第三章 孤高の王女03
「お前、最近どこ行っているんだ?」
「え?」
ヴァン。貴方そういうことはこっそり私にバレないように探るものなんじゃないの?
ムスッとしたまま言われたって誰が言うもんかって気持ちにしかならないじゃない。
「お前がこっそり抜け出しているのは気付いてる。まだ陛下には言ってないが、きっと陛下も……」
「ヴァン……貴方、愛しの陛下に秘密を作る気?」
「違う! はっきり分かるまで報告を控えていただけだ!!」
この男は本当に面白い。
陛下のこととなると盲目になってしまうのが残念だけど。嫌がりつつも時折私の様子を見に来ては、ご丁寧にお土産を置いて行くのだ。
今日もミミアンとかいう果物を持って来てくれた。カリカリして甘く、香りは南国系の果実を彷彿とさせる。見た目はアセロラみたいなのに、全然酸っぱさのかけらも無く、ただただ甘い。でもこの甘さがしつこくなくて……まあ、それはいいわ。
「駄目よ、ヴァン。怪しいと思ったら例えそれが些細なことでも逐一報告なさい。そして情報不足であるのなら『この件については不明瞭な部分が多い為、現在調査中です。分かり次第、追ってご報告致します』とでも濁しておけばいいの。いざ大事になって『実は知っていたのですが、はっきり分かるまでは報告を控えていました』なんて言ったら洒落にならないわ」
「……お前、意外とまともな……じゃなくて! この件についてはお前のことだ!!」
「ヴァンは知りたがりねぇ……私のこと好きなの?」
「違う!!」
きっとあれだ。
年上に可愛がられるタイプだ。この男は。いや、見た目的にはヴァンの方が遥かに年上っぽいけど、打てば響く様な逸材を私が放っておけるはずがない。
「ヴァン、よく聞きなさい。女には秘密の1つや2つあるの。それを一々詮索するのは野暮よ」
「その秘密の内容による。もしお前が良からぬことを企んでいるのであれば、お前に対してそれなりの態度を取らなければいけない」
「貴方の骨の髄まで騎士道を通す所は結構好きだけど、人には詮索されたくないことだってある」
「王族は秘密なんて持てない。今までもこれからも。それが嫌なら、とっとと帰ることだ」
……それができたら帰ってるっつの。
なんとなく哀れそうな顔をしているから、嫌味ではないことは分かる。そして、この男が不器用ながらも私の面倒を見てくれていることも。陛下に言わなかったのは、既に本当のことを知っているからだろう。私が誰と会っているかまでは分かっていないのかもしれないけど、息抜きもできない私を可哀想に思っているに違いない。
でも、会っている人物が危険人物やスキャンダルを呼ぶような人物であれば、「火遊びはお止めよお嬢ちゃん」ってことだ。
「安心しなさいな、ヴァン。他に危険が及ぶようなことはしていないわ。もし何か起こって貴方が陛下に怒られる羽目になったとしたら、代わりに私が怒られてあげる。私のせいだしね」
「不本意だがお前を監視し、守るのは俺の任務。任務を遂行できないような奴は怒られて当然だ」
「それは対象が面倒な奴じゃなかった場合限定でしょう?」
面倒な奴が依頼や仕事、共同作業の対象だと苦労する。学生時代でもそれで何度か苦労したけど、バイトを始めた時に社会にはもっと凄いのがいると知った。
せっかくコツコツと積み上げてきた実績や苦労が一気に水の泡になることだってある。もっとニュートラルに人生送れないのかと不思議で仕方がないけど、今、その面倒な奴に私がなり下がっていると言う訳だ。
そして「大丈夫、私が責任取るし」とこれまた信用ならない一言を発しているわけで。こう言って責任を取れた奴を見たことが無いし、そもそも責任が取れるような人はこんな愚かなことはしないだろう。
