第二章 黒い薔薇の君01
「…………」
気が付いたら夕暮れで、背中の痛みから意外と早く目が覚めたのだと分かる。うつ伏せのままふと横を見れば、あのメイドが心配そうに私を見ていた。
「ご気分は如何でしょうか?」
「……背中が痛いくらいで……」
「ですよね……」
「……あの、お名前をお聞きしても……?」
誰かが言っていた様な気もするけど、どうしても思い出せなかった。メイドは恐縮しきった感じで「ミリアと申します、スミレ様」と言う。
「ミリアさん」
「どうかミリアとお呼び下さい……! 私はただのメイドでございます」
「……みんなそんな感じなんです」
「……え?」
「みんな私を偉い人扱いするんです」
その顔は「だって偉いんだもん」と言いたげであったけども、私はそれを無視しながら無理矢理涙をひねり出して訴えた。
ここだけの話、これであの青年兵2人も陥落させたのだ。
「私……いきなりそんな扱いされて……家族とも友達とも引き離されて寂しいのに……少しでも色んな人と仲良くなりたいのに……みんな私を避けるから……」
ぐすん、とか言ってみちゃったりなんかしてね。正直気持ち悪いくらいの猫かぶりである。しかも、『みんな』とか言いつつ出会ったのはミリアと青年兵2人。偉そうな王様に変な民族衣装とぶっきらぼうすぎる騎士、それとシャラシャラキラキラした変わった男だけだ。しかも偉い人扱いしてくれるのはこのうち3名だしね。
「……で、では……その……公の場以外でしたら……」
「本当! ありがとう、ミリアさん! 私のことは好きに呼んでいいですから!」
アハハと満面の笑みで言えば、「まさか騙された……?」とこれまたあの青年兵達と同じ表情をした。
「ところで何で私の背中はこんなに痛いんですかね」
疲れたようにため息を吐いて呟けば、「え? 自分のことなのに知らないの? マジで?」と言った顔をされた。この世界の人は、考えていることが分かりやす過ぎる。
「その……大変言いにくいのですが……」
「え? あ~大丈夫です。大抵のことでは怒らないし驚きませんから」
「はあ……」
信用してなさそうな顔。ミリアはしばらくモゴモゴ何かを呟いた後で、小さくため息を吐いた。
「スミレ様、黒い薔薇の君のことはどの程度ご存知ですか?」
「これっぽっちも」
「なるほど……分かりました。細かいことは私も存じ上げないのですが、黒い薔薇の君は蝶のような羽を持つと言われています」
全く分からないのに「なるほどね」と相槌を打てば、ミリアは満足げに頷いた。
「羽の色はそれぞれですが、大抵の方はご気性に沿った色を出すとされています」
「気性?」
「はい、例えば……そうですね、簡単に言えば情熱的な方は赤色の羽だと思って頂ければ」
なるほど。カレー好きな人は黄色と言うことか。
まてよ。つまり、私が本当に黒い薔薇の君とやらであるのなら、私にも羽があったというわけで。羽が生えるだろう位置が凄く痛いというのは、恐らくその羽を怪我したか何かしたのだろう。
まさかこの年になって背中から羽が生えてくるとは思いもしなかったけど。
「それで、私にもその羽が?」
「はい……スミレ様は、間違いなく『黒い薔薇の君』でございます」
頷いたミリアは、すぐさま顔を曇らせ、再びため息を吐いた。
「ですが……」
ミリアが再び口を開いた時、ノックも無しにドアが開く。そこに立っていたのは、怒りで表情を硬くした堅物王だった。肩を怒らせて不良のように歩いてくる。そしてベッドのわきに椅子を引き寄せたかと思うと、どっかり座りこんで窓の外を眺め始めた。
「……お前が黒い薔薇の君だと言うことは認める。羽が生えていたしな」
やっぱりあの時の……あの落ちている最中の違和感は羽だったのか。なんだか何でもありな気がしてきた。
正直驚きなんて何もないし、夢じゃないのは分かっているけど夢見心地だ。
「しかし、どうだ? お前の無謀で愚かな行為によって、羽は千切れ、消えてしまった」
「無謀で愚かなって……え!? 千切れて消えた!?」
待ってほしい。千切れて消えた……? あの血の吹き出しはそういう理由だったのか。なんかあまりに痛いし血が出てたような気がするしで嫌な予感はしていた。ミリアだって表情が曇ったままだし、何より凄く言いにくい事なんだけど……って雰囲気がプンプンしていたし。
しかし、しかしだ。
どうせ異世界に行ってファンタジックな世界に投げ出されたとしよう。いや、もうそうなっているのだけど。そうなってまず期待する事は?
魔法が使えること、獣耳のはえた人間との交流、色とりどりの髪色……その中でも翼なんて最上位を占める程(私としては)の条件ではないだろうか。仮にそれが鳥的な翼じゃ無かったとしても、蝶であればまだいい。いや、むしろ蝶が好きな私としてはプラスだ。
それに、人類は未だ空を飛ぶことを夢見ているではないか。
なのに、なのにだ。その羽が取れた……?
「凄く……痛かったのですけど……」
「根元から千切れたからな。痛かろう」
「は、生えてくる!?」
涙目で胸倉をつかめば、焦ったように「やめんか!」と言ってルイが私の手を外そうとする。
「生えてくるかどうかは知らん! なぜなら、過去類がないからだ……! くそっ! 馬鹿力め!」
「嘘でしょ……! 何でそんなことに……羽ってそんなもろいものなの!? もっと深く根付いているものじゃないの!? あ、ニコラス! ニコラスは!?」
「うるさい……女だ! は、離せ! あいつは生きている。これから死ぬがな」
フンと鼻息荒く襟元を直すルイを、私は思いっきり殴った。
「なんで?」
「お前は手を出す前に……それでも女か!」
「理由を言いなさい!」
背中のジクジクした痛みを堪えながらルイを睨みつければ、「忌々しい」といった言葉がぴったりなほど顔を歪めたルイが口を開く。
「黒い薔薇の君を傷つけたからだ」
それだけ。たったそれだけだ。それだけのことで、死ぬ羽目になる。不敬罪とかいうやつだろうか。
なるほど、異世界とは――……。
「理解できるか……! それだけで死ぬわけ!? あんた、馬鹿!?」
言いたいことはもっとあった。
でも、全て言い切る前に、私は部屋を飛び出していた。ニコラスがどこにいるのか、ここがどこなのかも分からないまま。