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灰色の街の聖女  作者: 犬猫鳥
上巻 没落令嬢の生きる道
3/10

第3話 灰色の街

 目が覚めたら、辺りは薄明かりに包まれていた。

 霧深い山の中に、ちちち、と小鳥の鳴き声が響く。


 灰色の山道と青い薄明はくめいに上下を挟まれた世界の中、馬はゆっくりと、勝手に歩き続けている。


 と、霧の向こうに黒い何かが見えてきた。

 あれは……小屋だわ……!

 それも一つではなく、たくさんの……!


 密集して立つ小屋は広範囲に建ち並び、木で出来た柵のようなものが辺りを囲んでいる。街か村かはわからない。だけど、間違いなく人里の景色。


 私は、後ろに座るジェラルドに声を掛ける。


「ジェラルド! 建物が見えるわ……! ここはどこなのかしら?」


 けれど、返事が無い。


「ジェラルド……? 眠っているの?」


 私にもたれかかるようにして座っているジェラルドを、軽く揺さぶる。

 彼の体はそのままゆらりと傾き、さかさまに地面に落ちていく。

 慌てて彼の服を掴むが、細腕で支えられる重さではない。

 私たちは一緒になって馬から落ちて、地面を転がった。


 あちこちが痛い。体中が泥だらけで冷たい。

 だけど、固い地面ではなかったのは幸いだった。

 私たちを抱きとめたのは、少しだけぬかるんだ、ふかふかの柔らかい地面。

 背の低い草が、一面に生えている。


「ご、ごめんなさい、ジェラルド……! まさか落ちちゃうなんて思わなくて……!」


 馬がいずこかへと駆け去った中、ぴくりともしないジェラルドに慌てて駆け寄る。


「……ジェラルド?」


 嫌な予感に心臓がどきりと跳ね、私は慌てて、彼の口元に手をやった。

 ……息を、していない。


 ばっと、その胸に飛び込んで、耳を付けて胸の音を聞く。

 ……何の音も、聞こえない。


「嘘でしょう……? ジェラルド??」


 その背中には流れ出た血液がべっとりと固まっており、目を閉じたその顔は大理石よりも蒼白な真っ白。


 馬に乗っていた時の姿のまま動かないその体は岩のように固く、すっかりと冷え切っていて冷たい。


 お父様から、聞いたことがあった。

 戦場にたおれた戦士たちの体は、命の炎が消えて数刻も経つと、動かせないほどに固くなるのだと。


「ジェラルド……あなた…………」


 夢の中で響いた、私を呼び覚ます声が思い出される。


「とっくに、死んでいたんじゃない…………」


 ぽろぽろと、涙が零れた。

 指先でぬぐっても、手の甲でいても。

 涙は、とめどなく溢れ、頬を濡らし、地面に滴る。


 リサが居なくなった。

 ハンナが居なくなった。

 そして、ジェラルドも。


 私は…… 一人ぼっちになってしまった。


 朝日が青い霧を散らし、白い光が辺りに差し込む。

 茶色い草原を覆う天露あまつゆが、陽光を受けてきらきらと輝くのが美しい。


 そんな中で、私は。

 もう動かないジェラルドにすがり付いて、声を上げて泣いた。




   *   *   *




「きみ、大丈夫……?」


 ためらいがちに声を駆けてきたのは、一人の少年。

 私より数歳くらい年下で、くすんだ金髪はぼさぼさ。顔にはそばかすが浮いて、痩せっぽち。


「……その人、死んだの?」


 何も言わずにいると、ジェラルドの亡骸に目を留めてこちらに近づいてきた。


「……死んでしまったわ。私を守って。リサも、ハンナも。みんな死んでしまった」

「そう…… 可哀想だね……」


 倒れたままのジェラルドに視線を向けて、悲しげな顔を作る。

 あなたに何が分かるというの……? 思わずそんなもやもやとした思いが湧き上がって、慌てて首を振った。


「……でも、この人をどかさなきゃ。このあたりはフィンリーさんの畑で、怒ったら怖くて――」


 少年は話しながら、こちらに顔を向ける。

 その二つの目と視線が合った瞬間、少年の時が止まった。


「…………何?」

「妖精のお姫様だ……」

「へ?」


 少年は大きく目を見開いて、ぱくぱくと口を動かす。


「……お姫様は、これから妖精の国に帰るところ?」

「何それ。私は妖精じゃないわ。それに帰る場所ももう無いわ……」

「な、なら! うちにおいでよ! リリィとエリミアと一緒に暮らしてるんだ!」


 少年の提案に、思わずくすりとする。近くに住んでいるのだろうか。


「ありがとう、それも良いかも知れないわね。でも、ジェラルドの元を離れられないわ。せめてどこかに埋葬してあげられると良いんだけど……」

