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第15話 演奏会

「みんな~! こんにちはっ! 私は楽士のフィオネ。エレナお姉さんのお願いで、みんなを音楽で幸せにするためにやってきたよ~っ!」


 孤児院の広間に集まった子どもたちの前で、明るく自己紹介をするフィオネ。

 言葉に合わせて月弦リュートを軽やかに掻き鳴らし、子どもたちからは賑やかな歓声が上がる。


「エレナさん、本当にありがとうございます。子どもたちもとても喜んでいます。ただ……ヘレンの子守り歌の件は、残念でした。どうかお気を落とされませんように」

「恐れ入ります、マリアさん。フィオネさんの音楽が、せめて少しでも彼女の気晴らしになってくれれば……」


 院長のマリアさんは、フィオネと共に訪れた私の唐突な申し出を喜んで受け、すぐに子どもたちを集めてくれた。だけど、子守り歌の件をヘレンに伝えることは、まだできていない。


 私が悩んでいる間にも、フィオネは曲名を皆に告げ、底抜けに明るい曲を演奏し始める。

 子どもたちは大喜びではしゃぎ、手拍子を挟んで楽しそうだ。

 ヘレンの顔にも笑みが浮かんでいて嬉しくなったけど、この後伝えなくてはならない辛い報告のことを考えると、心がずきりと痛んだ。


 伝えるなら、フィオネの演奏会が終わる前に伝えた方が良いだろう。

 何曲か演奏が終わった後に挿入される予定の、ちょっとした休憩の時間。

 そこが、私にとっての試練の時間だ。


 楽しい曲、思わず踊りだしたくなるような曲、面白おかしい旋律の曲。

 フィオネの楽士としての腕前は卓越したもので、広間には温かな歓声と賑やかな笑い声が満ちる。

 旋律を聞くだけで涙が出るほど笑ってしまうなんて、私も初めての経験だ。


 何曲かを演奏し終えた頃、一度休憩を挟む旨をフィオネが宣言した。

 休憩に席を立つ子たちや、フィオネの側に近寄って質問を投げかける子たち。子供たちの様子は様々だ。


 数人の子どもに囲まれて楽しそうに受け答えする彼女と目が合うと、ぱちりと片目を瞑って見せた。

 ヘレンは……他の子たちに混ざらず、席に着いたまま。


 ……よし。


 私は意を決して、彼女に近づいていく。


「こんにちは、ヘレンちゃん」

「こんにちは、エレナおねえさん」

「……実は、あなたのお母様の子守り歌のことなのだけど……」


 その言葉を耳にした途端、彼女の瞳に宿るのはきらきらとした期待。

 ……だけど、私は。その期待を、彼女の希望を、裏切らなくてはならない。


「ごめんなさい…… どうしても、見つけ出すことができなかった。どうか許してほしいの……」

「え……うん……。で、でも、エレナおねえさん、まだ一日だよ? もっとさがしてみたら、知ってる人がみつかるかも!」


 困惑した様な表情で、ヘレンが呟く。


「ううん、ヘレンちゃん。実はね、お母様のお歌を知っている人が見つかって、話を聞くことができたの。だけど、お母様の子守り歌はね……」


 私は、結論を彼女に伝えるのが辛い。

 だけど……。逃げるわけには、いかない。


「お母様が、お母様のさらにお母様から受け継いできた、家族しか知らない歌だったの……。でも、ヘレンちゃんのお母様は、孤独な身の上だったそうよ……」

「こどくな、みのうえ……?」


 難しい言葉が分からなかったらしく、きょとんと聞き返す彼女。


「ばっかだなー、親も兄妹も死んじゃって居ないってことだよ」

「……そっかぁ」


 近くで話を聞いていた男の子が、どこか悔しそうに見える顔で言葉の説明を挟む。

 この子は……昨日ヘレンのことをひそひそと話していた子かしら?


「だから、お母様が無くなった今、歌のことを知ってる人はもういないの……。もしかしたら、遠い親戚の人だったら知っているのかもしれないけれど、名前も住む場所も分からない人を、探すことは出来ないわ……」


 私は、伝えるべきことを話し終えた。

 ヘレンの顔には、悲しみでも落胆でもない、どこか達観したような表情が浮かんでいる。


「……そうなんだ。エレナおねえさん、ありがとう。もう歌が見つからないって分かっただけでも、ヘレンは良かったなって思うよ。……知らないままだったら、きっとずっと心残りだった」

