第四章 それぞれの思惑09
「きゃあ!」
路地に響きわたる女の悲鳴。ちなみに私ではない。
ざわざわと周りが騒がしくなり、私の周りに人が集まってきた。ユンとニコラスも、茫然と立ち尽くしている。
「……ス……」
ニコラスは私に声をかけようとしてやめる。私は今お忍びなのだから、その選択肢は正解だ。
でも何故、私が一歩近づくたびに一歩下がりますか。
「逃げないでよ」
「いや、あの……逃げているわけでは……」
顔を引きつらせ、後ずさる。
私は今、びしょびしょに濡れて立ちつくしていた。それが水か何かであればまだ良いが、何か得体のしれない物が混ざっていたらしく悪臭を放っている。下水的な何かではないのが救いだ。粘度が高いので、大量のスライムを浴びたようになっていた。
私に液体をかけた奴はさっさと人ごみにまぎれて消えてしまったらしく、巻き添えをくらってスカートの裾を汚した女性が金切り声を上げてわめいている。
「すんごい臭いよ……レベッカ」
「誰よ」
どうやら今日の私はレベッカらしい。半目になりながらユンを睨むと、必死に笑いを堪えているようだった。私がこんなめにあっているのがおかしくて仕方がないらしい。
「え、えーと……レベッカ、様、じゃない……レベッカさん……取り敢えず汚れを落とさないと」
口で息をしているニコラスは、引きつった笑顔で私の手を取ろうとし、そっと手をひっこめた。それにイラついた私は、無理矢理ニコラスの手を握る。小さく悲鳴が聞こえたが気にしない。ネチャネチャする手でギュウギュウとニコラスの手を握りしめれば、何かを諦めたような顔をした。
「おい、嬢ちゃん。湯が必要ならうちに来な」
憐れんだ顔をした宿屋の店主。
それは無料で貸してくれるのかと散々確認したあと、私は宿の床を汚しながら風呂をお借りした。
「ふー」
「うわ、まだ臭いんだけど。ちゃんと石鹸使ったの?」
ユンの声に思わず睨みつければ、『レベッカのことじゃないよ』と言ってニヤニヤ笑う。ユンはニコラスの手を取って私の鼻元へ近づける。
その瞬間、強烈な臭いがして思わずめまいがした。
「くっさ……!」
「さっきまでこれまみれだったじゃない」
いや、そうなんだけど……あれはあまりにも凄すぎて鼻がマヒしていたのだろう。
なんせ自分では全くにおわなかったのだから。
「それで、犯人は分かったの?」
「僕の影が追跡中」
思わず舌打ちしてため息を吐く。あれは露骨に私を狙ってきていた。悪意はあったが、殺意がなかっただけましか。
とは言っても、恨みを込めてあんなことをしてくるとなると、かなり人は限られてくるだろう。ルイやセナは問題外だ。やるならもっと凄いことをやって来るに違いない。
ミリア……は、まあ、そんな事をするような人ではないけれど、迷惑はかけているし本当は私の事が嫌いかもしれないので1割の確率で犯人としよう。
他、一番可能性があるのは側室の人達。しかし、それはここでするような話しでもないだろう。
「帰るわよ」
「ハイハイ、仰せのままに」
クスクス笑いながらユンが私の腰に手を回す。その手をニコラスが叩き落としながら、ユンを睨みつけて扉を開けた。
ちょっと騎士っぽくなってきたじゃない、なんて妙な感動を覚えながら、私は床を汚されて不機嫌になっている女将さんを見て、店主に無料でいいとは言われたもののそっとお金を渡して宿を出た。
――そして城。
私の部屋にはユンとニコラスを始め、セナ、ミリアが勢ぞろいしている。
忙しいと不機嫌そうなセナをなだめつつ、私は事のあらましを説明した。全く興味が無さそうな顔をしていたくせに、私がかぶったものについて説明をしていたところ、セナが目を輝かせてやたらと食いついてくる。
「その液体を少しでも持っていませんか? 先程から懐かしい臭いがするなと思っていたのですが、もしかしたら貴女はとても貴重な体験をしたかもしれませんよ」
「どういうこと? 私は全部洗いながしちゃったけど」
