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第17話 無名の画家

第三章 「画家の秘密」はじまります。

 春が終わり、季節は夏の支度をし始めた。

 花が咲き乱れていた木々は今や青々とした緑の葉を付け、日中の気温はもう厚着がいらないくらいに温かい。


「すごかったですね、フィオネさんの月弦リュートとヘレンちゃんの縦笛リコーダー……!」

「本当ですね。心に残る、感動的な演奏でした。ヘレンさんはまだ八歳でしたか。将来が楽しみになります」


 孤児院で行われた、二人の演奏会からの帰り道。私とグレンクロフト先生は耳にした音楽の素晴らしさについて語り合う。


 ヘレンはフィオネに引き取られ、その弟子となったのだが、どうやら彼女には笛の才能があったらしい。彼女の演奏は楽器を手にして僅か一ヶ月というのが信じられないほどに見事なもので、演奏会では月弦リュートの調べと縦笛リコーダーの音色が華やかに響いていた。


「でも、フィオネさんたちがこの町にいるのも今日が最後。あの素敵な演奏が聞けなくなるのはちょっと寂しいですね……」


 旅の楽士であるフィオネは、いつまでも町に留まっている訳にはいかない。観衆が演奏に慣れてしまえば、収入が次第に減っていくためだ。そうなる前に、次の町へと移動しなくてはならない。


 今日の演奏会は、ヘレンと孤児院の子供たちのお別れ会を兼ねる形で、行われたものだった。


 お母様の子守り歌に再会し、明るい笑顔を浮かべるようになったヘレンと、音楽で人の心を震わせるフィオネ。きっと別の町に行っても、元気でやっていくことだろう。


 私たちは、彼女たちとの別れに名残惜しい思いを残しつつも、施療院への帰り道を進んでいく。

 やがて、視界の向こうに石造りの施療院が見えてきた時だった。


「……あれ? 先生、建物の前に誰か居ますよ……。も、もしかして患者さんなんじゃ!? 急ぎましょう!」


 私は患者らしき姿を認め、隣に居る先生に訴える。

 だけど、私が横を見ると、――もう先生は居なかった。


 目をぱちぱちと瞬かせてから再び前を見ると、ものすごい速さで施療院に駆けていく姿が見える。

 私は、慌てて後を追いかけた。




   *   *   *




「お出かけになっていらしたのに、かしてしまってすみません」


 そう言って謝るのは、暗い茶色の髪を、男の人と見紛うほどに短く切りそろえた女性。年の頃は、たぶん私より少し上。何だか格好いい感じの人だけど、話し方はとても穏やかだ。


「いえ、今日はいつもは開けている時間に私用で出かけていましたからね。私の方こそ、お怪我をされている中お待たせしてしまって申し訳ない」


 先生は恐縮した様子で言葉を返し、血が滲んだ彼女の包帯を解いて足の傷を露わにする。


「エレナさん、鋸草ヤロウの煎じ薬をお願いします。傷口を洗うためのものですので、ましてください」

「はい、先生」


 先生の助手としての仕事にももう慣れたもの。

 私は先生が治療で求める薬を予想し、すぐに作る準備ができる程度には、施療院での仕事に馴染んでいた。


「ふむ。しかし、これは……絵の具ですか?」


 女性の足の甲に出来た傷を診ながら、先生が尋ねる。

 じわじわと血が流れ出る痛々しい傷の周囲には青色の何かが付いている。付着したあと、布で拭ったような跡だ。


「はい……。絵を描くのに使うナイフを、落としてしまいまして」

「それは、不運でしたね。しかし絵の具ですか……。このまま魔法薬(ポーション)を使うと、傷口に色が残ってしまいます。命の水(アクア・ヴィテ)で取れるか分かりませんが、拭き取りを試してみましょう。……少し痛みますよ?」

