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第23話 悪所の少年

 たどり着いた闇市は多くの人々が行き交い、雑多な喧騒に包まれていた。

 初めて訪れる場所の騒々しさと柄の悪さに、私は少しだけ恐ろしさを覚える。


「エレナさん、恐縮ですが、私の服を握って掴まっておいて下さい」

「はい、先生」


 先生が差し伸べた救いの手に、私は一も二もなく飛びついた。

 先生の服の裾をぎゅっと握り、おずおずとついていく。


 闇市というのは不思議な場所だ。

 まず貧民街の市場と違って、きちんとした店舗というものが数えるほどしかない。

 通りに出ている店の大半が露天であり、狭苦しい裏通りのあちこちに木箱や荷車が置かれ、様々な物が積み重ねられている。


 肉に野菜、魚に果物。毛皮や布地やガラス細工によく分からない工芸品。

 ざっと右から左に視線を動かすだけでも様々なものが目に入り、そのあまりの節操の無さに目がちかちかした。


 私には何が売り物で何がそうで無いのかさえ分からないけど、もしかしたら目に入るもの全てが売り物なのかもしれない。


 人混みを掻き分けて前に進んでいくと、食事屋らしき店から、見るからに怪しげな風体の男が出てくるのが見えた。ぴっちりとした礼服を着込んではいるが、顔には服装とは不釣り合いな、鳥のくちばしかたどった黒い(マスク)を着用している。暑くないのかしら。


 先生はその怪しげな男にすたすたと近づいていくと、まるで友達にでも挨拶するかのような調子で声を掛けた。


「やぁ、(クロウ)

