第五章 我、黒イ薔薇ノ君哉。04
「そ、それで……眠りについたお姫様はどうなりますの?」
「助けに来た王子のキスで目覚めるのよ」
「きゃー!!」
「何の話だ……」
ある麗らかな日の午後。
私は暇つぶしにメイド達へ自国の童話を聞かせていた。今は眠れる森の美女の話だ。
それをルイが邪魔しに来たと。何故かこの男、一緒に寝た翌日から夜になると枕を持って現れる。断っても無理矢理部屋に入ってきて、部屋の主に断りもなくグースカ寝始めるのだ。
「スミレと話がある」
そう言うと礼を取って部屋から退室するメイド達。それが全てはけてから、ルイは椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
「一ヶ月後だ」
「戦争の話?」
少し緊張した面持ちで頷くルイ。
私との温度差が激しくて、これが戦争経験者との差なんだろうなと思ったらおかしくなった。小さく笑えば、頭の心配をされる。
「いや……ね? まあ、私は大丈夫よ。ルイが毎夜私の元へ通ってくれるおかげで――」
「通っているのではない! 寝室を移動しただけだ!! 誤解を招くような言い方はやめろ!」
「あら、知らないの? 貴方、今城でも城下でも『黒い薔薇の君の部屋に毎夜通っている』って噂になっているのに」
それを聞いた時の絶望した顔と言ったら、ミリアに見せてあげたかったくらいだ。
そういう噂が経たないとでも思ったのだろうか。
「あのねぇ、何をそんな困っているのか知らないけど――」
「いやっ……い、いや……困っているわけではない……」
そんな絶望の淵に立たされたような顔のまま言われてもねぇ。
哀れなほどに動揺したルイ。小さくため息を吐いたり『そうか、そうなのか……』と呟いたりお忙しいようだ。
「あ、いかん。そんな話をしに来たのではなかった」
「はいはい」
「本題だ。黒い薔薇の君の力がどうなったか、開戦一月前ということでお披露目をしたい。可能か?」
なるほど。それによって私が使えるかどうかを判断し、使えなさそうだったらこき下ろすという算段だろう。舐められたものだ。そこには当然のごとく、記憶の片隅で忘れかけている側室のご令嬢も参加するんでしょうねぇ。
「舐めて貰っちゃあ困るわ」
「よろしい」
ニヤリと笑った私に、同じくニヤリと笑みを返すルイ。
あげく、『毎夜俺が通っているのだから、そうでなくては困る』と冗談を言って椅子から立ち上がる。
「さて、行くぞ」
「え、今からなの!?」
「当たり前だろうが」
なんだそれ、聞いてない。むしろ『そう言うのがあるよ』ってことを今聞いた。今日だなんて……なんの準備もしていないじゃないか。何が当たり前なのか教えて頂きたい。
「無理ならいいが……?」
ルイは悪くない。心配してそう言ったのだ。でも、そう言われて思わずカチンと来たのだ。
私の悪い癖の1つに、売られていない喧嘩も買うというのがある。
「大丈夫に決まってるでしょう!?」
怒鳴るように言った私に、一歩引きながらルイは『そ、そうか……』と返事を返す。
エスコートされながら、私は大量の汗をかいていた。
――謁見の間。
側室のご令嬢、2名。臣下、多数。そして魔術師、多数。あと……よく分からない人達。
みんなして若い乙女を囲んで、『お前、本当に大丈夫なのかよ』な空気。
「…………」
貼り付けたような笑みを浮かべながら、私は中央で背筋を伸ばして立っていた。
ルイが偉そうに座って何事かを質問し、それに答えていく。緊張しすぎて何を聞かれているか分からないが、今のところ眉間のしわがないから私の答えは不正解ではないようだ。
ところでルイは猫を被るのをやめたらしい。人が変わったかのような態度に戸惑う者も多くいたが、完全に騙されきっていた人達は『まあ、王様だって人間だし、今の方が人間味があって良いよね。理不尽な怒り方はしないし』なんて好意的な目で見ている。
民からの信頼という点で、私との差がそこに表れているのだろう。ルイの口が悪くても何も言わない癖に、私の口がちょっと悪くなった瞬間、メイド長はギロリと音がするほど睨みつけるというのに。
「では……早速その力を」
その一言に、ビクリと体が震える。
気付かれないように深い溜息を吐いて、私は恭しくかしずいた。
