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落ちこぼれ魔術師の俺だけが、魔法を失敗できない  作者: 香森 みんと
第一章

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第5話 王立魔術学院

 馬車はやがて、王都の中でもひときわ広い通りへ入った。

 通りの先に、大きな門が見える。

 王都の城門とは別の、白い石で作られた荘厳な門。

 左右には高い柱が並び、その奥には広大な敷地と、いくつもの校舎が見えた。


 王立魔術学院。


 ユリスは、喉を鳴らした。


 門の前には、すでに多くの新入生が集まっていた。

 仕立ての良い服に身を包んだ少年。

 背筋を伸ばし、堂々と門を見上げる少女。

 家族や付き人に見送られながら、笑顔で学院へ入っていく者たち。

 誰もが、この場所の空気に慣れているように見えた。


 ユリスは荷物を握り直した。

 黒髪に黒い瞳。

 体格も服装も、目立つところのない普通の少年だった。

 村では何も気にしたことのなかった自分の姿が、この白い学院の前では少しだけ新鮮に感じられた。


 王都に来たのだ。

 その実感が、今になって胸の奥にゆっくり広がっていく。

 ユリスは門を見上げた。


「新入生は、こちらへ進んでください」


 門の内側に立つ学院の職員らしき女性が、喉元に指を当てていた。

 その声は不思議なほどよく通り、門の前に集まった新入生たちの耳へ、はっきりと届く。

 小さな拡声の魔術なのだろう。

 ユリスは、そんなところにも王都らしさを感じた。


 ユリスは足を踏み出した。

 石畳を一歩進むたび、胸が少しずつ強く鳴った。


 ここから、変われるかもしれない。


 そう思った。

 魔法を使うたびに、自分が何をしているのかわからなくなる。

 成功してしまう。

 だから怖い。

 けれど、そのままでいたくない。

 失敗できないなら、せめて理由を知りたい。

 結果だけではなく、自分の手で魔法を扱えるようになりたい。

 そのために、ここへ来たのだ。


 ――案内された先は、学院の講堂だった。


 高い天井。

 磨き込まれた床。

 壁に刻まれた魔術紋。

 窓から差し込む光は、白い石に反射して淡く輝いている。


 新入生たちは、決められた席へ順に座っていった。

 ユリスも職員に示された列へ進み、指定された席に腰を下ろす。

 周囲から、小さな話し声が聞こえた。


「基礎魔術適性測定って、五日間かけてやるんだろ?」


「ええ。魔力量だけじゃなくて、制御や術式理解も見るらしいわ」


「成績が良ければ、上位クラスに入れるんだよね」


「入学試験ではないって聞いたけど、かなり重要らしいわ」


 ユリスは、その言葉に少しだけ肩をこわばらせた。


 基礎魔術適性測定。

 王立魔術学院の新入生全員が受ける測定。

 入学の合否を決める試験ではない。

 だが、クラス分けや指導方針、魔術系統の適性を見るための重要なものだと聞いている。


 測られる。


 自分の魔力が。

 自分の制御が。

 自分の理解が。

 そして、自分でもわからないあの力が。


 ユリスは膝の上で拳を握った。


 そのとき、講堂の前方が少しざわめいた。

 視線を向けると、数人の新入生が入ってくるところだった。

 その中に、ひときわ目を引く少女がいた。


 銀色の髪が、背中へまっすぐ流れている。

 青い瞳は冷静で、周囲に流される様子がない。

 整った顔立ちは人形のようで、立っているだけで周囲の空気が変わる。


 貴族令嬢。


 ユリスは、そんな言葉を思い浮かべた。

 彼女の隣には、オレンジ色の髪を軽やかに揺らす少女がいた。

 明るい茶色の瞳で周囲を見回し、何かを話しかけている。

 銀髪の少女が静かな月明かりのようなら、こちらの少女は明るい陽だまりのようだった。


