第一章 行キツク先ハ02
「ぅっ……」
ぼんやりする頭。
ボーっとしてるうちに周囲が明るいことに気付き、「ああ、朝か」と思った。学校に行かなければ……そう思って立ち上がろうとして、力が入らないことに気付く。
「?」
目もかすんでよく見えない。
そもそも、「おばあちゃんの家に来ていたのだから学校は無いのだ」と言うことに気付き、「であれば体調も悪いしもう少し寝るか」なんて呑気に考えていた時だった。
「……ぁ゛」
なんとなく出そうとした声が出ない。
驚愕の声すら出な……じゃなくて、まずい。非常にまずい。すっかり忘れていたけど、私はトイレにいたはずなのだ。
トイレにいたのに朝が来ている。トイレに入ったのは昼過ぎくらいだ。くどいようだが、今は朝……つまり、トイレで一夜を明かしてしまった……お嬢様なのにトイレで……。
自分に対する怒りと失望で思わず深いため息を吐く。ゆっくり瞬きをすれば、ようやく視力が回復し始めた。
「……っ!?」
視力が回復した目で初めて見た物は、カプチーノ色の綺麗な髪をまとめ上げたメイドさんのような女の人。
向こうも相当驚いた顔をして、何事か叫ぶと部屋を出ていった。
「…………」
叫ばれた言葉は日本語じゃなかった。
パニックの頭で「一体何が……」と考えて、ようやく夜の出来事を思い出す。てっきり夢だと思っていた。いや、思いこもうとしていた非現実的な事件。
リアルすぎるシーツの感触。リアルすぎる鳥の鳴き声。そのどれもが、「これは現実なのだ」と訴えかける。
「……ふっ」
思わず乾いた笑いが口の端から漏れ、喉が渇いてることに気付いた。
起き上がれないまま目だけで辺りを見回せば、ヴェルサイユ宮殿もかくやと思うほど豪華な装飾や内装。そこかしこにある「我が家にある物とは格段に質が違う」と、何も分からない私が見ても一発で分かるほど高そうなアンティークの置物。よく見れば寝ているベッドだってシーツから何から全て上質と思えるシルクだった。そのシルクには物凄く細かい刺繍が入れてあり、その模様の細かさから機械ではなく人が施したものだと分かる。
「ここ、どこ……?」
あまりにも非現実的なことが立て続けに起こって軽くパニックになっていると、ドアがノックされて医者と思われる白い服を身にまとった人が、先程のメイドと一緒に入ってきた。
『inu;yona riaa; se;kua?』
(気分は如何ですか?)
……分からない。なんて言ってるんだろう。
でも医者っぽいし私の様子を尋ねてるに違いないと思い、「取り合えず飲み物もらえますか?」なんて言いながらベッドの横のサイドボードに乗っている水差しを見つめた。
『……ohasu,sata. neriato rirusoromi ki;wa,taria……』
(……困ったな。陛下の言うとおりじゃないか……)
『……tohihoto se;kin,rua?』
(……飲み物でしょうか?)
よく分からなそうにしている医者に、私の言わんとしていることを理解したらしいメイドが恐る恐る私を起こす。そしてゆっくり水の入ったコップを口に近づけてくれた。
私はありがたくそれを貰って飲み干し、「ありがとうございます」と頭を下げる。その瞬間、メイドがパッと私から手を離して目の前でブンブンふり、慌てた医者共々床に頭を擦りつけて何かを叫んでいた。
「……え、何、なっ……え? 何、その、もしかして……えぇ……?」
突然の出来事にポカンとしていると、扉の向こうから声がかかって重厚な音を立てながら開く。そちらを見れば、背が高く色素の薄いこの世のものとは思えない程のイケメンが立っていた。
真っ白な髪は良く見れば薄いクリーム色で、目は血のように赤い。短く整えられた髪は後ろに流れる綺麗なカーブを保っていて、切れ長の目にシャープな鼻筋と眉……まあ、とにかく。「貴女にとっての『イケメン』ってなあに?」と聞かれたとして、乏しい想像力で思い描けるだけのイケメンを思い浮かべたはずなのに、それを遥かに凌ぐほどのイケメンだったということで。
それがこちらを見ているのだ。
『roisaa.』
(起きたか)
医者とメイドは頭を下げたまま器用に壁側による。
「……え?」
聞き覚えのある声にカッと血が沸騰する。
「アンタ!! 弱ってる私の目の前で助けもせずにダラダラ喋ってたやつぁ~……」
勢いよく起き上がって叫び、勢いよくベッドへ逆戻り。目眩でフラッフラの頭を押さえながら唸っていると、男が再び何かを呟いて近づいてきた。何かを私に話しかけていたものの、分からないので右から左へ聞き流す。
『rori.hihiyu akeso risu,semusa;moru.』
(おい、耳を貸せと言ってるだろう)
「いぃっだぁあぁああ!?」
ブツッと音がして耳に激痛が走る。一瞬にして熱を持った耳たぶは、次の瞬間ヒヤッとして痛みがおさまった。
「な、なんなのよ!? 今のなに……!?」
「思ったより元気そうだな。小娘」
「は!?」
息苦しさにハァハァしながら男を睨みつければ、「こんなガリガリでは耳飾りも似合わんな」とほざいて鼻で笑われた。
「その耳飾りは言葉を翻訳するものだ。無くすな」
「耳……飾りって……まさか穴開けたわけ!?」
「開けるほかあるまい。無理に取ろうとすると脳を傷つけるから引っ張るなよ」
「何それ……!? そんな重要なことを私の許可を得ずに……!」
「お前、さっきから口が悪いな。どこの庶民だ」
「関係ないでしょう! それよりここはどこよ! 助けてくれてありがとう!!」
「怒りながら言うな。全然ありがたみが伝わらん」
怒りが収まらぬままフンッと鼻息荒く視線をそらせば、視線の先にいた医者とメイドが真っ青な顔で私を見ていた。
一体何をそんなに恐れているのだろうか。
「あんた誰よ。私は真宮 スミレ。スミレが名前よ」
「スミレ? 随分珍しい名だな。やはり異世界から召喚しただけのことはある」
「俺は「ちょっと待って」
「……なんだ。俺の話を遮るとはいい度胸だな」
「……召喚? 召喚って言ったの!? 今!」
「だったらなんだ」
狐は何と言った?確か、『どうやらお前を欲している世があるようだ』と言っていた気がする。江戸に行けない悲しみで聞いちゃいなかったけど、「欲している」?
