第四章 それぞれの思惑04
舞踏会当日。
私はガッチガチに緊張したまま、こわばった笑みを浮かべていた。鏡の中に映る私の顔が引きつっているのを見て、なぜかミリアまで緊張したような顔になっている。
「スミレ様……本当に大丈夫ででしょうか?」
「狐を信じるしかないわ」
私があの狐に頼んだことは2つ。本当はもっと聞いて欲しかったけど、強欲な女呼ばわりされて睨みつけられた。嫌な狐である。
それはさておき……私が悩みに悩んでお願いしたのは以下の2点。
1.貴族やら歴史やら頭に詰め込めと言われた山のような資料を、一瞬にして覚えさせて欲しい。その日だけでも良いから。
2.ダンスを上手に踊れるようにしてほしい。その日だけでも良いから。
ブツブツと文句を言いながらも願いを叶えてくれた狐。何事かを狐が呟いた瞬間、私の脳内に膨大な量の記憶が刻みつけられた。あまりにも膨大な量が流れ込んできたので、反動で起き上がれなくなり、晩ご飯を食べ損ねたほどだ。ルイは脳がパンクする程の情報を1週間で覚えろと言ったのか、と思うと拳骨の一発や二発は覚悟して欲しいくらいだ。
しかし、寝る前に少し起きてミリアに適当にテスト問題を出してもらったところ、びっくりするぐらい滑らかに言葉が出てきたので、私は狐が嘘をついていなかったことに満足した。こっちは大丈夫だと思う。
問題はダンス。本当に上手く踊れるのかとういのをテストしていないのだ。あの後、倒れてしまったので結局その日、ダンスの練習をしていない。
「スミレ様と……その、キツネ様を侮っているわけではないのですが、少し不安で……」
「……少し?」
「……かなり、です」
ミリアは私以上に泣きそうな顔をしながらも、私を綺麗に飾り立てていく。濃紺の豪華なドレスに生成り色のレースがふんだんに使われた、ロココ調のようなボリュームのあるドレスだ。踊りにくいことこの上ないだろう。
別のメイドは髪の毛は綺麗に結いあげ、所々に真珠などの飾りを散りばめていく。
「ミリア」
「はい」
「私と貴女って、背が同じくらいだったのね?」
きょとんとしたて手を止めたミリアは、やがてニッコリ笑って止めていた手を動かしだした。
「そうですね。お支度をさせて頂く時にやり易いです」
ミリアは手を動かしたまま、『身長差がありすぎると、少し大変で』とおかしそうに笑った。おそらく、以前にそういうことがあったのだろう。
「髪の毛を黒く染める術はこの世界に存在する?」
「この世界に、ですか? そうですね……無いことも無いのですが、やはり完全な黒には――駄目です! いけません!!」
「変わって! お願いだから変わって……!!」
「いけません!」
必死の形相で泣きつくと、ミリアは真っ青な顔で私をなだめる。
呆れたような声が聞こえたのは、ミリアが『どうしよう、もういっそのこと変わった方が……』と迷いを顔に浮かべはじめた頃だった。
「女に二言はないのであろう?」
「ルイ……!」
普段とは違う落ちついた色の正装。濃紺に金の装飾が沢山ついたもの。それはルイによく似合っていて、気持ちさえ落ち着いていたら思いっきり褒めてあげたところだけど、私はその余裕が無い。
というか、その衣装の配色はよく考えたら私の衣装とお揃いで、私が彼の后候補(と言ってももう本決まり?)であることを印象付けるのにはもってこいな感じだ。
そしてそんなルイの後ろにはこれまた正装したニコラスが立っている。彼は最近騎士の手続きが済んだらしく、鎧の色と形が他の兵達とは大きく変わっていた。頭にはヤギみたいな角が付いているし、全体的に黒光りをしている。さし色で赤黒いものがはいっていたりと、とにかく全体が格好良いのだ。その時もニコラスやルイ、ヴァンが引くくらい褒めたのだけど、今日の正装もかなり格好良い。私の趣味で、普段と同じく黒を基調とした軍服のようなものを作ってもらったのだ。
そもそも、自分の騎士を飾り立てるというのはある種のステータスであり、その華やかさを競い合ったりもするのだとか。ルイが私のことを身を挺して助けたニコラスを気に入っていることもあり、その費用はルイのポケットマネーから出してくれた。デザインだけ私の意見を取り入れてくれたのは、『異世界の文化であれば誰にも真似できないから、相当目立つこと間違いなしだ』ということらしい。
ニコラスはサッと青くなって、『スミレ様のことは信用していますが、昼間に公道を歩けるものが良いです』と言った。あの時は腹が立ったので、デザインの第一稿で肉襦袢のイラストを出してやった。倒れそうになっているニコラス、笑いすぎて死にかけたユン。あの時は非常に有意義な時間であった。
「スミレ様、お似合いです」
「ありがとう」
キラキラした顔で私を褒めるニコラスに向かって弱々しく微笑むと、その横でルイが顔をしかめて私の頬をつまんだ。
