第二章 黒い薔薇の君03
「あ、どうもー」
「……」
「傷大丈夫でぶへぁっ!?」
炸裂。私の黄金の右手がニコラスの柔らかそうなほっぺたにめり込む。想像以上に柔らかいそれは、かじりついたらさぞかし美味しいだろう。
「何をやっているのだお前は……!!」
珍しく正当な理由で怒るルイ。ユン何かも「えぇえぇぇ~!?」とツッコミの体勢だ。
「あんた何のんびりしてんのよ!!」
「だ、駄目ですか!? 今、休憩中なんですけど……!」
駄目だろう……! 駄目に決まってる!
てっきり良心の呵責みたいなものに押しつぶされそうになってるに違いないと思っていたのにだ。お茶飲んでふんぞり返ってるって何!? いや、別にニコラスは何一つ悪いことしてないんだけどね!?
で、でも……でもさあ!
「何でそんなに元気そうなのよーう!」
「えぇ!? ご、ごめんなさい」
「元気なのは良いことであろうが……」
呆れたような声を出すルイにようやく気づいたらしいニコラスは、「ひぁ」とかわけの分からない声を出してかしずいた。
頭を垂れて微動だにしない。
「へ、陛下……この度は……」
「よい、気にするな。この女の自業自得である」
「ちょっと!」
自業自得って何だ。というか、貴方猫はかぶらなくていいの? 年下には強く出るってか。この心の狭い男め。
大体私は……いや、待って。完璧に自業自得だ。
「あれれ~? スミレってば今更自己嫌悪になってるわけ? ん?」
「やめて……えぐらないで……」
顔を覗き込んでくるユンを押しのけ、小さくため息を吐いた。何はともあれ、この若すぎる子が死ななくて良かった。そもそも羽なんて元々は私にないオプションだ。
空を飛んでみたいとか願望はあったけど、何かで空を飛ぶ為には例え背中に翼があったとしても胸筋が2メートル必要だと聞いた気がする。
「まあ……無事でよかったわ……ニコラスみたいな若い子が死んでしまっては、この国の大切な財産を失うことになるもの」
「……スミレ様」
ニコラスは痛ましそうな目で私の背中を見ていたかと思うと、目に涙を浮かべた。
「スミレ様……私は」
「泣かないのよニコラス。私の祖母は父に『男は首が取れても泣くな』と言っていたわ。それが正しいかは分からないけど、涙は別のところに取っておきなさい」
ちょっとくさかったかななんて思いながらニコラスの頭を撫でていれば、ニコラスは急にパッと表情が明るくなって、照れくさそうに笑った。
「スミレ様、私はこれ以上後悔しない様に生きて行きたいです。もし、もしもお許し頂けるのであれば、貴女を守る騎士になってもよろしいでしょうか?」
「……き、騎士!?」
ちょっと待って欲しい。
確かに異世界……つまりこういうヨーロッパみたいなところでは騎士は王道だろう。王道だし「良いなぁ」なんて思ったこともある。でも実際問題本当にこの国で騎士が必要な自体が起こるとしたら、ニコラスは私が落ちた時のように命を張って私を助けるだろう。
であれば答えは1つ。
「嫌よ!」
その瞬間、みんなが一斉に「えぇ!?」って顔をした。ありえない、といった表情のまま、断られたニコラスを「可哀想に」と慰めるユン。
「お前は薄情な女だな……確かに若輩だから機能性は悪いが……大抵の女は一度命を懸けて自分を守ろうとした騎士であれば、喜んで迎え入れるぞ……」
「そーだよ? しかもほら、こんな若くて可愛い子いないって。まだ12歳だよ? それに、女王陛下であれば騎士は何人いてもいいんだからさ、取り合えず試しに使ってみればいいじゃない」
「あのねぇ……使うとか使わないとかそういう人を物みたいな……え、何ですって?」
なんか凄い台詞が聞こえた気がする。
「え? 女王陛下であれば騎士は何人いてもいい?」
「そこじゃないわ。12? ニコラス、貴方12歳なの……?」
「え? あ、はい……」
なんだと……! 19歳くらいかと思っていたのに……!! 何この落ち着きようは! 近所の糞ガキなんか同い年くらいのころ私に虫を投げつけていたというのに……!
