第29話 私の居場所
先生に香草湯のお礼を言い、私はしばらくアルヴィンの手紙と向き合った。だけど、しばらくの時間が経っても、アルヴィンの問いにどう答えるべきかの考えは纏まらなかった。
やがて日暮れが近づいてきたため、施療院を出て帰路につく。
向かう先は当然、トムたちの待つ家。貧民街での、私の帰る場所。
「お帰り、エレナ。今日もお疲れ様……!」
「おかえりなさい、エレナさん!」
「エレナ、おかえり……!」
扉を開けるなり、温かい声が私を出迎える。
「ただいま、みんな……!」
笑顔で挨拶を返す私の鼻腔をくすぐるのは、香ばしいバターの香る、美味しそうな夕飯の匂い。
「今日はごちそうだよ、エレナ! 森で山鴫が捕れたんだ! 杏茸も採ってきたから、リリィが冷たいスープを作ってくれた。山鴫はもうすぐ焼き上がるから、早速みんなで食べよう!」
「まぁ、山鴫……!」
冬のものが美味しいとされる山鴫だけど、夏のものはあっさりした淡白な味わい。久しぶりに口にする食材への期待に、沈んでいた心が気力を取り戻していく。
やがて料理ができあがり、全員が食卓に着いて食事が始まった。
大皿に盛られた、四羽分の山鴫。肉は切り離されて、内臓のソースが掛かっている。嘴の長い頭部は半分に割られ、こんがりと焼色が付くまで焼かれて美味しそう。
杏茸と白人参のスープも、果物のような香りの良さが食欲をそそる。
パン皿にはこぶし大に切られた大麦のパンが並び、錫塗板のカップには紫野花を使った香りの良いエールがなみなみと注がれている。
皆がめいめいのものを口に運び、その顔には笑顔が溢れた。
「トム、トム、今日はどんな冒険してきた?」
「今日はね、朝一番に罠を掛けて、あとはずっと茸採りながら薬草採集してたよ。夕方に罠に戻ったら山鴫が掛かってたから、晩ごはんになった」
「とっても美味しい。トムすごい」
エリミアは今日も好奇心いっぱいでトムに話しかけて、トムはにこやかにそれに答えている。
そういえば、エリミアは将来は冒険者になりたいらしい。
リリィは危ない仕事だからと反対していたけれど、この分だとそう遠くないうちに冒険者登録を済ませてしまいそうな気がする。
「魔物は? 魔物は何かたおした?」
「今日は魔物には遭わなかったな。警戒はしていたんだけど。でも昼間にはゴブリンの巣穴が見つかって、緊急依頼になってたみたい。僕は弓で戦うから、巣穴の討伐だと外での待機組になっちゃうね」
「そうなんだ。ざんねん。トム強いのに」
開いた窓から入ってくるのは、夜の涼し気な風。
トムとエリミアが冒険の話で盛り上がり、リリィがそれをにこにこしながら眺めている。
ここにいるのは、みな親を失った子供たち。
私も含めて、みな血の繋がった家族は過去の中に失われてしまったけれど、それでも、ここにあるのは間違いなく、幸せな家族の団欒。
私は、アルヴィンの提案について考える。
……アルヴィンの持ち出した、陰謀の証拠。
その証拠を然るべき所に提出すれば、父の名誉は回復され、アルテヴェール家の再興は叶う。
私はきっとアルヴィンと結婚して、家庭を築くことになる。
……だけどそれは、今ここにある団欒を、手放すことを意味している。
貴族としてアルテヴェール家を再興したそこには、トムもリリィもエリミアもいなければ、グレンクロフト先生だっていないのだ。
アルヴィンと結婚した私は、幸せな家族の団欒というものを築けるのだろうか。
……私には、自信が持てない。
今手にしている幸福という名の果実が、あまりにも美味であるがゆえに。
「……エレナ、浮かない顔だね。もしかして、お仕事で何か辛いことでもあった?」
気がつけば、トムが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「ううん、施療院のお仕事は関係ないの。ただ、ちょっと悩ましいことが起きててね……」
誤魔化すように視線を外しながら、私は答える。
「エレナさん。もし何か困ったことがあるのなら、私たちはいつでも力になりますよ」
「うん、エレナ。もし何かあるのなら、悩まずに遠慮なく相談してほしい。きっと僕達にだって、エレナの力になれることはあるはずだよ」
「エレナ、なぐさめる」
皆の優しい言葉に、涙腺が熱くなる。
「うん、うん、ありがとうみんな。みんなが家族でいてくれて、私幸せよ……!」
私はやっとのことで、それだけを口にした。
アルテヴェール家を復興させ、父や母の名誉を回復するためには。
アルヴィンに、その実の父親を、犠牲の祭壇に捧げて貰う必要がある。
そうまでして、私はアルテヴェール家を復興させたいと願っているのだろうか?
私の今の幸せは、捨てるのが惜しくないほどにちっぽけなものなのだろうか?