では何故私がそんなことをするのか。
おばあちゃんの言っていた「自分がされて嫌なことは、他人にするな」という説教が頭をよぎるが、これは致し方のないことだ。
だって嫌がらせだもん。
(でもまあ、私にだって良心があるわけで……そしてそれが結構痛むわけで……)
万が一の時は、私がしっかり責任を取るくらいのことはするし、仮に他人や国を巻き込んでの大事になりそうだったら、とっとと危険から身を引く。幸い逃げには自信があるので、そうそう愚かなことにはならないだろう。
「ねぇ、ヴァン。貴方そろそろ見回りに行かなくちゃいけないんじゃなくて?」
「……抜け出す気だろう?」
「そうね」
ヴァンは私が入口から抜け出すと思っている。
だから、私の返答には何も言わずに私を睨みつけて去って行くだろう。そうして入口の前で振り返って小言を言うに違いない。言った後、私に丸めこまれて怒りに任せにドアを閉め、鍵をかける気だ。
「お前をベッドに縛り付けられたらどんなに楽か」
「あら、そういうプレイが好きなの?」
「女が下品なことを言うな!!」
案の定、ヴァンは鍵をかけて行った。
阿呆だ。
「ヴァン、もっと賢くなりなさい。世の中には規格外の女だっているのよ」
さあ、ティーパーティーの始まりだ。雨どいを伝うのはもう慣れた。
* * * * * * * * * * * * *
「あら、これも美味しい」
「でしょう? 新しくドライフルーツを手に入れたの。生地に練り込んだのよ」
マダム・リーの作るお茶菓子は美味しい。
食べ残しを頂いていきたいくらいだけど、帰りになるといつも「残ったものはあの子たちに食べさせてあげたいのだけど、いいかしら?」と言ってメイドを見るのだ。断れるわけがない。
そもそも――。
「……マダム・リー?」
「……あら、ごめんなさいね。ちょっとぼーっとしてしまったわ。今日は日差しが強いから、暑いわね。頭の中が茹だってしまいそう。倒れないうちに中に入った方が……まあ、ゴミが付いているわよ」
「え?」
マダム・リーが私の襟もとに手をやり、私の目の前に差し出す。
それはクシャクシャになった紙で、こんな大きなゴミをつけたまま歩きまわっていたかと思うと「なぜ気付かなかった……」と情けなくなる程であった。
「きっとセナの意地悪ね。あの子はよくこういう悪戯をするのよ。今日彼に会わなかった?」
「ああ……今朝がた妙なこと言っていました」
「そう。なんて?」
何だっただろうか……確か、胡蝶がなんとかと言っていた気がする……思い出せない。セナの話は難しくて眠たくなるので、あまり真面目に聞いていなかったのだ。
「ごめんなさい、はっきり覚えてはいないのですが……確か私のやっていることがバレているようなニュアンスのことを……」
「まあ」
可笑しそうに笑いながら、マダム・リーは紅茶を飲んだ。
小さく「ではルイにもバレているのね」と言って笑い、全く困っていない顔で「困ったわね」と言いながらメイドに中に入る準備をするよう呼びかける。
「そうかもしれません。ヴァンにはバレバレでした。誰と会っているかまでは分かっていないようでしたけど」
「そうなの。でも邪魔をしてこない所を見ると、暗黙の了解なのかしら?」
「かもしれません。きっと、私の息抜きの為に……」
ぐらりと視界が揺れた。
「あらあら……! 大丈夫!?」
「ああ、はい……ごめんなさい……ちょっと暑すぎたみたいで」
熱射病になりかかっているのかもしれない。日差しが暑いから気を付けていたものの、このぶ厚いドレスでは汗が止まらない上に熱がこもって仕方がなかったのだ。
「ごめんなさい……マダム・リー……ちょっと、戻ります」
「駄目よそんな真っ青な顔して……! こちらで休んで行きなさいな」
