第五章 我、黒イ薔薇ノ君哉。06
「あー駄目駄目……もう駄目……お尻が痛い!!」
「女が大声で尻だのなんだのとわめくな! 周りに知れたら恥だぞバカ者が!!」
馬車の横。そこを龍に乗ってのんびり歩いていたルイに、『貴方の声の方がでかいわよ。周りにバレるわよ』ってくらい大きな声で怒鳴られた。
まだ現地まではしばらくあるというのに、私のお尻は限界を迎えている。こんなことになるのならクッションを大量に持ってくるべきだった。馬車を用意して頂けただけでも……なんて謙遜して断らなければよかった。
「私も龍に乗りたかった……」
そもそも私が馬車で移動するはめになったのは、龍に乗れないからだ。せっかくの異世界。そして龍。帝国の龍騎士はそれぞれに1体龍が与えられており、ある程度昇格すると軍用ではなく個人用の龍が王から送られる。
ニコラスは私付きとなったことで赤黒い龍を貰っており、今日はその龍に乗っての初陣というわけだ。
当然私も乗せて欲しいと頼んだ。しかし、龍に乗ろうとしたその瞬間、何かに恐れおののいた龍がパニックにおちいって、龍舎を1つ破壊するという残念な事故が発生した。言わずもがな、私の中の悪魔のせいである。
「あーあ……いててて……」
長い椅子に横になって痛みを分散させながら、大きくため息を吐く。自分の住んでいたところは戦争とは無縁の場所だったというのに、今私は戦争に向かっている。
そんな非現実的な空間が、私をずっと緊張状態に置いているのだ。どこから来るのか分からない高揚感。このままでは、頭がおかしくなってしまう。叫びだしたい気持ちでいっぱいだ。
「スミレ様、これを」
窓から伸ばされたのは龍にまたがったニコラスの手。そこには大量のクッションが握られている。
思わず起き上がってニコラスの顔を見れば、ニコラスはおかしそうに笑ってミリアが持たせてくれたのだと言った。
「ミリア……! ニコラスもありがとう!」
なんて気の利くメイドだろう。私の強がりなんか、とうにお見通しだったのだ。
「ああ、良かった。これで私のお尻の安全が守られ――」
突如、ガタンと大きな音がして馬車が傾く。馬がいななき、騎士たちの怒号が聞こえた。キンキンと金属の打ち合う音がしたかと思うと、辺りから『敵襲ー!!』と怒鳴り声が聞える。
勢いよく開けられた馬車のドア。思わず身構えると、ニコラスが真剣な表情で馬車の中に転がり込んできた。
抜きみの剣をしっかりと構えて私をかばうように立つ。
「馬車、すごい傾いてるけど……敵はどこ?」
「この馬車を狙ってきております。車輪が1つ破壊されました。陛下はご無事です。今は――」
黒い影。それがニコラスの会話を遮って、窓の小さな隙間から馬車の中へと入り込んでくる。
それにいち早く気付いたニコラスは剣を振りかざした。
「ぐあっ……!」
その黒い何かは叫び声を上げて赤をまき散らしながら崩れ落ちる。
ニコラスは手早く馬車のドアを開けると、黒い影に最後の一太刀を浴びせて馬車の外へ蹴りだした。
「……っ!」
その後も外からは戦いの音がする。金属音、うめき声、何かが壊れる音。
窓の外にちらっと見えたルイは鬼神のような顔で剣を振り回し、黒い影をまるで紙きれの如く斬り裂いていった。空中に飛散する真っ赤な滴。それを被らないように、まるで踊っているような身の振りで次の敵に斬りかかっていく。
たまにニヤッと口角を上げるルイ。自分の頭は過度の興奮でおかしくなったのかと思うほどだけど、その姿が驚くほど美しいと思った。
なんて美しいのだろうか。あの綺麗な男を守りたい。綺麗なモノが汚れるのは許せない。どうやったら……どうやったら私はあの綺麗な男を――。