「あ、もしかしたらセナ様がお分かりになるのではないかと思い、少しだけ……」
そう言ってニコラスは小瓶を取り出してセナに渡す。
それを見ていたく感激した私は、できる男ニコラスを褒めちぎる。するとニコラスは顔を真っ赤にさせて恥ずかしそうに笑った。
「ああ、やっぱり。面白いことになっているじゃないですか」
「それは一体なんなの?」
「害虫駆除剤ですよ」
「が、害虫……?」
ミリアは顔を真っ赤にさせて『まあ!』なんて言いながら、鼻息荒く拳を作る。
私なんかよりも怒っているようで、逆に私の怒りが引いていった。
「ああ、違います。ミリア、貴女が想像しているようなものじゃない。これは戦争で使う化学兵器みたいなものでして、害虫とは人間のことをさします。つまり、敵……ですね」
そう言った瞬間、部屋の温度が下がる。ミリアは真っ赤にしていた顔を真っ青に変え、フラフラと壁に寄りかかった。
「もっとも、かなり濃度を押さえているようですので、そこまで危険ではないですが……正規の物となると骨まで溶かす強力な酸ですよ」
「……なるほどね」
「まあ、薬品と言ってもほとんど呪いのようなものでして、戦場に流れた血と腐った肉を使って製造されます。臭いは臭ければ臭いほどその濃度が濃いということですが……」
「まって……もう良いわ……」
信じられない。そんなものを使うなんて。いったい私が何をしたというんだ。確かに喧嘩は売ったけど……というか、まだ本当にあの側室候補の中の誰かがやったのかどうか分からないけど。
「……困ったわねぇ」
何も分からないうちから相手を責めるのはよろしくない。
であれば、何をすればいいのか。
「私が囮になりますか」
「なんてことを……! おやめ下さい!」
キーキー叫ぶミリアを片手で制し、私はにやりと口角を上げた。舌舐めずりをしながら全員を見渡す。
「売られていない喧嘩だって買うってのに、売られた喧嘩を買わない理由はないわ。犯人は私が見つけ出す。その為に、多少の犠牲は付き物よ。いい? これはルイには絶対に言わないように」
「どう言うことですか! 危険な真似はおやめ下さい!」
「あまりにも危険すぎます」
般若のような顔のミリアに苦笑しながら、私はミリアに椅子を進めた。『このままで結構です!』なんて怒りながらも、一応お礼を言うことを忘れないミリア。なんとなくだけど、彼女は関わっていないだろう。
ニコラスも心配そうな顔で『危険だ』といった。可愛いニコラス。心配してくれるのはありがたいけど、乗り越える山が大きければ大きいほど燃えるというのに。
「私はどんな立ち位置にいる?」
突然、何の接点も無さそうな質問。ニコラスとミリアは訳が分からないといった表情をするが、セナは目を輝かせて最高の笑みを浮かべながら傅いた。
「正室になることが確実な黒い薔薇の君でございます」
「まだなっていないけど?」
「誰も否定しないでしょう」
「例えば私が『お願い』をしたとして、聞いてくれない人はいる?」
「貴女様に逆らうことは、陛下に逆らうのと同じ。その者は首をはねられても文句は言えません」
それを聞いて安心した。
私は立派な悪女になる為に、思いっきり動き回れるということだ。
「では、早速だけどあなた達に命令するわ。このことは、ルイには言わないで。これは私の戦いよ。私を囮に犯人をあぶり出す。そして見つけ次第、最高の嫌がらせをしてやるわ」
「アハハハ! スミレ姫最高なんだけどぉ~! 僕がその嫌がらせを手伝ってあげても良いけど、スミレ姫の言う嫌がらせと僕の嫌がらせじゃ大きく違いそうだから静観するよ」
「……スミレ様、貴女とはまだ少しの間しか過ごしていませんが、どういう方なのかは大体分かりました。スミレ様の騎士として、危ない目にあいそうな時は必ずお守りします」
諦めたようなニコラスとミリア。楽しそうなセナとユン。
それぞれを見ながら、私は満足げな顔で頷いた。