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第7話 往診

第一章 「施療院の日常」はじまります。

 アードヴェイル島には三つの王国がある。


 島の南部の大部分を占める大国グリンヴェール王国、丘陵地帯に隔てられた東側のブリンヴァルス王国、そして島の北側、急峻な地形と厳しい冬が助け合いの文化をはぐくむアードグレン王国。


 私は、アードグレンに面した領地を治める、グリンヴェール王国の伯爵家の娘として生まれた。辺境の小領とはいえ、伯爵は伯爵。高位貴族の娘として、私は何不自由ない生活を送ってきた。


 だが、安寧の日々は突如終わりを告げる。


 父、エドワードが大逆たいぎゃくの罪に問われ、処刑されたのだ。

 国王陛下に反逆した罪は重く、その累は家族にも及ぶ。

 母、エレノアは直ちに私を脱出させることを決め、自らは討伐軍と戦うため領地に残った。


 家令のジェラルド、筆頭魔術師のリサ、侍女のハンナと共に逃避行に移った私だったが、その夜のうちに追手に補足され、リサとハンナは命を奪われる。そして、何とか私を逃がしてくれたジェラルドも、結局はその対価として自らの命を捧げることになり。


 ……私は、一晩のうちに一人ぼっちになってしまった。


 逃げ延びた先は、アードグレン王国の辺境の街、フェルクリフ。

 その城壁の外に広がる貧民街には、私を助けてくれる人たちがいた。


 ジェラルドの亡骸なきがらの前で途方に暮れる私に手を差し伸べてくれた、孤児の少年トム。そして、彼と共に暮らす同じく孤児のリリィとエリミア。


 彼らは自分たちの家に私を受け入れ、共に暮らそうと誘ってくれた。行く当ての無い私は、若干の後ろめたさを感じつつも、彼らの言葉に甘えることになる。


 そして、フェルクリフの貧民街で私は、もう一つの出会いに恵まれた。

 それは、教会の支援を受けた施療院で、無料で医療を施すグレンクロフト先生との邂逅かいこう

 患者と向き合い命を守るお仕事をする先生の真摯な姿に心打たれた私は、彼の助手に志願し、命を救うお手伝いをすることに決めた。


 リサ、ハンナ、そしてジェラルド。

 私を逃がすために失われた、三つの命。

 私は必ず、それ以上の命を救って見せる。

 ――そんな決意のもと。


 私の貧民街での生活は、幕を開けようとしていた。




   *   *   *




「本当に、それを全部持てますか? せめて半分だけでも私が持ちますよ?」

「だ、大丈夫です。頑張ります……!」


 ふぬぬ、と全身に力を入れて、私は大きな革の鞄を持ち上げる。

 中に入っているのは、包帯に薬草、生薬しょうやくやその他様々な器具。


 助手となるからには、せめて荷物持ちくらい……そう言って仕事を求めた私に、グレンクラフト先生は苦笑しながら鞄を任せてくれたのだ。


 ちなみに、瓶に入った薬や壊れると困る高価な道具などは、先生が自分で持っている。


「そうですか。まぁ、疲れたら私が代わりましょう。普段は私一人で持っていますからね。それでは、往診に行きましょうか」


 先生はこともなげにそう言ってみせると、扉を開けて足を踏み出した。


 グレンクロフト先生は屋内でも常に帽子を被っていて、帽子の下はぼさぼさの銀髪。年の頃はおそらく三十代の半ばぐらいで、ラベンダー色の瞳が優しげに輝く。


 長身痩躯な彼は、父に仕えた騎士たちと比べるとだいぶ見劣りする体格をしているけれど、それでも普段はこんなに重たい鞄を一人で持っているという。

 私は自分のあまりの力の無さに絶望する。せめてこれくらいは持てるようにならなければ。


 外に出ると、空には青空が広がっていた。

 朝方に街を覆っていた霧はすっかりと晴れ、空には僅かばかりの白雲が風に吹かれて漂う。


「良い天気になりましたね、エレナさん」

「ええ、本当に」


 この辺りの冬は、天候が不安定だ。

 どんよりした曇り空や雨の日が何日も続くことも多く、一冬の間に青空を見かける機会は数えるほど。

 久しぶりの晴れ間に、先生の声も心なしかはずんでいる。


 とは言え地面の方は相変わらず、雨上がりのぬかるみだ。

 泥に汚れて滑る石畳で転ばないように気をつけながら、私たちは最初の訪問先へと向かった。


 最初にやってきたのは、貧民街の外れ、フェルクリフの街の城壁の近くにある、朽ちかけた小屋。苔むした外壁の状態は、トムたちの家とは比べ物にならないほどに酷い。


 先生がドアを叩くと、女の人の弱々しい声が応えた。ぎぃと音を立てて、扉が開く。


「ジェームズです。ニールくんの調子はどうですか?」

「ありがとうございます、先生。熱が下がらないのです……。咳もひどくて……」


 先生に続いて家の中に入ると、むっとした煙臭い空気が鼻をついた。この家もやはり暖房には泥炭でいたんを使っているらしいが、換気が行き届いていない気がする。


 先生も同じことを思ったのか、鼻を押さえてスンと音を立てたが、何も言わない。


