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灰色の街の聖女  作者: 犬猫鳥
上巻 没落令嬢の生きる道
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第5話 孤児たち

「……すみません、ああ言えば、貴方(あなた)がご自身の正体を教えてくれるかも知れないと思いまして。非礼をお詫びします、エレナさん」


 頬に真っ赤な手形を付けたグレンクロフト先生が、しゅんとした表情で謝罪の言葉を述べる。

 幸いと言うべきか、彼は私の正体を悟っていた訳ではなかった。


「こちらこそ、恩人のあなたを叩いてしまって申し訳ありません……」

「いえ……」


 誇りを傷つけられた気がして、気がついた時にはもう手が動いていた。

 ……良くないことだと思う。


 私たちは互いに次の言葉を告げることができず、しばし、無言の時が流れる。


「とにかく、話を戻しましょう。エレナさん、貴方に今後の展望はありますか? 貴方の保護者……だったとおぼしき彼は、もう逝ってしまった。これから先は、貴方ひとりで生きていかなくては」


 先生のその言葉に、私は何と答えたら良いのか分からなかった。


 貴族の娘として生まれたにも関わらず、奔放に育つことを許された私。

 貴族としての責任は両親と婚約者に任せ、私はただ幸せな未来を夢想していればそれでよかった。


 一人で生きていく方法なんて、思いつかない。


 はぁとため息を付いて、途方に暮れる。


「私は……いったいどうすれば良いのでしょうか……」


 喉から漏れたそんな言葉に、グレンクロフト先生は困り顔を浮かべるしか無い。


「幸い、貴方には元手となるお金がある。今朝ぱっと見ただけですが、その財布には熟練労働者の一年の稼ぎを遥かに上回るお金が入っているでしょう。何かやりたいことがあるのなら、それを実現するためにお金を使うのが良いかも知れません」

「私の、やりたいこと……」


 ……何も、思いつかなかった。

 私は、貴族の娘として見てきたもの以外の世間を知らない。

 もう貴族の娘ではない自分に、どんな生きる道があるのかも分からないのだ。

 もし私にお母様みたいな魔術の才があるか、『ロッホファーンの魔術の鏡』の主人公、リアノンのように特別な力があったなら、また違ったのかも知れないが。


「すみません、先生……。やりたいことが思いつかないのです……」

「そうですか……」


 私の言葉に、先生は組んだ両手に顎を当て、静かに息を吐いた。


「では、エレナさん。やりたいことが見つかるまでは、どこかで働いてみるというのはどうでしょう。人は生きているだけでもお金が掛かります。そのお金が無くなることが無いように、貴方はお金を稼がなくては」

「お金を稼ぐ……ですか? でも、私はこれまで働いたことなんて……」


 弱々しい声を出した私に、先生は諭すような声を掛ける。


「ええ、存じています、エレナさん。経験の無いことは学べば良い。どんな仕事であっても、初めから上手くやれる人なんて存在しません。まだやったことがない仕事であっても、始めてみると意外と向いていた、なんてことはよくある話です。」


 経験の無いこと。

 まだやったことがないお仕事。

 少しの恐ろしさと、それよりもちょっとだけ大きな期待が心のなかに渦巻く。


「ありがとうございます、グレンクロフト先生。私、お仕事を探してみます」


 先生の顔に、満足したような笑みが浮かんだ。


「良いことです。明日、商業ギルドへと案内しましょう。そうそう、今夜の寝床はどうしますか? トマスは貴方を自分たちの家に招待したいようでしたが、彼らが暮らすのは貧民街の小さな家です。私は、街にでも宿を取られることをお勧めしますが……」


 トム、あの痩せっぽちの男の子は、ジェラルドの亡骸なきがらを運ぶのを手伝ってくれたばかりか、一緒に住んでいる他の子たちを呼んで葬儀にまで参列してくれた。まだ、そのお礼をしっかりと伝えられていない。


「もしご迷惑でなければ、彼の厚意に甘えようかと思います。まだ、お礼もしっかりとは言えていませんし……」

「わかりました。トマスも喜ぶでしょう。それでは、彼の家まで案内しましょう。でもその前に、服屋に寄って着るものと外套を揃えた方が良いでしょうね。特に外套は、夜寝る時に羽織れるほど温かいものを」