目を閉じて時の狭間のことを思い浮かべる。あれから、私は文字通り血のにじむ特訓をしてきたのだ。何度も泣きながら、強くなれるようにと頑張ってきた。きっとできるはず。できないわけがない。
「おぉ……」
上がった感嘆の声。
そっと目を開けると、黒い棘が私をとり巻いていた。背中からはえた蝶の羽はキラキラと鱗粉を飛ばしており、自分で言うのもなんだけど幻想的な空間が広がっている。
ふと見た先にいたルイは、満足げな顔をしていた。
「腕に覚えのある騎士の方は?」
私がそう問えば、皆一様にキョトンとした表情になる。
それでもルイが少し悩みながら、ヴァンを呼び寄せた。ヴァンは短く返事をすると前に進みだしてくる。騎士の中でも細い体型の『屈強』に見えない彼は、足早にかけてくるとルイの横で止まった。
「この男は去年の剣術大会で優勝した。戦の戦績も申し分ない」
それがどのくらい凄いことなのかいまいちパッと来ないまま、私は笑顔でお礼を言って背筋を伸ばす。
「私に斬りかかって頂けますか? 手加減は無用です」
一瞬の静寂の後、ざわざわと騒ぎ出す。ルイもヴァンも戸惑ったような顔をして、お互いに顔を見合わせていた。
「殺すつもりで斬りかかって頂かないと困ります。私を戦争に連れて行くのでしょう? 敵が手加減してくれるだなて思っていませんわ」
そう言えば、ヴァンはスッと真顔になる。ルイも心配そうな顔をして入るが、何か考えがあるのかと思ったらしく黙りこんだ。
周りは興味深げに見ている者、黒い薔薇の君に剣を向けるなど言語道断と騒ぐ者。まあ、言語道断とか言っている人は、私が戦争へいくのに反対している派閥なのだろう。
「どうぞ」
微笑みを絶やさず騎士に言えば、軽く頷いて礼を取り、剣を抜いて勢いよく斬りかかる。
「…………」
ところで、死の瞬間というのは非常にゆっくりと時間が過ぎるのだと聞いたことがある。
私の体は思いとは裏腹に自分を信じ切れなかったらしく、非常にゆっくりした時間が流れ始めた。そして剣が私の目の前まで迫ってきて、『あれ、うそ、これ斬られるんじゃない?』と思い始める。
ルイもヴァンも『え、おいおい。大丈夫なの?』な雰囲気。しかし思いっきり振りかぶった剣の勢いは今さら止められるものでもなく、ばっさり私を袈裟がけに斬って辺りには静寂が落ちた。
「……ス、スミレ?」
誰もが斬れたと思ったその瞬間、傷口と思われる場所から大量の真っ赤なバラの花びらが吹き出し、ゆらっと私の体が揺らいで消えた。辺りは騒然として、蜂の巣を突いたかのような大騒ぎだ。
しかし、私の視界は消えていなかった。まるで透明人間にでもなったかのような感じで、私からは見えるけど相手からは見えていない状態になっている。
どういう仕組みでそうなっているかは分からないけど、私の肩も特に傷ついてはいないようだ。
そして、私が立っていたところからは物凄い勢いで黒い棘がはえてきて、あっという間にヴァンを絡め取り、ギュウギュウとしめつけ始める。
「なっ……!?」
ヴァンは逃げ出そうと必死にもがき剣をふるうが、棘はまるで鋼でできているかのように固いらしく、キンキンと音が鳴って全く歯が立たない状態だ。
慌てて仲間と思われる騎士が近寄ってくるが、その騎士も捕らえられてギュウギュウと縛られていく。
唖然として見ていたルイが、ハッと気付いて私にやめるように言った。
「えぇ……困ったなあ。どうやって止めればいいのかしら」
ポツリと呟いた声はみんなに聞えていたようで、棘にからめ捕られはじめていた騎士たちは真っ青な顔になる。それを見て困ったように笑いながら近寄っていくと、振り回していた剣が私の手をかすった。
「いった!」
ま横一文字に入る傷。ぷくりと血が滲み、スッと床に落ちた。
おかしい。なぜ傷ついたのだろうか。先程は斬られなかった。確か時の狭間では、私を守る盾となるように訓練を積んだはずだ。それを自在に操るに至らないのは自分の練習不足なのだけど、それにしても私に対する全ての攻撃を防ぐようにはできていたのだ。
だって我が身が一番でしょう? 足手まといになっても困るし。
「……あ、わかったー!」
そうか! きっと術を発動すると意識的に思ってから敵を認識しなければ、棘は私を守ったりしない。つまり、オートの盾ではないということだ。
そして術を発動すると私の姿が消える。あの真っ暗な空間だと気付かなかったけど、きっとそう。じゃないと説明が付かない。
