、なんとなくこれがルイの命を表しているような気がして怖気が走る。慌ててそれに駆け寄ってその花をそっと手で包み込むと、小さく鼓動しているような気がした。
「どうか落ちないで……!」
迫りくる焦燥感。
嫌な予感がする。