私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
「――今、何と仰いました?」
ある日の早朝。
婚約者であるアストラ王太子殿下の部屋に呼び出された私は、彼の口から発せられた耳を疑う発言に問い返した。
アストラ殿下は大きなため息を吐いてからゆっくりと口を開き、
「もう一度だけ言おう。リシア・ランドロール。君と私の婚約は今日を以って解消とし、同時に役目を終えたランドロール公爵家の爵位と巫女の座を剥奪する」
そう、言い放った。
正直意味が分からなかった。
彼の言葉も、そしてそれが当然であると言った彼の態度も、何もかもが理解できない。
「……殿下、冗談はお止めください」
「冗談ではない。考えても見るが良い。ここ数百年、君たち『要の巫女』がその力を発揮したことが一度でもあっただろうか」
「それは――」
「知っての通り我が国は今まで幾度も地震による被害を受けてきた。『要の巫女』は、その地震から我が国を護ることこそが使命なのではないか?」
「…………」
そうだ。
私の生家であるランドロール公爵家の祖先――後に初代『要の巫女』と呼ばれる一人の女性は、かつて大地の神と契約する事で地震を鎮める力を得、予言されていた大地震を防いだ――と言われている。
それ以降、我がランドロール家は公爵家の地位を得て、そこに生まれた娘は巫女の座を受け継いできたのだが……
どういう訳か本物の巫女としての力を有していたのは初代だけであり、初代が死んでから我らランドロール家は王国を地震の脅威から護ることはできていなかった。
だが初代の決して巫女の血を絶やしてはならないという言葉に従い、ランドロール家は今日まで存続してきたのだ。
この国は地震大国と言われるほど地震が頻発している。
大都市が壊滅するほどの大地震は数百年間発生していないが、ここ数十年間は特に小・中規模の地震が頻発しており、その度に王家や他貴族から白い目で見られていたのは私も良く知っている。
「役目を果たさずに貴族の座に居座り続ける事。それは悪だと私は思う。故に爵位剥奪だ。この事については我が父である国王陛下も賛同しておられる。そして貴族として、そして巫女としての地位を剥奪された君と私が婚約を結び続ける理由もなくなると言うわけだな」
「ですが殿下、私は――」
「はっきり言わないとわからないか? 君たちはもう必要ない。初代の功績には既に十分報いただろう?」
「私は、もう必要ない……ですか」
「あぁそうだ。さあ、出て行ってくれ。私は忙しいのだ。これ以上君の相手をしている時間はない」
「そう……ですか。残念です」
あまりに唐突で、あまりに一方的すぎる。
しかしこれ以上この場に留まれる空気ではなかったので、私は部屋を後にする事にした。
アストラ殿下は私に向けて、確かにこう言った。
君たちはもう、私はもう、必要ないと。
ハッキリとそう言った。
今日に至るまで王国を滅ぼすほどの大規模な地震が発生しないように秘術をかけ続けていたのがこの私――初代『要の巫女』の生まれ変わりであるリシア・ランドロールだというのに。
もし私が国を護る秘術を解けばこれまで王国を襲ったものとは比べ物にならないほどの被害が出る大地震が発生する。
初代の力と記憶の一部を引き継いでいる私は、それを確信していた。
でも、どうしようかな。
私、必要ないらしいし、全て奪われちゃったし、護ってあげる必要なんてないよね?
♢♢♢
リシア・ランドロール。
それは二十五代目になる現代の要の巫女にして、初代要の巫女の記憶と力の一部を引き継いだ特別な存在だ。
だが前世の記憶はそう多くはない。
せいぜいぼんやりとした曖昧なイメージが時折浮かんでくる程度だ。
だから何故かつての私が、大地の神と契約して国を護ろうとしたのかが私にはよく分かっていない。
この王国がかつての私の故郷だったからなのか。
それとも誰か特定の人を護りたかったのか。
あるいはただの気まぐれだったのかな。
もしくは何かの使命を背負っていたのかもしれない。
真っ先に思い出せるのは、そう。男の人だ。
高貴な服に身を包んだ、心優しく清らかな心を持つ青年だった。
私が何者だったのかはよく思い出せないけれど、彼の姿は思い描くことが出来る。
きっと、私にとってとても大切な人だったんだろうなぁ……
記憶を辿れば他にもいろいろな人の姿が頭に浮かんでくるけれど、それらはやはりどこかモヤのようなものがかかっていてはっきりしない。
こんな曖昧な記憶しかないので前世があると言うのはただの妄想、夢なんじゃないかと考えたことはもちろんある。
だが、これだけは絶対の自信を持って言えるのだ。
私は何らかの強い意志を持ってこの国を護ると決め、そして転生してまで護り続けたかった。
それだけはしっかりと頭に焼き付いており、だからこそ物心ついた頃から無意識の内に秘術を理解して人知れずそれを使い続けてきた。
ハッキリ言って、それは決して楽ではなかった。
常に体の力が一定以上持っていかれて倦怠感に襲われるだけではなく、病気に対する抵抗力も落ちるのか小さい頃はよく高熱で寝込んだりした。
そこまでしておきながら国を護りたい理由がはっきりしていないというのに、だ。
そもそも大地震というものは秘術を用いたらすぐにぱっと消えるものではない。
私が用いている秘術は大地震のタネのようなものを押さえつけ、その発生を先送りし続けるだけのもの。
つまり私は死ぬまでこの秘術をかけ続けることで、向こう数十年間、王国の滅びを回避させることが出来るのだ。
初代は死の直前までずっと秘術をかけ続けてようやくその役目を完遂させた。
このままでは私も同じ末路を辿ることになるだろう。
最初はそれでもよかった。
小さい頃と比べると秘術をかけていても今は普通の生活を送れているし、人知れず国を護るのが当然の使命だと思っていたからだ。
今の生活もそれなりに幸せであったから。
でも、ここに来て私は疑問を抱いてしまった。
婚約破棄は正直どうでも良い。もとよりただの政略結婚だ。
それにあんな発言をされるくらいの関係性しか築けなかった時点で未練などほとんどない。
だが、ランドロール家の爵位を奪われる。
これは私も含めて家族が路頭に迷うという事になる。
これだけは受け入れるわけにはいかない。
そんな目に会わされてなお、私が国を護り続けなければいけない理由とは何なのだろうか。
一度疑問を抱いたら、もう止まらない。
「……お父様たちには、なんて言おうかな」
とりあえず、帰ろう。
そこがまだ、私の帰ることが出来る場所であるうちに。