やがて食事が終わって、皆がめいめいの場所でくつろぐ中。
私は窓辺の椅子に座って、一人考えを巡らせ続ける。
使用人たちの犠牲の末にこの貧民街へとたどり着いた私。
あの時、胸に掛かった神焔教の聖印――最後まで私を守った家令のジェラルドと共に焼かれた光冠石の円環に、私は誓ったはずだ。
私の為に失われた以上の命を、必ず救ってみせると。
だけど、アルテヴェール家を復興させるということは、すなわち私がハートブリッジの館に戻るということ。
そうなったらもう、医の道に進んで人を救うという誓いは、果たせない。
やっぱり…………、私の居場所は、この貧民街だ。
トムやリリィ、エリミアたちとともに暮らすことができて、そして、グレンクロフト先生の下で様々なことを学べる、この温かな貧民街。
私を探して、はるばる隣国のアードグレン王国までやってきたアルヴィンには申し訳ないと思う。だけど、私にとって貴族の生活というのはもう、今の生活を放り出してまで得たいものではない。
そして当然、いくら父の仇であったとしても、アルヴィンに自らの父親の命を差し出させるつもりもない。
答えは決まった。
リリィの回す糸車のかたかたという音を聞きながら。
私は、明日アルヴィンにどう説明するかについて、考え始めた。
* * *
「そ、それは……本気なのか、エレナ!?」
「ええ、本気よ、アルヴィン。……あなたには、申し訳ないと思うけれど……」
市場の広場に面した食事亭の個室で。
目の前にいるアルヴィンは、現実を受け入れたくないといった様子で、首を振る。
「アルヴィン、たった半年で証拠を集めてくれたあなたにはとても感謝してる。でも私はもう、貴族に戻ることを望んではいないわ。それにアルヴィン、あなたに、実の父親を差し出させるつもりもない」
「そんなことを言ったって、君は紛れもない貴族の娘じゃないか……! それに僕の父だって、もし陰謀が明るみに出ればどうなるかの覚悟くらい、できているはずだ……!」
アルヴィンは私がこの話を断るとは考えていなかったようで、その顔には失望のような表情が浮かんでいる。
「そうじゃないのよ、アルヴィン。私は今、この貧民街で、十分に幸せな生活を送ることができているわ。貴族の私に戻らなくっても、私には私の幸せがある。私にはそれで十分だわ」
「でも、エレナ……貴族の娘としての君の身分は、不当に奪われたんだ……! それじゃあ君が、あまりに不憫じゃないか……!」
悔しそうに顔を歪めながら、言葉を告げるアルヴィン。
私は、ただ首を振って答える。
「もう良いのよ、アルヴィン。私は平民として暮らして十分に幸せだし、やりたいことだってある。あなたの父親を犠牲にしてまで、アルテヴェール家を再興するつもりは、もう無いのよ。復讐なんて望まず、ただ静かに暮らしたいだけ」
「……だけどエレナ、君は他ならぬハートブリッジ伯の娘だ。領民に対する責任は、どうなるんだ? 廃爵となった領地を継ぐのは、おそらく王党派の貴族だ。領民の軍役は軽減されるどころか、より酷いことにだってなりかねない」
アルヴィンは難しい顔をして、私を説得しようと言葉を並べる。
「……貴方がそれを言うの? それを阻んだのはあなたのお父様なのよ? ……それに、私には父のような内政の才なんて無い。民のために領地を運営することなんて、不可能だわ」
「領地の経営なら僕が手助けできる。貴族の息子として、僕はそれを十分に学んできた……! 手を取り合って領地を運営すればいいじゃないか! 僕達は婚約者どうしだろう?」
胸に手を当てて眉間に皺を浮かべ、弁明するかのように口にするアルヴィン。
だけど私はもう、彼のその熱意に共感することができない。
「アルヴィン、その話なのだけれど。……私たち、婚約を解消した方が良いのではないかしら」
気がつけば、私の口からはそんな言葉が飛び出していた。
アルヴィンはあんぐりと口を開けて、ただゆっくりと首を振るだけ。
ぱくぱくと口を動かすけれど、何の言葉も出ては来ない。
「こうして私にアルテヴェール家を再興する道を示してくれて、そのことについてはとっても感謝してる。でも、私は貴族に戻る道を選ばないわ。そうである以上、私はもう貧民街に住むただの平民の娘。貴族の子息であるあなたとは、釣り合わない。あなたはあなたの道を、私は私の道を、それぞれ歩むことにしましょう」
静かにそう告げる私の言葉に、アルヴィンは頭を抱えた。
首を振って、両手を広げて、言い聞かせるかのように言い募る。
「エレナ! エレナ・フィオーレ・アルテヴェール!! 君は貴族の娘だ! 身体に青い血が流れる者の義務から逃げることは許されない……! 君はハートブリッジの領地を復興して、アルテヴェール家を再興するべきなんだ……! どうして……どうしてご両親の無念を晴らそうと思わない!?」
「……私の思いは、既に伝えたとおりよ、アルヴィン。一度頭を冷やして、明日のお昼に、もう一度話し合いましょう」
私は、香草湯の料金である、スパーク銅貨一枚を机に置いて立ち上がる。
部屋を出ようとして、後ろから声が掛けられた。
「エレナ、確かに僕は冷静では無いかも知れない。だけど君もまた冷静だとは思えない。貴族としての義務と責務、そして歴史ある名家たるアルテヴェール家に対する責任。どうかもう一度考え直してくれ」
「……考えるだけは、考えてみるわ」
じっと私を見つめる彼を一人残して、私は食事亭の個室を後にする。




