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第8話 新たな家族

 日が陰るまでに、私たちは十軒ほどの家を回った。

 熱病の患者、発疹ほっしんの患者、病の後遺症で咳が続く男、栄養不足で歯茎から血を流す壊血病の男。


 グレンクロフト先生はその一人ひとりに治療を施し、その治療法や効能の理由を丁寧に私に説明してくれた。


「一日で全てを覚える必要はありません。似たような症状に何度も接する中で、徐々に覚えていってください。壊血病の治療法は覚えていますか?」

「はい。松の葉の煎じ汁を飲ませ、犬薔薇イヌバラの実を食べさせます。松の葉の渋みと、犬薔薇の酸味が漏れ出る血を止めます。夏であれば、壊血病草(コクレアリア)を食べさせるか、煎じた汁を飲ませます。すぐに治癒するということはなく、症状の快癒には一週間ほどの期間が必要になります」


 私は、ついさっき先生から聞いた話をそらんじてみせる。

 先生は感心した表情を浮かべて、うんうんと頷いた。


「素晴らしい。エレナさんは物覚えが良いですね。それに確かな教育を受けてきた下地も伺える。ますます貴方あなたの正体が気になりますが……」

「先生……それは……」

「……分かっています。私には話せない、何らかの事情があるのでしょう。いつの日か、それを打ち明けてもらえることを期待していますよ」


 先生は穏やかな笑顔を顔に浮かべ、施療院への道を進んでいく。




   *   *   *




 施療院に戻ると、トムが扉の横に腰掛けて待っていた。

 革鎧を身に付けて腰に短剣を差し、背中には弓を背負っている。


「おや、どうされました? 怪我でもしましたか?」


 グレンクロフト先生が優しげな声を掛ける。


「ううん、そうじゃないんだ。今日は先生にお土産があるんだ。これ……」

「おぉ……? それは……! 山鶉ヤマウズラじゃないですか!」


 トムは袋の中から一羽の鳥を取り出して見せ、先生が嬉しそうな声を上げる。


山岳狼(カレグ・フィオフ)の討伐に向かう途中に小さな群れを見つけてさ、罠を掛けておいたんだ。帰りに見たら、二匹掛かってた。一匹あげるよ」

「素晴らしい……! 本当にありがとうございます、トム。貴方と友人でいてこれほど幸せなことはそうそう無いですよ。少し待っていてください。葡萄酒クラレットの小樽を新しく買ったのです。少し壺に分けますから、ぜひウズラと一緒に楽しんでください」

「ありがとう、先生!」


 先生は鶉を受け取ると、私が持っていた鞄をさっと手にとって、いそいそと施療院の中に入っていった。後に続こうとしたら、もう後は帰るだけだからトムと話でもして待っていなさいと一言。私はその言葉に甘えることにする。


山岳狼(カレグ・フィオフ)の討伐……? 凄いのね、トム。あなた、狩人だったの?」


 時に人を襲うことさえもある魔物の名前に、私は素直な驚嘆を声に乗せる。


「ううん、狩人じゃなくて冒険者なんだ。これでも青銅級だよ」

「私は冒険者の世界には詳しくないのだけれど、それは凄いことなのね?」

「うん。この街じゃたぶん最年少。弓の腕には自信があるんだ」


 トムははにかみながらそう言って、背負った弓をぽんと叩いた。

 そんな彼の様子に、私も思わず笑顔が漏れる。

 山鶉。貴族の食卓にもめったに上ることがない、貴重な冬のごちそう。それを自分たちだけで独占せず、惜しみなく人に分け与えるだなんて。


 アードグレン王国は人々が助け合う国。その言葉の示すところをさっそく目にすることができて、心の中がぽわぽわと温かい。


 山鶉はどんな料理になるのだろうか。パテ……は流石に無理だろう。丸焼きになるのか、それともソテーになるのか。

 そういえば今日はあまりにも忙しく、昼食を摂る暇も無かった。食べ物のことを考えた途端、急に空腹感が湧き上がってきて、お腹がくぅと鳴る。


「……今夜は、早めにご飯にしようか」


 トムが優しげに呟いて、思わず頬が熱くなった。

 かちゃりと施療院の扉が開いて、ちりんと鳴る鈴の音と共に先生が姿を現す。


「お待たせしました、トム。エリミアはさすがにまだ飲めないでしょうが、エレナも入れて三人で楽しむのに十分な量を入れてあります。いやぁ晩酌が楽しみですよ。トム、本当にありがとうございます」

