第21話 夢の叶え方
待ちに待った、お祭りの日がやってきた。
私たちにとっては、勝負を決める大切な一日になる。
「それでは幸運を祈りますよ、エレナさん」
「はい、ありがとうございます、先生」
お祭りの救護所に陣取ったグレンクロフト先生が、帽子に手を当てて挨拶する。
「お祭りで忙しくなる中、お休みを頂いてしまって申し訳ありません……」
「なに、大丈夫ですとも。去年までは私と教会からの応援だけで回していたのです。私としては、フェルクリフにやって来て日が浅いエレナさんが、お祭りを楽しんでくれることのほうが大切ですよ」
先生はそう言って、柔らかな微笑みを顔に浮かべる。
私は先生に再度お礼を言って、救護所の天幕を抜け出した。
「いよいよね。今日この場で、メアリの未来が決まるわ……!」
「ああ……緊張します……。でも、私は出来ることをやるだけ……! みんなの心を動かせる絵を描かなくちゃ!」
救護所のすぐ前で待っていたのは、メアリとローリ。
今日の画材は大親分のアンドリュー老人が用意すると言っていたので、二人とも手ぶらでここに来ている。
「はい……! でも、あまり気を張り詰めずに頑張りましょう!」
「そうね、エレナさんの言う通り、いつもと同じようにやればいいのよ、メアリ」
「うん……頑張る……!」
私たちは歩き出す。「壁」の設置されている、広場に向けて。
* * *
まだ朝二《九時》の鐘が鳴って間もないというのに、広場はすっかり人々の喧騒に満たされていた。
楽士たちの演奏が鳴り響く中、舞台の上では格子柄の毛織物を身にまとった男女が楽しそうに踊り、広場を取り囲む屋台からはスコーンや腸詰めを焼く香りが漂う。
屋台では麦酒や蜂蜜酒が振る舞われているらしく、赤ら顔の男たちが酒を飲み、肩を組んで陽気に騒いでいた。
「私たちが一番乗りじゃないみたいね」
「本当ですねぇ」
舞台の横に設けられた、一面の「壁」。その前にはすでに数人の大人や子どもが立ち、それぞれ与えられた場所に、思い思いの絵を描き始めている。
壁の前、画材などが置かれている机に、私たちは近づいていく。
そこには小柄な好々爺、市場の大親分のアンドリューさんがおり、にっこりと穏やかな微笑みを向けてきた。
「おぉ! エレナお嬢ちゃん! ここに来たということは、お嬢ちゃんも絵を描くのかの?」
「いえ、今日の主役はこちらのメアリさんなんです。メアリさんの絵は……それは凄いですよ……! きっと今日のお祭りを華やかに彩ってくれるはずです!」
私は隣に立つメアリを紹介し、メアリが挨拶をする。
「それは素晴らしい……! この貧民街にどのような才覚が埋もれておるのか、本当に楽しみじゃ! お嬢さん方の場所は……真ん中のあそこじゃな。よく目立つ場所ゆえ、素晴らしい絵を期待しておるぞ!」
「はい! ありがとうございます!」
にこにこ顔のアンドリューさんの視線を受けながら、私たちは必要な画材を木箱に取り、与えられた自分たちの「壁」に向かう。
「メアリ、今日の題材はもう決まってる?」
「うん、ローリ。何日も前から……ずっと考えていたの。今日という日に、相応しい題材にするつもり」
「頑張ってくださいね……! 今日はいつもと違って昼間ですから、ちょっと暑いです。落ち着いていきましょう!」
「ありがとうございます、エレナさん。……頑張りますね!」
メアリは黄色と白、そして少しの青い絵の具を調色皿に出す。溶き油を入れて色を混ぜると、刷毛を手に取って壁に塗り始めた。
今日は壁を四角く切り取る木枠を持ってきていないため、絵を四角い形に仕上げるのに使えるのは、自分の腕と筆だけ。
けれど、メアリは時々茶色や黒の絵の具を足しながら刷毛を動かし続け、壁の一面に黄色から黒に移り変わる、真四角のなだらかな色相を描いてみせた。後ろにいた見物人から、感嘆の声が上がる。
けれど、まだまだこんなのはメアリの凄さの一端に過ぎないのだ。
太陽が真上へと昇り、じりじりとした初夏の日差しが照りつける中、メアリは筆を振るい続ける。
真四角の絵の真ん中には蒼い光輪を纏った白い太陽が描かれ、そしてその太陽から降り注ぐのは、日差しではなく色とりどりの星々。
絵を描き続けるメアリの額には玉のような汗が浮かび、それは隣で絵筆や絵の具を持って立つ私たちも同じこと。私たちは熱さに耐えながら、壁の絵という一つの芸術を完成へと近づけていく。
「おい、あの絵……何か、例の『謎の絵』の雰囲気に似てないか?」
「言われてみれば……」
やがて、メアリが描く大きな絵と「謎の絵」との類似に気付く者が現れ始め、その噂は次第に、人々の間に広がっていく。
「あの女が、『謎の絵師』の正体なのか……?」
「いつもの『謎の絵』より随分と大きいぞ?」
「あのお姉さん、格好いい……!」