「何だ、グレンクロフト先生じゃないか。今日はどうした?」


 (マスク)の下からくぐもって響いてくるのは、意外と優しげな声。

 どうやら、先生の知り合いみたい。


「男を探しています。歳は十代の半ば。袋に薬草や瓶を入れて、ガチャガチャと音を立てながらここを通りませんでしたか?」

「通ったとも。続きが知りたきゃ、スパーク銅貨一枚だ」


 何でも無いことのようにそう言って手を出す男に、先生は苦笑しながら銅貨を取り出して渡す。

 男は丁寧な動作で、受け取った銅貨を胸のポケットにしまった。


「その男はこの先の薬屋で荷物を売り払ったようだな。二時間ほど前の話だ。代わりに何を買ったか知らんが、何かが入った袋を大事そうに持って帰っていった」


 男は通りの向こうにある少し高まった場所にある、立派な建物を指差して示す。


「そうですか……」


 先生は、がっかりしたような表情。


「ちなみにその男の名前や家などは分かりますか?」

「……俺は闇市の案内人だぞ? 闇市のこと以外分かるわけが無いだろう」

「そうですか……まぁ、店の人であれば流石に服装ぐらいは覚えているでしょう。売られた薬を買い戻すついでに聞くとしましょう」

「おいおい、服装なら別に俺だって銅貨三枚で教え……」


 グレンクロフト先生は何かを言おうとした鳥のマスクの男にさっと手を降って別れ、歩き出した。




   *   *   *




 私たちは、(クロウ)と呼ばれた男が指し示していた、薬屋だという建物の前にやってきた。


 入口の扉は艶のある茶色に塗られ、重厚な雰囲気。

 だけど、その扉を開けようとした先生の手が、はたと止まる。

 私も、すぐにその理由に気づいた。


 室内から、何やら言い争うような声が聞こえてくるのだ。

 かなり激しい言葉の応酬になっているようで、今はあまり店内に入りたくないような気がする。


「……出直しましょうか」


 困り顔を浮かべた先生が、ため息を付いて首を振った。


 店から数歩ほど離れた、その時だった。

 ばたんという音と共に店の扉が開き、私たちは思わず振り返る。


 扉を開けて立っていたのは、店の用心棒と思しき大男。

 その肩に、青色の髪の少年を担いでいる。


「プライス! そいつを外に投げ捨ててこい!」


 大男は店の中から響いた声に頷いたかと思うと、担いでいた少年を店の外へと放り投げた。

 少年はごろごろと転がり、道を歩いていた人々が迷惑そうにそれを避ける。


 青髪の少年はすぐに立ち上がったかと思うと、店に向き直って叫ぶ。


「グリフィズ! 金を返せよ!! お前から買った特級魔法薬(ポーション)が効かなかったんだぞ!」

「カイル! てめぇ、店の外でまで難癖を付けるんじゃねぇ! こっちは悪所の女郎屋の薬を一手に引き受けてる薬屋だぞ! 偽物なんぞ売るわけがねぇだろうが!」


 顔に憤怒の表情を浮かべて言い返すのは、店の中から姿を見せた白髪頭の人物。 

 その声と同時に、男の足元から一匹の猫がするりと飛び出す。

 男は慌てて捕まえようとするが、猫はその手をすり抜けて闇市の雑踏の中へ。


「ああっ……メイジー! くそっ、騒ぐから猫が逃げたじゃねぇか! 妹のためだって言うから貴重な薬を売ってやったのに! それを偽物だなんてとんだ言い掛かりだぜ!」

「ふざけるな! 妹の目に使ったのに、治るどころか何の効果も無かったんだぞ!!」

「そんな訳無いだろうが! お前こそ、難癖を付けて金をせしめ取る気だろう! こんな事なら他の奴に売るべきだったぜ! プライス、やっちまえ!」


 白髪の男の言葉に、用心棒はばちんと拳を打ち鳴らして、青髪の少年に近づいていく。いつの間にか周囲には野次馬の列ができ、人々の好奇の目がこちらを向いている。


 と、グレンクロフト先生が前に進み出て、用心棒を引き止めた。


「まぁまぁ三人とも、少し落ち着きましょう。カイルくん、でしたか。貴方は特級魔法薬(ポーション)を妹の目に使ったと言いましたが、どんな症状に対して、どのように使ったのですか?」

「……妹は目が見えないんだ。大枚をはたいて町の医者に見せたら、特級魔法薬(ポーション)が要るって。二年前から頼んでいたそれがようやく入荷したっていうから、む、無理をしてまでお金を工面したのに……。妹の目に使っても、治るどころか何の効果もないんだ! 偽物を掴まされたに決まってる!」


 話を聞いた先生は、悲しげな顔をして首を振る。


「カイルくん、妹さんの目を見たわけではないので確実では無いかも知れませんが、それはおそらく魔法薬(ポーション)の使い方を間違っています」

「ほれ見たことか! お前の使い方が悪かったんじゃねぇか!」


 得意げな声を上げる白髪頭の男を、先生が手で制した。


「私は医者をしています。一度妹さんの目を診察させて頂いてもよろしいですか?」


 青髪の少年は、迷った様子でグレンクロフト先生と白髪頭の男の顔を見比べ、やがてためらいがちに頷いた。




   *   *   *




「これでも昔は、城壁の中の市街に住んでいたんです。親は薬屋をやっていました。僕も妹も、何不自由無く暮らしていたのですが……」


 長く伸ばした青い髪の間から片目だけが見える瞳は、貴麗な空色。少年は、自分たちの家へと私たちを案内しながら自分の身の上について話す。


「突然、親が二人とも疫病で死んでしまって。あとはもう訳の分からない手形やら掛金かけきんの支払いやらであっという間に貧民街落ちです。妹も昔は普通に目が見えたのですが、この貧民街にやって来て数年ほどで目が潰れてしまいました。可哀想なものです……」

「妹さんは、明るさは分かるのですか?」


 話を聞いているばかりだった先生が、少年に尋ねた。


「はい……。明るいか暗いかということは分かってるみたいです」

「そうですか……。この貧民街にやってきてから、妹さんの全身に発疹が出たりしたことはありましたか?」

「いいえ、さいわいい、そういう病気とは無縁で暮らすことができています」

「ふむ……」


 先生は歩きながら、顎に手を当てて考え込んだ様子。

 道の端に置かれた木箱にぶつかりそうになったので、慌てて服を引っ張って向きを変えた。


「妹さんの病の原因が分かったかも知れません」

「本当ですか? まだ妹に会ってもいないうちに?」

「ええ。カイルくん、あなたも夜暗い時に外を歩くと、物がほとんど見えないでしょう? 足元が見えず、ちょっとした段差につまずいたりするのではありませんか?」

「え、ええ。ですが、皆そういうものではないのですか?」


 違うと思う。

 例え真っ暗でも、普通はある程度夜目が効くはず。


「勿論違います。放っておくと、あなたもいずれ妹さんのように失明することになりかねません」

「それは……本当ですか!? 二人して盲目になったらもう野垂れ死ぬしかありません。教えて下さい、僕たちは、一体何の病気なんですか!?」

「文字通り、『夜盲症やもうしょう』です。症状が悪化すると目から光が失われる。実は失明に至る前であれば対処は容易なのですが、貴方は妹さんが光を失う前に、私のところへ連れてくるべきでしたね」


 先生は首を振りながら、少年に悲しげな声を掛ける。

 その言葉に、少年は問うような視線を先生に向けた。


「……あなたは、一体何者なのですか? 高名なお医者様だとお見受けしますが」

「私は、ジェームズ・グレンクロフト。貧民街で施療院をしている、しがない医者ですよ」


 先生の言葉に、彼はさぁっと音が聞こえそうな勢いで顔を真っ青にすると。

 がばりと地面に這いつくばって、許しを請い始めた。

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