考えるのは、それからにしよう。
「戻ったかリシア! 大変なことになったぞ!!」
ひとまず家に戻って父を訪ねると、鬼気迫る勢いで父が口を開いた。
その顔は焦りや怒りと言った負の感情を織り交ぜた酷いものとなっている。
いつもの穏やかで物静かな父とはまるで別人のように思えた。
「王家より王太子殿下とお前の婚約を破棄するとともに、我がランドロール家の爵位剥奪すると言う通達が……」
「……お父様もご存知だったのですね」
よくよく考えてみれば当然のことだ。
これほど重大な通告を、現当主たるお父様を差し置いて私だけが聞かされるなんてことはあり得ない。
とは言え父の様子から察するに、つい先程耳にしたばかりなのだろう。
「リシア。お前は知っていたのか?」
「はい。先程王太子殿下から直々に聞かされました。その事でお父様に相談をしようと思っていたのですが……」
「そうか。何かの間違いであって欲しかったのだがな……」
落胆し、力無く椅子に腰を落とすお父様。
ここまで来て仕舞えばもう「こんな無茶苦茶なことあり得るわけがないでしょう。きっと質の悪いジョークですよ」と笑うこともできない。
避けようのない事実。
ランドロール公爵家は今日を以って終わりを迎えるのだ。
「お父様」
「……リシア。お前も辛かっただろう。このようなことになってしまって本当にすまない……」
「いえ、お父様は何も悪くありません」
「元を辿れば初代『要の巫女』の名にしがみついて他に何か行動を起こそうとしなかった私達にも責任はある。今までのツケが回ってきたと言うしかないが、それにしてもあまりに急すぎる。これからどうすれば良いのだ……」
頭を抱え、大きなため息を漏らす。
今までの後悔と、これから先に対する不安。
お父様の頭の中はきっとぐちゃぐちゃになっているに違いない。
そんな中で不思議と私は冷静さを保っていた。
それはもとよりアストラに対する愛情が薄かったからなのか。
それともこれを現実の出来事と認めきれていないからなのか。
あるいは――既に国を見捨てる覚悟が決まっているからなのか。
人間、怒りを通り越すとかえって冷静になるものだ。
「……これからの事は私達の方で考える。一旦下がってくれ。とりあえず、時間が欲しい」
「お父様」
「頼む。私も少し整理がしたいーー」
「国を出ましょう。お父様」
その言葉を受け、お父様はハッとなって私をまっすぐ見た。
その視線を正面から受け、私は今一度「国を出ましょう」とハッキリと告げた。
予想外の言葉だったのか、お父様は瞬きをし、なかなか次の言葉を絞り出せずにいた。
「国を出る、だと……? 本気で言っているのか、リシア」
お父様は私の言葉を理解すると、厳しい目をこちらへ向けて問うた。
娘の口からそのような言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。
だけど私は本気だ。
「もちろんです、お父様。爵位を剥奪され、居場所を失った私達がこの国に留まる理由はないでしょう」
「だ、だからと言って国を出ると言うのはあまりに無謀ではないか? 我々はこの国で生まれ、育ったのだ。今更他の国に生きていくなど……」
お父様の主張もよく分かる。
もし私が逆の立場だったとしても、いきなりそんなことを言われたら戸惑うだろう。
しかし私はこれから先に王国が辿る末路を知っている。
だからこそ私は己の主張を曲げる気はない。
「……お父様。よく聞いてください。当代の要の巫女として忠告します」
「な、なんだ……?」
「この国は間も無く滅びを迎えます。数百年前、初代の時代に襲い掛かった大地震の手によって」
それを聞いたお父様の顔色が変わる。
その表情には僅かな疑問や不信感が浮かぶが、それ以上に驚きを示していた。
「もう一度、言ってくれないかリシア。私の耳がおかしくなっていなければ、この国がこれから大地震で滅ぶと聞こえたのだが」
「はい。その通りです」
「……何故そんなことを知っているんだ? そして、何故今までその事を隠していたんだ?」
「分かりません。ただ、私にはこの国が滅びを迎える未来が見えました。一度だけではなく、幾度も。これは決してただの妄想ではないと確信できるほどに」
ちょっとだけ嘘を吐いた。
私はもうこの国が避けようのない滅びの運命を抱えていることを最初から知っている。
それを私の力で強引に押さえつけ、先延ばしし続けてたのだから。
「もし私がこの事実を公表したところで要の巫女、そしてランドロールの名が衰えている今では誰にも信じて貰えないでしょう。むしろ民の不安を煽ったと言う罪に問われていたかもしれません。ですから今まで黙っていました。申し訳ありません」
全く気持ちの篭っていない、型式だけの謝罪をする。
事実として、我がランドロール一族の発言に対する信用はほとんどない。
そして分かっているならそれを防ぐのが義務だろうと言われるのが落ちた。
私が頭を上げると、お父様はとても困った様子で頭を抱えていた。
「……それを防ぐ術はあるのか?」
「……ありません。少なくとも、私の力では不可能でしょう」
これも嘘だ。
本当はこの国を護り続ける力を、私は有している。
しかしそれを言って仕舞えばきっとお父様は、この国のことを護るように言ってくるだろう。
でも、私はそれが嫌だった。嫌になってしまった。
「……そう、か。もしお前にそれを防ぐ力があれば、我がランドロール家の復権もあり得ない話でもなかったが……いや、すまない。お前が悪いわけではなかったな」
このまま私が国を見捨てて旅立てば、きっと多くの人が命を落とすだろう。
死んだ後は地獄に落ちるかもしれない。
でも、これから見捨てる人たち以上の数の人間を、前世の私は救ってきた。
だから今度は、自分とその周りだけを救っても許されるのではないだろうか。
「ひとまずお前の言いたい事はよく分かった。それを踏まえた上でこれからどうするか考えようと思う」
「分かりました」
……もしこのままお父様が、ランドロールの名にかけて国を護って名誉回復を試みようなどと言ってきたら、その時は私一人でもこの国を出よう。
もうこの国のために尽くしたいとは思わないし、こんなところで死にたくもない。
それに私たちがどれだけ活躍したところで、彼らが私達のことを認めることは無いだろう。
そもそもこの国の王族貴族は腐っている。
一度口にした発言を取り下げて謝罪が出来るような人はほとんどいないだろう。
でも、出来ることなら家族くらいは救える道を選べるといいな。
♢♢♢
