第五章 我、黒イ薔薇ノ君哉。01
「後で悔いるから後悔……ってねハハハ」
「笑いごとではありませんわ……街中で噂されていますのよ。私も友人や家族から散々探りを入れられて……何よりもお可哀そうなのは陛下の方で、今までのイメージが――」
「貴女はどっちの味方なの?」
半目で聞けば、『味方とかそういう話ではなく』と困った顔をするミリア。八つ当たりなのは分かっている。でも、あの時のいじめとは別の種類のヒソヒソ話をされるのだ。
サブリナの件はルイがうまく処理してくれ、あれだけ私をいじめていた城の人達は何も無かったかのような顔で私に近づいてはご機嫌を取る。ここまでくると、もはや怒りすら湧かないのだ。可哀想な人種である。
ったく。せっかくミリアと2人きりで散歩だというのに、全く楽しくない。嫌なことを思い出したものだ。
「……ルイは、さー……国民に好かれているから、マイナスイメージにはならなかったんでしょう?」
そう言えば、ミリアは困ったように笑った。
いつだったか、庭を散歩している時に聞いたのだ。庭師が『あの優しすぎる陛下が怒鳴るだなんて初めて聞いた』と話しているのを。優しすぎるがゆえに、色々と我慢をして窮屈な思いをしているのではないかと心配していた。
その色んな思いとやらを我慢せずに吐きだせる相手である黒い薔薇の君……多少驚いたけど、そう言う相手が見つかって良かったよね! って言うことらしい。全く良くない。
私は声を大にして、あいつは猫を被っているだけだと叫びたかった。悔しすぎて歯がみをしたほどだ。
だって私の方の噂と言えば悲惨な物ばかりなんだもん。『女なのに言葉づかいが……』とか『変わり者……』とか。『ルイが優しいから甘やかされている』なんてものもあった。悪意は無いらしい。悪意はないけど、近所のおばちゃんがスカートの短い女子高生に注意する感じなのだ。つまり小言。
「ずるいわ……どうして私だけ……」
「人望でしょうねぇ……あ」
思わずといった感じで言ったミリア。慌てて口を押さえているところがまた『本心出ちゃった!』って感じで傷つく。
後宮も何やら大人しくなっているし、本当に暇だ。力もどうやれば鍛えられるのか分からない。怒りで黄泉の悪魔の力が増すというのであれば、単純に怒る機会があればいいのだと思っていた。しかし試しに後宮へと行ったら、特に能力の反応は無いまま、嫌味を言われて無駄にイライラしながら1時間も居座ってしまった。
その後はあそこに入る勇気はないと後宮へ行かないで与えられた部屋に戻ったが、それが気にくわないという輩から散々嫌味を言われた。まあ、これに関しては私がおかしいから仕方がないけど……。
「…………」
スッと片手を上げて、人差し指を立てる。
もし……もしこの指先からあの黒い靄が出て、それが力として発揮できるのだとしたら、イメージもつかみやすいし楽だと思うのだけど……。
「出るわけないか」
ため息を吐いて手を下げた時だった。
頭上から悲鳴が聞こえ、何事かと上を見上げたら鉢植えがこちらに向かって落ちてきている最中だった。
「ぐあ!」
妙な声を上げて避ければ、私の真横にそれは落ちた。大慌てのミリアが私に駆け寄る。
駆け寄ったミリアの目は私の少し後ろに向けられていて、まだ何かあるのかと慌てて振り向けば黒い影がよぎった。
「あれ、羽?」
驚いた拍子にでも飛び出たのだろうか。キラキラ鱗粉を飛ばしながら、ヒクヒク動いている。
それにそっと触って、私は大発見をした気分になる。
「凄いわ、ミリア! この鱗粉、こすり落としても再生する! 蝶の羽って確か一度鱗粉が取れたら最後、二度と再生しないのよ!」
差し出した手には黒と虹色の鱗粉。そしてだから何……という空気。ちょっと恥ずかしくなって口をつぐむと、可哀想なものを見る目でミリアが手を拭いてくれた。
「あら……?」
「どうしたの?」
「スミレ様、この……ここの部分なのですが、確かにハンカチがほころびて――あ、いつもほころびたハンカチを持っているわけではないのですよ! たまたまなのですが!」
顔を真っ赤にするミリアを慰めながら続きを促す。ミリアは真っ赤な顔のまま『信じていないでしょう!?』と拗ねていたものの、鼻息荒く続きを話しだした。
「それで、このほころびが消えたのです。スミレ様の鱗粉を拭いた瞬間に」
「消えた? 気のせいせいじゃないの?」
「いいえ、確かにほころびていたのです。今日それをふさごうと思って持ち歩いておりましたのよ」
持ち出したのが別のハンカチだったという落ちは無いのだろうか。まあ、不思議な羽だからほころびを直す力くらいありそうだけど、意味が分からないしハンカチのほころびを直すだけの力ならあまり要らない。
「うーん……よく分からないけど、何かの糸口にはなりそうね」
腰に手をあてて羽を引っ張ると、丁度向こうの方からユンが歩いてくるのが見えた。手を振るとユンも振り返してくれる。ゆっくり歩いてきたユンは、ニッコリ笑って手を差し出した。
「なに?」
「良い物だよ」
手を開いて受け取る姿勢を取る。そしてユンがパッと開いたてから落ちたのは大量の芋虫。
「きゃああ!!」
叫んだのはミリアだった。ただ顔をしかめる私を見て、ユンはつまらなそうな顔をする。
「えぇ……反応悪い」
「私が叫ぶとでも?」
「つまんないのー」
芋虫を探して1人拾い集めているのを想像するとおかしくて仕方がないが、どうしてこんな意味のないことをするのか問いただすと、のらりくらりとかわしながらヘラヘラ笑いだす。
「ユン。貴方ね、子供じゃないんだから――」
「ユン殿! 隣国との開戦についてですが、先程軍議が終わ――あ」
沈黙。そののちに凄い殺気。
目の前に急に現れたいかにもフレッシュマンなアサシン(?)は、真っ青な顔で一歩後ずさった。
「殺そうか?」
「申し訳ございません……」
もしかして……ユンは私の注意を芋虫に引きつけておいて、この奥にある大会議場へ近づけないようにしていたのだろうか。もしかして、大会議場から私の姿が見えて、何かやらかすんじゃないかと懸念したのだろうか。
大正解だ。
「面白そうなことやってんじゃないの。あ、戦争が面白いとかそういう話じゃないのよ? ユン、あなた仮にも凄い腕を持っているのなら、芋虫で私を騙せるだなんて思わないことね」
「うーん……駄目か。じゃあ、こっち」
軽く首に衝撃を受け、意識がブラックアウト。
そりゃ反則だろう……と思うのと、意識が遠のくのはほぼ同時だった気がする。