第28話 彼からの手紙
「おかえりなさい、エレナさん。……おや、市場で何かありましたか?」
施療院に戻るなり声を掛けてきた先生の言葉に、思わず驚く。
どうして分かるんだろう。いつもと何も変わりないつもりなのに。
「ちょっと、昔の知人にお会いしまして」
彼がローズヴァリ家の人間であることに変わりは無いけれど、それでもアルヴィンは、父を……そして私を、裏切ったわけではなかった。
ほっとしたような思いが、じわじわと湧いてくる。
「む……? それは、貴方の身の安全に関わるようなことですか?」
グレンクロフト先生は体ごとこちらに向き直って、硬い表情で尋ねる。
その言葉に思わずきょとんとしてしまって、私はふと気付いた。
先生は私の正体におおよその見当を付けていたはずだ。
そのために、心配してくれているのかもしれない。
「いえ、そういう危険のある相手ではありません。……少し、私の身の上についてのお話を聞いていただけますか? すぐ済むことですので。」
「お聞きしましょう」
……そのことについて、話すべき時が来たということだろう。
先生は椅子の向きを変えて座り直し、私にも椅子を勧める。
椅子に着いた私は、至極単純な言葉を、声に乗せる。
「私は、エレナ・フィオーレ・アルテヴェール。ハートブリッジ伯爵であった、エドワード・セシル・アルテヴェールの、一人娘です」
しぃんとした静寂が、施療院の中に訪れた。
魔石冷房が吹き出す風の音だけが、静かな響きとなって耳に届く。
「……なるほど、よく分かりました、アルテヴェール嬢」
グレンクロフト先生が静寂を破り、そう呟いた。
「お辛い中、よくお話して下さいました。エレナさんはグリンヴェール王国の、ハートブリッジ伯のご令嬢でいらしたのですね」
「……でも、先生は予想しておいでだったのではありませんか?」
「はい。可能性として考えていた中の一つではありました。しかし、面と向かってそうだと仰られると、やはり驚くものです」
先生はあまり驚いているようには見えない、落ち着いた様子で口にする。
「アルテヴェール嬢は、この先どうしたいといったご希望をお持ちですか?」
「その、先生。私のことはエレナでお願いします。私はもう貴族の娘でも何でもありませんから……」
「わかりました、エレナさん。……そのお知り合いから身を隠す必要があるようでしたら、方策をともに考えることも出来ます。どうしたいかのご希望があれば、教えて下さい」
先生の言葉に、私は再度きょとんとした。
そうだ、私が会った相手のことはまだ先生に話していない。
だから心配しているんだわ。
「ありがとうございます、先生。それについては大丈夫だと思います。私がお会いしたのは、私の婚約者……です。逃げたり身を隠したりする必要は無いはずですから……」
私の答えを聞いた先生は、一瞬だけ驚いた様子を顔に浮かべたが、すぐに喜ばしげな表情を浮かべて頷いた。
「そうですか、それは良かったですね。積もる話も色々あるでしょう。よろしければ午後は休みを取って、その方とお話されますか?」
「ありがとうございます、先生。ですが、後日手紙をくれるとのお話でしたので大丈夫です。午後の往診にはぜひ、私も同行させて下さい」
私の言葉に、先生は笑顔で頷く。
私はほっこりとした思いとともに、往診に使う薬草鞄を取りに自分の机に戻った。
* * *
夕暮れ時とは言え、夏の貧民街はじっとりと暑い。
肩から下げた重い薬草鞄が、垂れ込めるような蒸し暑さをより不快なものにしている。
往診からの帰り道。心の支えは、施療院の魔石冷房だけだ。
施療院に戻ったら、トムたちの待つ家に帰る前に存分に涼んで帰ろう。
そんなことを考えながら施療院に戻ると、王立郵便の制服を着た人物が、夕陽に照らされて立っていた。
「先払い郵便ですので、受領に際してのお支払いは必要ございません」
「お暑い中、ありがとうございます。おや……。このお手紙は、エレナさん宛です。早速のお手紙のようですよ」
手紙を受け取った先生は、いつもの優しげな笑みを浮かべて、私に手紙を渡す。
受け取った私は施療院の中に入って、担いでいた鞄を机の脇に置いた。
手紙の差出人は、アルヴィン。
封蝋はされていないが、封筒は麻の紐でしっかりと縛られている。
私は、しばし逡巡した。
トムやリリィ、エリミアたちがいる家で手紙を読むのと、グレンクロフト先生のいるこの施療院で手紙を読むのと、どちらが良いか。
「……すみません、先生。こちらでお手紙を読ませていただいても良いでしょうか。家に帰ると、あまり集中できそうになくて……」
「もちろん、構いませんとも。よろしければ、香草湯をお淹れしましょう」
「ありがとうございます、先生」
麻紐をナイフで切り、封筒から中身を取り出す。
封筒に入っていたのは、数枚の便箋。
折りたたまれた便箋を開くと、私はそこに書かれた文字に目を通していく。
ハートブリッジにいた頃、手紙のやり取りで何度も目にした、几帳面で丁寧なアルヴィンの字。
変わらない彼の字に、思わずにこりと笑みが漏れる。
『エレナ、さっきは話を聞いてくれてありがとう。僕を信用してくれたこと、心からお礼を言わせてほしい』
手紙は、そんな書き出しで始まっている。
『まず結論から書くと、君のお父様は、我が父ルーファス……ひいてはその背後にいる、王党派の陰謀に陥れられたと考えている。
我が父は表向きは融和派たる議会派に属する貴族だったが、その裏でアードグレンの併合を望む王党派の呼びかけに応じていた。父はワイトフォード公爵――王党派貴族の盟主と、手を結んでいたのだ』
昼間にも耳にしたばかりだけど、頭の痛くなる話だ。
ローズヴァリ伯であるルーファスは、父にとって気心の知れた友人の一人だったはず。
それが一体どうして、父を陥れ、告発するようなことになったのか。
『君のお父上が告発された際の枢密院の議事録は、僕が読める場所にはない。だから、この話は憶測を含むことになる。だけど、父の書斎にあった陰謀に関わる手紙から、僕はいくつかのことを読み取ることが出来た。
それを元に組み立てた推論はこうだ。
君のお父上は、我が父が設けたアードグレン王国との交渉の場で、両国辺境の軍備削減に関する交渉を、その資格無くして行うよう仕向けられたものと思われる。
国家の軍権は王に属するものであるから、これは王権を超越しようとする試みであり、王国に対する造反と見做されたはずだ。この事が大逆罪の直接的な要因となった可能性は高いと思う』
父がアードグレン王国と交渉していた……? それも軍備の削減に関する交渉を?