ということは……。
「あんたが私を呼んだのね!?」
「だからそう言っているだろう! 騒ぐな! お前の都合なんか知らん。召喚とはそういうものだ」
「信じらんない……! 最低!! 誰のせいでこんなガリガリになったと――」
「ガリガリ? それは俺のせいじゃない」
キッと睨みつければ「ああ、そう言えば」と男が続けた。
「お前、どうやったらあんなに汚くなれるんだ。メイド長に渡した時、あの鉄壁が顔をしかめていたぞ」
「吸い込まれたのよ! トイレに!! それも2回も!」
イライラと怒鳴れば、「そ、それは……」とみんなから同情めいた視線を貰った。
「お前の国のトイレは……その、随分でかいんだな……人が落ちる程なら、柵を置くなりサイズを小さくするなりすればいいものを」
「標準サイズに決まってるでしょう!? 白い狐のせいよ!!」
「まあ、よく分からんが、それほど元気であれば話もできよう」
そう言って後ろを見れば、メイドが慌てたように椅子を持って来て差し出す。男は何の躊躇も(お礼も)なく椅子に座り、「さて」ともったいぶってこちらを見た。
「お前を呼んだのはほかでもない」
「待って。その前に貴方の名前を聞いてないわ」
「……そう言えばお前に遮られたままだったな。本来なら首をはねる所だが……それくらい強気な方が都合が良い」
「何の話?」
「お前を俺の妻にする話だ」
「ふーん。それより名前を」
さえぎった私にムッとした顔をしながら、目の前の男は胸を張って自信満々に口を開く。
「ルイルミア=レオ=デルムルカ=アルファルロ=クミ=カルフォールドデンバスターだ」
「あ゛?」
「……何故怒る」
「分かりにくいわよ。ルイでいい? 悪いけど、最初しか聞き取れなかったわ」
「……お前、本当に失礼な奴――」
「やだ、ちょっと待って……!? 嫁!? 誰が!? というか失礼って言った!? あんたの態度が失礼じゃないっていうのなら私だって態度を改めるわよ!!」
信じられない……! 私が失礼!? 確かに失礼だけど、この状況でよくもまあ私だけを責められるものだ。まさに愚の骨頂。本当に信じられない。
「嫁はお前に決まってる。まさかお前みたいなのが出てくるとは思わなかったが、仕方あるまい。それよりお前、少しは俺の話を聞け。そしてお前が失礼なのに変わりはない」
「何よそれ! つまり……もしかして私の世界には戻れないってこと!?」
信じられないような出来事は重なると言うことか。これ以上私はどうすればいいというのだろうか。これが夢でなく本当に怒っている出来事なのだとしたら、私は本当に可哀想な女だと思う。
「当たり前だ。元より、戻る方法などない。だが、問題はそこではなく、一度落ちつけ。色んな話がごちゃ混ぜになっていて何が何やら……」
「なっ……!? あ、あのね! 貴方が誰か知らないけど、ここは私の国じゃないでしょう!? 召喚ですって!? と、とにかく……なんか信じられないけど、実際に起こってるんだからそこはしょうがないわ。そうじゃなくて……ああ~もう!! つまり! 私の国でないなら、例え貴方が王様だろうと法の番人だろうということ聞く必要ないと思わない? いや、このタイミングでこれを言うのもなんか違う気がするけど……! 貴方の言うことを素直に聞くにはあまりに都合のいい話ってことよ! そちら側にとってね!! 私は全然良くない!」
「愚の骨頂だな。確かにお前はこの国の人間ではないが、この国の全ての人間は俺を中心としている。お前は弱い。たった1人の異端児が暴れた所で、ねじ伏せられるのが関の山よ。従っていた方が利口だ」
「冗談! 私をそこら辺の女と一緒にしないでく……え、あなた偉いの?」
顔をしかめながら問えば、ルイは再びニヤリと自信満々な笑みを浮かべ、胸を張って私を見下すような表情になる。
「ソフィア帝国 第十六代国王だ」
「……ふっ」
それでこの豪華なお部屋……そしてメイド……そう……そうなの……。
「格の違いを思い知った様だな」
意地悪そうに笑うルイを見て、悔しくなった私は鼻息荒く人刺し指を付きつけた。
「格の違い!? 誰がよ! 馬鹿じゃないの!? 全部あんたの思い通りに行くと思ったら大間違いよ!!」




