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灰色の街の聖女  作者: 犬猫鳥
上巻 没落令嬢の生きる道
2/12

第2話 最後の約束

「お嬢様、お食事の用意が出来てございますよ」


 侍女のハンナの声に、私は読んでいた本をソファの上にぽすんと置いた。

 せっかくお話の山場だったのに……そんな思いはあったけど、私の都合で使用人たちに迷惑をかけるのは、貴族としての矜持きょうじが許さない。

 私は何事も無かったかのように立ち上がる。


「ありがとう、ハンナ。すぐに行くわ」

「ええ、向かいましょう」


 にっこりと笑ったハンナが、私のために廊下へと続く扉を開けた。


「何をお読みだったのですか、お嬢様?」

「『ロッホファーンの魔術の鏡』よ。特別な魔法が使えるリアノンが、(いにしえ)の塔に隠された鏡を巡って大冒険するお話なの。誕生日までには読み終えてしまいたいわ。ああ、私にもリアノンみたいに特別な力があったら良かったのに……」

「あら、例え特別な力がなくとも、お嬢様は特別な容姿をお持ちですわ」


 微笑ましげに呟いたハンナが、私に羨望の眼差しを向ける。


「お嬢様は、ハートブリッジの薔薇ばらと称されたエドワード様と、宮廷にまで鳴り響く美貌をお持ちの紅燐こうりんの魔女エレノア様の血を受け継いでいらっしゃいますもの。夕陽ゆうひのように華やかな美しい御髪おぐし、心の底まで見透かされそうな空色の瞳、そして一流の画家が理想を筆に込めた絵画のように美しいお顔。私、婚約者のアルヴィンさまが羨ましいですわ」

「もう、ハンナったら。からかうのはよして」


 そうは言ったものの、私は彼女の言葉がお世辞や冗談ではないのを知っている。

 私が容姿にだけは恵まれているというのは、紛れもない事実だからだ。


 もっともその反面、私は母のような魔術の才も無ければ、父のように領地経営に優れているわけでもない。「不死鳥がカラスを生んだ」と笑われてもおかしくない程度には、私は貴族の令嬢として平凡な女だった。


 だが、容姿にさえ優れていれば、婿むこを迎え入れることには困らない。

 伯爵家の次男であるアルヴィン、私より二歳年上の容姿端麗な青年との結婚。親が決めた婚約ではあるが、いずれは平凡な女なりの幸せが得られるのだと、私はそう信じて疑わなかった。


 ……そう。あの時までは。


「な、なんですって……!? サミュエル、もう一度だけ、分かりやすくお願い……!」


 スプーンを取り落とした母エレノアが、顔面を蒼白にして騎士に問いかける。


「は、奥方様。恐れながら三日前のことでございます……! ご当主のエドワード様は大逆たいぎゃくの罪が発覚し、国王陛下より死罪を賜りました!!」


 王都から馬を飛ばして到着したばかりのサミュエルは、喉から声を絞り出すようにして叫んだ。その言葉に、昼食の鹿肉のシチューを堪能していた私も、遅ればせながらに事態の深刻さを理解する。


「エドワード様は、陥れられたのです……! 国王陛下の枢密院すうみついんに、エドワード様を告発する手紙が届けられました。差出人はワイトフォード公爵。ですが、連名でローズヴァリ伯爵の名があったのです……!」


 私は思わず、けほけほと咳きこんだ。

 ローズヴァリ伯爵家……それは私の婚約者である、アルヴィンの家。

 父と同じ派閥に属するはずのローズヴァリ家が、なぜ敵対派閥であるワイトフォード公爵と組んで父を告発する?


「エドワード様の処刑は翌日の早朝に行われましたが、拷問を受けたらしく痛ましいお姿でございました……。現在こちらには、シルヴァーホルム伯爵率いる討伐隊が向かっております! その数、およそ六百!」

「ああ……なんということなの……」


 サミュエルに縋り付くようにして立っていた母が、へなへなとへたり込んだ。

 私は席を立ち上がり、母に寄り添う。


「シルヴァーホルム伯の討伐隊は、処刑のその日のうちに領地を発ったとのことです。しかし、六百もの兵を準備もなく集められる訳がございません。これは、前もって計画された謀略です。エドワード様は最初から陥れられていたのです……!」


