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第6話 やりたいこと

【※ご注意】

本話にはショッキングな描写(重症者に対する医療行為)が含まれます。

出血表現が苦手な方はご注意下さい。

 グレンクロフト先生は、私に翌朝の朝二(九時)の鐘で施療院に顔を出すよう言い残して、帰っていった。

 何でも、フェルクリフの街は入り組んだ作りになっているらしく、商業ギルドまではどうしても案内が必要なのだそうだ。


 トムとリリィが二人で作った夕飯――質素な、でも温かい食事を四人で囲みながら、私たちは言葉を交わす。


「お姉さま……新しいかぞく?」


 スープの器を手に、そう言って好奇心に満ちた視線を向けてくるのは、褐色の肌に白銀の髪をしたエリミア。この家で暮らす三人の中で一番幼く、今年で十歳になる。


「そうなってくれたら嬉しいけど、無理強いはできないよ」


 くすんだ金髪の頭を掻きながら困ったように呟くトムは、十三歳だそう。


「でも、エレナさんは行く当てが無いのでしょう? こうして知り合えたのも何かの縁。一緒に暮らしましょうよ。エレナさんのように年上の方が一緒にいてくれたら、私たちも心強いし……」


 オーツ麦のビスケットを割りながら控えめな声で主張するのは、黒髪をお下げに編んだリリィ。年は、二人の間の十二歳。


「……お気持ちはとてもありがたいのですけど、ご迷惑なのではなくて? 私は皆様からすれば他人だわ。他人が家族の中に入ってくるのは、大変なことよ?」


 私の言葉に、三人は顔を見合わせた。


「それは……」

「まぁ、なんというか」

「いまさらな話。私たち、もともと他人」


 ……そうなのだった。


「トム、いえ、トマスさん。本当に、わたくしはご迷惑では無いかしら?」

「うん、三人より四人の方が賑やかだし。エレナさえ良ければ、僕たちの新しい家族になってくれると嬉しい。食費は、少し貰えたら嬉しいけど……」


 思わず、じゃがいもの皮を剥いていた手を止める。下賤げせんな食べ物と言われ、これまで一度も食べる機会のなかった、新大陸から伝わった茶色い野菜。剥くと中は白かっただなんて、初めて知った。


「も、勿論です。そういうことなら、ご厚意に甘えさせて頂けると嬉しいわ。私も、みなさんと一緒にここに住んでみたい。皆様に家族と思って頂けるよう、頑張ります」


 私の答えに三人はにっこりと顔をほころばせ、喜びの声を上げた。

 その顔に浮かぶ幸せそうな笑みに、彼らが本当に心から私を受け入れてくれているのだということが分かって、涙がぽろぽろとこぼれる。今日は一日中、涙を流しっぱなしだ。


「だ、大丈夫? エレナ?」


 おろおろと慌てながら、トムが心配そうな声を出す。


「ううん、違うの。これは、嬉しくて……。ありがとう、トム。ありがとう、みんな……」


 私は精一杯の元気を込めて、そう答えた。


 食事を終えた私たちは、互いに自分の過去についての話を聞かせ合う。


 トムのお父様がどれだけ力持ちだったか。

 リリィのお母様が作るプディングがどれだけ美味しかったか。

 エリミアのご両親がどれだけ彼女を愛していたか。


 明るい声で話す彼らだが、その目は遠い日を思い出すように潤んでいる。


 私も、自らの正体をさらけ出すことが無いように注意を払いながら、自分の身の上を彼らに話して聞かせる。

 お父様が、どれだけ他人を思いやる立派な人であったか。

 お母様が、どれだけ優れた魔法の才を持っていたか。


 友人のような存在だったハンナ。

 お母様の冒険者時代からの盟友だったリサ。

 そして、幼少の頃から厳しく私を叱ってくれたジェラルド。


 みな、今ではもう会うことが叶わない大切な人の話に花を咲かせ、私たちは眠くなるまで存分に、夜ふかしを堪能した。




   *   *   *




「……うぅ。寒い」


 翌朝、私は寒さで目を覚ました。

 グレンクロフト先生が温かな外套を買うよう勧めた理由が今ならよく分かる。

 木造の小屋は隙間風が多いのだ。火炉(ストーヴ)の火が消えた室内は凍えるように寒い。

 息をする鼻が痛いほど寒いなんて生まれて初めてだ。ハートブリッジの屋敷は冬でも暖かかった。


 やがて起き出したトムが火炉(ストーヴ)に泥炭をくべて火を付けた時には、生き返るような思いがした。


 部屋が暖まり、リリィとエリミアも起き出してくる。


 トムとリリィが作った朝食を食べ、恐縮するトムに当分の泊まり賃を渡した私は、グレンクロフト先生の施療院へと足を運ぶ。


 少しだけ迷いながらも、朝二(九時)の鐘が鳴る頃には何とか到着し、入口の木の扉を押し開けた。

 扉に付けられた鈴がちりんと音を立てる。

 だけど、施療院の中は、誰一人として入ってきた私に気づかないほど騒然としていた。


「押さえて! 二人とも力の限り患者の体を押さえてください! 貴方(あなた)こらえて! 死なない為です!」


 診察台の上に乗せられているのは、鉱山労働者らしき煤けた衣服の男。

 やはり似たような服を身に付けた二人の男が、グレンクロフト先生の指示で男を押さえつける。


 患者の片脚は、太ももの途中あたりから見るも無惨な――ぐちゃぐちゃの肉塊としか呼びようのないモノになっている。驚いて見ている間にも、グレンクロフト先生は変わった形のノコギリを手に持ち、脚と肉塊の間に刃を立ててごりごりと切り始めた。


