第22話 消えた薬
第四章 「盗まれた薬」はじまります。
夏至の太陽祭から十日ほどが過ぎ、暦は婚姻の月に入った。
初夏が終わり、いよいよ夏の盛りがやってきたフェルクリフの街は、じっとしていても汗ばむほどの陽気に包まれている。
「あ゛あ゛あ゛あ゛……あ゛づいです~~~……」
午前中の往診からの帰り道、貧民街の街角に、私のだらしない声が響き渡った。
「淑女がそんな声を出してはいけませんよ、エレナさん。施療院に戻れば魔石冷房で涼めますから、もう少しの辛抱です」
グレンクロフト先生が、苦笑しながら呟く。
もっとも、そう言う先生の首筋にも、大粒の汗が浮かんでいる。
「あああ……早く涼みたいです……。魔石冷房、錬金術の英知……! まさか最新の冷房装置が施療院に置かれているなんて、思ってもいませんでした」
「まぁ、あそこには温度に気をつけなくてはならない薬草や薬品も多いですからね。これも一種の約得ということです。快適なのは本当にありがたいですね」
先生とそんな掛け合いをしながら、施療院の近くまでやってきた時だった。
「……あれ? おかしいですね。何だか扉が少し開いているように見えませんか? 鍵は、閉めていったはずですが……」
グレンクロフト先生が立ち止まり、怪訝そうに呟く。
その言葉に施療院の方をよく見れば、確かに少しだけ扉が開いている気がする。
嫌な予感が湧き上がり、私たちは歩く速度を早めた。
施療院に近づけば近づくほど、予感は確信へと変わっていく。
やがて、扉の前にたどり着いた私たちが見たものは。
「ひどい……」
「やられました……。物取りでしょうね、これは」
扉は何か固いものでこじ開けられたらしく、取手と鍵の部分が壊されている。開ける際に傷つけられたのか、外側の木枠は一部が剥がれ落ちていた。
修理に一体いくら掛かってしまうんだろうと心配になるほどに、扉は無惨なことになっている。
「施療院に金目の物などほとんどないというのに……参りましたね」
グレンクロフト先生が頭を抱える。
先生はため息を吐きながら扉を開けて、中に足を踏み入れた。
きっと、中は酷く荒らされているんだ……そんなやるせない思いに気落ちしながら、私も後に続く。だけど。
「あれ……? 先生、なんか意外と荒らされていませんね?」
「本当ですね……。どうしたことでしょうか」
施療院の中は物色の形跡はあれど、ぐちゃぐちゃに物がひっくり返ったりはしていないようだった。
「……薬草のうち価値の高いものと、それからいくつかの薬品が無くなっています。ですが、薬草はどれも丁寧に少しずつ残してあって、薬品も予備として取り置いていたものだけが盗まれているようですね。魔法薬の棚にも物色の後がありますが、こちらは何も盗られていないようです。犯人を許すつもりはありませんが、随分と行儀の良い人物のようですね……」
そう呟く先生の声に含まれるのは、怒りというよりも呆れだろうか。
「……先生、机の上に手紙が残されています」
「おや、本当だ。これは、盗まれたものを返してほしければ、というやつでしょうか……?」
二人して机に近寄り、目に入った手紙の内容は。
『ごめんなさい いつかお金をためて返します』
先生と私は、顔を見合わせた。
* * *
「いんや、恵んでもろうたのにすまねぇが、それらしき人影は見とらんねぇ」
「そうですか……ありがとうございました」
「すまんねぇ。お二人にええことがあるよう祈っとくよ!」
教会から人を呼んで扉の修理を手配した私たちは、道端の物乞いに銅貨を渡して話を聞いていた。
というのも、施療院の近くの店で話を聞いても、犯人らしき人物の目撃証言は得られなかったからだ。
「ふむ、数人に話を聞いても誰も見ていないということは、犯人はこちらには来ていないのかもしれません。嵩張る薬草やら音の鳴る薬瓶を持って逃げていたら、袋に入れても目立ちますからね」
「はい……。ということは……」