「痛いんですけど」
「当たり前だ。痛くしているからな。それより、俺はお前に重要な伝言を伝えに来たんだ」
「何よ」
「お前が知っているか分からないが、舞踏会では誰よりも先に俺とお前だけで踊ることになるだろう。何百人といる賓客の前で、だ。その後、賓客達の踊りが始まる」
血の気が引いて行く私を楽しそうに見つめるルイ。それだけ言うと、ルイは高笑いをしながら満足げな顔で部屋を出て行った。
「……あれは……嫌がらせをしに来たの……?」
「……はい、恐らく……あ、いえ! 違うのです、そう言う意味ではなく――」
「いいえ、怒ってないわ……」
崩れ込む寸前、メイドが丁度良いタイミングで差し出した椅子。
遠慮なくそれに腰かけてため息を吐くと、ニコラスが申し訳なさそうな顔で私に手を差し出した。
「もう行かなくてはならない時間です。会場までは、私がご案内致します」
胃からこみ上げる何かを感じつつ、私はニコラスの手を取った。部屋を出てトボトボと廊下を歩く。会場は金の間と呼ばれる場所で、ここからは少し離れた所にあるので、移動手段としてセナが作った魔法陣に乗った。
流れていく景色を横目で見つつ、私は小さくため息を吐く。
「ニコラス」
「はい」
「貴方、化粧をしたら女の子に見えなくもないわね?」
「往生際が悪いぞ」
いつの間にか会場の入り口付近まで来ていた私は、呆れたようなヴァンの声に弾かれるように顔を上げた。
「いたの……?」
「どうした? 覇気が無いな」
「覇気なんて出るわけないでしょ……」
自分で言い出したにも関わらず、私は物凄くビビっていた。きっと、会場の扉を開けてお客さんの数を見たら、余計にビビってしまうのだろう。私は物凄く臆病なのだ。
「ここからは俺が引き継ぐ。ご苦労だったな、ニコラス」
サッと礼を取ってわきにそれるニコラス。それに手を伸ばせば、よほど情けない顔をしていたのだろう。困ったように笑って、頭を撫でられた。年下の男の子に慰められるという情けなさに、ヴァンは呆れたようにため息を吐いた。
「落ちつくことのできる特別な呪いを教えてやろう。いいか、これはお前じゃなくて陛下が恥をかかないためだ」
「『まじない』? 『のろい』じゃなければ、なんでもいいわ。で、何……?」
布の袋から取り出して、ヴァンが差し出したのは小さな木の実。薄紫のそれは小さいくせに物凄く甘い香りを放っている。みずみずしくて弾力があり、さわった限りだと皮は結構薄そうだ。形がサクランボに似ている。
それを戸惑いも無く口に放り込めば、ニコラスはギョッとしてヴァンは私に拳骨を落とした。
「バカか!」
「いった……食べ物じゃないの?」
「食べ物だが……おまっ……お前、少しは警戒しろ!」
「何……ヴァン、私を殺す気だったの?」
怒りで顔を真っ赤にさせながらも、『違う!』と怒鳴って舌打ちをする。
なんとなくふに落ちない物を感じつつ、自分が悪いので黙って先を促せば、今度は照れたように鼻の横をかいた。
「それは……俺が子供のころに、母がよくくれたものだ。ムルの実と言って、鎮静作用がある」
「ヴァン……」
「あくまで陛下のためだ。いいか、お前の為じゃないからな!!」
唾を飛ばしながらそう言うヴァンの顔は、真っ赤に染まっていた。
そして乱暴に手を取ると、扉に向き直る。扉の左右で呆れたような驚いたような顔をした兵達は、我に返ったように軽く扉をノックした。すると、扉の向こう側でファンファーレが鳴る。ゆっくり扉が開いて、扉の向こうがわから金色の光があふれだした。
「…………」
思わず息をのみ込む。扉の向こうには数百人の人。想像より遥かに多い。
横でヴァンが小さく『しっかりしろ』と言い、未だに口の中にあったムルの実を飲み込むと、私はようやく覚悟を決めた。
「ふー……」
こうなったら、とことん演技してやるわよ。私は歴史に名を残すほどの悪女になるんだから。こんな所で躓いている暇はないわ。
背筋を伸ばして表情を引き締め、ゆったり歩く。顔は上、顎を引いて口元には微笑み。先生に教えてもらった女性らしい歩き方とやらを、私はほぼ完璧に再現していた。しかしあくまで再現である。あんな付け焼刃、何かの拍子にボロがでるに違いない。
遠くで口角を上げるルイを見ながら、私はヴァンのエスコートでルイの元まで歩いて行った。
ルイの元まで行くと、ヴァンはルイに引き継ぐ。私はルイの手を取って、その隣に並ぶ。そしてルイは大きな声で私の紹介を始める。
「皆様、本日は足下の悪い中お集まりいただきありがとうございます」
そう。今日は雨なのだ。あいにくの天気の中、会場内だけは外の天候を感じさせないほど煌びやかである。王座から見えるのは煌びやかの女性たちのドレス。いつの時代も、どこの世界も、着飾る女性は美しい。王と私とは衣装がかぶらないように、とでも言ってあるのか、濃紺のドレスを着ているのは私だけだった。