どんどんと人が増え、人だかりとも言えるほどになった観衆の前で、メアリは筆を動かし続ける。
うだるような日差しに身を曝しながら、目に汗が入るのも構わないほどに集中するメアリ。やがて彼女は大きな筆を置き、替わりに小さな筆を取って、描かれたたくさんの星々に、白く光る輝きを書き込み始めた。
輝きは奥の方ほど鈍く、手前のものほど輝かしく。
星々が煌々《こうこう》と輝き始めた今、その絵は不思議な魅力を放つようになり、やがて眺めていた私の心を、明るくて晴れやかな思いが満たし始める。
「何だか楽しくなってくる絵じゃのう!」
「不思議ですね。何だか、今なら何でも上手くいくような気がしますよ」
いつの間にか近くにやってきていた、大親分のアンドリューさんとグレンクロフト先生が、そんな感想を残して去っていった。
やがて絵を眺める観衆の間に和やかな声が満ちた頃、メアリは筆を置き、一枚の大きな絵の完成を告げた。
観衆に向き直ってお辞儀をし、大きな拍手が周囲を満たす。
「お疲れ様です、メアリさん……!」
「今日の絵も最高傑作ね、メアリ……! この絵のタイトルは何ていうの?」
「この絵は…………」
喝采を受けながら、彼女が口にした言葉は。
「『夢』……です。夢を叶えたい願望と、叶うかも知れない希望を、……絵にしました」
鮮やかな黄色から黒っぽい土色に移り変わる背景の奥で、白い太陽が輝き、色とりどりの無数の星が舞い散る。
彼女が描いた「夢」は、不思議と見る者の心に幸福感を湧き上がらせる、素晴らしい絵に仕上がっていた。
「き、君! 絵を描いてくれないか! 私の店にぜひ君の絵を飾りたい!!」
突如、群衆の中からそんな声が上がった。
「わ、私もお願いしたいわ! 家に飾る綺麗な絵を一枚描いて欲しいの!」
触発されたかのように別の声も上がり、たちまち強い欲望に目を輝かせた数人の人々が集まってくる。彼らは我先にとメアリの前に殺到し、メアリは怯えた顔で一歩後ずさった。
その時。
「彼女はメアリ・ミント! そして画廊を営んでおります私ニル・ブキャナンが、彼女の絵を一手にに販売させて頂いております! 彼女の絵をお求めの方は、彼女と直接交渉するのではなく、後日私の店、ブキャナン画廊へとお越しください!」
群衆の中からそんな声が響き渡り、皆の視線が一斉にそちらに向く。
「ニルさん……!」
群衆を掻き分け、ハンカチで汗を拭きながら現れたのは、画商のニルさんその人だった。彼は庇うようにメアリの前に立ち、声を上げる。
「メアリは創作に集中するため、売価の交渉などの面倒事は私が請け負うことになっておるのです。今後は彼女が描いた素晴らしい絵を、より多く扱うことになるでしょう! きっと皆さんを満足させる作品を用意してお待ちしておりますので、本日はどうか、メアリを休ませてあげてください!」
集まってきていた観客は渋々といった様子で、ニルさんに画廊の場所を尋ね始めた。
やがて、開放されたニルさんがこちらに近づいてくる。
「いやぁメアリさん。本当に素晴らしいことだ。やはり、貴方の才に注目した私の目は間違ってはいなかった。これからは何としても、あなたの素晴らしい『抽象画』を、私の画廊に卸していただきますぞ……! 勿論あなたの署名付きで。お高く売って差し上げましょう……!」
本当に嬉しそうに、満面の笑みを顔に湛えてそう口にするニルさんに、メアリが静かに呟く。
「ううん、高く売らなくても……大丈夫です。私、嬉しくて……」
「しかし、高く売らねば勿体ないですぞ?」
戸惑った声を出すニルさんに、メアリは楽しさが堪えきれないような様子で、にっこりと笑いかける。
「これから、たくさんの絵を描きます……! 私、描きたい『気持ち』がたくさんあって……! ああ、楽しみです……!」
描くのが好きだと言っていた、「抽象画」での名声と評判を手に入れた彼女は。
「夢」と名付けられた、大きな美しい絵を背景に、にっこりと微笑む。
夢を叶えたその姿は、眩いばかりの希望と幸せに満ちていて。
嬉しそうに佇む彼女を、私は万感の思いで眺めた。
* * *
お祭りが終わって、一週間が経った。
施療院の壁には、一枚の絵が飾られている。
赤とピンクに緑と青、そして黄色。様々な色で彩られたその絵は、横一文字に引かれた緑の線の上に、夕陽のような朱と明るい茶色、そして暗い茶色の線がそれぞれ一本ずつ。
絵の題名は、「絆」。
何だか楽しくて心強くて、それでいて安心できる――そんな気持ちが湧いてくる絵。
メアリが贈ってくれたその絵は、今日も私やグレンクロフト先生、そして施療院を訪れる患者さんたちの心を、明るく励ましている。
第三章 「画家の秘密」はここまでです
次回からは第四章、「盗まれた薬」をお送りします。




