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シタタリ様

作者: 野蒜

「ねぇ知ってる?あそこのダム」


「声が聞こえるんだろ?」


県外のとあるダム湖周辺の夜、彼女のそんな語りかけに、彼氏は車を駆けながら流すような口調で返すと、彼女はムクれる。


「その話、続きあるんだよ?」


そう言ったところで、街灯も途切れ途切れな堤防沿いに、重く湿った闇が広がり、車のライトはその水面に吸い込まれるように溶けた。


辺りには道を照らす疎らな街頭のみがあり、空は鉛色に膨らみ、どこからともなく土と苔の匂いが鼻についた。


「声が聞こえた時、この湖を覗き込むとね、居るんだって」


彼氏はいつの間にかそんな話に聞き耳を立て、思わせぶりな言葉に思わず聞き返そうとするが、その時、なぜ自分がここに来たのかと疑問を持ちだした。


旅行ではない、仕事帰り、県をいくつも越え、なぜここに来たのか、会社から真っ直ぐ来たはずなのに、なぜ彼女はここにいるのか。


「冷たいダム湖の奥底に、干からびた人が」


そう言って窓の外を眺めていた彼女が、彼氏の方を見ると、彼氏は車を止めた。


長い沈黙が流れ、ダム湖の波打ちと、カエルの鳴き声が鳴り響く中、彼女の顔を1点に見つめていた彼氏の頬を、一筋の涙がこぼれ落ちる。


「あぁ、お前だったんだ」





真夜中、蛇口をひねると水音が返ってきた、だがコップに溜まった液体は水ではなかった。


混ざり気のある、ぬるついた何かが、夜の台所で優斗を見つめていた。


「……まただ」

その瞬間、背後からかすれた声が聞こえた。


「ゆうと……」






「ダムって夜中に通るだけで呪われるとか、ある?」


「あるわけないって、そんなんだったら日本中呪われてるよ」


優斗のその言葉に、助手席の明人が笑いながら答えた。

深夜、男三人で思いつきのドライブに出て、気づけば県境の山奥。

ナビの指す先には、ダム湖を横切る一本の道路が伸びていた。


運転しているのは優斗。

明人のほか、後部座席には大志がいて、缶コーヒーを片手にウトウトしている。


「でもさ、聞いたことあるんだよね、ここ通った人が、自分の名前呼ばれたって話」


明人が窓の外を覗き込みながら言う。

その口ぶりは軽かったが、優斗はふと身体に冷たいものが走るのを感じた。


車がダムの上に差しかかる。

左右には柵の低い欄干、その向こうには深く黒い水面が広がっていた。


「……ゆうと」


誰かがそう呼んだ気がした。

本当に、ほんのかすかに。

男の声でも、女の声でもない、ぬめった水の底から泡のように湧くような声だった。


「ん、どうした?」


明人が言った。

優斗はハンドルを握ったまま、目だけで後方を確認する。

大志は眠っていて、車内には他に誰もいない。


「……いや、なんでもない」



数日後。


「なあ、あの夜さ、変な声聞こえなかった?」


優斗は休憩中の食堂で明人に尋ねた。

箸を動かしていた明人は、顔をしかめる。


「夜中に変な声って? 大志の寝言じゃね?」


「違う、ダム渡ってる時……誰かが俺の名前を呼んだんだよ」


一拍の沈黙。

だが明人は、冗談だとでも思ったのか笑いながらご飯をかき込んだ。


「優斗、寝不足すぎんだろ、もしくはラジオでも混線したんじゃね?」


「いや……」


優斗はそれ以上言えなかった。

あの夜から、夜中に目が覚めるたび、耳の奥に水音が残っている。


 