「大丈夫です。スミレ様のことは……必ず守りますから」
黙りこんだ私を怖がっているのだと思ったらしいニコラスは、自分だって怖いくせに、怖くて震えている癖に、引きつった笑顔を浮かべて私を安心させようとする。年若い彼は人を殺したことがあっただろうか。さっきの人が死んだかどうかは分からない。でも、きっと殺す気で斬りかかったのだ。
これが、彼の覚悟というやつなのだろう。
私なんかの為にそんな覚悟を決めた目の前の男がとても頼もしく見えて、私は思わず拳に力を込めた。
――どのくらい経っただろうか。
喧騒が収まり、ギッと音を立てて馬車の扉が開く。そこには少しだけ血で汚れたマントを、なるべく私に見せないようにしているルイが立っていた。
「怪我は?」
「ないわ。ニコラスが守ってくれたもの」
スッと馬車のすぐ下に下ろされる視線。
そこには、先程の黒い影がいるのだろう。しばらくそれを見つめてから、ルイはニコラスに視線を移すと『よくやった』と褒めた。
ニコラスは引きつった笑みのまま頷き、小さく息を吐く。
私は後ろからニコラスを抱きしめると、耳元でお礼を言った。
「ニコラス……ありがとう」
どのくらいそうしていたのか、ニコラスの震えが収まる頃にはルイがいなくなっていた。
なんとなく、私の立場的に王ではなく騎士に抱きついているのは不味かったかな、と思いなおして辺りを見回す。しかし、後始末に忙しいのか特に目撃した人はいないようで、みんな忙しそうに動き回っていた。
「ちょっとちょっと、困るよスミレ姫~」
「うわぁあ!?」
「陛下がすんごい怒ってんだけどぉ。怒ってるくせに馬車に人を近づけるなとか言っちゃうしさあ。まあ、馬車の中で何やってたかなんて、僕と陛下くらいしか知らないと思うけど」
「ああ……」
「一番の功労者は陛下なんだから、自分の騎士が可愛いのも分かるけど、ねぎらってあげてよ」
ニコラスはそれを聞いて真っ青になり、小さく『どうして僕はさっき死ななかったんだろう』と呟いたのが聞えた。それを聞いて苦笑しながら、馬車の外に出るべくドアを開ける。
ユンのエスコートで傾いた馬車から下りると、遠くの方で不機嫌な顔をしながら指揮を取っているルイを見つけた。こんなに離れているというのにルイの不機嫌が分かるほどだ。恐らく近くの人間は気が気じゃないだろう。
「ルイ」
近寄っていけば、露骨に不機嫌そうな顔。それに苦笑しながら、少しだけ首をかしげて腕を組んだ。
「一番の功労者にお礼を言い損ねていたわ。助けてくれてありがとう」
「別にお前を守ったわけじゃない。隊を守っただけだ」
超不機嫌。思わず笑いが出てしまう。それが気に障ったルイは、さらに眉間のしわを濃くした。
「貴方の姿が窓の外から少しだけ見えたの。頭がおかしくなったと思うかもしれないけど、その姿を見て綺麗だと思ったわ」
「男が綺麗だと言われて嬉しいとでも思ったか?」
「ああ、褒めてるのだけど、世間一般の男は嬉しいと思わないらしいわね。別の言い方が良いかしら? とってもセクシーだったってことなんだけど」
そう言って思いっきり首辺りをひっつかみ、私の口元に無理矢理ルイの耳を寄せる。
勢いよく引っ張られてバランスを崩しかけたルイは、私にしなだれかかるようになって何とか持ち直す。
「私ね、貴方のことを守りたくて仕方がないの。どうしてか分からないんだけど、どうしてだと思う?」
ニヤリと笑う私。その顔を見て真っ赤になっていくルイ。どうしてそう思ったのか分からない。ただ、あの綺麗なモノが汚れて地面に伏しているのを想像したら、胸糞が悪くなったのだ。
私は首元の手を離して手を振り、ゆっくりと馬車へ戻っていった。