 さらに少し後ろから、赤い髪の少年が歩いてくる。


 赤い瞳。

 自信のある足取り。

 仕立ての良い服を自然に着こなし、周囲の視線にも慣れている。

 彼は銀髪の少女の近くに立つと、柔らかく何かを話しかけた。


 二人が並ぶと、不思議なほど学院の景色に馴染んで見えた。

 白い石造りの講堂も、整った服も、周囲の視線も、彼らにとっては自然なものなのだろう。


 ユリスは思わず、自分の袖口を見た。

 村を出る前に、母が丁寧に整えてくれた服だ。

 決して悪いものではない。

 ただ、この場所にはまだ少し慣れていない。

 あちらは、王都の空気を自然にまとっている人たち。

 自分は、これから慣れていけばいい。

 そう思い直して、ユリスは小さく息を吐いた。


 やがて講堂のざわめきが静まった。

 壇上に、教師たちが姿を見せたからだ。


 中央に立ったのは、黒い短髪の中年の男性だった。

 銀色に近い白い瞳。

 穏やかな表情をしているのに、不思議と誰も逆らえないような威厳がある。

 ただ立っているだけで、講堂全体を見渡しているようだった。


「新入生諸君。王立魔術学院へようこそ」


 低く、よく通る声が響いた。


「私は、学院長のオルディス・レイヴァンだ」


 その名を聞いて、周囲の生徒たちがわずかに姿勢を正した。

 ユリスも慌てて背筋を伸ばす。


 オルディス学長は、ゆっくりと講堂を見渡した。

 一瞬、その銀に近い瞳がユリスのほうを向いた気がした。

 気のせいだろう。

 そう思ったのに、ユリスの背中に冷たいものが走った。


「君たちは今日から、この学院で魔術を学ぶ。だが、最初に覚えておいてほしいことがある」


 オルディス学長は言った。


「魔術とは、結果だけを見るものではない」


 ユリスの指先が、ぴくりと動いた。


「術式を組み、魔力を流し、失敗し、考え、修正する。その積み重ねによって、魔術師は成長する」


 講堂は静まり返っていた。

 ユリスは、その言葉を胸の奥で繰り返した。


 失敗し、考え、修正する。


 それはきっと、普通の魔術師にとっては当たり前のことなのだろう。

 けれど、自分にとっては簡単ではない。

 失敗しようとしても、魔法は勝手に成功してしまう。

 だから、何が間違っていたのかわからない。


 学長の言葉は、新入生への励ましだった。

 それでもユリスには、自分がこれから向き合わなければならない課題を示されたように聞こえた。


「明日より五日間、基礎魔術適性測定を行う」


 学長の声が続いた。

 講堂に、再び小さなどよめきが広がる。


「これは君たちを落とすための試験ではない。君たちがどのような魔術に向いているのか、どのような指導が必要なのかを知るための測定だ」


 壇上の端に立っていた茶髪の女性教師が、一歩前へ出た。

 緑色の瞳をした、穏やかな雰囲気の教師だった。


「測定は、学院の安全結界内で行われます」


 女性教師は、柔らかな声で説明した。


「魔法の暴発や余波が外へ漏れないよう、測定会場には専用の結界が張られています。ですから、必要以上に怖がる必要はありません」


 その言葉に、何人かの生徒がほっとした顔をした。

 ユリスも少しだけ息を吐いた。


 失敗しても、周囲に被害は出ない。

 そういう場所なら、少しは安心できるかもしれない。

 けれど、すぐに別の不安が胸に浮かんだ。


 失敗できるなら、まだいい。

 ユリスの問題は、そこではない。

 自分は、失敗することすらできない。


 女性教師の隣で、金髪の男性教師が腕を組んでいた。

 肩口まで伸びた金髪。

 鋭い青い瞳。

 その目は、甘さを許さないものだった。


「ただし」


 金髪の教師が低い声で言った。


「安全結界があるからといって、無謀な魔法行使を許すわけではない。測定は遊びではない。自分の魔力を扱う責任を忘れるな」