真夜中。

優斗は喉の渇きで目を覚ました。


台所に立ち、蛇口をひねる。

コップに注がれたのは、水ではなかった。


透明ではあるが、粘度を感じさせる動き。

光を当てると底に何かが揺れていた。

沈殿した泥のようなもの。いや、それ以上に……目を凝らすと、揺れる“瞳”に見えた。


「……まただ」


呟いた瞬間。


「ゆうと」


背後から声が聞こえた。

濡れた息のような、かすれた囁き。


優斗は振り返った。

だが、誰もいなかった。

蛇口を止めていないのに、水の音は、いつの間にか止まっていた。



 その翌日。

駅のベンチで電車を待っていると、隣に誰かが腰を下ろした。


「優斗」


振り返ると、美由紀だった。

高校時代の友人で、あの夜、後から合流したはずの——


「びっくりした、連絡なかったから」


「……お前、あのときいたっけ」


「うん、少し遅れて合流して……でも、あのダム通った時、変な声が聞こえたの」


優斗は息を止めた。


「聞こえた? 名前とか……」


「うん、たしかに聞こえた、優斗の名前」


彼女の目はまっすぐに自分を見ていた。

嘘をついているようには見えなかった。


「調べてみない? あのダムに、なにがあるのか」



ダムを通ったあの日から、優斗の耳にはずっと、水の音が残っていた。

夜中に目を覚ませば、蛇口から濁った液体が出る。

その水の底に揺れていたのは、誰かの目だった。


「これはおかしい」


そう思っても、口に出せば笑われる。

明人も、大志も、誰一人として信じてくれなかった。


ただ一人、美由紀だけが同じ声を聞いていた。

 


優斗と美由紀は、地元図書館やネットでダムの過去を探り始めた。

だが、その場所には特筆すべき事件も事故も起きていない。

ただの灌漑用のダム。

工事も順調に完了し、事故者ゼロ。


「なんか……逆に気味悪いよね」


「何もない、ってことが?」


「うん、“何もなかった”ってことにされてる気がする」


 

二人はダムの近隣にある古い集落を訪れ、聞き込みを始めた。


宿を取ったが何故か1人用の部屋に通され、2人は何かの間違いだろうと思ったが、優斗はこれはチャンスと部屋を変えなかったし、美由紀も満更でも無い様子だった。


最初に出向いたのは、年老いた神主だった。


「ダムの上で名前を呼ばれたんです……それからずっと、水もおかしいし、あのダムに何かあるんじゃ!!」


優斗は苦しんでいた、それは無理もない、水道だけでなく、ボトルの水や、今や川に至るまでも、手や口に着いた瞬間に、まるでタールのような口触りと、腐った野菜とドブを彷彿とさせる味が口に広がり、悪臭が鼻を抜ける。


それに加え、昼夜は勿論、寝ている時までも聞こえる声、縋るかのように問うと、ずっと口をつぐんでいた神主はようやく口を開いた。


「シタタリ様のことか……」


神主は口をつぐんだ。

しかし、長い沈黙の末、ぽつりぽつりと語り始めた。


「あの山にはな、かつて“村”があった、名を“シタタリ村”という」


「ダムになる前ですか?」


「信仰の深い村だったよ、“水の神”を祀っていた」


「それが……シタタリ様?」


「水が滴る音、“したたり”が神の声だったんだ、静かな場所だったが……」


神主は、そこで言葉を切る。


「それも全部、終わった、終わらせられたんだよ」



二人はさらに調べを進め、村の名前はおろか、そこに何かがあったことすら言及がない、公式記録から抹消されていることを突き止めた。


しかし、これは結局憶測の域を出ない、何もそれが証拠になり得ないと、優斗と美由紀は苦悩しながらも、ただ資料館や図書館を通い詰め、引き続き村での取材を続行したが、めぼしい情報を得る事は出来なかった。


それでも諦めずに、村で聞き込みをする、しかし向けられるのは、まるでゴミを見るかのような冷ややかな目線。


それに加え、村人たちはそんな優斗と美由紀の事なのか、ヒソヒソと何かを話しているようでもあった。


もうここで得られるものは無いのかと諦めかけていたた時だった、一人の中年男性に呼び止められる、ジャーナリストと名乗る塚原だった。


彼は長年、シタタリ村とダム建設の裏側を調査してきたと語った。


「君たち、深入りしすぎるなよ」


「何か知ってるんですか?」


塚原は重いため息を吐きながら、資料の詰まったファイルを差し出した。


「昔な、あの地域は“開発適地”とされていた。だけど、村人たちは反対した。神域だからって」


「……それで?」


「潰されたんだよ、村ごと、水没という名目で、反対者は“行方不明”になった」


 

