冗談じゃない!
その日は、珍しく砂原の方から誘ってきた。
「日下部さん、今日飲みません?」
「いいな。どこ行く?」
「駅前のあの居酒屋、行ってみたいんですよ」
カウンター席に並び、ビールを注ぎ合う。
酔いが回るにつれ、仕事の愚痴やくだらない笑い話が増えていった。
グラスの氷が溶けていく音だけが、間を埋める静かな時間もあった。
店を出たのは終電が近い時間。
冷たい夜風が頬に刺さる。
駅へ向かう道すがら、俺は何度も口を開きかけては閉じた。
言葉にしたら、すべてが壊れる気がして。
だが、ホームへ向かう階段の手前で、ついに口が動いた。
「なあ、砂原……」
「はい?」
「もし……付き合うとか無理でもさ。割り切りでいいから……そういう関係になれないか」
風の音が急に遠ざかったような気がした。
砂原の足が止まる。
振り返った彼の顔から、笑みが消えていた。
「……日下部さん、それは……できません」
「なんでだ。お前だって、俺といて楽しいだろ?」
「楽しいですよ。でも、それはそういうことじゃないです」
「割り切りでいいって言ってるんだ」
「そういう問題じゃないです」
彼の声は静かだったが、その静けさが胸に突き刺さる。
俺は視線を逸らし、駅の時計を見上げた。
針が無情に進んでいく。
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電車に揺られながら、彼の横顔を盗み見た。
さっきまで隣にあったはずの温かい空気は、すっかり冷えていた。
それでも、俺は話を逸らすように笑いながら言った。
「ま、冗談だよ」
「……そうですか」
その返事の間合いが、やけに長く感じた。
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駅で別れたあと、改札を抜ける砂原の背中をずっと目で追っていた。
見えなくなった瞬間、ようやく足が動いた。
胸の奥に残ったのは、拒絶の痛みと、諦めきれない熱だった。