 講堂の空気が、少し引き締まった。

 ユリスはその言葉に、思わず息を詰めた。


 自分の魔力を扱う責任。

 それができるようになりたいから、ここへ来た。


 説明は、さらに続いた。

 五日間の測定。


 一日目は、基本能力測定。

 魔力量と、魔力制御を見る。


 二日目は、理論・術式測定。

 術式をどれだけ理解し、補い、組み立てられるかを確かめる。


 三日目は、属性・発動測定。

 どの属性に適性があるのか、どれほど速く、安定して魔法を発動できるのかを見る。


 四日目は、実技・応用測定。

 実際の課題の中で、魔法をどう使うかを測る。


 そして五日目は、特殊測定と最終判定。

 必要と判断された者には、通常の測定では見えない性質まで調べるという。


 教師の説明を聞きながら、ユリスは視線を落とした。


 魔力量。

 制御。

 理論。

 属性。

 実技。


 どれも、自信があるとは言えない。

 けれどユリスが一番怖かったのは、そこではなかった。

 もし、自分でもわからないあの力まで測られたら。

 そのとき、いったい何が記録されるのだろう。


 周囲の生徒たちは、期待に満ちた顔をしている。

 自分の得意分野を見せたい者。

 上位クラスを狙う者。

 家名に恥じない結果を出そうとしている者。


 ユリスも、不安だけを感じているわけではなかった。

 ここでなら、何かわかるかもしれない。

 自分の魔法が、どう測られるのか。

 中途半端な術式でも成功してしまう力は、測定ではどう見えるのか。

 優秀と判断されるのか。

 それとも、異常と判断されるのか。


 わからない。

 でも、わからないままでいるよりはいい。


 やがて説明が終わり、新入生たちは順に講堂を出るよう指示された。

 明日から測定が始まる。

 その言葉だけが、ユリスの胸に残っていた。


 席を立とうとしたとき、近くを銀髪の少女が通り過ぎた。

 青い瞳が、ほんの一瞬だけユリスを見た。

 冷たいわけではない。

 けれど、何かを見極めようとするような視線だった。


 ユリスは少しだけ姿勢を正した。


 その隣で、オレンジ髪の少女が銀髪の少女に小声で話しかけている。

 赤髪の少年は少し離れたところから、銀髪の少女を気にするように見ていた。


 それぞれが、それぞれの場所にいる。

 ユリスはまだ、自分の立ち位置を知らない。

 けれど、それはこれから見つければいい。


 学院の廊下に出ると、窓から白い光が差し込んでいた。


 そのとき、遠くで鐘が鳴った。

 音は、王都の中心にそびえる白塔の上部から響いているらしかった。

 けれど、不思議とただの鐘の音には聞こえない。

 王都を覆う淡い結界そのものが、静かに震えているような音だった。


 王都に来た。

 学院に入った。


 もう、村を出る前の自分とは違う場所にいる。

 明日から、自分の魔法が測られる。

 自分でもわからない力が。

 誰かに、数字や結果として示される。


 不安はある。

 けれど、それだけではなかった。


 ここから何かが始まる。

 そんな予感も、確かにあった。


 ユリスは小さく息を吸った。


「……変わるんだ」


 誰にも聞こえない声で、そうつぶやく。

 返事の代わりに、鐘の余韻だけが廊下に残っていた。

 王都を覆う淡い結界の光は、静かに揺れていた。


 翌日から始まる基礎魔術適性測定。


 ユリスはまだ知らない。

 そこで示される結果が、彼を安心させるものではなく、さらなる違和感の始まりになることを。

 そして五日間の測定の果てに、自分の魔法が、ただの才能でも、ただの欠点でもないと記録されることを。


 まだ、誰も知らなかった。

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