【第八話】優越
山中湖の気候は穏やかで都心に比べ涼しい。新緑が鮮やかに空を彩り、土の匂いがじんわりと立ち込めている。アスファルトからの蒸し返す都会の暑さはなくバスに四時間近く揺られると目に映る風景が次第に変わっていくのがよくわかる。晴れ渡った向こう側には立派な富士山が見えた。
「晴れて良かったね」
「ん~空気がおいしい!」
「あっ巨峰ソフトクリーム売ってる!」
夏合宿。美術部員たちは毎年恒例となっている山中湖へ二泊三日の合宿へやってきた。長時間の移動を終えバスから降りる生徒たち。緑豊かな爽やかな土地の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「堀之内、荷物それだけ?少なくね?」
「これだけです」
「うそ、スケッチ帳だけ?足りないものあったら貸すから言いなさいよ。桃山に」
「なんで俺なんだよ。普通言った小波本人が貸すんじゃないのか。別にいいけど」
「ありがとうございます。でも多分大丈夫です」
民宿に着くと男女部屋に分かれた。少し古くなった畳の上に荷物を置くと、部屋の真ん中のテーブルにお茶とお菓子が用意されていた。
「荷物まとめたら玄関に集合してね」
「「「はーい」」」
廊下から聞こえてきた桜羽の声。合宿の時はこの宿を貸切っている。宿を経営する老夫婦はいつも温かく迎えてくれて感じが良い。三人で一室ではあるが三人で使うには広すぎるほどの大部屋だった。
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初日は宿から歩いて数分の山中湖へ行き、それぞれ好きな場所で描き始めた。
「白峰さん、私あっちの方行ってみるね」
「ええ。私はこの辺りにするわ
白峰はイーゼルを立てキャンパスに向かったまま返事をした。少し風が出ているのか水面が揺れている。いろはが歩いていくと、堀之内の姿を見つけた。堀之内もいろはの姿に気付き手を止めた
「ゴメン、邪魔しちゃった?」
「いえ、別に」
再び絵を描き始める堀之内。気が散らないように、いろはは静かに離れようとしが通り過ぎる途中、堀之内が地面に座っていることが気になった。
「敷物持ってこなかったの?」
「はい」
「私、多めに持ってきたからよかったら使って」
いろははカバンから敷物を出そうとした。それを黙って見ている堀之内。
「はい。コレ」
「・・・別にいいのに」
「ズボン汚れたらそっちの方が面倒でしょ?」
「あざっす」
堀之内は軽く頭を下げると、渋々いろはから敷物を受け取ると、その場に敷いた。
「先輩はこの合宿が終わったら引退ですか?」
珍しく堀之内から話しかけてきたことに驚くいろは。堀之内は口数が少なくあまり話したことがなかった。
「うん。そうだよ、あとは文化祭の手伝いくらいかな。三年生はどの部も夏で終わりだから」
「・・・そうですか」
「三人になるとやっぱ寂しいよね」
「別に俺は描ければなんでもいいです」
「来年はたくさん入部してくれるといいね。でないと存続が危ういから」
「そうなんですか?」
湖のどこかから桃山と小波の声がした。静かなイメージの美術部だが、二人がいると賑やかでその場が明るくなる。桃山が入部した当初は、幽霊部員になるのではと心配したがそんないろはや白峰の心配も他所に毎日来ている。
「一応学校は三人以上の部員数確保って規定あるから」
「初めて知りました。どうしよう。桃山先輩たちいなくなったら俺一人だ」
「そうならないように、堀之内君が新入生の呼び込み頑張らないと」
「・・・俺そういうの苦手です」
「だろうね。まぁなんとかなるよ、きっと」
「先輩は引退するから気が楽でいいですね」
「そうじゃなくて。私と白峰さんも、廃部になったらどうしようって毎日のように言ってたの。でもね、桃山君と小波ちゃん入ってきて、今年は堀之内君も入ってくれたからなんとかやってこれた。だからきっとなんとかなるよ。でも呼び込みはしなきゃダメだよ」
「先輩はどうして美術部入ったんですか?」
「えっ私?」
目の前に広がる湖。その向こう側には富士山が見える。水面に反射する太陽の光はキラキラと輝いていた。一年のときいろは初めてこの場所を訪れた。微かに変わっている景色もあのとき同様に素敵な場所だと感じた。
「絵を描くのが好きだからかな」
「ふーん」
「本当は入部するつもりなかったけど、たまたま桜羽先生に誘われて」
「桜羽先生?」
「先生に誘われなかったら入部することもなかったと思う。だからとっても感謝してるの。桜羽先生には」
「・・・そうですか」
堀之内は再びデッサンを始めた。そこから見える景色はとても綺麗だった。思わずペンを取り、キャンパスに描きとめたくなるような景色。新緑が湖に映り込み、間に富士が見える。いろはも堀之内から少し距離を置き、デッサンを始めた。次第に陽が傾きかけ橙色が湖に落ちて来る。