一体何のために。話が繋がらない。
私は頭の中の混乱を抑えながら、先の文章に目を通す。
『君のお父上、エドワード殿が何をしようとしていたかについてだが、これは手紙にはっきりと記されていた。
エドワード殿は周辺の国境貴族を糾合し、領民に対する軍役の減免を始めとするいくつかのことを、中央に対して交渉していた。
だが、王党派の貴族たちはアードグレンの併呑をこそ望んでいる。エドワード殿の主張が通り、国境の軍備が縮小されるのは、王党派にとって面白くないことだった』
頭の中のもやもやが薄れ、すっと一筋の線を描く。
父が、誰よりも領民のことを考えていたと言った母の言葉は、嘘ではなかった。
強制的に徴募される軍役は、領民の肩に重くのしかかっている。
父が求めたことはすなわち、領民の生活の向上に他ならない。
けれど、アードグレンの併合を狙う王党派は、それを快く思わなかった……。
『そこでどうやら、一計を案じたものが王党派の中に居たらしい。我が父を手先として使い、ハートブリッジ卿の失脚を目論んだようだ。
だが昼間に話した通り、我が父にも、エドワード殿を陥れることに葛藤が無かったわけでは無いらしい。実際、僕と喧嘩した際に父はそう口にしていたし、ワイトフォード公爵からも、今すぐ策略を実行するようにとの要請が一度ならず送られていた。
結果として、この策は実行されることになり、父はエドワード殿にアードグレンとの会合の場を用意した。
そしてその交渉の事実を、おそらくは多分な誇張と共に、枢密院に告発した。
君のお父上の失脚は、この謀略によるものであるというのが、僕の出した結論だ』
手紙を読んで、私は思う。
おそらくアルヴィンの父も、一族の安泰や派閥の中での地位など、様々なことを天秤に掛けたのだ。父との友誼という重りが、単にそれらより軽かっただけのこと。
不思議なことに、怒りも恨みも、これまでに感じていた以上には湧いてはこなかった。
心の中にあるのは、ただ父母を失った悲しみと、使用人たちを殺された絶望だけ。
『エレナ、僕は君を、そしてアルテヴェール家を救うために、父の書斎からいくつかの証拠品を持ち出した。この陰謀について詳細に書かれたワイトフォード公爵からの手紙と、謀略の実行を命じる手紙。そして、|何故か父の書斎にあった《・・・・・・・・・・・》、アードグレン王国との交渉の席に高位貴族の派遣を要求していた、枢密院に宛てたエドワード殿の手紙。
全て印璽の入った封蝋付きで、差出人の身元を証明できる。
これを国王陛下の星室裁判所に提出すれば、エレナ、君のお父上を裁いた大逆罪の裁判の被告人は変わることになる。君のお父上ではなく、ワイトフォード公爵と、…………そして我が父、ルーファスに……』
私は眉間を指で抑えた。
昼間、アルヴィンの瞳に宿っていた決然とした光の意味が、やっと分かった。
アルヴィンは、私のアルテヴェール家を再興するために、自分の父親を犠牲の祭壇に差し出すと言っている。
『エレナ、君のためであれば、僕はローズヴァリ家を捨てることすら覚悟している。
君がどうしたいか、その答えを僕に聞かせてほしい。
明日の昼、今日と同じ店で待っている。
アルヴィン・バーナバス・ローズヴァリ
衷心より君を愛す』
手紙を読み終えた私は、一種の疲労感のようなものを感じていた。
父は領民のことを思い、領民の負担を軽減させようと行動し、そして陥れられた。
陥れたのは、アルヴィンの父、ルーファスとその背後にいる王党派の貴族たち。
もちろん、彼らに対して抱く思いが無いわけではない。
だけど……。
アルヴィンは私の家を再興するためなら、自らの父を犠牲にすることすら覚悟している。その想いは、私にとっては重すぎる。
いったい私は、どうするべきなのだろう……。
はぁと、深い溜息が漏れる。
いつの間に置かれたのだろう、机の脇には、カップに入れられた香草湯が湯気を立てていた。