「そ、そんな……私はてっきり……騎士? え、でも……騎士って……騎士って言うのは誰でも取れるの? 兵士であればお金持ちが自由に選んで? え……?」
「落ち着け。何が言いたいのか分からん」
呆れたような声を出すルイに、ユンはおなかを抱えて笑った。大量のアクセサリーをチャラチャラ鳴らしながら、おかしそうに口を押さえる。
「まあ、騎士って言うのは何でも屋さんかな? 大抵はお金持ち用の用心棒であったりするけど、メイドや執事みたいなことをやらせる人もいるね」
騎士なのにメイド……? という顔をしていたら、ユンが「ほら、うちは平和だから」と笑った。平和なのは良いことだ。なのに、「つまんないよねぇー」と言いながら笑う。
それが冗談なのか本心なのか、私には分からなかった。
「騎士協会ってのがあってさ、普通はそこから人材を選ぶってわけ。で、小さくて可愛い兵士もたくさんいるわけよ。うちの国ってば優秀な人材が多いから、年齢は関係ないの」
なるほど、ゲームで言うところの職業斡旋所みたいなものか。そこで自分の使えるご主人様を探すというわけだ。
「でも近年問題が起こっててねぇ……そんないたいけな少年少女どうなるかは火を見るより明らか。相手は自分より立場が上で、小さな兵士達はまだサラっとかわすほど年を取っているわけでもない」
分かるよね? といった感じに笑うユン。
いかん、これはいかん……!
つまり、暇を持て余したおば様やおじ様の餌食になってしまうということだ。私の命を助けてくれたこのいたいけな少年が、そんな目にあってもいいものだろうか?
でも、私は人を従えるほど偉くもないし、お金もない。それに、自分の命が助かる為に他人の命を犠牲にしていいとも思っていない。
「ねぇ、ユン。なんとか……」
「なぜお前は俺に頼らない」
「頼れるような男だったらとっくに頼っているわ。そう言うことがあるってことは、対応し切れていないってことでしょう? 王として恥ずかしくないわけ?」
そういった瞬間、ムッとした表情でルイが私をにらみつけた。
「今、対処中だ」
それはもう言い訳にしか聞こえなくて、とにかく目の前の泣きそうなニコラスしか見えていない。
なんだか見れば見るほど可哀想になってきた……もしこの命の恩人が……と考えると吐き気がする。
「ねえ、ニコラス……私のために命は張らないで。約束できるならお友達になるわ」
「友達じゃなくて騎士なんだけどね」
「ユンは黙っててよ」
ニコラスは明らかに動揺しながら、それでも小さくうなずいた。ルイは不満げに鼻を鳴らしたものの、一応私の意見を尊重してくれるらしい。
「スミレ様、いつか貴女に『守って欲しい』と思われるような男になります!」
目をキラキラさせるニコラスが可愛くて、思わず抱きつこうとした時だった。私の襟首をがっつりつかみながら、ルイがフンッと鼻で笑う。
「ニコラス、この女は情にもろい。言ったとおりだっただろう?」
「は、はあ……」
困ったような表情を浮かべるニコラス。プーッと噴出すユン。
「も、もしかして……」
「この俺がそんな犯罪見逃すわけがない」
なんかね、なんか違和感は感じていたのよ。猫かぶりのルイがニコラスに対しては普通だったんだもの。
まあ、そうよね。嫁の騎士はそれすなわち自分に近い部下。部下になるなら表の顔でニコニコしてなくてもいいものね。全て裏で計画していたってわけ。みんなに騙されていたのね、私。ニコラスまで私を騙すなんて思わなかったけど。
――……そう、そうなの。
「絶対許さない」
「あ、ヤバ……」
ユンがそう言いかけて逃げようとした瞬間、それよりも早く私の手が動く。辺りに間抜けなシャッター音が響き、2人の大男が青くなった。
「あちゃー……魂獲られたの2個目だぁ」
「俺なんか3つ目だぞ!! というか貴様、王である俺を置いて逃げようとしたな……!」
「え!? た、魂……!?」
状況がなんとなく分かってオロオロしだすニコラス。小さく「魔術師だったのですか?」と呟いている。
「ニコラス、覚えておきなさい。貴方のご主人様はとても心が狭くて根に持つのよ」
サッと顔を青くしたニコラスは可愛い。ここは年上として可愛がってあげなければ。
「これからよろしくね?」