「……本当に、これで良かったのだろうか」
婚約者であったリシア・ランドロールが姿を消した私室にて、王太子アストラは一人、考えごとをしていた。
己の意思が固まらぬまま彼女と対峙したせいであまりに冷たい対応をしてしまった事を後悔しながらも、致し方のなかった事でもあると自らを肯定する。
先の言葉はアストラの本心ではなく、父である国王陛下の意思に従ったが故のもの。
迂闊な事を口にしてしまう前に、彼女を追い出してしまいたかったのだ。
「……救国の英雄たる要の巫女の一族。ランドロール公爵家、か」
ランドロール公爵家。
それは数百年前に大地の神と契約することでこの国を未曾有の大災害から救った初代要の巫女の子孫であり、その功績でその地位に上り詰めた一族だ。
当然その出来事については王国で広く知られており、彼女の事を英雄として描かれた本も出版されている。
その内容は当時頻繁に地震に襲われて民が苦しんでいたところにどこからともなく現れた少女が、当時の王族に「私がこの国に起こる地震を鎮めて見せましょう」と言ったところから始まる。
彼女はそれから幾度となく地震が起こるタイミングを正確に当てて見せることで見事少女は王族の信用を勝ち取り、同時に少女はこれから起こる国家崩壊レベルの地震を予言した。
それを恐れた王族は彼女に地震を鎮めるよう命じ、見事その役目を果たした。
それ以降彼女が死を迎えるまで地震は一切起こりませんでした、という形でまとめられている。
「……そう。物語の中では、な」
だが、真実は物語ほど美しいものではなかった。
アストラは見てしまったのだ。
王族専用の書庫、その最奥に隠されるように保管されていた手記を。
それは当時の王子が記したものだった。
手記は、我らは取り返しのつかぬ大きな過ちを犯してしまった、という一文から始まる。
当時の王国はもともと地震が多発するような国ではなかった。
むしろ豊富な資源に恵まれた美しい大地に建てられた強大な力を持つ国家だったらしい。
だが、大地の神と呼ばれる強大な力を持つ存在が明らかになってから状況が一変する。
そう。国の力に過信していた当時の王達は、大地の神を従え、その力を軍事利用しようと試みてしまったのだ。
故に彼らは神を顕現させてしまった。
……当然人が神たる存在を従えられるはずもなく、神を怒らせるだけの結果に終わってしまう。
それからというものの、王国の至る所で地震が発生し国はボロボロに。
手記には当時の悲惨な状況が細かく記されていた。
それを救ったのが、その王子の想い人であった少女ーー初代要の巫女だった。
小さい頃から人ならざる存在と会話をする力を持っていたという彼女は、自らを生贄に捧げる覚悟で大地の神を呼び出して契約を交わし、神の怒りを鎮める事に成功したと言う。
その後生還した彼女は、一切その契約内容を語る事なく苦しみながらその生涯を終えたと言う。
大まかな内容は、こんな感じだった。
そう。要の巫女は地震から国を守ったのではなく、当時の愚王が引き起こした人災から国を守ったのだ。
だと言うのに数百年経った今、王家がその子孫を貶めた。
「……父は私の言葉など、一切聞き入れてはくれなかった」
これは貴族達との話し合いで決まった事だ、と。
正直言ってこれは八つ当たりに近い。
地震を抑えるのがかの一族の役割なのに、なぜ我が国は地震で苦しめられなければならないのだと。
そのような身勝手な理由でランドロール家の爵位剥奪が決まってしまったのだ。
「……っ!」
不意にドアがノックされた音で、思考が中断される。
中に入ってきたのはアストラ付きの使用人であり、その要件は父王が自分を呼んでいると言うものだった。
「……分かった。すぐ向かおう」
そう言って使用人を下がらせ、立ち上がる。
己もまた取り返しのつかぬ過ちを犯してしまったのではないかと嫌な予感を感じながらも、アストラは歩き出した。
♢♢♢
ランドロール家は何故今日に至るまで、チカラを持たない空っぽの『要の巫女』の座を代々受け継いできたのだろうか。
今まではそう言うしきたりだから当然だと思って来たけれど、改めてこういう状況になってみるといろいろ分かってくることがあった。
父の部屋を後にした私は、頭の中を整理する意味を込めてその足で母が待つ場所へと向かっていた。
私の母は、先代の要の巫女だった。
そして私に要の巫女の座を引き継ぎ、表舞台から退いた。
その後は……あんまり思い出したくない。やめておこう。
「お久しぶりです、お母様」
返事はない。
私の声は、誰もいない静かな平地に虚しく響く。
私の前には、いくつもの立派な墓石が建てられていた。
そのうちの一つが、私の母が眠る墓となっている。
ランドロールの家に生まれる娘は生まれつき体が弱く、短命だ。
長くても齢50になるまで生きる事はほとんどなかったそうだ。
お母様も、その例に漏れず若くして命を落としている。
そう。まるで私が幼い頃に秘術をかけ始めた頃のように。
体からチカラを抜き取られているかのように徐々に衰弱していき、私に巫女の座を渡してから間もなくして、お母様は死んでいった。
……そして今になって思えばお母様の死と同時に、私の体にかかる負担は増加していたような気がする。
私の体が成長したおかげでその負担にはある程度耐えられているが、あれは単なる偶然ではなかったと思う。
だがお母様は、私に秘術のかけ方や付き合い方なんてものは一切教えてくれなかった。
そもそもその存在すら知らなかったのだろう。だが、
「……お母様は、無意識に秘術をかけ続けていたんですね」
今の私には、そのような答えを出すことが出来た。
今までの巫女は、国を護る力がなかったんじゃない。
己が無意識にかけ続けている秘術の存在に気付くことが出来ないまま、死んでいっただけなのだと。
その中で私は唯一初代の記憶の一部を有しているがためにその存在を知り、止める事もできる状況にある。
初代は大地の神との契約で大地震を消滅させる術を得たのではなく、子孫の代まで代償を支払い続ける事でその大地震の発生を先送りにし続ける契約を交わした。
そして数百年後の今、何らかの目的を達成するために転生という道を選んだ。
そう考えると不思議と色々納得が出来てしまう。
だとすれば初代は何故その事実を誰かに告げなかったのかという疑問は残る。
まあこの結論が本当に正しいのは分からないし、確かめる術もないんだけれどね。
それを思い出そうとしても記憶にブロックがかかっているような感覚に襲われるからだ。
私はこれから、この国を守る秘術を解く。