 家の中には、土を一段高く積み上げただけの土間が広がっていた。板張りですら無いことに、私は衝撃を受ける。

 貴族の邸宅なら、こんな作りなんて考えられない。


 患者が寝ていると案内されたのも、やはり土間だった。

 敷き固められた土の上に厚く藁が敷かれ、十歳ほどの少年が毛布にくるまって震えている。


 先生は少年の額に手を当てて熱を計り、腕を取って脈を調べた。


「鞄の中から清潔な布を頂けますか? そう、それです。ありがとうございます」


 私は先生の指示の通りに布を取り出して、渡す。

 受け取った先生は少年の胸をはだけると汗を布で拭き、片手で帽子を押さえながら耳を付けて胸の音を聞く。

 たちまち、その眉間に皺が寄った。


「……肺に水が溜まり始めている。肺炎の兆候です。ニールくん、辛いでしょうが、しっかりと息を吸うようにしてください」


 先生の言葉に、少年は弱々しく頷いた。

 先生は二つの鞄を自分の近くに寄せると、中に手を突っ込んで何かを探し始める。

 取り出したのは何かの種と、くすんだ青銅(ブロンズ)色の容器と棒、それから樹皮の浸かった琥珀こはく色の液体の入った瓶。


芥子種(マスタード)で湿布を作って胸に張り、ヤナギの樹皮の煎じ汁を飲ませます。湿布は胸を温めて痛みを取り、煎じ汁は熱を下げる。記憶に留めておいてください。り鉢を使ったことは?」


 先生の質問に、私は首を横に振る。助手にして欲しい、なんて言っておきながら私はまだ何一つできない。だけど、いつまでもそれに甘んじているつもりはない。


「分かりました。では使い方を見せますから、これも見て覚えてください」

「分かりました」


 私は真剣な眼差しで、先生の手元を見つめる。

 芥子種(マスタード)の香りが広がりその刺激が鼻に付く中で、何一つ余さぬよう、目に焼き付けるつもりで。


 やがて処方が終わり治療を済ませ、先生は少年の服を元に戻して毛布を掛けた。

 少年は相変わらず、白い顔でぶるぶると震えている。


 腕組みをして少し考えた素振りを見せた先生は、鞄を開けて緑色の下級魔法薬(ポーション)を取り出した。ぱきりと口を折って少年の口にあてがう。


「ニールくん、苦いでしょうが、これも薬です」


 少年はこくこくと小さく頷いて、口の中に注がれた液体をぐぴりと飲み込む。

 途端にぎゅっとすぼまった口に思わずくすりと笑いそうになり、慌ててこらえた。

 少年の体が一瞬だけぽわりとした光に包まれ、その顔に血色が戻っていく。

 体の震えが止まり、近くで見ていた母親がほっと息を吐いた。


「……マッケイ婦人、魔法薬(ポーション)は体力を取り戻し、病魔と戦う力を与えますが、病魔そのものを退治する訳ではありません。夜になったら湿布を剥がし、布で綺麗に拭いてください。それから、大蒜にんにくと玉ねぎでスープを作って飲ませてあげてください」

「はい、必ず……」


 彼女は一瞬、思い詰めたような顔を見せたが、すぐに首を縦に振った。

 その様子を見た先生は、鞄を開けて薄い木のふだを取り出す。


「……この札を渡しておきます。教会で回復魔法を頼めます。母親である貴方あなたが倒れてしまっては元も子もない。貴方は教会で回復の祈祷を受けるように」

「ありがとうございます……!」


 彼女はすがるようにしてお札を受け取り、涙ぐみながら何度も礼を言う。


「最後に……。窓を開けて換気してください。淀んだ空気は熱病にとって毒です。寒いからといって換気をせずにいると、彼の病をより酷くすることになりますよ」


 慌てて窓を開け放つ彼女を残して、私たちは小屋を後にした。

 青空の下の清浄な空気を、胸いっぱいに吸い込む。


「……あの女性は、あの札を自分のためには使わないでしょう」


 荷物を持って追いかける私に、先生がぽつりと言った。


「……それは、どうしてですか?」

「闇市に、売りに行くのです。見た所、あの家には息子のための大蒜にんにくや玉ねぎを買うお金すらなかった。未亡人である彼女は紡績ぼうせき所に勤めていますが、今は息子の看病のために働くことができずにいます。彼女がお金を手にする手段は、給金を前借りする以外にありません。ですがそれは結局、将来の自分の首を締めることに繋がる」


 グレンクロフト先生の言葉に、私は言葉を返すことができなかった。


「私たちも何かが間違っていれば、彼女のように生活に窮することになっていたかも知れません。……かけられる情けは、かけてあげなければ」


 女性が売りに行くことを承知でお札を渡した先生と、感謝と罪悪感で涙を流しながらそれを受け取った女性。


 それは人情という名の思いやりなのかもしれないけれど、私の心にはどこか納得しきれない思いが残る。


「エレナさん、これが貧民街です。人々は、その日の命を繋ぐために必死なのです」


 感情のない声で静かに呟く先生の言葉には、どこか悲しみにも似た寂寥感せきりょうかんが漂っているように感じられた。

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