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第20話 お祭りの壁画

 私たちが朝の街に「謎の絵」を描き始めてから、一月ひとつきが過ぎた。

 週に一度のお休みを除いて毎日描き続けたメアリの絵は、すっかり街の不思議の一つとなって、多くの人に楽しまれている。


「そういえば、エレナさん。巷では謎の絵が評判になっているそうですね。何でも、『図形や線を組み合わせて、何か象徴的な意味合いを持たせた』ような絵で、見ているだけで不思議と、楽しさや悲しさの感情が湧き上がってくるのだとか」


 施療院で朝の掃除をしながら、グレンクロフト先生が呟く。


「ふあぁぁ…………はっ、ひゃい、そ、そうみたいですね……!」


 私は大きなあくびを噛み殺しながら、慌てて答えた。

 先生の顔に、苦笑が広がる。


「まぁ、何をなさっているのかは何となく想像が付きますが。眠そうに見えますけど、しっかりしてくださいよ。今日は往診の日です。患者さんたちの前で、粗相の無いように」

「は、はい、先生。」


 掃除を終えた私たちは、それぞれの鞄を手に、往診へと出発する。




   *   *   *




 裏路地の家の少女、集合住宅に住む老婆、落盤事故で片脚を失った男。

 幾人かの往診を終え、次に向かう先は市場の方向。

 患者は、市場の大親分ことアンドリューさんだ。


 数日ぶりにやってきた市場は、あちこちに大工らしき男たちがおり、何か工事のようなことをやっている。やがて差し掛かった広場で、特設の舞台を組み立てているのを見た時、私はその理由に思い至った。


「先生、これってもしかして、夏至のお祭りの準備ですか!?」

「ええ、今年ももうそんな季節になりましたね。夏至の太陽祭ソルディヴァル、その準備をしているようです」


 先生の言葉に、私は心が弾むような喜びが身体を駆け巡るのを感じた。

 夏至の太陽祭ソルディヴァル。太陽の力が最も強い日を祝うお祭りで、豊穣と繁栄を祈って人々が大いに飲んで歌う日だ。


 ハートブリッジの館に住んでいた頃は、夏と冬の太陽祭ソルディヴァルの日だけは、夜遅くまで起きていても叱られなかった。


「お祭り、待ち遠しいですね! フェルクリフの街のお祭りはどんなお祭りになるのか、私とっても楽しみです……!」

「まぁ、城壁の中の街で行われるお祭りと、こちらの貧民街で行われるお祭りは別物なのですけどね。貧民街の方が盛大で賑やかです。普段は清貧に生活している分、お祭りでは羽目を外す訳ですね」


 先生と話しているうちに、やがて私たちは目的の家に到着した。

 市場の大親分、アンドリューさんのお家。

 彼の立派な肩書きに反して、そのお家は質素でこぢんまりとしていて、豪華さや贅沢とは程遠い。


「アンドリューさん、弱っていた心の臓はだいぶと力を取り戻してきたようです。もう不規則に脈を打ったり、脈が弱まったりすることは無いようですね」

「ああ、グレンクロフト先生。お陰で胸を痛める前より若返った気分じゃ。実はこの間倒れて先生に診てもらう前は、時々胸が痛いようなことがあったんじゃが、山査子ホーソン蒲公英ダンデライオン香草湯(ティザン)にして飲むようになってから、全く痛く無くなったわい」


 診療を終えた先生とアンドリューさんが、和やかに話している。


「それでは、突然脈が早く打って、息苦しさを感じることも無くなりましたか?」

「うむ。倒れた直後は何度かそういうことがあったが、もう大丈夫じゃ。言われた通り、脂っこい肉を減らして酒を絶ち、最近ではもっぱら燻製魚を食べておる。お陰ですっかり健康になってしもうたわ」

「それは、本当に素晴らしいことです。これからも、香草湯(ティザン)を飲むのは続けてください」


 先生の助言に、アンドリューさんが深く頷いた。

 私は、さっき通った広場で気になったことを、彼に尋ねる。


「アンドリューさん、広場のことで質問があるのですが、宜しいですか?」

「おお、勿論じゃ、エレナお嬢ちゃん」

「広場に木の壁のようなものが作られていましたけど、あれって一体何なのです?」


 広場で舞台の横に作られていた、薄い板を貼った壁のような構造物。

 グレンクロフト先生に尋ねても分からないという答えが帰ってきたそれは、昨年までのお祭りには登場しなかった、今年から新たに用意されたものらしい。


「おお、あれはな、お嬢ちゃん。……『壁』、じゃ」

「……壁、ですか」

「うむ。最近、貧民街を騒がせとる、ほれ、謎の絵のことがあるじゃろ?」


 いきなり絵の話題になったことで、思わずどきりとした緊張が身体を走った。


「……はい、最近よく聞きますよね」


 何とかそれだけを絞り出す。隣ではグレンクロフト先生が苦笑している。


「あれで気になってあちこちに尋ねてみたんじゃがな、どうやらこの貧民街にも、絵心のある者は多いというんじゃ。最近では広場の隅で、石で地面に似顔絵を描いている少年たちもおるようじゃしのぅ」