優斗は喉の奥が冷たくなるのを感じた。

美由紀はじっとファイルを見つめ、表情を強ばらせている。


「つまり、信仰していた神様も、村人も、水の底に沈められたってこと……?」


塚原はうなずいた。


「祟りってのはな、感情の問題だ、誰かが“見た”って言えば、それが真実になる」


「俺、見ました」


「……なんだって?」


「聞こえたんです、自分の名前を、あのダムの上で」


塚原の顔から血の気が引いた。


「まずいな、それは」


「どういう意味ですか」


「それが聞こえるのは……“選ばれた者”だけだ」


塚原はそれだけ言うと、調査を一旦止めるよう勧めてきた。

しかし数日後、彼は消息を絶った。

その最後の足取りは、ダムのふもとの村長宅だった。



優斗は、美由紀とともに村へ向かった。

村は静まり返っていた。

人気もなく、窓も戸も閉じきられている。


やがて一軒だけ、煙の上がる家を見つける。

出てきたのは、目の鋭い老人だった。

彼がこの地域の村長だという。


「塚原のことを聞きたい」


「知らん」


「ここに来たはずだ」


「関係のない者がこれ以上首を突っ込むと……祟られるぞ」


村長はその一言で玄関を閉めた。


 


「祟られる、って……」


「シタタリ様のことだよ、きっと」


美由紀はつぶやいた。

彼女の横顔は、かつて高校時代に見た、あの日のままの姿だった。

あの日、自分が——


 


記憶の奥で、何かが軋む音がした。


「なぁ、美由紀」

「ん?」

「お前……あの頃、俺に何て言った?」

「え……?」


美由紀は、何も答えなかった。


その瞬間、優斗の中に押し込めていた“あの記憶”が、冷たい水のように滲み出してくる。


 

——告白した

——罵られた

——笑われた


 

なのに、今、目の前にいるのは……


記憶の波に押しつぶされそうになっている時、美由紀が優斗に語りかけるように話し出した。


「聞いたの」


優斗の名前を聞いたことなら知っていたが、美由紀の震える姿に尋常ではない恐怖を感じていることは分かった。


「聞いた?なにを」


「呼ばれたの、私の名前」


ゆっくりと振り返った美由紀は涙を浮かべ、口を震わせていた。


そんな美由紀を抱き寄せた優斗は、そのまま耳打ちするように、宿に戻ろうと言うと。


その前に、メモの1ページに何かをかき、引きちぎり、引き戸の下から玄関へと滑り込ませる。



優斗はその夜、美由紀を宿に残し、ダムにただ1人佇んでいた。


辺りは初めてここに来た時の同じだった、道を照らす疎らな街頭のみがあり、空は鉛色に膨らみ、どこからともなく土と苔の匂いが鼻についた。


あの時と違うのは、静かに振り続ける雨だった。


その時、雨音とダム湖の波の音と他に、1人の足音が聞こえる、それに気づいた優斗は目線を向けると、そこには村長が居た。


しかしその手には散弾銃がある。


「俺が殺したのを知っている……何を知ってるってんだ」



村長はゆっくりと散弾銃を構えると、そう問いただした。


「あんただろ、シタタリ村の事も、ダムのことも、塚原さんのことも、全部全部、あんたなんだろ」


そんな言葉に、村長は笑うと、ゆっくりと話し出した。


「俺の親父の代の話だ、ダムを建てれば金が手に入る」


「だからって、村の人たちごと!!」


優斗の訴えは、村長の放った銃撃で遮られる、しかしこれは当たることなく、空の彼方へと鳴り響いただけだった。


「もとよりシタタリ様ってのも気持ち悪くて仕方がなかったんだよ!!」


今度は優斗は口を出すことはなかった、その剣幕に、悲惨で、辛い、並々ならぬ過去を見たから。


「罪を見出す神?豊かさの神?そのせいで、そのせいで俺がどんなに、どんなに……だからやったんだ、建設会社も駐在も丸め込んだ、俺はやってやったんだ!」



ゆっくりと近づく村長、その時、ダム湖の魚が跳ねたことに一瞬気を取られた村長を、銃ごと抑えるように倒す優斗、呆気なく銃をうばえた優斗は、映画の見よう見まねで構えると、雨足は更に強くなりだす。


