【第九話】慈雨
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「いろは先輩、今日堀之内と一緒に写生してたんですか?」
「えっ?」
「だって一緒に帰ってきたから」
「あーあれは、たまたまだよ」
布団を引いていると小波が意外そうに、いろはに尋ねた。風呂に入りに行った白峰の分も二人で敷いていた。
「なんだ~ってきりイイ感じなのかと思いました」
「えっ私と堀之内君が?」
「はい」
「アハハそれはないでしょ。いくらなんでも」
「どうしてですか?」
「だって堀之内君、人に余り興味なさそうじゃない」
「そうですか~?アイツ意外と人のこと見てますよ。不愛想ですけど。まっ、でもいろは先輩は堀之内みたいなムッツリタイプじゃなさそうですよね」
ふかふかの布団の上に小波はダイブした。網戸越しに風が吹いてくる。エアコンがいらないくらいに涼しい夜だった。どこからともなく聴こえてくる虫の音色は、都会とは夜とは違う。障子が開くと白峰が戻って来た。
「なに?恋バナでもしてるの?」
「いろは先輩の好きなタイプについてです!」
「小鳥遊さんの?そうね~意外と弟タイプとかいいんじゃないかしら。面倒見いいし」
「ほら!やっぱり年下もあり得そうですよね」
白峰は髪に付いた水滴をタオルで拭きながら、小波に同調した。そして、カバンにはいっているドライヤーのコンセントを部屋の隅に差し込むと少しだけ考えてまた口を開いた。
「ん~でも案外年上も好きそうよね」
「年上?年上だと桜羽先生?」
「それは年上すぎでしょう」
「へへへそうですか?」
二人の会話に心臓が跳ねると、いろははそのまま布団の中に潜り込む。
「でも桜羽先生っていろは先輩のこと贔屓にしてますよね。なにかといろは先輩に頼むし」
「それは私が部長だからでしょ」
「桜羽先生は優しいから贔屓とかはないと思うけれど。でもそうね、完璧そうに見えてもやっぱりお気に入りくらいはありそうよね」
「ちょっと白峰さんまで。先生はそういうことしないよ」
「あら気に障った?いいじゃない。好感度が高いことは。それに受験のとき有利よ」
「じゃ次は白峰先輩の好きなタイプの話が聞きたいですー!」
胸の内側をくすぐられたような思いだった。桜羽は生徒には平等である。それは、桜羽を見ているいろはにもわかっている。けれど、二人が言うようにそう見えるのだろうかと思うといろはの口元は緩んだ。それを隠すように頭まで布団を被った。
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合宿二日目は山中湖の近くの公園で写生することとなった。四季折々の花が富士山と共に見える絶景の場所だった。夏休みに来るこの時期は辺り一面ヒマワリ畑が広がっている。
「去年も見たけど、本当にすごいわね。ここのヒマワリは」
「うん。いつも夏しか来れないけど、違う季節も綺麗なんだろうね」
「冬はイルミネーションもあるから、また夏とは違った風景が見ることができるんだよ」
「先生はよくここへ来るんですか?」
「あぁ、大学の頃から写生でよく訪れていてね。それでも夏のヒマワリが僕は一番好きだな」
「先生それ去年も言ってませんでしたか?」
「あれそうだったかな」
「大学時代に先生が一緒に来た人ってやっぱ彼女っすか!」
「そりゃそうでしょうよ。こんな素敵な場所好きな人と見れたら素敵だわ~」
「小波には似合わねーって」
「なによそれ!まっあんたにはわからないわよ。繊細な乙女の心なんて」
いつもの二人のやりとり。他愛もない会話の中に自分の知り得ない過去の桜羽をいろはは思い描いてみた。その隣にもし自分が存在できたらと。
広い敷地内で各々好きな場所で描き始めていく。写真で見るのとは違う。その熱や光の加減、匂いなどを感じながら描いていると時間はあっという間に過ぎていく。いろはは小さな百日草の花畑が気に入り、そこで何枚か描くことにした。
お昼が過ぎた頃に突然、雲行きが怪しくなってきた。分厚い灰色の雲が空を覆い始めた。
「雨降りそう」
「えーまじかよ」
「片付けたほうがいいかもね」
ヒマワリ畑にいた白峰と小波と桃山の3人はイーゼルとキャンパスを持ち、屋根のあるところまでやって来た。すると大きな雨粒が一斉に空から落ちてくる。ザァァアアと音を立て視界が霞んでいく。地上に落ちた雨が跳ね返り足元を濡らした。雨の中堀之内がこちらへ走っ来る。
「ひでぇ雨、濡れた・・・」
「急に降ってきたわね。堀之内君大丈夫?」
「なんとか…」
堀之内はTシャツの中に入れたデッサン帳を出した。雨で濡れた体から水滴が落ちていく。デッサン帳は少しだけ角が濡れてしまっているが作品は無事そうだった。
「小鳥遊さん大丈夫かしら」
「あれ桜羽先生もいないです」
「先輩なら少し前、百日草の辺りで見ましたけど」
「通り雨だろうからすぐに止むと思うけど」
どしゃぶりの雨は、先ほどまで上を向いて咲いていたヒマワリを俯かせた。あれ程くっきりと見えていた富士山も今は雨と雲で隠れてしまっている。