 私は先月の、道端でのことを思い出す。もしかして、あの少年たちだろうか。


「確かに、多いかも知れません」

「じゃがのう、絵を描くための画材はどうにも高価なものじゃ。絵を描きたいからと言って、実際に描くことの出来る者たちは限られる」

「はい……そうだと思います」


 才能と境遇は別物だ。才能があるからといって、それを活かせる環境に恵まれるとは限らない。先日の、石で路上に絵を描いていた少年たちだって、もし自由に絵の具を使える環境に生まれていたなら、歴史に名を残す画家になったかも知れないのだ。


「そこでじゃ、お祭りの日は画材の費用はわしが持つことにしての、絵を描きたい者は、好きに壁に絵を描いて良い、ということにしようと思っての。ま、もしかしたら例の、『謎の絵師』が姿を表してくれるかもしれん。そうなったら、絵や絵師を見るために広場を訪れる者相手に商売ができる。そうなるなら重畳ちょうじょうじゃのぅ」


 アンドリュー老人は老獪ろうかいな商人の目を見せて、満足そうな笑い声を上げた。




   *   *   *




「――――と、いうことがあったんです! 参加しましょう、メアリさん!!」


 その日のお昼休み、昼食のパンを手早く詰め込んだ私は、大急ぎでメアリたちの工房アトリエ兼住居を訪れていた。


「……えっ、えっ、参加……するって言っても…… 私だってバレちゃう……」


 メアリは筆を持ったまま、あわあわと戸惑った様子を見せる。


「もうバレたっていいじゃないですか。謎の絵、みんなすっごく楽しみにしてて大評判なんですよ……! メアリさんの絵だって分かったら、みんなメアリさんの絵を買い求めるようになるかも。画商のニルさんも大喜びです!」


 メアリは「謎の絵」の評判で少しだけ自信を付けることが出来た。

 ローリいわく、絵に込めた思いが見る人にも伝わることを実感し、筆運びが軽やかになったらしいのだ。実際、メアリは以前描いていた城の絵を完成させ、今では次の題材に取り掛かっている。


「私もそう勧めるわね。メアリ、貴方はその才能に対して世間の評価が低すぎたのよ。やっと正当に評価される機会が巡ってきたのだから、活用なさい!」

「うぅ……でも……。『謎の絵師』の正体が、グレンクロフト先生みたいに格好良い人や、エレナさんみたいに美しい人じゃなくて、私みたいな女だと知られたら……」


 筆を机に置いたメアリは、両手の指を合わせながら、戸惑ったように呟く。

 グレンクロフト先生、やっぱ格好良いんだ。

 ……だからといってどうということは無いけれど。


「何を言うのよ! エレナさんは確かに結構……というか、とても美人だけど、メアリ、貴方だってなかなかのものよ!」

「そうですよ! それに、メアリさんは格好良いです! 謎の絵師の正体がメアリさんだって分かったら、きっとみんな大喜びです!」

「エレナさん、あなた良いこと言ったわ! そうよ、メアリは格好良いのよ!」

「か、格好良い……かな……? あ、ありがとう……」


 メアリは、両手で頬を押さえてちょっぴり嬉しそう。


「メアリさん、私、これって本当に良い機会だと思うんです。メアリさんの描いた『謎の絵』が評判になっている今、お祭りの日の壁に『象徴的な意味を持った絵』を描いて謎の絵師だと名乗り出たら、きっとメアリさんの絵は引く手あまたになります!」


 私は、心を込めてメアリを説得する。

 この一月ひとつきの間、ずっと街中に絵を描き続けてきたのは、メアリに自分の絵の評判を知る機会を得てもらって、自信をつけて貰うため。

 だけど今、目の前にはより大きな成功への道筋が広がっている。 


「そうよ、メアリ。貴方が描くのが楽しいって言う『抽象画』。もしかしたら、その絵を売るだけで生活出来るようになるかもしれないわ。メアリ、貴方が一番好きな絵を仕事にできる、絶好の機会なのよ……!」


 ローリも、私に賛同してメアリを説得する。


「メアリさん……!」

「メアリ……!」


 必死になって口説き落とそうとする私たちに、メアリは。


「ありがとう、二人とも……。わかった。私、お祭りに出て、絵を描いてみる……!」


 口をぎゅっと引き結び、意を決した表情で、そう呟いた。

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