「そのせいで苦しんだ奴だって居るんだよ!!あんたが何をされたんだか知らないけど!!俺と美由紀は関係ないだろ!!」


二人の間に沈黙が流れ、カエルの声と雨、ダム湖の波打ち、そして土の香りが鼻を抜ける。


その沈黙を破ったのは、村長のかすれた弱々しい笑い声だった。


「そこまで来てたんだな」


その様子に優斗は戸惑うが、落ち着くのを待たずに村長は話し出した。


「俺もそうだった、ただ俺は……思ってもなかったんだ」




「元気にやってるかい?」


村長は宿の女将にいつもの優しげな声色で野菜を届けていた。


「元気も元気ですよ、それにね!久しぶりに若い男の子が泊まりに来たんですよ!!」


女将のそんな嬉しげな様子に村長も何処か嬉しくない、その男の子について聞くと、女将は答えた。


「何でも調べ事があるとかで、“おひとり様”で来られたんです」


「そうですかぁ、これを機に移住なんかしてくれたらいいんですがねぇ」


そう言って宿を後にした村長は、嫌な予感が脳裏を過った。




「俺と同じだよ、一生、あの腐った水と、声に苦しめられるんだ」


にわかに信じ難いその言葉に、優斗は散弾銃を脅すように構える。


「村の人たちに謝るんだ、自分のした事、罪から何まで全部!!」


そんな優斗の叫びを、村長は嘲笑いながら、カッターナイフをポケットから取りだし、優斗の方を見た時、その目を見開いて動きを止めた。


村長のその様子は、まるで怯える子供のようだった。


「カネ子ちゃん……なのかい」


村長の目に映るのは、白い割烹着を泥に汚した若い女性で、悲しげな顔で村長を見つめていた。


優斗も振り返ろうとしたが、振り返ってはならないと本能が告げ、ただ銃を構えたまま固まるしかない。


「俺、いや僕はただ、恥ずかしかっただけなんだ、それで……死ぬだなんて」


そう呟くと、村長は泣きながらカッターナイフを首に添わせる。


「ごめんよ、カネ子ちゃん、親父、ごめん、本当に」


そう呟いた瞬間、村長はカッターナイフで首を掻き切り、その場に目を見開いたまま、血を吹き出し、ブクブクと泡を立て、ゆっくりと倒れていった。


何が起こったのか分からないまま、優斗はただ呆然と立ち尽くしていたが、許しをこいながら死んで行ったことの元凶が死んだ、これで自分と美由紀の祟りは消えたはずと安堵した時。


「優斗」


自分を呼ぶ声がした、その声は美由紀のものだった。


「自殺した……もう祟りは大丈夫なはず」


そう言いながら優斗が振り返ろうとした時、全ての音が止んだ、カエルの声も、雨も止み、ダム湖の波打ちや、風も、全ての音が恐ろしいほど消え失せ、街頭が微かに鳴らす、低い電気の音だけが鳴り響く。


恐る恐る振り返り、そこに居たのは、美由紀のようで、美由紀ではなかった。


服装は美由紀そのものだったが、見える肌がまるで杉の幹のように干からび切っており、目のあったところには、ぽっかりと大きな穴があり、今にも吸い込まれてしまいそうだった。


その時、記憶のタガが外れた感覚を感じる。


高校卒業3日前、彼女に告白をした、しかし断られ、罵倒され、笑われ、消沈した自分に平手打ちまでされた時、怒りと悲しみと恥と痛みで、頭の中で何かが切れた気がした。


そこからのことはよく覚えていない、覚えているのは、彼女の死体を山に埋めたこと、それだけだった。


村人たちが何故自分を冷ややかにみていたのか、なぜ宿は1人用に通されたのか、なぜこのダムにみんなできた時、美由紀がいた記憶が曖昧だったのか、全て分かった気がした。


「そんな、美由紀」


「優斗、ゆうと」


その呼び声は、あの祟りの声そのものだった。

そして彼女は、美由紀などではなない。


「ごめん」


そう呟くよりも前に、優斗と目から水がぼれだした、それは、耳からも、口からも、爪の間、毛穴からすらも、まるで濁流のように流れ出す。


喉がグツグツと泡立ち、息も声も出せない。


吐き出そうとしても、出るのはどす黒い汚水だけだった。


「ごめん……な……」


その時だった、体から吹き出すどす黒かった汚水が、徐々に澄みきりだし、彼は最後にそう声を漏らすと、膝を折った。

そのまま、体は静かに、ダムの柵を超えて倒れ込んだ。


水音はしなかった。

まるで、最初から彼などいなかったかのように。



数日後、優斗の部屋に警察が入った。

姿はどこにもなかったが、部屋の中はすべて濡れていた。

ベッド、床、壁、天井に至るまで。

部屋の中心には、水が滴る音だけが響いていた。


ぽとん

ぽとん

ぽとん……



その後も、あのダムでは声が聞こえ続けているという。

それを聞いた者がどうなるかは、誰も知らない。

ただ、ひとつだけ言えることがある。


その声を──

「聞いた者」は、もう二度と、戻ってこない。


 


──完──





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