京旅行
金閣寺の霜と万人の咳を、十条を以て山桜に緑が出るほどまで貫いて、ついに突き当たったのがこの清水寺の景色である。人々は褪せて濃が増した茶の欄干から身を乗り出して、移りゆく緑の中で最も淡い今の楓を見下ろしている。見上げる空は依然として青い。人々の群れは京の侘しさからして絢爛の様である。ふとすると、桃の振袖が、散った桜を己が舞台として通る。あるいは金縁眼鏡の西洋人が、袴を着て得意である。私はそのなかに独り茫然として、人々の忙しなく動く刹那を、千年の京の直立をもってして、果てなき幾星霜に押し延べている。だから私は清水寺の悲劇も甚だ愉快である。ここで祝言をあげる二人に嵐山の温い風が吹き付けて、女の方の庇髪が崩れても平気である。しかし私は、春の柔い光線が薄い葉々を透かして私の背を暖めるうちに、京の寂しさの敷石が私の歩く度に冷たい音を立てるのを認めている。私はそれを感じる度に恐ろしくなってやはり団子とか茶蕎麦などを食うのである。食った後に据えられた熱い茶を喉に流せば、これらの不安は掃討される。そうして、私の青空の筋雲の動きがまた遅くなって私は歩を進めるのである。暫くして、足が痛むようになった。それも八坂神社に続く敷石の硬いせいである。また何か食おうかと思ったが腹が膨れていけない。穏便と焦燥の境に立って比叡か伏見かと彷徨っているうちに、段々人々の動きが快いものから煩わしくなってきて、愈ああ眠たげだった太陽が、活発に眩い赤を発して地に落ちた。宵の京は、駄菓子屋の提灯を唯一の賑やかとして後は冷たい風が走った。私は身震いをした。湯に浸かって、火照る私の身体の暖かなるうちに多少の憂いを抱えて宿へ帰った。
朧げな夢を破る雨音に起こされた私は格子窓から外を眺めた。ざあざあと降る灰色の雨の中で提灯だけがぼんやりと熱と光を放っている。もう梅雨の時節かもしれない。私が都へ戻ったのはこの翌朝である。