本当にそれが正しいのかは、未だに分からない。
だけど、これだけはハッキリと言える。
もしこのまま私が死ぬまで秘術をかけ続けたとしても、ランドロール家が報われる未来は待っていない。
この王国にいる限り、それだけは間違いないだろうと確信していた。
♢♢♢
いよいよこの国を出ることになった。
それはランドロール公爵家の爵位剥奪が決定されて数日後。
ある程度の猶予期間は与えられているものの段々とこの場を離れなければいけないという空気になっている中で、お父様がようやく決断を下したのだ。
もうこの国でやり直すことは難しいと、そう判断した。
その時のお父様の顔は苦虫を百匹噛み潰したかのような酷いものだったけれど、私はそれはきっと正しいと思っている。
そもそもの問題として私達ランドロール家は、他の貴族たちからよく思われていないのだ。
要の巫女が役割を果たしていないと思われているだけではなく、現王太子であるアストラが私と婚約を結ぶことを決定してしまった事も彼らにとっては不愉快なようだった。
何故アストラが私――当代の要の巫女との婚約を結ぼうとしたのかは分からないが、きっと彼の事だから私の見た目が好みだったとかそう言った理由だけではないのだろう。
何か裏があるような気がしてならないが、今となってはもはやどうでも良い。
いずれにせよ我がランドロール家は貴族社会において疎まれていた。
だからこうして爵位剥奪という異常事態が発生してなお、我がランドロール家の味方になろうという者が現れなかったのだ。
それはお父様の心を折るのに十分な材料だったと思う。
「リシア、お前の言葉を信じようと思う」
お父様は私に向かってそう言った。
そして私の提言通り大地震が発生する事を口外せず、家族と数少ない信頼できる者のみを連れて国を後にする準備が進められた。
防げもしないのに大地震が発生するなどと言おうものなら、ますますランドロール家の立場が悪くなってしまう可能性の方が高いから、これでいい。
それからさらに時間が経ち、遂に国を出る日がやってくる。
私達はとりあえず隣国へと向かい、それからどこでやり直すかを考える事となった。
秘術はまだ、かけ続けている。
これを解いてしまえば恐らくすぐに大地震がこの国を襲う事になるだろう。
だから解くのは、私たちの安全が確保されてからだ。
私はこれからたくさんの人を地獄に追い込むけれど、これはあなたたちが望んだことでもある。
巫女の存在を軽んじ、王国の平和に必要不可欠な存在を迫害し、追い詰めた。
恨むなら王族貴族のお偉いさん達を恨むといい。
そしてついに、その時が訪れる。
私はそっと秘術を解き、国に背を向けた。
「……これがランドロールを捨てた、国の末路よ」
滅びゆく国に向けて、私からの最期の言葉を。
私の体は、羽を得たかのように軽くなった。
♢♢♢
あれからしばらく時間が経った。
どうやらランドロール家はこの国を後にする決断を下したらしく、つい先日移動を開始したとの報告を受けていた。
「……何も、起きなければいいのだがな」
アストラは大きく息を吐きながら、己の複雑な心中を整理するように声を出した。
結局、何も掴むことはできなかった。
『要の巫女』という存在と、過去に起きた事件の詳細。
そして何よりリシア・ランドロールという少女の存在を、何一つ掴むことが出来ずに終わってしまった。
リシアとは決して仲が悪かったわけではない。
むしろ客観的に見てもそれなりに良好な関係にあったとも言える。
だが彼女は、常にどこか一歩引いた感じと言うか、意図的に壁を作って一定の距離を保っていたような、そんな気がしてならなかった。
だがそれはアストラ自身にも言える事であり、彼は彼でリシアとの正しい距離感を掴み切れなかった部分がある。
それは彼が過去の王子の手記を見て抱いてしまった疑問を解消する目的でランドロール家に近づいた、ということに起因するものだった。
かの家との関係を深めれば、あの手記には記されていなかった何かが見えてくるのではないかと。
そう思って、リシアへと近づいた。
今にしてみれば、それがそもそもの間違いだったのかもしれない。
結局は何も分からず、彼女と彼女の家を貶める結果に終わっただけだ。
どうして無力の巫女の座を継承し続けてきたのか。そもそもの契約内容とは何なのか。
そして本当に大地の神の怒りを鎮めたのなら、何故現代で地震が多発しているのか。
知りたいことは、山ほどある。
だがそれを知る術を、今のアストラは有していなかった。
ランドロール家は国を去り、かつての王族が用いた大地の神召喚の手法も失伝している。
もう、諦めるしかないだろう。
だが今、彼が最も恐れているのは、巫女が国を離れた事で何らかの災厄が訪れる事だ。
未知は妄想を育て、妄想は恐怖を生む。
彼の頭の中では、いつの間にか膨れ上がった壮大で最悪なストーリーが描かれていた。
「本当に……何も起きなければ、いいのだがな」
胸の中のざわめきが、どんどん大きくなっているのを感じる。
思い起こされるのはリシアとの最後の会話。
既に決定したひっくり返せない事実を彼女に伝えなければならなかったあの日。
中途半端に己の本音を出せば、彼女を困らせるだけになってしまう。
だったら一層の事自分の事を恨んでくれた方が彼女のためになるだろうと、敢えて偽悪的に突き放す発言をした。
それはきっと間違いではなかったと信じている。
信じているが、それでもやはり後悔はしてしまう。
この行動が、どういう意味を持って返ってくるのか。
それは正に――
「神のみぞ知る、という訳か」
アストラは立ち上がり、顔を上げた。
一応は終わったことをこれ以上考えても仕方ない。
今は己のやるべきことをやらなければと、そう思って部屋を出て行った。
そしてその後――
「――なんだっ!?」
一瞬、地面が激しく揺れる。
比較的軽いものたちが地面に倒れ落ちる音が聞こえてきた。
だが、それはほんの予兆に過ぎない。
その僅か数瞬後には――視界が滅茶苦茶になるほどの悍ましい大地震が、彼らを襲う事となった。
♢♢♢
その日、一つの国が崩壊の危機に瀕した。
第一波は、軽く。
カタカタと縦に揺れるような、微細な振動。
王都に住まう人々は若干動揺を示すも「また地震か……」と、慣れた動きで速やかに身の安全を確保し始める。
ここまではいつもと同じ正しい流れ。
地震が多い国に住まう人々の、正しい地震の対処法。
だが今回は、今回だけは間違いだ。
いつもと同じ動きではダメだ。
何故なら……
第二波――主要動。
第一波の揺れが継続する中、遅れて数秒後。