「グレンクロフト先生を呼んでくる! ここで待ってて!!」


 少年はそれだけを言うと、さっと走り出して姿を消した。

 私はまた、ジェラルドの亡骸なきがらと二人きり。


『うちにおいでよ! リリィとエリミアと一緒に暮らしてるんだ!』


 さっきの少年の言葉が心の中に響いて、口元が綻ぶ。

 絶望で氷のように冷え切った心の中に、小さな火が灯るのが感じられた。


 やがて太陽が少し昇り、辺りの家々から朝食を作る煙が立ち上り始めた頃。

 帽子を被った背の高い男性の手を引いて、少年が戻ってきた。


「先生! 急いで! 本当に妖精のお姫様みたいな女の子がいたんだから!」

「トム、あなたが早起きなのは分かりますが、私は寝ていたんですよ? あぁ酒のせいで頭が痛い……」


 帽子の下にふわりと広がる銀髪が特徴的な男性は、くたびれた口調で不平を口にする。しかし、


「な……!? 患者か!? トマス! 人が倒れているならそれを先に言いなさい!!」


 倒れたジェラルドを目にするや、途端に大慌てでこちらに走ってきた。

 かがみ込み、首に手を当てて数秒。


「違うよ! 先生、その人は、もう死んでるんだ!」

「……そのようですね」


 男は、息を切らして追いついてきた少年に悲しげな口調で答えた。

 血が固まったジェラルドの背中に触れて、ゆっくりと首を振る。


「背部への銃創、でしょうか。これは肺に穴が開いていますね。……さぞ、苦しかったでしょう。……さて、お嬢さん。貴女はこの方とどういう関係が?」

「……命の、恩人です。私にとって、家族のような存在でした」

「そうですか……。心中、お察しします」


 私の返事を聞いた男は、立ち上がってジェラルドに黙礼を捧げた。こだわりがあるのか、帽子は取らない。


「私の荷車を持ってきましょう。彼を運ばなければ。……埋葬はどうしますか? あなた方の出で立ちは、どこかの貴族か富豪の使用人とお見受けしますが」

「……すみません、埋葬をどうするとは、一体どういった意味でしょうか?」


 私の答えに、男は帽子の下にふわりと広がる髪の中に手を突っ込んで、ぐしぐしと頭を掻いた。


「……埋葬には費用がかかります。礼節を尽くして埋葬するのなら、クラウン金貨が必要になるでしょう。共同墓地への埋葬なら、数セプターもあれば事足ります。泥だらけの貴女あなたの格好や彼の傷跡を見るに……、何か事情がお有りだと思うのでお尋ねしました」


 ……私は、お金を持っていない。持つことも無かった。

 使用人が支払うか、後払いになるのがいつものことだったからだ。

 でも、ジェラルドは財布を持っているはず。


「お嬢さん……?」


 ジェラルドの服のポケットに手を突っ込み始めた私に、男は訝しげな瞳を向ける。

 財布らしきものは、すぐに見つかった。小さなものと、大きなもの。

 小さい方にはいくらかの金貨が、大きな方にはたくさんの銀貨が詰まっている。

 私は金貨を一枚取り出して、男に差し出した。


「……私に渡すのではありません。それが必要になるのは教会でのことです。大事に取っておきなさい。……それと、この貧民街ではそんな大金は決して他人(ひと)に見せないように。トマス、あなたもこのことを人に言うんじゃありませんよ?」

「わかってるよ、先生」


 男の言葉に、私は頷いて財布をしまう。

 ハンナが着ていた、侍女のお仕着せ。ポケットの位置がわからず、少し戸惑った。


「色々とありがとうございます。あの、お名前をお尋ねしても……? それと、ここは何という村でしょうか?」

「おや、知らずにこのにやってきたのですか? ここはフェルクリフの街。鉱山と牧畜と霧の街、フェルクリフです。そして私はジェームズ・グレンクロフト。医者をやっているので、先生と呼ばれますよ」


 意外そうな表情を浮かべつつ答えた男の言葉に、私はほっと安堵する。

 フェルクリフの街、それはアードグレン王国の辺境の街。

 夜通し馬に乗り続けた私たちは、グリンヴェール王国との国境を抜けていたのだ。


 ジェラルドへの感謝の思いが、哀しみとともに胸中を満たす。

 ジェラルド、あなたが、私をここに運んでくれた。

 あなたのお陰で、もう追手を心配する必要はない。


「ありがとうございます、グレンクロフト先生。彼、ジェラルドには……どうか叶う限りの礼を尽くした葬儀を。彼がいなかったなら、私は生きてここにはいません」


 グレンクロフト先生が、ぎゅっと口元を引き締める。

 視線がジェラルドの亡骸を向き、やがてまた私に。

 彼は真剣な表情を顔に浮かべて、しっかりと頷いた。

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