「あ゛あ゛ぁ゛ぁぁっ! がああ゛あ゛ああ゛あ゛!!!」


 口に布を加えた男が声にならない声で絶叫し、私の体がびくりと震える。

 赤い血が放物線を描いて飛び、先生のエプロンがたちまち血まみれになった。


 緊張でばくばくと鳴る心臓を何とかなだめながら、私は目の前の光景から目が離せない。

 外科手術……。本の中の知識としてしか知らない、命を救うための最後の手段。

 それが今、目の前で繰り広げられている。


 経ったのは十秒だろうか、それとも二十秒だろうか。

 グレンクロフト先生は身をよじって泣き叫ぶ男の悲鳴を無慈悲なほどに無視しながら、ついに男の脚を切り離した。すぐに木でできた長いまみに手を伸ばし、それを脚の断面に取り付ける。


 男はびくりとのけぞり、勢いよく吹き出していた血が嘘のように止まった。


 先生は青い液体の入ったガラス瓶に手早く腕を伸ばし、その口の部分をぱきりとへし折る。中級の魔法薬(ポーション)だ。


 その中身を脚の断面に振りかけると、傷口はしゅうしゅうと煙を上げながらみるみるうちに肉が盛り上がっていく。断面に挟まっていたまみがぱちりと弾き出され、赤黒い筋肉には薄皮が張り、引きつったようなピンク色の肌へと変わった。


「……終わりました。よく耐えましたね。ダグラスさん、貴方は助かりましたよ」


 グレンクロフト先生が荒い息を吐きながらそう告げ、診察台の上の男はえぐえぐと泣きじゃくる。

 彼の体を押さえていた男たちはようやくといった感じで手を離し、玉のように浮かんだ汗を袖口で拭った。




   *   *   *




「いやあ、朝から疲れましたよ……。鉱山で落盤があって、彼は足を挟まれたんです。ああもぐちゃぐちゃでは魔法薬ポーションは役に立ちません。彼の命を守るため、片脚を切断しなくてはなりませんでした」


 綺麗な衣服に着替えたグレンクロフト先生が、頭に手をやりながらため息を吐く。


「教会の回復魔法では、どうにもならなかったのですか……?」


 それは、手術の時から私が感じていた疑問。


「最高位の回復魔法であれば、もしかしたら何とかなったかもしれません。しかし、それほど高位の魔法が使える聖職者は、フェルクリフのような田舎町にはいないものでして……」

「そうなのですね……」


 脚を切断された彼は、今は別室で眠っている。教会から修道服を来た女性が手伝いにやって来て、彼の身の回りを世話している。


「あるいは聖女であれば、癒やしの奇跡で失った手足すら生やせたでしょう。ですが、最後に聖女が現れたのはもう二百年も前のことですからね。現代を生きる我々は、手元にある手段だけで患者を救うしかありません」


 先生は顔に苦笑を浮かべて、そう呟いた。


「それでは遅くなってしまいましたが、商業ギルドに求人を見に行きましょうか」


 そう言って立ち上がろうとする先生を、私は首を振って押し留める。


「いいえ、いいえ先生。商業ギルドに行く必要は、無くなりました」

「おや。ということは、何か求人でも見つかりましたか?」


 先生の問いかけに、私は再度首を振る。


「私、やりたいことを見つけました」


 リサも、ハンナも、そしてジェラルドも。


 みな、私一人を逃がすために死んでしまった。


 だから私は。


 三人がその命を賭してまで守った私は。


「私は、医の道に進みたく思います。どうか私を、グレンクロフト先生の助手にしてください」


 人の命を救うことを、仕事にしたい。


「…………本気ですか?」

「はい、本気です」


 先生の顔に浮かぶのは驚きと、そして僅かな困惑。


「……辛い仕事です。救えぬ命を見送ることも多い」

「……はい」


 困ったように私の顔を見つめる先生の瞳を、私は眼差しに力を込めて見つめ返す。


「手を血で汚したり、爛れた患部に素手で触れることもあります。綺麗な仕事ではありませんよ……?」

「……はい、存じています。」


 先生は、無言で私を見つめる。眉尻が下がって少し困ったような表情が浮かんでいるけれど、口元には柔らかな笑み。……もう一押しかしら。


「先生は昨日、おっしゃいました。やったことがないお仕事でも、始めてみると意外と向いているかもしれないと。私、きっと向いていると思います」


 私は、先生の瞳をまっすぐに見つめる。ラベンダー色の瞳が、優しく光っている。

 先生の口元が綻び、ふっと吐息が漏れた。瞳を閉じて、大きく頷く。


「……わかりました、エレナさん。それでは、これからは助手として、よろしくお願いします」


 静かな笑みを顔に湛えながら、そう返してくれた先生の言葉に、私は。

 閉ざされていた未来への扉がゆっくりと開いていく音が、聞こえたような気がした。







序章 「灰色の路地へ」 完


次回からは第一章、「施療院の日常」をお送りします。

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