「――っ!?」
横波――激しい横方向への大震動。
右へ左へ、凄まじい勢いで大地が揺れる。
子供がテーブルを揺らすことで上に並べられた玩具が散乱するかの如く、人の手ではびくともしない家々が歪み、崩壊していく。
至る所で響く叫び声。収まらない揺れ。倒壊していく建物たち。
しばらくしてその激しい振動に耐えきれなかった地面に亀裂が入り、その亀裂はすさまじい勢いで大地を駆けていく。
勢いは落ちながらも王都の真下で発生した地震波はやがて国全体に届き、果ては隣国にまでその振動が伝わってしまうほど広がった。
平民区は勿論、より頑強に建築されたはずの建物が並ぶ貴族区をも地震は破壊した。
――否、むしろ位が高い者たちが住まう場所ほど被害が大きいとさえ思える。
そしてついに――王宮が、堕ちた。
王宮を支えていた大地が傾いたことでそのまま王宮も崩れ落ちたのだ。
それを契機にか、ようやく揺れが収まった。
暴虐の限りを尽くした大地震は、ひとときの安息を彼らに与えた。
だが――目の前に広がるのは、地獄の光景。
あれだけ活気に溢れていた町は気づけば白煙と悲鳴が上がる退廃の地へと変貌し、目の前で起きた現実を飲み込めない生き延びた僅かな人々が混乱を示している。
もはや無事な建物の方が少ないくらいだ。
そしてようやく状況を理解した人々は、己が救うべき人間を探して走り出す。
怪我を負って動けないものは懸命に助けを呼び、生き埋めにされた者たちは空を求めて足掻きだす。
そんな人々の有様を空から眺めて、彼は嗤う。
「――随分と遅い、約束の時間がやってきた。忌まわしき人間どもめ」
♢♢♢
崩れ落ちた王宮。
下層部分はほぼ潰れてしまい、辛うじて形を保っていた上層でさえ壁が崩壊したり床に深いヒビがはいったりと目に見えて甚大な被害を受けていた。
だが、
「ぅ、くっ……」
悪運が働いたのか、下層の隅の方にいた王太子アストラはこの大地震を生き延びる事に成功していた。
ただし、無事ではない。
「ぐ、あぁぁぁッ!!」
全身に響く激痛。
視線を落としてみれば、その片腕の肘から先が巨大な瓦礫によって押し潰されているのが分かる。
それ以外の瓦礫は上手い事アストラを避け、天井も崩れかけながらギリギリのところで落ちずにとどまっているという状況。
「く、そっ……うあぁッ!?」
瓦礫をどかして腕を救い出そうとしても、体に力が入らず体勢的にも難しい。
むしろ抵抗しようとすればするほど痛みが激しくなり、今にも意識が飛んでいきそうになる。
もはや先の方の感覚はない。
だがまだギリギリのところで繋がっている以上、痛みが治まることはない。
「――ひっ!?」
ぐらりと、また地面が揺れた。
直後、先ほどには及ばぬものの激しい揺れが発生する。
アストラは無意識の内に震える手を合わせていた。
逃げる事すら能わない彼は、もはや祈る事しかできないのだ。
「ぐ、ぅぅぅ……」
痛み、そして恐怖から来る涙が頬を這う。
この無限にも思える地獄の時間を、彼はただ、助けが来るまで待つしかできなかった。
そしてようやく、その時が訪れる。
「――か」
意識が飛びかけている中、かすかに聞こえる声。
「殿下! ご無事ですか――っ!?」
目を開けてみれば、そこには王国の兵士が数人。
彼らはアストラの腕を見て状況を瞬時に理解した。
一方のアストラは声によって意識がはっきりとしたせいで、再び激しい痛みに襲われていた。
「た、頼む……はやくこれを――」
もはや命令口調にする事すらできず、助けを乞うアストラ。
兵士たちはそれに応じてすぐさま瓦礫を撤去しようと試みるも、彼らの力ではそれは叶わない。
しかしこのまま放置してしまえば、確実にアストラは命を落とす。
一刻も早く、彼の腕を何とかしなければ。
そう思った兵士は、アストラにある提案を持ちかける。
「殿下――」
「……っ!? なんだと……私の腕を……」
「はい。このままでは殿下の命が危なくなってしまいます。ですから埋もれた腕を切断し、止血します」
「だ、だがそれは――」
「どうか、ご決断ください!!」
強い口調で、進言する。
この兵士はこの状況における最適解を瞬時に導き出したのだ。
そしてその勢いに気圧されたのか、早くこの苦痛から解放されたかったのか。
どちらかは分からないが、彼は兵士たちに命じた。
「私の腕を斬り落とし、即座に救出せよ」
と。
その命令を、彼らはすぐに実行へ移した。
剣を抜き、アストラの口に布を当て、構える。
「……行きます」
「――ッ!!」
直後、耳をつんざくほどの絶叫が、王宮内に響き渡った。
♢♢♢
ぐらりと、地面が揺れた。
始めは一瞬の小さな震えだった。
だがその振動は徐々に太く重く。ついには立ってバランスをとるのが困難になった。
「……始まった」
誰にも聞こえないようにぼそりと呟く。
私は転ばないようにしゃがみこんで、落下物から頭を守るために素早く机の下に潜り込んだ。
遠くの方で、揺れている。大地の爆発に等しい地震が起きている。
そうだ。ほんの少し前まで私たちランドロール公爵家が在ったあの王国。
国の名は――ディグランス。そう。ディグランス王国。
大地を鎮める巫女を裏切り陥れ、遂に天罰が下った愚かな国だ。
まあ足元に広がる大地の仕業なので天から下る罰――天罰という表現はあっていないのかもしれないけれどね。
揺れはしばらくの間続いた。
建物が崩れる程ではないが、棚が揺れ、小物が落ち、机が震えるくらいの小さな揺れが長く続いた。
実際の時間にしてみればそれほどではないのだろうけど、私にとっては長く、そして重い時間だった。
「収まった……?」
しばらくしてあの耳障りな振動音は消え、揺れは収まった。
私は安全を確認してから暗い影の外へ体を持っていき、服を軽くはたいてから立ち上がった。
一瞬立ち眩みで再びしゃがみ込みそうになるも、何とかこらえて立つ。
そのまま何かに引き寄せられるかのように部屋の窓へ張り付いた。
見えるのは美しい城下町。
千差万別な家々が立ち並び、澄んだ空と美しい自然が広がる幻想的な風景だ。
「――ッ!?」
突如、激しい頭痛が襲い掛かる。
視界が霞んでいく。歪んでいく。美しい景色が、壊れていく。
「あ……ぅ」
割れそうな頭を手で押さえながらも顔を上げる。だが、そこには――
崩壊した建物たち。あらゆるものを飲み込んで大地を駆けた巨大な亀裂。
灰色の世界に煙が上がり、耳をつんざく様な人々の叫び声が響く。
「――くっ!! はぁ、はぁ……」
私はその光景から逃れるように目を瞑ると、痛みが引いていった。
窓の外は、先ほどの美しい城下町が広がっていた。
