ハッピーホリデー
「日下部さん、映画って好きですか?」
金曜の夕方、デスクを片付けていると、砂原が声をかけてきた。
顔を上げると、パソコンのモニターの向こうから、少し照れたような笑みが覗いている。
「……まあ、嫌いじゃない」
「日曜、時間あったら行きません? ちょうど観たいのがあって」
「俺と?」
「はい。他に誘える人いないんで」
軽い口調。たぶん本当に深い意味はない。
でも、その一言で週末の予定は決まった。
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日曜。待ち合わせ場所は駅前のロータリー。
冬の空は快晴で、風だけが冷たい。
十分前に着いた俺は、行き交う人の中から彼の姿を探した。
「あ、日下部さん!」
声に振り向くと、手を振る砂原がいた。
会社では見ない、ネイビーのダウンジャケットに黒いパーカー。
髪は少し寝癖がついていて、それすら自然体で似合っている。
足元は白いスニーカー。歩くたびに軽やかに音がした。
「悪い、待たせました?」
「いや、俺も今来たとこ」
――嘘だ。十分前から待ってた。でもそんなことは言わない。
映画館までは歩いて五分。
ポスターを眺めながら、彼は子供みたいな表情で言う。
「この主演の俳優、昔から好きで。アクションもできるし演技も上手いんですよ」
「詳しいな」
「俺、映画オタクなんで」
会話のテンポが心地いい。
チケットを買うとき、俺は自然に財布を出した。
「いや、割り勘でいいですよ」
「いいって。誘ってもらったお礼」
「じゃあ……ありがとうございます」
素直に受け取るその笑顔が、少し眩しい。
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上映中、暗闇の中で彼の横顔を盗み見た。
スクリーンの光が頬に反射して、まつ毛の影がくっきり落ちている。
笑う場面では口元がわずかに上がり、真剣なシーンでは眉間に皺を寄せる。
それだけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
映画が終わると、彼は子供みたいに興奮していた。
「いやー、最高でした! あのカーチェイスのとこ、ヤバくなかったですか?」
「ああ、迫力あったな」
「また別の作品も一緒に観たいなぁ」
「……いいよ。いつでも」
映画館を出ると、風が少し冷たくなっていた。
そのまま俺たちは駅前の定食屋に入った。
ハンバーグ定食と生姜焼きを頼み、湯気の立つ味噌汁をすすりながら、仕事の話や学生時代の話をした。
「日下部さんって、あんまり自分のこと話さないですよね」
「そうか?」
「うん。でも、俺はけっこう気になりますよ」
そう言われて、心臓が小さく跳ねた。
――気になる、なんて。そんなこと言われたら。
会計のときも、俺は自然に財布を出した。
彼は「また奢られちゃった」と笑っていた。
その笑顔が、やけに胸に残った。