第13話 理論・術式測定 ②
「第二測定に移る」
測定官の声で、測定室の空気がまた張り詰めた。
第一測定が終わったばかりだというのに、新入生たちの顔にはすでに疲れが見えている。
魔法を撃ったわけではない。
走ったわけでもない。
それでも、術式を読み、考え、答えを示すという行為は、思っていた以上に神経を削った。
ユリスは、まだ台座の方を見ていた。
セリア・ノルフェイン。
彼女が反動線を読んだ瞬間の、測定官たちの反応が頭から離れなかった。
同じ術式を見ていたはずなのに、セリアには別のものが見えていた。
火が灯るかどうかではなく。
火が灯ったあと、術式が崩れないか。
そこまで見ている。
ユリスには、それが遥か遠い場所のように感じた。
「第二測定。術式補完測定」
測定官が告げる。
「欠けた基礎術式を読み、発動可能な形へ補え。ただし、必要以上の補助線を加えてはならない。術式を大きくすればよいわけではない。最小限の修正で、正しく成立させること」
出題板の白い靄が、静かに揺れた。
完成済みの術式を読むだけだった第一測定とは違う。
今度は、足りない線を自分で見つけなければならない。
ユリスは、喉の奥が詰まるのを感じた。
欠けているものを、補う。
足りないものを、正しく足す。
それは、昨日からずっと自分に突きつけられている言葉のように聞こえた。
欠けている。
足りていない。
だから、うまくいかない。
けれど、ユリスの魔法はいつもそこで終わらない。
欠けたまま。
足りないまま。
それでも、なぜか結果だけが成立してしまう。
それが一番、怖かった。
「レオン・グランフィール。台座へ」
レオンが前へ出た。
彼の歩き方には、迷いがなかった。
台座に立ち、学院標準杖を構える。
出題板に術式が浮かび上がる。
ユリスの位置からは見えない。
けれど、レオンの表情は変わらなかった。
「始め」
白い靄が広がり、筆跡遮蔽膜が展開される。
レオンの杖先が動いた。
速い。
ただ速いだけではない。
一度も戻らない。
一度も迷わない。
必要な線を見つけ、そこへ当然のように線を足していく。
まるで、欠けた場所が最初から光って見えているかのようだった。
測定官たちは何も言わない。
ただ、記録用水晶板に映る反応だけを追っている。
ほどなくして、レオンが杖を下ろす。
筆跡遮蔽膜の向こうで、出題板の光が静かに落ち着いた。
「終了」
測定官が記録用水晶板を確認した。
「補完箇所、正答。補助線過多なし。流路安定」
水晶板に淡い青の光が走る。
「術式補完、Ⅳ。上位」
また、周囲から感嘆の声が漏れた。
レオンは当然のように一礼し、列へ戻る。
その横顔には、喜びよりも静かな自負があった。
正しく読み。
正しく補い。
正しく結果へ至る。
あれが、魔術師なのだと思った。
「セリア・ノルフェイン。台座へ」
セリアが進み出る。
測定室の空気が、わずかに変わった。
先ほどの第一測定で、全員が彼女の異常さを見てしまったからだ。
レオンのときとは違う。
期待というより、緊張に近い。
今度は何を見せるのか。
そんな空気だった。
「始め」
セリアの杖先が動いた。
静かだった。
だが、ユリスには分かった。
速さなら、レオンも速かった。
けれどセリアの動きは、速いというより、余計な時間が存在しない。
最初から最後まで、ひとつの細い流れのようだった。
測定官たちは何も言わない。
ただ、記録用水晶板に映る反応を見つめている。
それでも、記録用水晶板に走る光の変化だけは、ユリスにも見えた。
淡い白。
細い青。
そして、わずかな輝き。
セリアは、欠けた線そのものではなく、欠けたことで魔力がどこへ偏るかを先に見ているようだった。
欠けた線を足す。
流れを整える。
余った魔力の逃げ道を、ほんの少しだけ広げる。
それは、魔法を強くするための補完ではなかった。
崩れないようにするための補完だった。
最後に、セリアの杖先が術式の外周を軽くなぞった。
出題板の白い光が、澄んだ色に変わる。
「終了」
セリアが杖を下ろす。
その瞬間、測定官の一人がようやく口を開いた。
「……補完線を入れる前に、欠損理由を示したのか」
別の測定官が、記録用水晶板へ視線を向けたまま続ける。
「欠けた線だけではない。欠けたことで生じる反動の偏りまで補正している」
セリアは静かに杖を下げたまま、何も言わなかった。
測定官はしばらく記録用水晶板を見つめていた。
「補完箇所、完全。欠損理由、正答。反動経路、適正化」
一拍、間が空く。
「術式補完、Ⅴ。特位」
今度は、誰もすぐには声を出さなかった。
特位。
第一測定に続いて、また。
セリアは表情を変えない。
褒められて当然という顔ではなかった。
むしろ、結果が出たことそのものより、術式の方をまだ見ている。
あの線は、本当にこれで安定するのか。
そんなふうに確かめているようだった。