「おい、ボーっとするな」
いつの間にか終っていた挨拶。私は慌ててルイの方を向くと、小さく『寝てたのか?』と睨みつけられた。いや、正確に言うと、そう見えただけだ。なんせルイは柔和な人格者といことで国民達に知られている。本性を知る人にしか分からない怒りが伝わってくる。
「……ねぇ、ダンスの仕方を忘れたって言ったらどうする?」
忘れているわけはない。狐が教えてくれたんだもの。心配だったけど、思いだそうとすれば思いだせるし、なんとなく踊れそうな気がする。でも、やはり少し不安なのだ。
「安心しろ。俺を誰だと思っている。エスコートは得意分野だ」
そう言ってニヤリといつも通りの笑顔を浮かべるルイ。どこで誰が見ているか分からないのに、そんな笑い方をしてもいいのだろうか、なんて思いつつも、いつも通りのルイを見て少し元気が出た。
「頼りになる年下だこと」
「年のことを言うのはやめろ」
ムスっとしたルイの肩を軽く叩いて、エスコートされながら会場の中央に向かう。ゆったりとした曲が流れるのを聞きながら、私はゴクリと生唾を飲み込んだ。
照らされるスポットライトに固い表情をしていたら、ルイは再びニヤリと笑う。
「いいか、本当のエスコート上手ともなるとな、相手の緊張すら取り払うんだ。今からお前は俺だけしか見えなくなる。大丈夫だ」
「何その自信。ウケるんですけど」
私がそう言って鼻で笑うと、足を踏まれた。ドレスで見えないのをいいことに、結構強めの力だ。そしてすぐに私から離れ、くるりと私を回す。
「笑うな! いいか、聞け。今日はあの老害どもが用意した側室候補とやらが山ほど来ている。俺はその相手をしなければならない」
「そう、いいんじゃない?」
きょとん、としながら言えば、ルイは呆れたような顔で私を見つめる。その顔は『ちっとも分かってないな、お前は』とでも言いたげだ。
「つまり、お前のところにも女共が押しかける可能性があるということだ。ちなみに男はよって来ないだろうから安心しろ」
「……ああ、そうですか」
どうせ男に声をかけられたことなんてありませんよ。
せいぜい近所のおじいちゃんが、自分の孫と間違えて声をかけてきたくらいだもの。
「女共の相手は適当でいいが、適当はやめろ」
「難しいこと言わないでくれる?」
「頭を使え。良いか、適当でいいが、適当じゃ駄目なんだ。お前が思っているよりも、あいつらは腹黒い」
要は、流すところは流して、しかしヤバそうな部分はかわしつつもしっかりと、ってことだろう。まあ、適当にやるか。適当で良いって言ってるんだし。
「おい、頼むぞ、本当に」
「大丈夫よ。貴方に恥をかかせることはしないわ。ヴァンに怒られてしまうもの」
「違う。俺はお前を心配して――」
「ルイ」
真剣に目を見れば、ルイも真剣な表情で返す。
しばらく目を見つめて、私は小さく呟いた。
「トイレに行きたいわ」
「……おまっ……! 我慢しろ! せめてこれが終わるまでは我慢しろ! というか、何故最初に行っておかないんだ!!」
「行ったわよ! 行ったけどまた行きたくなっちゃったの!!」
やばい。緊張しすぎたのかもしれない。全く我慢できないわけでもないけど、あとどれくらい踊らないといけないかによる。
2人で柔らかい笑みを浮かべたまま、「我慢しろ」「してるわよ」の応酬を始めた。
ようやく曲が終わり、ふと私は自分が全く緊張していなかったことに気付く。真顔のままジッとルイを見つめると、ニコニコ微笑んで礼を取っていたルイはサッと顔を青ざめさせた。
「……なんだその顔は……まさか、間に合わなかったのではあるまいな?」
「違うわよバカ」
露骨にホッとしたルイは、『紛らわしい顔をするな!』と小さく怒る。
エスコートされて元の位置に戻る途中、私はルイの服の裾を少しだけ引っ張った。
「なんだ……? トイレだろ? もう少し我慢してくれ。あと10歩ほど歩いたら自由にしていいから……」
「違うわよ。お礼を言いたかったの」
「礼?」
疲れたような顔のまま、ルイは私の方をゆっくり振り向く。その顔が妙におかしくて、私は笑いながらルイのほっぺたを引っ張った。
「緊張しなかったわ。ありがとう」
そんなこと、されたことが無いのだろう。真っ赤になったルイは、目を見開いて間抜けな顔をした。
「さ、トイレトイレ!」
10歩程歩いた私は、後ろで賓客達が踊り始めたのを確認して、手近なメイドを呼びとめる。後ろでルイが私を呼びとめるが、そのルイを取り囲むようにしてあっという間に令嬢が群がってきたので、私はニヤッと笑ってメイドにトイレへ案内してもらうよう頼んだ。そんな私を、ルイが困った顔をしながら見つめる。
私はわざとらしくスカートの端を持ってルイにお辞儀をし、今度こそトイレへ向かった。