「ええ。犯人はフェルクリフの町の方面に逃げた訳では無いということです。行き先は街の外か悪所、ということでしょう」
先生は振り返って、通りの向こう側を見つめる。
二股に別れた道の片方は貧民街の外に通じており、もう片方は町並みが続きながらも、徐々に下の方へと下っていく。
「悪所、ですか?」
聞き覚えのない言葉に、私は先生に問いかけた。
「つまり娼か…………。いえ、文字通りよくない場所、という意味の悪所です。少し物騒なところですので、あまりエレナさんを連れて行きたくないのですが……」
「そんな怖いところに先生お一人で行かせる方が怖いです。私、付いていきますからね?」
「……そうなりますよね。分かりました、何かあった時は、私がお守りします」
顔に苦悩を浮かべて呟く先生。……何かあった時は一目散に逃げ出したほうが良いと思うけど。
私たちは道を戻り、二手に分かれた道を左に進んで、「悪所」なる場所へと進んでいく。
「ああ、見た、見たぜ。二時間ほど前だな。十代の半ばぐらいの男が、薬草の飛び出たデカい袋担いでがちゃがちゃ音を立ててよぉ。闇市の方に下りていったぜ?」
「ありがとうございます、とても役に立つ情報です。彼の服装や髪の色は覚えていますか?」
真夏の日差しが照りつける中、先生が道すがら話しかけたのは、赤い顔をしてふらふらと上半身を揺らす物乞い。
彼は、犯人らしき者の姿を見たと言う。
「服装や髪なぁ……。覚えようと思って見ていた訳じゃねぇからな……。シャツは確か赤か……いや、緑だったかも知れねぇ。髪の色は……。すまねぇ、髪も服装も思い出せそうにねぇ」
「そうですか……。それでも、彼がこの道を通ったと分かって助かりましたよ」
グレンクロフト先生は、彼に銅貨を数枚まとめて渡した。
「こんなに貰っちまってすまねぇな。探し人が見つかるといいな!」
「こちらこそ、ありがとうございました。お節介かも知れませんが、このお金で何か飲み物を買って飲んで下さい。身体を壊しますよ」
男にそう伝えて歩き出す先生に、私も続く。
「十代の半ばくらいの男、ですか。犯人は私と同じくらいの歳みたいですね」
「そのようですね。しかし闇市の方に向かったとなると犯人の狙いは換金でしょうね……。二時間も前というと、とっくに薬をお金に変えて逃げおおせているかも知れません」
額に皺を寄せて、渋面を作る先生。
「せめて犯人の容姿が分かれば手掛かりになったのですが……。まぁ闇市の方に行けば、容姿を覚えている人も見つかるかも知れません。行ってみましょう」
「はい、先生」
私たちは、曲がりくねった道路を道なりに進んでいく。
建物は次第にみすぼらしいものが多くなり、道行く人々の服装もどんどんと貧しげなものに。
今にも潰れてしまいそうな家にまで生活の気配があって、私は驚く。
「あー、このあたりは酒場や娼か……ええと、男の人を相手にする柄の悪い商売の店が多くてですね……」
「先生」
初対面の時に私のことを娼婦ではないかと尋ねて頬を打たれた先生が、娼館については気を使って話そうとしているのが何ともおかしかった。
……また打たれるとでも思っているのだろうか。
「私、そこまで世間知らずじゃありません。娼館くらいで嫌な顔をしたりはしません」
娼婦も娼館も、物語でその言葉を知った。
言葉の意味が分からなくてお父様に尋ねたら、ちゃんと教えてくれた。
「年頃の女が、男の人の心と身体を揉み解して癒やすお店なのですよね。ちょっといやらしいと思いますけど、世の中には必要なものだとちゃんと分かっていますから」
先生は、何とも言えないような表情を作った。
「…………そ、そうですか。それならばよかった。とにかく、このあたりは酒場や娼館が多くてですね。酔っ払いの喧嘩なども多く物騒ですので、土地が安いのです。そのため食い詰め者なんかが多く住む町でして。危ないので、私の側を離れないでくださいね」
「はい、グレンクロフト先生」
少し早口になってそう言い聞かせる先生に、私はしっかりと頷いた。




