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第14話 エルフの楽士

 夜通し降り続いた雨は、朝には上がっていた。

 雨上がりの空は晴天に恵まれ、白い太陽がぽかぽかとした陽気を振りまく。


 ……だけど。


「先生……どうしましょう……。私、ヘレンちゃんに何と言って謝ったらいいか……」

「仕方がないことですよ、エレナさん。当人たちしか知り得ない歌だなんて、貴方あなたには知る由もなかったのですから」


 グレンクロフト先生と二人で施療院の朝の掃除をしながら、私の心の中はどんよりと重苦しい雲に覆われていた。


「いつまでも落ち込んでいる訳にはいきませんよ、エレナさん。そろそろ患者が顔を見せてもおかしくない時間です。医療で過ちがあってはいけませんからね。しっかりしてください」

「はい……すみません」


 先生の言葉に、私は自分の頬をぱんと両手で叩く。

 気合を入れるためにやったことだけど、音に驚いたのか、先生の背中がびくりと震えたのがおかしかった。


 ヘレンには、事情を話して真摯しんしに謝ろう。

 心の中は彼女の歌を見つけてあげることが出来なかった心残りでいっぱいだけど、いつまでもくよくよしてはいられない。


 私は、気を取り直して掃除を再開する。と、さっそく施療院の扉が開き、扉に付けられた鈴がちりんと鳴った。


「いててて……グレンクロフト先生いるかな?」

「おや、肉屋のダンじゃないですか。今日はどうされまし……お怪我ですね。こちらの診察台にどうぞ」


 入ってきたのは、十代の後半と思しき黒髪の少年。左の手の甲に大きな傷をつけ、血がぽたぽたと流れ落ちている。


「エレナさん、お掃除は一旦中断して、手を洗ってから鋸草ヤロウの葉で煎じ薬を作ってください。魔法薬(ポーション)を使う前の傷口の洗浄に使いますので、出来上がったら水につけて冷やしておいて下さい」

「はい、先生」


 グレンクロフト先生の指示の通りに動きながら、私は先生と患者さんの会話に耳をそばだてる。


「この傷は、一体どうされたのですか?」

「うん、包丁でタンッって、切っちゃったんだ。今日中に治るかな?」

「待ってください、包丁で? 手を切ってしまう前、その包丁では何を切っていたんです?」

「え? 豚の内臓だけど……」


 それを聞いた途端、先生は椅子をひっくり返して立ち上がった。

 鋸草ヤロウの葉をすり潰そうとしていた手が、ぴたりと止まる。


「ダン、治療はだいぶ痛むのを覚悟してくださいよ!」


 薬品の瓶を取りに走りながら、先生が強い声で言った。

 少年は顔を引きらせている。


「エレナさん、鋸草ヤロウの煎じ薬は止めです! その葉をすり潰したら蜂蜜と混ぜて、消毒の塗り薬を作ってください! 魔法薬(ポーション)を使う前に一時間ほど塗っておきます!」

「はい、わかりました」


 魔法薬(ポーション)を使えば、組織は再生する。

 だけど、その時に傷口の毒を取り込んでしまう。

 傷口が清潔ではない状態で魔法薬(ポーション)を使ってしまうと、治した部位が内側から腐れ落ちることさえあるらしく、治療前の消毒は医療の常識だった。


 私は改めて、擂り鉢で葉っぱを潰し始める。

 薬品の瓶を手に戻ってきた先生は、そのうちの片方――命の水(アクア・ヴィテ)を布に染み込ませて、ダンの傷の周囲を拭き始めた。

 痛みに顔をしかめた少年が、悲鳴を上げる。


「いてててて、先生、それすごく痛いよ」

「我慢してください。それにしてもダン、肉を切るのには慣れているはずの君が、どうしてこんな怪我を?」

「うん、いま市場の広場に旅の楽士が来ててさ。エルフの楽士なんだけど、これがすっごく楽しい曲を奏でるんだ。俺もう可笑おかしくなっちゃってさ。調子に乗って包丁でトントンって音頭を取ってたら、手までざっくりいっちゃった」