でも敵から見えなくなるのは良いけど、こうしてむやみやたらに剣を振られて辺りでもしたら厄介だ。
「うーん、不便ね。改善の余地ありだわ。あれ、待って。じゃあ何で一番初め、斬られたのに斬られてないのかしら……」
謎だ。私は確かに斬られた。術を発動したらこっちのものらしいけど、間に合わないとさっきみたいに袈裟がけに斬られることになる。でも、今の私には傷がない。
「どうしよう……狐に聞いて――」
「おい、スミレ! もう良いから術を解け! いったいお前はどこにいるんだ!!」
焦ったように怒鳴るルイの声にハッと顔を上げれば、いつのまにか辺り一帯は黒い棘に囲まれて部屋中が真っ暗になっていた。全ての人を絡め取ってはりつけにしている。真っ青な顔でぶら下がっているヴァンなんかは結構見物だ。
「えぇ……と、どうやるんだったかな」
「なんだと!? 冗談で言っていたのではなかったのか! 何故そんな不完全な術を使ったんだバカ者が!」
「ま、待ってよ……今解くから……えーと……えー……ち、チチンプイプイ棘よ飛んでけー……とか?」
シュンと小さく音がして、全ての棘が消える。
適当に言った呪文は合っていたようで、捕らえられていた人達がバラバラと漫画のように落ちてきた。
「お、私の姿も元通り! これで戦争に行っても――いったぁあぁぁぁああぁぁああ!?」
物凄い音と共に私の頭に衝撃が走る。涙目で頭を抱えれば、横には拳を作った傷だらけのルイが半目で立っていた。
拳骨をされたらしい頭をさすりながら、ルイを睨みつけようとしてやめた。
「……あの、ごめんなさい。ちょっと考え事を……その、悪気はなかったの」
「当たり前だ」
かくして、私は無事に戦争へ連れて行ってもらえることになった。
その後、訓練の量を増やしたことは言うまでもない。
――戦争の前日。
あれだけ戦争経験がないから緊張しないんだ、とか呑気に口笛を吹いていたというのに、城内の険呑な雰囲気にのまれた私はすっかり緊張しきっていた。
「あー……駄目だ、トイレ」
ルイは前日ということもあって部屋には来ていない。遅くまで軍議をするから来られないと連絡があったが、そもそも約束をしていないから別に来なくてもいい、と連絡をしに来たメイドに伝えた。
何を思ったのか、メイドはキョトンとした後に満面の笑みで去っていったが、その数十分後にはさらなる笑みを浮かべて戻ってきて、『拗ねるな、と伝言です』なんて言いながら両手いっぱいに私の大好きなフルーツを持ってきてくれた。
大方、来られないと聞いて私が拗ねたと勘違いしたメイドが、ルイのバカに拗ねているようだとでも言ったのだろう。全く。寝る間にフルーツ貰って嬉しい女がいるとでも思っているのだろうか。
「食べるけどね!」
口に甘いフルーツを押し込み、私はトイレに立った。
用が済んで扉を出ようとした時、ふと私は重要なことを思い出した。
「そう言えば斬られたのに斬られていなかった謎は……」
明日は当日だというのに、どうして今の今まで忘れていたのだろうか。もう寝たかなと妙な気遣いをしつつも、私は狐を呼びだした。
「……なんだ」
寝ていたらしい狐は、ぼんやりとした顔で頭の辺りに寝癖を付けて出てきた。可愛いじゃないか。
思わず鼻で笑ってしまい、狐に一睨みされる。
「あのね、夜中に申し訳ないんだけど、ちょっと教えて欲しいことがあって」
「言え」
「私、この間斬られたのよ。袈裟がけに。術を発動していたから斬られないと思ったんだけど斬られたの。でも、傷は付いていなかった。変わりに真っ赤なバラの花びらが傷口から出てきてね。これ、どういうこと?」
狐はかなり長い時間ボーっとした後、小さくため息を吐いて口を開く。どうやらまだ眠いようだ。
「それは恐らく本来の力であろう。黒い薔薇の君とか呼ばれているらしいな。確かに西洋の花の臭いがプンプンするわ。そこから感じられるのは再生の匂い」
再生……もしかして、羽の鱗粉がミリアのハンカチのほころびを直したのはそう言うことだろうか。
だとしたら、非常に使える能力だ。誰をどこまで直せるのか……いや、その前に生き物に使えるのか。しまったこんなことなら早い段階で思い出しておけばよかった……。
「ねえ、今から時の狭間に入れる?」
「阿呆。我が付き合うと思うたか」
「この間あげたアゲを今度は10枚用意するわ!」
「…………」
戦争前夜。私は猛特訓をするべく、時の狭間へと入りこんだ。