「ユリス・フォルク。台座へ」
名前を呼ばれた瞬間、ユリスの胸が沈んだ。
足が重い。
だが、進まないわけにはいかなかった。
台座に立つ。
出題板に、欠けた術式が浮かび上がった。
第一測定の灯火とは違う。
今度は、水を形にするための基礎術式だった。
おそらく、水球。
手のひらほどの水を生み出し、丸くまとめ、一定時間だけ形を保つための術式。
火を灯す術式より、線の動きが柔らかい。
中央で水を作り、外側で形を保ち、余った魔力を細い線で逃がす。
たぶん、そういう構造なのだと思う。
だが、どこが欠けているのか。
どこを補えばいいのか。
ユリスには、分からなかった。
「始め」
測定官の声が遠く聞こえた。
筆跡遮蔽膜が白く広がる。
外からは、ユリスの手元も解答も見えない。
ユリスは杖を構える。
欠けている場所。
足りない線。
発動可能な形。
そんなもの、見ただけで分かるわけがない。
レオンのように、正しい線が見えるわけでもない。
セリアのように、反動の逃げ道まで読めるわけでもない。
ユリスは、ただ術式を見つめる。
線。
線。
途切れた線。
どれも同じに見える。
けれど。
また、あった。
右下。
第一測定で嫌な感じがした場所に近い。
今度はそこから、中央へ向かう線が欠けているように見える。
普通なら、そこを繋ぐべきなのだろう。
魔力を中央へ流すために。
水を形にするために。
結果を出すために。
だが、ユリスはその線を見て、喉の奥がひゅっと縮むのを感じた。
そこを繋いだら、たぶん水球はできる。
だが、そのあと何かが詰まる。
水は丸くまとまる。
けれど、その内側に押し込められた魔力が、逃げ場をなくして膨らんでいく。
膨らんで、歪んで、最後には別の場所を裂く。
理由は分からない。
分かるはずがない。
それなのに、嫌だった。
ユリスの杖先は、本来繋ぐべき中央の流路へ向かわなかった。
代わりに、外周へ向かう細い補助線をなぞった。
途切れていた逃げ道を、少しだけ広げるように。
出題板の光が、不安定に揺れた。
一瞬、低い赤が混じる。
測定官の一人が、目を細めた。
けれど、何も言わない。
ユリスは、ますます自分が間違えた気がした。
だが、記録用水晶板の奥で、別の光が走っている。
赤ではない。
青でもない。
濁った白のような光。
測定官たちは、その光を見ている。
止められたわけではない。
終了を告げられたわけでもない。
なら、まだ解答は続いている。
ユリスは息を呑み、もう一度、出題板へ向き直った。
間違っているのに。
なぜ、まだ終わらない。
分からないまま、ユリスはもう一本だけ線を足した。
中央へ向かう主流路ではなく、その横にある細い反動線へ。
術式としては、きっと不完全だった。
発動するための線を補っていない。
結果へ向かう道を作れていない。
けれど、その術式は、壊れ方だけは少しだけ変わった気がした。
「終了」
測定官の声が響いた。
ユリスは杖を下ろす。
手のひらが汗で湿っていた。
筆跡遮蔽膜の向こうで、出題板の光がゆっくり薄れていく。
測定官たちは記録用水晶板を見ている。
誰もすぐに評価を告げなかった。
その沈黙が、昨日よりも怖い。
やがて、担当測定官が口を開いた。
「補完箇所、不正確。主流路未補完。発動条件、不成立」
当然だった。
ユリスは目を伏せる。
「術式補完、Ⅱ。下位」
下位。
ユリスは、思わず顔を上げた。
低位では、ない。
あれだけ間違えたのに。
発動させるための線を補えず、主流路も繋げられなかったのに。
それでも、最低評価ではなかった。
理由は分からない。
けれど、測定官の表情は少しも和らいでいなかった。
「ただし、反動経路の指定に一部適性反応あり」
その言葉に、耳を疑った。
反動経路の指定に一部適性反応あり。
自分は、正しく補えなかった。
発動させる線を見つけられなかった。
それなのに、別の何かだけは反応した。
ユリスは列に戻りながら、出題板の白い靄を見た。
あれは、何だったのだろう。
その後も、第二測定は順に進んだ。
正しく補える者もいれば、線を足しすぎて術式を重くしてしまう者もいた。
中には、発動可能にはなっているが、反動線を塞いでしまい評価を落とす生徒もいた。
測定官たちは淡々と評価を下していく。
上位。
標準。
下位。
低位。
その言葉が、測定室の中に積もっていった。
やがて、最後の生徒が台座を降りる。
「第二測定、終了」
測定官が告げた。
新入生たちの間に、小さな息が漏れる。
だが、休む時間は長くなかった。
「第三測定に移る」
その声に合わせて、出題板の奥で白い光が揺れた。
次は、欠けた術式を補うのではない。
何もない場所に、自分で術式を組む測定だった。
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