 ダン少年の言葉に、先生は長い溜息を付く。


「ダン、包丁というのは、傷によっては命も奪いかねないような危険な道具なのですよ。取り扱いにはもっと気を配るようにしてください。」

「うん、ごめんよ……先生。これからは気をつける」


 しょんぼりと項垂うなだれてしまうダンに、先生は追い打ちを掛けるように次の言葉を告げる。


「さてダン、次は酢で傷口を消毒します。忠告しておきますが、叫び声が出るほど痛いですよ? 歯を食いしばって耐えてください!」

「ええっ! 勘弁してくれよ先生!」


 傷口を酢で洗われ、叫び声を上げる少年を可哀想に思いつつも、私は彼が話していた、すごく楽しい曲を奏でるエルフの楽士に興味を惹かれていた。

 お母様の子守り唄を思い出せないヘレンの寂しさを、少しだけでも紛らわせてあげることは出来ないだろうか。


 すり潰した鋸草ヤロウの葉と蜂蜜を注意深く混ぜながら、私はお昼休みになったら広場に足を運んでみようと思うのだった。




   *   *   *




 目的の楽士はすぐに分かった。

 広場の食堂の屋外席で食事をとっている最中らしかったが、道化師のように彩り豊かな衣装と傍らに置かれた月弦リュートが、彼女の正体を高らかに告げていたからだ。


「孤児院で演奏? いいわよ~!」


 そう言って私の頼みをあっさりと快諾する彼女は、華やかな金髪にあおい瞳と、いかにもエルフらしい容姿をしている。見た目の年齢は私より少し上、二十歳はたちくらいの年に思えるけど、長命なエルフの本当の年齢は分からない。


「そんなにあっさりと受けてしまわれて宜しいのですか? まだ費用のお話もしていませんけれど……」

「孤児院で演奏でしょ? お金なんて取れるわけないじゃないの。それにあたし、そういうの頼まれたら喜んでやるって決めてるの。だって素敵じゃない? 癒やしを求めてる子どもたちに演奏で笑顔を届けてあげるのって……!」


 食事の最中に話しかけられたことに不快そうな様子を見せることもなく、彼女はけらけらと歯を見せて笑った。


「まぁ座って、可愛いお嬢ちゃん。お昼ごはんはもう食べた?」

「はい。既に頂きました。その、ご昼食を邪魔してしまってすみません……」

「いいのよ、そんなことは。おかみさ~ん! この娘に春いちごのパフェ(クラナカン)出したげて~!」

「はいよ~!」

「……孤児院での演奏、なんて優しいこと頼んでくる素敵な娘に、あたしのからのおごりよ」


 エルフの楽士は、そう言って片目をぱちり。


「ありがとうございます。お言葉に甘えてご馳走になります」

「あなた、若いのに礼儀がしっかりしてるわねぇ~! 実は良いところのお嬢様だったりする? もしかして、あたし失礼したりしちゃってるかしら?」

「いえ、私はこの貧民街の施療院で助手をさせて頂いている身ですので……」

「まぁまぁ! そりゃあしっかりしてる訳ね。患者の命を預かるお仕事だもん!」


 明るく朗らかに笑う楽士の姿を眺めながら、私は思う。確かにこの人なら、すごく楽しい音楽を奏でてくれそうだ。


「それで、その孤児院はどこにあるのかしら? 早速さっそく今日の午後からでも演奏しに行けるわよ?」

「あ、ありがとうございます。でも孤児院の方とも予定を調整しないと……」

「そんなの、今すぐでも『はい』って頷くに決まってるわよ。孤児院の子たちなんて娯楽に飢えてるんだもの。もちろん、案内してくれるんでしょ?」


 どうしよう……。今日もまた午後から施療院を休むことを、グレンクロフト先生は許してくれるだろうか。


「ありがとうございます。一度、施療院に顔を出して、午後からのお仕事を休めるか尋ねてまた戻ってきます。お返事はそれからで大丈夫でしょうか?」

「本当に礼儀正しいわね、あなた。もちろん大丈夫よ。あ、でもパフェ(クラナカン)は慌てずちゃんと味わって食べなさいよ? 私の演奏も孤児院も逃げないんだから」

「はい、ありがとうございます」


 やがて、おかみさんがにこにこ顔でパフェ(クラナカン)を持ってくる。春いちごの赤と、クリームやオートミールの白との対比が美しい。


「話は聞いたわよ。孤児院で演奏会を開いてもらうんだって? 施療院の助手さんは本当にいい子ね。きっとグレンクロフト先生も自慢に思っていらっしゃるわ」

「ありがとうございます。そうおっしゃって頂けて恐縮です」

「うちの自慢のパフェ(クラナカン)よ。優しいあなたへのご褒美に、いちごをちょっぴり多めに入れてあるわ。たっぷりとご賞味あれ!」


 私は、おかみさんにお礼を言って、パフェ(クラナカン)を食べ始めた。いちごとクリームがたっぷりと使われていて、香り高いはちみつの風味が鼻腔をくすぐる。


「おいしい……! すっごく美味しいです! えっと……」


 私は、楽士のエルフにまだ名前を尋ねていなかったことを思い出した。当然、自己紹介もまだだ。気まずい。


「私はフィオネよ、お嬢ちゃん!」

「ありがとうございます、フィオネさん。私はエレナといいます。どうぞよろしくお願いします」

「よろしくね、エレナちゃん!」


 彼女はそう言って、にっこりと屈託なく笑う。


 その眩しげな笑顔は、彼女ならきっとヘレンや修道院の子どもたちを笑顔にしてくれると確信させるもので、私は期待を込めて彼女に笑顔を返した。

【※ご注意】

リュートを漢字で「月弦リュート」と書くのは作者の造語です。

リュートには漢字の和名が存在しないようなのですが、

作中の雰囲気作りの為に「月弦」という漢字を当てることにしました。

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