【第一話】秘密
恋って残酷だ。
この想いに意味なんてないのに
どんどん加速して止めることが出来ない。
あの人の視界に入りたいのにいくら手を伸ばしても届かなくて。いっそあきらめることができたらどんなに楽だろう。
ゴールデンウイークも終わり高校生活最後の夏が始まりかけたある日。いろははいつものように友人たちとお弁当を食べていた。そこへ突然スマホにメッセージが届いた。
呼び出された渡り廊下まで来てみると柱の向こう側に人影を見つけた。
「その前から良いなって思ってて…なんつーかさ。だから好きです。そんで付き合って欲しい」
「・・・え、私を?」
「小鳥遊のこと呼び出したのに、他に誰がいるんだよ」
「いない、ね。・・・えっ!?私を好きなの!?」
「だから、そう言ってるだろ」
「ごめん、ごめん。そのびっくりしちゃって・・・」
いろはの前には、少し頬を赤らめた同級生の姿。夏の大会で忙しかったのか、こんがり焼けた肌からでもそれがわかった。真直ぐ向けられる視線を、どすればいいかわからずに、いろはは視線を地面にそらした。
「で?」
「ん?」
「だから返事。いいのか、どうなのか」
「あっそか、そうだよね・・・。なんか頭回んなくて。私なんかでいいのかなってビックリしちゃった」
「今、付き合ってる奴とかいないんだろ?」
「うん。いないけど」
「だったら」
呼出した相手はいろはににじり寄り返答を求めた。思わず後退りするいろは。想像していなかった事態に、どうやって切り抜ければいいのかわからなかった。傷つけない断り方を探すが上手く言葉が見つからない。その時、助け船のようにチャイムが鳴った。
キーンコーン カーンコーン
「あっごめん!次移動教室なのっ!また後で」
「えっ?待っ待てって」
「ごめんっ」
学校中に響くチャイムの中いろは駆け足で校舎へ戻って行く。残された男子生徒はいろはを呼び止めるも遠ざかる後姿を見つめるしかできなかった。
少年の青い恋心は返事もなく終わってしまった。
□□□
五時間目は体育の授業だった。開始寸前に間に合ったいろははじんわり滲みかけた額の汗をタオルで拭った。すぐにクラス三チームに分かれてバレーボールの対抗試合が始まった。ボールの弾む音と振動が同時に響いてくる。最初の二チームの対戦をコート外で見学しながら友人の美鈴と世那に事情を話していた。
「ウソ!告白された!?誰に?」
「よくわかんないけど、確か三組の人だったかな?」
「かなあ?いろはさーん、それすっごい失礼だぞ」
「だって本当によく知らない人だから。最近よく連絡くるなって思ってたくらいで。でも告白なんてされたの初めてだったからビックリした~思わず逃げて来ちゃったよ」
食い気味でいろはに話を聞く美鈴。いろはの対応に、納得がいかない様子だった。で更に聞き出そうとするが、隣にいた世那がそれを止めるように先に質問を投げかけた。いつもなら仲介役はいろはの役割だが今回は世那がかってでた。
「付き合わないの?」
「まさか!付き合わないよ」
「えーつまんない!高校生活最後のチャンスだったかもしれないのに!」
「いろはちゃんは好きな人とかいないの?」
「好きな人かー・・・」
白いバレーボールが綺麗に弧を描きながら宙に浮かんでいる。ぼんやりと眺めていると、次の瞬間強烈なスパイクが飛び、相手コートへと叩き付けられていた。歓声が飛び交い三人も拍手を送る。
「この中で三年間ずっと彼氏いないの、いろはだけだよ」
「うん?・・・あっ本当だ。でも今年は受験生だし。恋愛なんてしてる場合じゃないかなって」
「それとこれとは話は別でしょう!もういろはったらそういうことに疎いんだから」
「でも、いろはちゃん本当は好きな人いたりして?」
世那のおっとりとした口調から出された言葉にヘラヘラとしていたいろはの笑いが止まった。
「えっなにそれ!なんで私たちに教えてくれないわけ!?この薄情者っ」
「いっ、いない!いないって!」
いろはは慌てながら美鈴に向かい両手を前へ出す降参ポーズを見せた。ピピッーと笛が鳴った。試合終了の合図。見学をしていた三人のチームはコートに入った。相手チームにはバレー部主将がいる。大きな声で挨拶をすると試合が始まった。バレー部主将は素人を相手に本気さながらのサーブを打ってきた。速さと重みを兼ね備えたスパイクがドンッと足元に低く弾んだ。
「うあ~ん!取れないよ」
「そんな直ぐあきらめないのっ世那!あっいろは、そっちいったよ!」
「トスで回して!」
「はーい」
いろはは頭上に落ちてくるボールをつなげようとボールの下で構えた。指を開きハの字にして待っている。今だ!そう思った。しかしボールとの距離感を間違え動作が遅れてしまった。慌てて指先に力を入れると、薬指にだけに固いバレーボールが当たりそのまま落ちてしまった。
「やったー!!まずは1セット先取!!」
「さすがキャプテン!このまま全勝目指そう」
「いろはちゃん大丈夫?指当たったんじゃない?」
「痛たた・・・」
「ちょっと突き指したの?冷やしてきた方がいいよ。腫れたら部活できなくなるよ」
自身の運動能力の鈍さに苦笑するいろは。ボールが当たった薬指に痛みが訪れてきた。
「ごめんっ!小鳥遊さん大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。私がミスったせいだから気にしないで。ちょっと冷やしてくるね」
バレー部の主将は眉毛を下げて申し訳なさそうに謝った。運動神経のない自分が悪いのであって決して彼女が悪いわけではない。後ろめたさを持ちつつ、いろはは教師に許可をもらい保健室へ向かった。
一歩外に出ると授業中の廊下はとても静かだった。見慣れているはずなのに初めて見るような不思議な空間だった。休憩時間には大勢の生徒がいる廊下が今は誰の声もなくひんやりとしている。遠くから微かに授業の音が聞こえる程度だった。保健室の前にやってくるといろははドアを叩いた。
「失礼します。先生ー・・・あれ?誰もいない」
いつもなら先生がいるはずだった。窓が開いていることから、少しだけ席を外しているのかもしれない。突き指くらいで呼びに行くのも気が引ける。棚を見渡し『湿布薬』とラベルシールが付いた棚から湿布を取り出した。
「あ、その前に冷やした方がいいのか」
保健室にはツンとアルコールの匂いが満ちていた。五月の水温はまだまだ冷たい。ボールが当たった指を見ると少しだけ赤みを持っている。美術部員のいろはにとって指の負傷は致命的だった。それに今は卒業制作に取り掛かっている時期。三年間の集大成ともいえる卒展作品を描いている最中だった
先ほどクラスメイトが無様な姿を見て笑わなかったのは、美術部員が指をケガすることへの配慮も込められていた。
「う~ん。これくらいなら大丈夫かな」
突然、ノックもなくドアが開いた。