「……はい。お手数をおかけして恐縮です」


 先生は命の水(アクア・ヴィテ)の瓶を取りに立ち上がる。 


「あの、お姉さんは、画家の方なのですか?」


 鋸草ヤロウの葉をすり潰しながら、うずうずがこらえきれなくなった私は彼女に尋ねた。

 画家というと、ハートブリッジの邸宅に住んでいた頃、何度か肖像画を描きにやってきたことがある。


「あっ、いえ……違うんです。私なんてまだまだ、画家を名乗るのはおこがましいです。その……好きで描いているだけでして……」


 だけど、彼女は恥じらいの表情で首を横に振る。


「すごい……! 一度絵を拝見させて頂く訳にはいきませんか?」

「いえ……私の絵なんて、本当にお見せ出来るようなものではありませんので……」


 恥ずかしそうに手で顔を覆った彼女は、そう言って顔をそむけてしまった。

 けれど、その言葉はきっと謙遜なのだ。

 だって、その手は指や爪にいろんな色の絵の具が付いて汚れているもの。

 昔私の肖像画を描きに来た画家の指がそうだったように、あれはずっと絵を書いている人の手だ。本当はきっと、かなり上手なのだろう。


 やがて、透明な液体の入った薬瓶を手に、先生が戻って来た。

 それを布に染み込ませて、説明する。


「これは、命の水(アクア・ヴィテ)と言い、酒から酒精のみを取り出したものです。布に垂らして拭いてみますが、傷にはかなり染みます。覚悟してください」

「はい……つっ!」


 私はすり潰し終えた鋸草ヤロウの葉を魔石焜炉(コンロ)で沸かしたお湯で煎じていく。


「私はエレナと言います。ご存知かもだけど、そちらはグレンクロフト先生。お姉さんのお名前は?」


 傷の周囲をぬぐわれて小さく悲鳴を上げる彼女の気をそらそうと、私は再び彼女に声を掛けた。


「私はメアリといいます。メアリ・ミントです」

「ありがとうございます、メアリさん。メアリさんはどういった絵を描かれるんですか? その、人物画とか、風景画とか」

「えっと、一通りは描くことが出来る……と思います。自信はあまりありませんけど……。それと、笑われてしまうかもしれませんが、単純な図形や線を組み合わせて、何か象徴的な意味合いを持った絵を作るのが、少し好きです」


 私は一瞬、彼女が何を言ったのかよく分からなくて、混乱した。

 煎じた薬を布で濾し取り、鍋に入れて水につけて冷ます。


「象徴的な意味合いを持った絵、ですか?」

「はい。喜びとか、悲しみとか、そういった本来絵にできない感情を絵であらわすんです。喜んでいる人や悲しんでいる人を描くことは出来ますが、感情そのものを絵にすることは出来ません。出来ないことに挑んでいる気がして、楽しいです」


 そう答えるメアリは、どこか背徳的とさえ感じる微笑を浮かべて、面白さが抑えきれないようにくすくすと笑った。


 やがて全ての処置が終わってすっかり傷が癒え、お礼を告げた彼女が帰ろうとした時。

 入口の扉が開いて扉に付いた鈴がちりんと鳴り、一人の少女が飛び込んできた。


「メアリ、怪我したんだってっ!?」


 明るい茶色の髪を頭の左右で結んだ彼女は、肩で息をしながらそう叫ぶ。


「ローリ……! 大丈夫、大したことはなかったよ。もう治ったし」

「はぁぁぁ、良かったぁぁ……。もう、気をつけてよね……! 家主のマクロードさんにメアリが怪我したって聞いて飛んできたんだから……!」

「ごめんね、ローリ……心配掛けちゃって」


 安心して胸を撫で下ろす少女に、メアリは優しく声を掛ける。


「足を怪我したって聞いてびっくりしたんだから。画布キャンバスの前に立てなくなったら、画商のニルさんに頼まれてた絵を完成させられないじゃない。画材を買うお金がなくなったら、メアリの生き甲斐の絵が描けなくなっちゃうよ!」

「うん、ありがとう、ローリ。これからは気をつけるね……」


 小言を言うローリに、メアリはしゅんとした表情を作った。

 ローリの言葉が気になった私は、おずおずと声を掛ける。


「あ、あの。画商さんに絵を売られるということは、やっぱりメアリさんはすごく素敵な絵を描かれるのではありませんか?」

「ちょっと! メアリの絵は素敵なんて陳腐な言葉で表せるものじゃないわ! 芸術そのものなのよ! きっといつかは世界中の人がメアリの絵を求めるようになる。王宮に絵が飾られる日だって来るかもしれない、ううん、きっと来るわ!」

「ちょ、ちょっとローリ…… そんなことは無いわよ……」


 ローリは、手を大きく広げてメアリの絵の素晴らしさを力説する。

 メアリは頬を押さえて恥ずかしそう。でも、その表情には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。


「すごいすごい! さっきメアリさんには断られましたけど、私やっぱりすっごく見てみたいです! 駄目……ですか?」

「ふふん、あなたには見どころがあるようね。良いわよ、メアリの同居人の私が許可してあげる。工房(アトリエ)を兼ねた私たちのお部屋に招待してあげるわ!」

「あっ、あっ、……もう、ローリったら……」


 腕組みをしたローリは、にんまりと満面の笑みを浮かべながら私を誘った。

 メアリはローリに困ったような表情を向ける。


「やったっ! ありがとうございます、ローリさん! それと、勝手なお願いを聞いてもらってすみません、メアリさん」

「ううん、構わない……けど……」


 恥じらいの浮かんだ顔ではにかむメアリだけど、その目元からは少しだけ嬉しそうな感情が見え隠れする。

 私は少し気後れしながら、先生に頼み込む。


「……あの、先生。そういうことなので、午後は少しお休みを頂けないでしょうか? 午前中を演奏会でお休みした後なのに申し訳ないのですが……」

「勿論いいですとも。今日はエレナさんに素敵な演奏会に招待して頂きましたたからね。そのお礼に、午後はお休みを取ってメアリさんの絵を楽しんで来てください。……それと、明日にでも、私にも絵の感想を教えて下さいね」


 先生は私のお願いをこころよく承諾すると、耳打ちするかのようにそう言ってにこりと微笑んだ。

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