何だったのだろうか、今のは。
……いや、分かっている。あれは幻覚。幻聴。私が作り出した妄想。
大いなる大地の怒りを受けて崩壊したあの国の有様に違いない。
何故なら私は今――
「っ!!」
思考がノックで遮られた。
私の背後からやや強めにドアをたたく音が聞こえてくる。
「おーい! 入ってもいいかー?」
続けて声も。若い男の人の声だ。
聞き覚えはないので少々怖いが、今の私に拒否する権利も理由もないので「どうぞ」と静かに口にした。
そして間もなくドアがゆっくりと開けられた。
そこに立っていたのは高貴なる服に身を包んだ一人の青年。
腰には一振りの剣を携え、ところどころ露出した肉体からは素人目線からも鍛え上げられている事が分かる。
視線を上げて見ればわずかに幼さが残りつつも端正な顔立ちをした青年が、こちらを案ずるような目で見つめていた。
「あなたは――」
「ほー、キミがあの要の巫女殿かぁ……とりあえずさっきの地震、大丈夫だった?」
澄んだ空のごとき髪色をしたその男は、穏やかな顔で私にそう言った。
若干戸惑いながらも私は恐る恐る頷き返事をする。
「はい。私は大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
「そっか! それは良かった! オレもここに来る途中で急に揺れたもんだからびっくりしたぜ!」
「そ、そうですね……」
「っと、自己紹介が遅れたな! オレはヴィリス。一応この国の第三王子だ! よろしくっ!」
ああ、やっぱりか。
身にまとう服と雰囲気からただものではないと思っていたが、その通りだった。
そう。私は今、ディグランスの隣にある国――アガレス王国に身を寄せているのだ。
ここはアガレス王国の王城の一室――故に王子が出歩いていてもおかしくはない。
私は今一度冷静さを取り戻し、失礼のない振る舞いが出来るよう気を引き締めた。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。ヴィリス王子。ご存じの通り私が当代の要の巫女。名をリシア・ランドロールと申します。この度は――」
「あーナシナシ! お堅いのは性に合わないからもっと気楽にいこうぜ。兄上たちと違って別にオレはそこまで偉いってわけじゃないし!」
「そ、そう言う訳には――」
私が否定しようとすると、ヴィリス王子はどこか悲しそうな表情になる。
同時に私に向けて訴えかけてくるような強い視線も感じた。
……負けだ。仕方ない。
そういう表情をされると、私は弱いのだ。
「……分かりました。挨拶はひとまず置いておいて、ヴィリス王子はどのような御用で私のところにいらしたのですか?」
「んー、一応表向きは王族として亡命してきた要の巫女の状態確認。まあそれよりも巫女は美人だって聞いたからお近づきになっておきたかったってとこ!」
「は、はぁ……」
「って言うのはまあ軽い冗談として。美人なのは間違いないけどさ」
何というか、背中がむず痒い。
一応恵まれた容姿に生まれた事は自覚しているが、それを褒められる事など久しくなかったのでどう返したらよいのか言葉が見つからない。
まして相手は他国の王子。余計に返答に困る。
とは言え美青年に褒められて悪い気はしない私もいたりする。
ちなみに今の私は一人だ。
お父様は今、アガレス王国の国王陛下を含めた方々とお話をしている。
一応すぐ近くの部屋に侍女が控えているが、一人にしてほしいと頼んだのでよほどのことがなければ入ってくることはないだろう。
振り返ってみると、私たちが国を出て数日が経っていた。
お父様が事前に手を回していたこともあり、隣国に到着した私たちはその日のうちに王城へと召喚された。
そして先程国王陛下に挨拶をしたばかりなのだが、どうやら私たちがこの国に来たことは好意的に思ってくださっているようで一安心した。
「まあ実際のところ、オレもよく分かっていないんだけどさ。何というか運命的なものを感じてね。キミには会っておかないといけないって、そう言われた気がしたんだ。だからこうして会いに来た」
「……それはどの立場からのお言葉と受け取ればいいのでしょうか。王子として。一人の男として。或いは――星剣士の生まれ変わりとして、でしょうか?」
「おっと、オレの事知っていたのか!」
「ええ。お会いするのは初めてですが、アガレス王国の第三王子ヴィリス殿下はかつて星の意思を宿した星剣を片手に邪神を討ち、世界を救った英雄――星剣士の再来だと耳にしたことがあります」
私がそう言うと、ヴィリス王子は右手に嵌めていた手袋を無言で外し、深く息を吸い込んだ。
そしてゆっくりと息を吐くと、次の瞬間彼の手が淡く輝き始めた。
まるで彼の手から発せられているかのように広がっていく光は徐々に細長い棒状となり、やがてそれは一振りの剣を生み出した。
美しい。心を惹かれるような美しい剣だ。
暖かく、優しく、そして強さを兼ね備えた光を纏う、彼の髪色と同じ空色の刀身。
そして羽ばたく金色の鳥の如き鍔の先にある柄を、しっかりと握りしめた。
「そう。この通り何故か分からないけどオレにはこんな剣を生み出すことができる。だから星剣士の再来なんて言われている。まあオレには過ぎた称号だけどな」
「これが星剣、なんですね――うっ!?」
「どっ、どうしたんだ!?」
ズキンと、頭が痛む。視界が歪んでいく。声が遠のいていく。
また、さっきの……崩壊した町の映像が……
さらに今度は、何かがいる。恐ろしい目をしたヒトガタが……
ああ、ノイズが――何かが、聞こえてくる。
「せい……けん――し、を……みち、び――っは!!」
次の瞬間、全てが元に戻った。
気づけば私は頭を抱えてしゃがみ込んでしまっていたようだ。
荒く鼓動する心臓を抑えるように私は胸に手を当てた。
「だ、大丈夫か……?」
「はぁ、はぁ……失礼いたしました。もう、大丈夫です」
「疲れているならば一度休んだ方がいい。また後で来るから。急に来て悪かったな」
「あ……ヴィリス王子――」
……行ってしまった。
出会ったばかりなのに何故か少しだけ「行かないで」と思ってしまったのは、何故なのだろうか。
分からない。分からないけれど、彼とはまた必ず会うことになる。
そんな根拠のない確信だけは、私の中にあった。
「……休んだ方が、良いのかも」
今日は何か、いろいろとおかしい。
もしかしたら今まで秘術をかけ続けていた反動が来ているのかもしれない。
お言葉に甘えて、少しだけ休ませてもらうとしよう。
♢♢♢
――これは、なに?