「いえ、そう言う訳には……黙って出てきているので……バレたら……」
「もうバレているわ。もし何か言われたら私が庇ってあげますからね。さあ、いらっしゃい」
数人のメイドに取り囲まれた時には、私の意識は深い闇の底へ沈んでいった。
* * * * * * * * * * * * *
「おい、スミ……なんだ、ここにもいないのか」
勢いよく開いたトイレの扉を閉じ、ルイはため息を吐いた。
「いったいどこのトイレにいるんだアイツは」
「陛下! こんなところに……今お時間よろしいでしょうか?」
「ヴァンか。どうした」
ヴァンは恭しく片膝をついて頭を下げる。
それを片手で制して立ち上がらせ、スミレが見つからない苛立ちから小さくため息を吐いた。
「実はお耳に入れておきたいことが……」
「ああ、陛下。大変なことになってしまいましたよ」
「セナ……お前もか」
「僕もちょーっと言いたいことがあるんだけど」
「……」
勢ぞろいした家臣に嫌な予感を感じつつ、執務室へと向かった。
道中、誰も話すことはない。執務室の椅子に座ると、珍しく焦ったようにユンがヒラヒラと手を振った。
「スミレ姫を見失っちゃったんだけど」
「なんだと!?」
「アハハごめーん」
軽い口調に似合わず緊張した面持ちのユン。ヴァンが頭を抱えて真っ青な顔をしているのを見て、ルイは思わず顔を引きつらせた。
「お前も何か言いたげだな、ヴァン」
「は、はい……その、実は当初から知っていたのですが……情報が不確かだった為、報告を怠りました」
ルイのため息が部屋に響く。ヴァンは唇をかみしめて地面を見つめた。
「陛下、恐らく私の報告が一番悪い知らせなのですが」
「……よい、言え」
「今朝、式が燃やされたのですが、燃やされた式から胡蝶の紋章が浮かび上がりました」
頭を抱えたまま、なんとか打開策をひねり出そうとするが、全く思い付かない。胡蝶とはまた面倒な……と怒りしかわいてこず、考えがまとまらないのだ。
「恐らくスミレ様は胡蝶と接触しているものかと」
「馬鹿な。彼女は死んでいるんだぞ」
「生きていらっしゃるではありませんか。死んでいるというのは、世間的に言えばです。陛下、如何なさいますか」
胡蝶は何を思ってスミレと接触したのだろうか。
何故、今になって表だって活動をするのだろうか。
どうせ胡蝶とは会えまい、会っているのは別の人間だろうと油断していた。完璧にルイの落ち度だ。
もし本当に胡蝶の仕業であれば、大変なことになるかもしれない。
「しばらく様子を見る。手は出すな」
「陛下!」
「では貴様は……!! 貴様は……国の礎である胡蝶の領域に踏み込めるとでも……?」
脱力したように項垂れ、ルイは3人を部屋から追い出した。
部屋の中から花瓶の割れる音がして、それっきり何も聞こえなくなる。
追い出された3人は、目配せをして廊下を歩きながら小声でつぶやく。
「ユン、貴方は引き続き情報を集めて下さい。ヴァンはすぐに踏み込める準備を」
「陛下の指示なく動くのは如何なものかと思うが」
「では、このまま黒い薔薇の君が使いものにならなくなってもよいと? 胡蝶は確かに偉大だ。しかし、所詮は過去の物。今のこの国に必要なのは老害ではない」
ギリッと噛みしめた唇に血が滲み、怒りに小さく震える。セナは不敵に笑うとフードを深くかぶった。
「胡蝶と接触を図れば羽が元に戻るかと思いましたが、やはり危ない賭けでしたね。失敗しました」
「まー概ねセナに賛成。踏み込むのは陛下の答え次第かなあ? 僕の威厳に関わるし、すんごい頑張っちゃおっと。死にかけのババァになんか負けてらんないよ」
舌舐めずりをしたユンは音も無く消え、残された2人も無言のうちに解散した。
ギリギリと歯車が動き出す。