「いつもお世話になってるお礼だよ、先生」


 満面の笑みで手を振るグレンクロフト先生と別れて、私たちは家路につく。

 家々から料理の煙が昇り始めた貧民街を、あかい夕陽が照らしていた。




   *   *   *




「ただいま~!」

「ただいま戻りました」

「おかえり、トム。あら、エレナさんも一緒なのね。おかえりなさい」


 扉を開けて中に入った私たちに、温かな声が掛けられる。

 家の中を見ると、台所で料理をしているリリィの姿が見えた。

 部屋の奥では、驚いたことにまだ十歳のエリミアが糸車を回している。


「リリィ、実はね、今日は山鶉が捕れたんだ!」

「やまうずら!」


 かたかたと聞こえていた、糸車の音が止まった。

 立ち上がったエリミアが、こちらにやってくる。


「まぁ! なら今夜はご馳走が作れるわね……! エレナさんと一緒に暮らすようになった記念に、なにか美味しいものを作りたいって思ってたの。素晴らしいわ、トム……!」

「えへへ、その言葉が最高のご褒美だよ。すぐに羽を(むし)ってくるからね。エレナは火炉ストーヴの前で温まっててよ……!」


 トムは袋から出した大きな山鶉をエリミアに見せながら、そう言って部屋の奥を手で指し示す。


「そういう訳にはいかないわ。何か手伝うことがあれば手伝わせて欲しいのだけど……」

「ありがたいわ、エレナさん。それじゃあこっちで野菜を切るのを手伝って頂けるかしら?」


 …………。うん。多分、多分できるはず。やったことはないけど。


「ま、まかせて。……頑張ってみる」

「……? うん、お願いね」


 トムはエリミアと連れ立って外に出ていき、部屋の中には私とリリィだけが残された。

 戦場に向かう戦士のような覚悟で台所へと向かう私に、リリィが告げる。


「折角の山鶉ですし、スープにしましょうか。玉ねぎは皮を向いてざく切りに、韮葱リーキも大きくざく切りに、人参は皮ごと半月状に切ってもらえると助かるわ」

「…………ごめんなさい! 実は私、包丁を握ったこともないの!」


 戦士の覚悟は両手を上げて降伏した。

 リリィが何とも言えないような顔つきで私を見つめる。


「そう……。なら、エレナさん。練習してみましょう!」




   *   *   *




「スープ、とってもおいしいね」

「おいしい」


 トムがスープを堪能するように味わい、エリミアがスープの中のお肉を食べながら幸せそうに呟く。


 私が野菜を切るのを手伝った、山鶉のスープ。お野菜の形がちょっといびつだけど、誰ひとりとしてそのことを悪く言わない優しさがここにはあった。


 食卓には、前日よりかなり豪華な料理の数々が並ぶ。


 韮葱リーキとにんにくの風味が味わいを引き立てる、山鶉のスープ。

 表面がかりっとするまで焼かれた、分厚い豚肉のベーコン。

 たっぷりのバターを添えた、オーツ麦のビスケット。


 そしてデザートにはなんと、蜂蜜とオートミール、そしてチーズを重ねたパフェ(クラナカン)


 並ぶものはどれも、伯爵家の食卓と比べても見劣りしないほどの美味しさ。

 グレンクロフト先生に頂いた葡萄酒クラレットとの相性も良く、食卓はまさに地上の喜びが凝縮されたかのよう。


「どれもすっごく美味しいわ……! リリィは私よりずっと若いのに本当に料理がお上手なのね……!」

「ありがとう、エレナさん。ママも普段は鉱山で働いていたからね。ご飯は私が作ることも多かったわ。ママが休みの日は一緒にご飯を作って、いろんな料理を教えてもらった。エレナさんに喜んでもらえて、きっとママも誇らしく思ってくれるはず」


 リリィはそう言うと、にっこりと笑いかける。

 彼女の心の中ではもう区切りが付いているのだろうけど、私は返す言葉に詰まる。


 そんな私の様子に気付いたのか、トムが今日の山岳狼(カレグ・フィオフ)狩りの様子を語り始めた。

 身を乗り出して聞くエリミアと一緒に、リリィと私も興味深くお話に耳を傾ける。


 美味しい食事に美味しいお酒、そして楽しげな会話。

 幸せな時間は、ゆっくりと過ぎていく。

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