夢、なのだろうか。分からない。分からないけれど、体が勝手に動く。
ぼんやりとしていた視界が、徐々に晴れていく。
ああ、まただ。またあの景色だ。
荒廃した大地。倒壊した家々。
風に吹かれて舞い上がる砂埃と燃え盛る炎が吐き出した黒煙の中、私はたった一人で歩いていた。
だが今回は、叫び声が聞こえない。
代わりに時折深い絶望をその瞳に宿した人々が、私に向かって何か声をかけてくることがあった。
でも、何も聞こえなかった。
それでも彼女は無意識のうちに口を動かし、何かを言葉にした。
それを聞いた人々は、どこか諦めた様子で私を視界から外すのだ。
今の私の右手には美しい宝石を先端に取り付けた杖が握られ、その身には白を基調としたワンピースドレスに水色のマントが組み合わさった独特な服を纏っている。
どちらも私のモノではない。でも、何故かその服装は私によく馴染んでいた。
体の自由は利かず、私の意思に反して勝手に足が進んでいく。
気づけば私は町を出て、深い森の奥に足を運んでいた。
薄暗い森の中。
落ちかけの太陽の光が、多くの葉を宿した木々の間をすり抜けて幻想的な景色を生み出している。
だが、美しいのは見上げた空だけだ。
足元に広がる大地は、まるで不規則に振動を起こしていた。
そのたびに私は転ばないように体勢を変え、収まってからまた歩き出す。
ところどころ根が盛り上がり、深い亀裂や段差が発生している荒れた地面。
それは先に進めば進むほど酷くなっていき、彼女が足を止めた場所にはそこが森であったことを疑うまっさらな空間が広がっていた。
もともと普通の森だった場所に隕石でも落ちてきたかのように、足元を見れば巨大なクレーターが出来上がっている。
そこにあった木々は吹き飛ばされ、歪な形をしたままクレーターの周りに転がっていた。
さらには薄紫色の怪しげな瘴気が蔓延しており、息苦しささえ覚える程に。
酷い有様だ。誰が見ても分かる、最悪の状態。
そしてまた、歩き出す。
今度はクレーターの淵に立ち、ゆっくりと視線を下ろしていく。
そこにあったのは薄黒いナニカ。
球体をしたそれの中には、ヒトガタをした生物が潜んでいた。
「――――――ッッ!!」
ソレはすぐさま私の存在に気付き、咆哮した。
言葉にならない奇声。音は聞こえないけれど、それが酷く不快なモノだという事だけは分かる。
そして声は大地に響き、大地は激しい揺れを引き起こす。
揺れはやがて地震へと成長し、立っているのも困難なほどに激しい振動となる。
クレーターの外。さらに広い範囲の木々が、支えを失って倒れていく。
彼女は、先端の宝石が光り輝きだした杖の足で大地に突いた。
すると杖から優しく鮮やかな空色の光があふれだし、私を包み込んでいく。
そのチカラで私はほんのわずかに大地から浮き、揺れから逃れた。
そのままゆっくりと浮き進み、クレーターの中心で暴れるナニカの下へと。
そして口を開く。
「わたしは××××。アナタを――する者」
音のない世界に初めて聞こえてきた女性の声。
その声はどこか冷たく、寂しく、そして重い。
その名を聞いた彼は今一度激しく咆哮し大地を、そして空を激しく揺らす。
されど空色の光に守られている彼女には効かない。
そして鋭い視線を投げつけたのちに、杖の先端を彼に突き出した。
彼は何か、声を発していた。
強く訴えかけてくるような、或いはこちらを挑発するような。
そんな言葉が投げかけられる。
だが段々とその声は焦りを含み始め、遂には懇願。助けを乞うようなモノになった。
――やめろ
――邪魔を、するな
――あと、少しなのに
そんな悲痛な感情が、彼女に押し付けられる。
それでも止めない。その手を緩める事は、一切なかった。
ただ淡々と呪文のような言葉を口にし続け、その言葉が紡がれるたびに宝石が放つ光が輝きを増していく。
そしてついに、術式は完成した。
悲願、焦燥、そして絶望。ありとあらゆる感情の渦に飲み込まれそうになりながらも、それは形となった。
杖から放たれる光は最大限の輝きを以って黒の球体に絡みつき、爆発にも似た激しい発光が視界を包む。
そして次の瞬間――黒い球体には空色の光で不思議な紋章や文字が、まるで鎖のように刻み込まれていた。
大地の揺れは鎮まり、不穏な瘴気は晴れた。
「――くっ」
直後、私の体が鉛のように重くなり、光が去って地に膝を突いた。
――このままで終わるとは、思わぬことだ
最後に、捨て台詞のような声が聞こえてきた。
彼女は呼吸を整えるために、一度深く息を吸い込んで、吐いた。
そして再び杖に光を宿して浮き上がり、呪文を口にした。
先程よりも短い詠唱のはずなのに、何故か重く、そして長く感じた。
それでも再び呪文は完成し、次の瞬間には巨大クレーターが元の平たい大地へと変化していた。
黒い球体は飲み込まれ、地中深くへと封じられた。
そして今度こそ体に限界が訪れ、堕ちる。
「……」
平らになった地面を撫でながら何かを想い、暗くなった表情を沈みかけの太陽に照らさせた。
いつか再び目覚めるその日まで。私の役目を果たして見せよう。
そんな強い意志が、私の胸の中に宿った気がした。
♢♢♢
「……夢?」
地震による軽い揺れと音で、私は目を覚ました。
部屋にあったソファで体を休めていたらいつの間にか寝てしまっていたようだった。
目が覚めたばかりの私は、先ほどまで追っていた不思議な体験をはっきりと覚えている。
あれはとある重大な使命を負った一人の女性が、危険を顧みずにそのチカラを以って何らかのバケモノを封印した光景。
まるで魔法の如き超常の力を振るう彼女の正体は、恐らく前世の私。
彼女が最後に使った術の反動は、私が秘術を維持していた時の状態ととてもよく似ていた。
「あの人が、初代要の巫女……」
生まれも育ちも、どんな顔をしているのかすら分からない。
頭の中で先ほど見た空色の鮮やかな光をイメージしても、私はその光を生み出すことが出来なかった。
あのチカラは何なのだろうか。あのバケモノは何者なのだろうか。
知りたい。彼女の事を、もっと知りたい。そんな欲が湧き上がってくる。
今まで生きてきた中で、中途半端な前世の記憶を追おうとしたことは何度かあった。
けれど何故か初代や秘術に関する記録はほとんど残されておらず、誰に聞いてもまともな答えを得る事が出来なかった。
でも、遂に今日。新しい手掛かりをつかむことに成功した。
史実には記されていない、初代の記憶。
初代はかつて、大地震からディグランス王国を救ったとされている。
それなのになんだ。あのバケモノは。
あれではまるで、あのバケモノが大地震を引き起こしたとも捉えられるではないか。
あんなものが存在したなんて、今まで一度も聞いたことはなかった。
「まさか、あの秘術は……」
私たちランドロール家が代々引き継いできたであろう秘術。
私は今までそれを用いて、王都から遠く離れたある場所の地下に存在する大地震の種のようなものを抑え続けてきた。
それが何なのかは見た事がないから分からない。
でももしそれが、あのバケモノだったとしたら?
私は今まで大地震の発生を抑えていたのではなく、あのバケモノの封印を維持し続けていたという事になる。
だとすれば今頃ディグランス王国では――
「――っ!!」
気づけば私は、無意識のうちに秘術を使おうとしていた。
当然、手ごたえは全くなかった。その代わりにまたも小さく地面が揺れる。
言葉にできない胸のざわめきが私に襲い掛かった。
確かに私はあの国を護る秘術を解いた。
そして今まで押さえつけていた大地震があの国に襲い掛かることで私たち一族を貶めた罪が償われる。
その後私たちは新天地で平和に暮らし、それで全てが終わる――はずだった。
だが現実はそんな単純なものではなかったのかもしれない。
私は取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないか?
気づいた頃には、もう遅い。
それは彼らだけではなく、私にも言える事なのではないか?
