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【第三話】淡彩

 窓の外に流れる五月の雲はゆったりと流れていて、校庭に咲いていた桜に新芽が色づき始めている。来年、あの桜の木に花が咲く頃には自分たちはもうここにはいないのだと思うと、先ほどの棘が痛みに変わりそうになっていた。

「なにそれヒデ君情報?」

「うん。ヒデ君もね、俺も誰かに告白されたらゴメンーって言ってたけど、誰からも告白されなかったって」

「ハハハ~まぁそれは世那がいるからでしょ」

 窓の外を見ていたいろはは口角を上げ直し、二人の笑い声に便乗した。教室へ入るとき、廊下で先ほど告白してきた男子生徒の姿を見つけた。

 目が合うとサッとそらされてしまった。いろははどうしたらいいかわからず、そのまま教室へ入って行く。美鈴が次の授業はなんだったかと掲示板を見ながら準備を始めた。いろはが席に着くと、先に前に座っていた世那がこっそり話しかけてきた。

「ねぇねぇいろはちゃん、さっきの話だけど」

「さっき?」

「告白してきた男の子の話」

「あぁ・・・うん」

「美鈴ちゃんも言ってたけど、私も付き合ってみるのはアリだと思うよ。その後で、どんな人か知っていけばいいんじゃないかな。私もね、ヒデ君に告白されたときはよく知らなかったけど。いっぱい知っていくうちに、たくさん好きなところできたから」

 ゆったりとした口調で優しくと笑う世那。肩まで伸びた髪は緩く内側にカールされていてかわいらしい。口調や物腰はやわらかくのんびりとした印象だが、いつも的確に物事を見定めているところは自分よりも大人に感じていた。

「そうかなぁ・・・」

「うん、そうだよ!いろはちゃん考えすぎるところあるから、あんまり考え込まない方がいいよ。こういうのはインスピレーションが大事だから」

 チャイムと同時に教師が入ってくると世那は前を向き直した。いろはも急いで教科書を出すと指から湿布の匂いがした。湿布が貼られた指をぼんやり見つめた。桜羽が触れた感触を思い出すように指先にそっと触れてみた。  

去年の卒業式で先輩を送るために二年の生徒は全員出席だった。式が終わって美術部員で写真を撮ろうと桜羽を探していると女子生徒に取り囲まれていた。あの中の一人が告白したのだろうか。頭の中で去年の光景を思い出そうとした。告白なんてしても無駄なのに。胸に染み出てきた黒い言葉。それを消すように教科書を開きずらりと並ぶ文字をなぞっていく。正しい文章で黒い言葉に上書きをしていった。

□□□

 それはまだいろはが一年生の時期だった。六月だと言うのに、新しい学校生活にまだ馴染めずにいた。シワのない制服は着苦しく、少しずつ築いていく友人関係やその環境に溶け込めないままの日々を過ごしていた。

そんなときだった。美術の授業で終わらせることができなかった課題を放課後、黙々と仕上げていた。そこへ美術部の顧問である桜羽が声をかけてきた。

「へぇ小鳥遊さん絵上手いね」

 部活の邪魔にならないように美術室の隅で描いているといつの間にか桜羽が課題を覗き込んでいた。

以前、風邪をひいた吉田先生のかわりに二、三度授業を受けたことがあるくらい。だから、いろはは桜羽が自分の名前を知っていることを意外に感じた。こうやって二人で話すのはもちろん初めてだった。いろはの隣には、クラス分の画用紙に描かれた課題が積まれていている。

「そんなことないです・・・私だけ仕上がらなくて居残りなので」

「あれ?だから上手いんじゃないの?」

 いろはは言っている意味が分からず隣にいる桜羽を見上げた。積まれている画用紙を一枚、一枚手に取る桜羽。

「たいていの人は授業でできる分だけで提出するけど、小鳥遊さんは仕上がりに満足できなかったんでしょ?うまい証拠だよ」

 優しく笑う桜羽の言葉が印象的だった。昔から絵を描くことが好きだった。けれど飛び抜けて上手いわけでもなく、しいて言うなら小学校三年生のときに、夏休みの宿題で提出した絵に銀賞をもらったくらいであった。

「うちの学校は一年生の半年で美術の授業は終わるからさ。よかったら美術部はいらない?あ、もしかしてもうどこか部活入ってる?」

「いえ・・・部活はまだ入ってないですけど」

「そっか、じゃぁ良かった。考えておいて」

「先生は古典じゃないんですか?美術も見ているんですか?」

「僕の教科は古典だけど美術も好きでね。大学でも専攻していたんだ。だから部活は美術部の顧問」

「桜羽先生~ここなんですけど、見てもらっていいですか?」

「はーい。今行くね。じゃ小鳥遊さんも頑張ってね」

 桜羽は持っていた画用紙を元にあった机に置き、生徒のところへと向かった。部活はなにかしらには入ろうとは思っていた。ただどこからも勧誘はなく、このまま帰宅部でもいいかと薄っすら考えていた。いろはは自分のデッサンを見た。歪な輪郭と単調な黒の濃淡のデッサン。もう少しだけ、上手く描けるようになりたいと思った。

それから一週間後、いろはは美術部の教室へやって来ていた。教室を覗くと中にいる部員は五名ほどだった。

「あっ小鳥遊さん」

「すみません。終礼が長くて遅れてしまいました」

 座っていた桜羽がいろはの姿にすぐに気付いた。立ち上がると快く迎え入れてくれた。遅れてきたこともあり、緊張しながら静かな教室に一歩踏み出す。

「あの今日は見学に」

「来てくれてよかった。今みんなでデッサンしているから小鳥遊さんもここ座って」

 中にいた生徒たちは、いろはを気にすることなく黙々とお皿にのったリンゴの絵を描いている。桜羽は奥から椅子出してくると、リンゴが見える位置に座るよう促した。ザッザッザと黒鉛が削れる音が教室を満たしていく。その空間をなんだか心地よく感じた。なにも言わずに手渡されたデッサン帳と鉛筆。まっさらなページにリンゴを描き始めた。いろはの向かい側に座った桜羽も、生徒たちと同じようにリンゴを描き始めた。短い鉛筆が紙の上ですいすいと流れていく。いろはの視界のふちに桜羽の姿がチラつく。いつも着ているジャケットを椅子に掛け、白いワイシャツが黒鉛で汚れないように腕をまくっている。リンゴとデッサン帳を交互に見て、時々ずれた眼鏡を上げ直している。

いろはは自分の手が止まっていることに気付いた。見惚れていたことに自覚すると急に鼓動が早くなっていた。慌ててデッサンに戻る。みずみずしさを白と黒の濃淡で表すのは難しい。描いては消し、描いては消しをひたすら続けていく。消しきれなかった紙に薄黒い痕が残っていた。このとき体の内側に宿った熱は今もまだ消えないまま。

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