 唸るような低い声で、サミュエルは苦しそうに続ける。


「奥方様、お嬢様、直ちに脱出のご準備を。大逆の罪は家族にも累が及びます」


 途端、遠い目つきではらはらと涙を流すばかりだった母の瞳に、強い光が宿った。

 壁際で唖然としたまま固まっていた家令のジェラルドに、声を掛ける。


「ジェラルド! すぐに馬車の用意を。エレナを隣国へと脱出させます。貴方(あなた)が馬車を率い、最小限の人数で駆け続けてアードグレン王国を目指しなさい」

「かしこまりました。速やかに、脱出を手配致します。シンシア、ハンナ、急ぎ奥様とお嬢様の着替えと荷物の用意を」


 調子を取り戻したジェラルドが深く頷き、母と私の侍女に準備を命じる。

 だけど。


「いいえ、ジェラルド。私は逃げません。逃げるのは、娘のエレナだけ」

「奥様!?」

「お母さま!?」


 母の侍女であるシンシアが叫び声を上げる。当然、私も。


「討伐軍を足止めしなくては、二人して捕らわれる未来が待つだけよ。それに、夫を殺されて黙っていられるほど、私の矜持は安くはないわ。魔法だけで成り上がった元聖銀(ミスリル)級冒険者の誇りが如何いかなるものか。シルヴァーホルムの雑兵どもに思い知らせてやりましょう。……エレナ。ごめんなさい。来週のあなたのお誕生日を一緒に祝ってあげることは、できそうにないわ」

「そんな、いいのです! お母様、どうか一緒に逃げましょう! 私、一人ぼっちだなんて生きていけないわ!」


 父の死を聞いてもあふれなかった涙が、ぽろぽろと零れた。


「……エレナ。強く、生きなさい。アルテヴェール家は、もうおしまい。家の復興など考えず、自由に生きるのよ……」


 母は、涙に濡れた瞳をうるませながら、私の頭を撫でる。


「……私はあの人の妻として、最後に果たすべき責務を果たすわ。誇り高く、気高く。あの人の意志を継いで、せめて一矢だけでも報いてみせる。でもどうかこれだけは忘れないで……。あの人は、エドワードは……。誰よりも、領民たちのことを考えていたのよ……!」


 溢れ出る涙を拭うこともせず、さとすように呟く母の姿に、私はさとった。


 ああ、お父様の大逆の罪というのは……

 王様に歯向かった罪というのは……


 ……無実の罪ではないんだ。


「奥様、馬車の準備が整いました」


 ジェラルドが、控えめな声で報告する。


「エレナを頼んだわよ……! 絶対に、王国の追手なんかに彼女を渡さないで!」

「……この命に替えましても、必ず」


 深々と頭を下げたジェラルドに、母が深く頷きを返す。


「ああ、エレナ……! 私たちの可愛い娘……!」


 母が私のことを強く抱きしめた。

 痛いくらいにぎゅっと。


「約束よ……! 強く、生きなさい。そして……どうか、元気でいてね……」


 私も、精一杯に手を回して、母の体を抱きしめる。

 溢れ出る涙が、顔に掛かった母のあかい髪の中に消えていった。


「……あの、私も同行させて頂いても宜しいでしょうか?」


 侍女のハンナが、恐る恐るといった感じで、声を出す。


「身の回りでお世話をする者がいなければ、お嬢様が新天地でお困りになるでしょうから」


 彼女の言葉に、ぞくりと嫌な予感が背筋を駆け上がった。

 何かがおかしい。私はこの先に何が起きたかを知っている。


 ……ああ、ハンナ。

 来てはだめ。

 共に来れば、あなたは死んでしまう。


 なのに。


「ふむ、良いだろう。お嬢様と共に来なさい、ハンナ」


 ああ……ジェラルドが、同行を許してしまった……


「これからも一緒ですね、お嬢様。新天地でも、不自由の無いようにお世話して差し上げますからね」


 そう言って、にっこりと笑うハンナ。


 だけど、もうその笑顔が私に向けられることはない。

 あなたは、あの隣国へと続く山道の中、死んでしまった。


「なら、私も行くべきね」


 部屋に入ってきた、伝統的な魔法使いの格好をした、金髪の快活そうな女性。

 筆頭魔術師のリサ・ホークリッジ。


 私たちは、あなたの力で助けられた。 

 あなたの魔法がなければ、逃げ出すことは出来なかった。


 ああ。だけど。


「ホークリッジ卿が同行して頂けるのであれば心強い。しかし、宜しいのでしょうか、奥様?」

「ええ。リサ、娘を守ってあげて……!」

「任せな! 命に替えてもとは言わないけどね。出来るところまではやってあげるさ」


 結局、あなたも死んでしまう……


 ふわふわと宙に浮いた心の中、私はただうなされる。

 私のせいで。

 私を逃がすために。

 二人とも、死んでしまった。


「お嬢様」


 ああ、そして。


「お嬢様、起きてください」


 あなたも。撫でつけた銀髪がいつも格好いい家令のジェラルドも。

 私に代わって、短銃(フローテ)の銃弾を受けた。


「お嬢様」


 むっとした血の匂いが、鼻に纏わりついて離れない。

 視界の全てが真っ赤に染まっていくような気がして。


「お嬢様!」


 私は、慌てて目を開けた。

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