「きっと見つけてみせるって約束したのに……約束を破ることになってしまってごめんなさい……」


 瞼の端にじわりと浮かんだ涙を、指で拭う。

 ヘレンが近づいてきて、ぎゅっと私を抱きしめた。


「いいの、エレナおねえさん。ヘレン、思い出すのがんばってみる。今は無理でも、いつかは思い出せるかもしれないし……」

「うん、ヘレンちゃん。いつか思い出そうね……」


 昨日とは逆で、すっかり私が慰められる側。


「失われた家族だけの歌、か。難儀なことねぇ……」


 いつの間にか近くに来ていた楽士のフィオネが、寂しげに口にした。


「エルフの里にも、そういう歌はあるのよ。一族の故郷を象徴する歌で、遠く故郷を離れてもふるさとのことを忘れないよう、子や孫に子守り歌として聞かせるの。きっと彼女の歌も、そんな大切な想いが詰まった歌だったのね……」


 そう感慨深げに呟く彼女の碧い瞳も、どこか涙で潤んでいるように見える。


「えっと、ヘレンちゃん、だっけ?」

「うん」

「私、この後もっと色んな曲を弾いてあげるから! 悲しいことがあっても、人は乗り越えなくちゃいけないわ。だから、私の音楽でその手助けをしてあげる!」

「フィオネおねえさん、ありがとうございます。ヘレン、楽しみです」


 フィオネは気丈に振る舞うヘレンに気持ちを抑えきれなくなったのか、きゅうと変な声を出して彼女を抱きしめた。


 フィオネの演奏会が、再開される。

 彼女はさっきまで以上に情熱的に月弦リュートを弾き鳴らし、様々な音階の音色を紡いでいく。

 母性のような暖かさを感じる曲、どこか懐かしさを感じる曲、包みこまれるような優しい旋律の曲。

 それは家族と過ごした幸せな時が、まるで目の前に蘇ったと錯覚するかのような不思議な体験で、気がつけば頬を涙が伝っていた。

 子どもたちもみな、しいんと静まり返って音楽に聞き入っている。


 やがて優しい旋律の曲が終わり、フィオネの月弦リュートは再び底抜けに明るい調べを奏で始める。

 皆の顔が明るくなり、子どもたちが涙をぬぐい始めたその時だった。


 ぱきりという音と共に不協和音を立てて、月弦リュートの音色が止まった。


 フィオネの顔には明らかな戸惑いの表情。何か、楽器にまずいことが起きたらしい。私は慌てて彼女に駆け寄る。


「ど、どうされましたか?」

弦巻ペグが壊れちゃった……。替えは宿屋にしか……。どうしよう、これから楽しい旋律でみんなを笑顔にするところだったのに……! マリアさん、孤児院に何か楽器はある? 笛でもハープでも何でもいいの!」

「申し訳ありません、フィオネさん。孤児院に楽器はありませんわ……。弾ける者がおりませんもの……」


 悔しそうな顔のフィオネに、マリアさんが恐縮した表情で答える。

 視界の端に、ヘレンが突然広間の外に駆け出すのが映った。


「ヘレン? どこへ行くの!」


 マリアさんが慌てて追いかける。

 さっきまでの演奏の余韻か、子どもたちのしくしく泣く声が広間に響く。

 みな声を上げて泣きはしないけれど、時折聞こえるしゃくりあげるような声が痛々しい。


「し、仕方ないわね……。あまり得意じゃないけど、歌でも歌おうかしら……?」


 頭を抱えたフィオネが顔を引き攣らせながら、悲壮な表情でそう声を漏らした時、息を切らせたヘレンがマリアさんと共に戻ってくるのが見えた。


「はぁ、はぁ…… フィオネおねえさん、これ……よかったら使って!」


 そう言って差し出すのは木で出来た棒状の何か。

 受け取ったフィオネが驚いた様子で声を上げる。


月弦リュート弦巻ペグじゃない! どうしてこれを?」

「ママの荷物の中にあったの。何に使うのか分からなかったんだけど、いま分かったから……」

「ママの……って、それ、形見ってことよね……。いいの……? 本当に?」

「うん。リュートの部品なら、きっと音を出すために使われた方が幸せ!」

「ああっ……! ヘレン……! あなたってなんていい子なのかしら……!」


 フィオネは感動した様子で、ヘレンを抱きしめた。


 折れた弦巻ペグは、速やかに交換される。

 差し替えた弦巻ペグに弦を結び付け、くるくると回して音程を取っていく。

 月弦リュートが復活するのに、それほどの時間は掛からなかった。


 フィオネは満面の笑みを顔にたたえて、月弦リュートを掻き鳴らす。

 その旋律は、底抜けに明るくて、楽しくて、そして幸せを感じさせるもの。

 子どもたちも、マリアさんも、そして私も。

 みな心からの笑顔を浮かべて、その音色に聞き惚れる。


 楽しげな演奏はしばらく続き、広間には再び手拍子とともに、温かな歓声と賑やかな笑い声が満ちた。







明日からは、1日1回、20:10の更新になります。

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