 グレンクロフト先生の顔にはにやりとした笑みが浮かんだが、私にはまだその表情の意味は分からなかった。




   *   *   *




 貧民街の一角いっかく、灰色に色褪せた木造の小屋に私を案内した先生は、その扉をとんとんと叩く。

 扉はすぐにかちゃりと開いて、顔を出したのは痩せっぽちの少年、トム。


「わぁっ! エレナ! 本当に来てくれたんだ! 先生もこんにちは!」


 彼は、私の顔を見てぱぁっと顔を輝かせた。その声を聞きつけて、奥から二人の女の子が顔を出す。


「こんにちは、トム。えっと、リリィにエリミア。お邪魔させてもらうわね」

「どうぞどうぞ! 折角だし先生も入っていってよ!」

「ええ、それでは遠慮なく」


 トムは私たちを迎え入れると、ぱたりと扉を閉めた。

 私は生まれて初めて中に入る貧民街の建物を、興味津々で見渡す。


 外から見ても小屋のような印象の建物だったけど、建物の内側もやっぱり小屋。窓は窓ガラスではなく薄茶色の何かで覆われているけど、あれは……もしかして紙?


 狭い建物の壁際かべぎわには煙突に直結した鉄の火炉ストーヴが置かれ、小さな火がちろちろと燃えている。燃えているのは石炭ではなく泥炭でいたんらしく、室内には生木を燃やしたような独特の煙たさが満ちていた。


「どうぞどうぞ、ちょっと煙たいかもだけど」


 トムは火の前に置かれた椅子を、私とグレンクロフト先生に勧める。

 私たちは彼にお礼を言って、椅子に腰掛けた。羊毛織りのクッションがまだ温かい。どうやら自分たちが座っていた場所を私たちに替わってくれたらしい。


「いま香草湯(ティザン)を淹れるね」


 トムは火炉ストーヴの上からポットを下ろすと、部屋の隅にある台所へと向かう。何もかもが興味深い私は、彼の動きを目で追った。


 視線を戻すと、黒髪をおさげにしたリリィが部屋の隅に置かれていた糸車の横に座り、糸を紡ぎ始める。褐色肌の少女、エリミアは屋根裏に上っていった。


 糸車がかたかたと回り始め、香草(ハーブ)の香りが室内にただよう。


「これ……あなたとおんなじ」


 屋根裏から下りてきたエリミアが、手に持ったものを私に見せた。人形だ。

 オレンジの髪に青い瞳。小さなティアラをつけ、背中からは蝶の羽が生えている。

 確かに私によく似ている。髪の色も、瞳の色も。私に羽は生えていないけれど。


「そのお人形は、妖精のお姫様なんだ。エリミアが両親からもらった最後の贈り物。あんまりエレナにそっくりだから、エレナも妖精のお姫様なんじゃないかって思っちゃった」


 乾燥させた香草(ハーブ)を煮出した香草湯(ティザン)錫塗板(ブリキ)のカップに注ぎながら、トムがしんみりと呟く。

 出会った時のあの言葉の謎が解けた。


「……最後の贈り物?」


 不穏な言葉が聞こえたことに気付いて、思わず聞き返す。


「……この子たちはみな、孤児なのです」


その問いに答えたのは、トムではなくてグレンクロフト先生だった。


「もう一年ほど前になりますか、この子たちの親が働いていた鉱山で、事故が起きたのです。……巻き込まれたほとんどが、助かりませんでした」

「そんなことが……」


 たった今まで、両親や使用人たちを失って孤独な私は、なんて可哀想なのだと思っていた。でも、この子達もそうだったなんて……


「リリィはお隣のマッケンジーさんとこの子で、エリミアはお向かいのフレイザーさんの子だったんだ。二つの家を売ってお金にして、うちでみんなで暮らすことにした。家に一人だけだと、寂しいから……」

「大切な人を失う悲しみを、この子たちは知っています。だからジェラルドさんを亡くした貴方にも優しい。この貧民街には鉱山で身を立てる者たちが多い。同じような境遇の子どもは、トムたちだけではありません」


 ……だから、ジェラルドの亡骸を一緒に運んでくれて、葬儀にも参列してくれたんだわ。そう、そのお礼を言わなくちゃ……。


「トム、リリィ、エリミア。みんな、ジェラルドを送ってくれてありがとう……。みんなのおかげでジェラルドはきっと、ソルディア様の御許みもとへと昇ることができたと思う。心から御礼を言わせてほしいわ」

「うん……エレナ、どういたしまして。悲しい時は、みんなで悲しまなくちゃ。みんなで悲しみを分けるから、少しだけ悲しくなくなるんだ」


 光冠石(コロナストーン)の円環を撫でながら伝えるべき言葉を伝えた私に、トムは優しく呟いた。


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