第16話 歌が取り持つ縁
「エレナさん、マリアさん、素敵な演奏の機会を設けてくれてありがとう! 子どもたちの笑顔を見ることが出来て、最高に幸せな気分よ……!」
「私は何も……。フィオネさんこそ、本当にありがとうございます!」
「こちらこそ、子どもたちを笑顔にして下さって、心から御礼申し上げますわ」
ささやかな演奏会が終わり、満面の笑みで取り囲む子どもたちから開放された後。私たちは、応接室で香草湯を飲みながら、穏やかなひとときを味わっていた。
「そしてありがとう、ヘレンちゃん。お母様の弦巻がなかったら、演奏ができなくて本当に困ったことになっていたわ……! これはお母様の形見のはずなのに、ほんとに返さなくてもいいの?」
「どういたしまして、フィオネおねえさん。ママがのこしたものだけど、フィオネおねえさんが持っていて、音楽でみんなを笑顔にしてあげる方が、きっとママもしあわせに思うはずだから……!」
フィオネはきゅぅと声を上げて、ヘレンを抱きしめた。
「ああ……! 本当になんて優しい娘なの……! きっとあなたのお母様も、あなたのことを誇りに思っているはずよ……! 何かあたしに出来ることがあれば、恩返しをしたいのだけれど……」
フィオネの言葉に、ヘレンは首を傾けて何やら考えている様子。
「ヘレン、フィオネおねえさんの子守り歌が聞いてみたいです。子やまごに語りつぐ、フィオネおねえさんのふるさとの歌」
少し考えてから、ヘレンはそんな答えを返した。
フィオネは頬を染めて、ちょっぴり困ったような顔をする。
「あ、あたしは……弾き語りはそんなに上手く無いんだけど……」
「ううん、ヘレン、お姉さんの歌が聞きたい」
「うう……わかったわ。それじゃあ、歌ってあげる。私たちの間では、『月守り』とか、あと単に『子守り歌』って呼ばれてる歌。私もいつか、子どもができたら歌ってあげるつもりでいたんだけどね」
ヘレンに押し切られる形になったフィオネは、まだ少しだけ恥ずかしそうな表情を残したまま、月弦を手に取る。
喉に手を当てておほんと咳払いすると、前奏を奏で始めた。
紡がれるのは、のんびりとした、美しくてどこか切なげな旋律。
少しだけ物悲しさを感じて、けれども不思議と安心する調べ。
私は、ヘレンに視線を向ける。
彼女は、顔に驚きの表情を貼り付けて、固まっていた。
……どういうこと?
フィオネが、歌い始める。
『月がほほえむ、夜の川辺で
優しい光の、下で眠れ』
「月がほほえむ」……? この歌って、まさか……!?
『そっと囁く、川のせせらぎ
夢の彼方へ、心を運ぶ』
驚きに見開かれたままのヘレンの瞳から、涙が溢れる。
頬を伝う雫を拭うこともせず、一心に聞き惚れている。
『風が歌うよ、月夜の森で
優しい影が、おまえを守る
星がかがやく、静かな夜に
愛に抱かれて、眠れ我が子よ』
フィオネは何かを察したのか、その表情から羞恥が消えた。
心を込めた表情で、歌声を響かせる。
『月がほほえむ、優しい夜に
川の音色が、そっと寄り添う
星がまたたく、夜の彼方へ
夢の小舟が、おまえを運ぶ
川のささやき、星のきらめき
おまえのそばで、いつも歌うよ
眠れ我が子よ、愛の腕の中
朝がくるまで、月が見守る』
フィオネの歌が終わり、部屋にはしくしくと静かに響く、ヘレンの泣き声だけが残された。
フィオネが、ためらいがちに口を開く。
「……ヘレンちゃん。もしかして、あなたのお母様は、他の人より少しだけ、耳が長かったり、耳の先が尖っていたりはしなかったかしら……?」
「うん……ママの耳、どうして形が違うの? って聞いたことある」
「……お母様は、何て?」
「……いきるじかんが違っても、おまえはママの子なのよ、って」
間違いない。フィオネの耳は人間の耳と変わりないけれど、きっとフィオネのお母様には何分の一かだけ、エルフの血が流れていたのだ。
「この娘は、私の一族の娘だわ……」
フィオネが、悲しげな声でぽつりと呟いた。
ヘレンは何のことかよく分かっていないようで、ただ穏やかな笑みに涙を流しながら座っている。
「やっぱり、エレナおねえさんは天使さまだった……!」
幸せそうに弾んだ声で、ヘレンが呟いた。
「ママの歌を、ちゃんと見つけてくれたもん……!」
想いが抑えきれなくなった私は、泣き笑いを浮かべたままのヘレンを、ぎゅっと抱きしめた。
* * *
「……なるほど。それで、彼女たちはそれからどうなったのですか?」
夕刻の施療院。朱い光が窓から差し込む中、香草湯のカップを手にしたグレンクロフト先生が問いかけた。
「ええ、先生。フィオネさんが、ヘレンを家族として引き取ると名乗り出まして。歌と楽器を教えて、楽士に育てるのだそうです」
「それは、良いことですね。楽士や吟遊詩人はいつの世も人々の心を明るく照らすお仕事です。生活には、困ることのない職業でしょう」
私は、フィオネの月弦の音色を思い出す。
思わず踊りだしたくなるような楽しげな曲や、郷愁の念を抱かせる温かみのある曲。きっと、ヘレンもいつかはああいった音楽で人の心を癒やす楽士になるのだ。
「旅の楽士、ですか。エレナさんが素晴らしいと仰る演奏を、私も一度聞いてみたくなってきましたよ」
「先生もきっと気に入ると思います。でも、ヘレンを引き取る話をしていたので、明日は広場にはいないかも……。これからどうするのか、聞いておけばよかったです……」
彼女はやってきたばかりなのだから、しばらくはフェルクリフの町に滞在するとは思うのだけど。
「まぁ、機会があれば彼女の演奏に巡り合うこともあるでしょう。その時の楽しみに取っておきますとも。それにしても、エレナさんは……」
「はい、何でしょう?」
こちらを向いたグレンクロフト先生の顔に、温かな笑みが広がる。
「エレナさんは、見事にヘレンさんの心を癒やしましたね。医療では不可能なことを、その行動によって成し遂げました。これは素晴らしいことです。お母さんの歌を取り戻し、そしてフィオネさんという養母を得た今、ヘレンさんが夜を泣いて過ごすようなことは、もう無いでしょう」
「……はい、ありがとうございます!」
先生は満足したような表情で香草湯に口をつけ、ゆっくりと味わうように飲む。
私も、自分のコップを手にして、同じものを楽しむ。
刺草の葉を煮出した、緑がかった色の香草湯。
はちみつを加えてあるのでほんのり甘く、味わい深い。
疲労に効くというこの薬草を選んで淹れてくれた先生の心遣いが、今はただ嬉しかった。
ヘレンは将来どんな楽士になるだろう。月弦か、あるいは他の楽器かもしれないし、もしかしたらフィオネがあまり得意じゃないと言っていた歌にこそ、その才覚があるのかもしれない。
甘やかな香草湯のカップを手に、私は想像をふくらませる。
二人に良い未来が訪れますように。
第二章 「母の歌声」はここまでです
次回からは第三章、「画家の秘密」をお送りします。
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