「……いいや、忘れないと。考えたら、ダメ」
これはもう、終わった事なのだ。そう自分に言い聞かせる。
アガレス王国に来てしまった時点で、もうディグランス王国にはもう関わらないと決めたはずだ。
中途半端に呼び起された記憶のせいで余計な事を考えてしまったけれど、一旦忘れよう。
もうあの国がどうなろうと、私たちには関係がないのだから。
ひとつ気がかりがあるとすれば、ヴィリス王子――星剣士の生まれ変わりと呼ばれる青年の事だ。
彼と話していた時に聞こえてきた「星剣士を導け」と言う幻聴や彼と接触した直後に呼び起された記憶も合わさって、私とヴィリス王子は何らかの重要な関係性があるのではないかと考えてしまう。
……多分このままでは終わらないんだろうな。
そんな予感を浮かべながらも、私は仮初かもしれない平穏に浸るために現実逃避をする事にした。
♢♢♢
「あ、そうそう。リシア。キミには今日からオレの下で生活してもらう事になったからよろしく!」
「……へ?」
ヴィリス王子の突然の宣告を受けて、私の口から間の抜けた声が漏れ出てしまった。
あれからしばらくして私は呼び出され、話し合いを終えたお父様たちによる今後についての大まかな説明が終わったタイミングでだ。
没落したとはいえランドロールは元公爵家だ。それなりのお金やコネクションもある。
だからこそずっとという訳にはいかないモノの、王国側に今後の仕事や生活の支援をしてもらえることになったらしい。
具体的には今王国が進めている新領地の開拓に参加するというものらしいが、どうやら私は違うらしい。
「あの、それってどういう……」
「そのまんまの意味さ。キミはこれからオレの管理下に入ってもらうってこと」
「え、あ……お父様?」
「すまない、リシア。王子殿下が是非にと仰ってな……」
……なるほど。恐らくこれは交換条件のようなモノだろう。
自惚れるわけではないが、現時点でこちらの中で一番価値がある人間は間違いなく私だ。
要の巫女としての知名度と力を持つ女。
没落貴族の娘だとしても、他の人達とは違った使い道があるはずだ。
お父様としては反対したかったのだろうけれど、今の立場上強くは出られない。
仕方ないか。ここで辺に抵抗しても時間の無駄でしかない。
「……分かりました。よろしくお願いいたします、ヴィリス王子」
「おっと、随分と物分かりが良いね。少しくらいは嫌がられると思っていたんだけど」
「嫌がるなんてとんでもありません。謹んでお受けいたします」
「うーん、まだまだお堅い感じは抜けそうにないな。ま、いっか。とりあえずこれからよろしく! 準備が出来たらオレの部屋に来てくれ」
「はい、分かりました」
相変わらずの軽いノリで手を振って去っていくヴィリス王子。
私としてはああいうタイプの男性と話す機会があまりなかったので新鮮ではあるが、今後従者として働く中で波長を合わせられるか少し不安ではある。
まあ、同じ王子でもどこぞの男とは全く違うタイプだから余計な事は考えずに済むかもしれないな。
「すまぬな、要の巫女殿。ヴィリスの奴がどうしても巫女殿を近くに置きたいとうるさくてな」
「陛下、いえ、謝られることは……」
「ヴィリスがあれほど他人に興味を示すのは珍しいのだが、まあ悪い奴ではない。不安も多かろうが、一つよろしく頼むよ」
「は、はい。ありがとうございます」
戸惑いを隠しきれていない私を見かねてか、アガレス王国の国王陛下が私に声をかけてくださった。
どうやら私がヴィリス王子の管理下に置かれることは彼の強い希望によるものだけだったらしい。
彼の気まぐれ次第ではあるが、今すぐ何かに利用されるということはなさそうで少しほっとした。
そして老齢ではあるが、王たる迫力と聡明さを持ち合わせたアガレス王。
蓄えた白髭と鋭い目つきからも貫録を感じさせるが、実際は温厚な性格をされている。
ディグランス王国の理不尽で全てを失った私たちを受け入れてくださったのも、ひとえにその寛大さゆえだろう。
「リシア、この後は――」
「準備をして、ヴィリス王子の下へ向かいます。では、失礼いたします」
「あ、ああ……」
少し、冷たかったかな。
そんな事を思いながら、私は貸し与えられた部屋へと戻っていく。
お父様が私を売った、とは思わないけれど、今は胸のざわめきを抑えるので手いっぱいだ。
思ったより早い、いや、早すぎる再会だったな。
これから先彼と関わる事で恐らく何か大きなことが起きて、私はそれに巻き込まれる。
そんな根拠のない勘が働くものの、退屈はしない日々を送れそうだという期待も高める私もいた。
「あの……ヴィリス王子……」
「おっ、着替えてきたか! いいねえ、似合ってるじゃん!」
「そ、そうですか……ええと、ありがとうございます?」
足が完全に隠れるほどの黒いワンピースの上に胸元が開いたやや短めの白エプロン。
肩にはトゲトゲのフリルが付いており、腰には大きなリボン結びが出来ている。
私の長い黒髪を抑えるカチューシャにもご丁寧にフリルが付いており、完璧な統一感が生まれていた。
そう。これは所謂メイド服と言う奴だ。
一応これでも貴族だった私はこの服を身に着けて働く女性を目にしたことはあるものの、実際にその身に着けるのは初めてだった。
なんというか、落ち着かない。
カチューシャなども付けたことがなかったのですごく違和感がある。
でも不思議と着心地が悪くはないなぁ。
「もー、ヴィリス様ったら! 急に呼び出されたかと思ったら新しい従者さんのメイド服の着付けしろって! あたしこう見えて結構忙しいんですけどぉ!」
「ははっ、わりぃわりぃ。生憎オレはそいつの着せ方を知らねえし、知ってたとしても男のオレがやるわけにゃいかんだろ?」
「それはまあそうですけどぉ!」
椅子に座って寛ぐヴィリス王子に対して腕を組んで怒る金髪の少女。
年齢は私と同じくらいだろうか?
私と同じメイド服を着ていることから彼女もまたヴィリス王子の従者の一人であることが分かる。
しかしその言葉遣いと態度は一国の王子とただの従者とは思えないモノだ。
私がヴィリス王子の部屋を訪れた際、呼び出された彼女も同時に到着していた。
そしてお互いに自己紹介をする間もなくいきなり
「とりあえずコレに着替えてきてくれ。話はそれからだ」
と言われて二人で部屋を追い出され、よく分からないまま命令のままに着替えてきたというのが現状だ。
お互い自己紹介も終えていない状態での着替えだったので、なんというか少し気まずい空気のまま事を済ませたのだが……
「まあまあそう怒るなって。今回呼んだのはリシアをお前に紹介したかったからってのもあるんだぜ。ほら、改めて自己紹介しておけって」
「あっ、そう言えばまだ名乗ってすらいませんでしたね! あたしはマルファって言います! 一応ヴィリス様のメイドをやってます!」
「一応ってお前なぁ……」
「こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ございません。改めまして、リシア・ランドロールと申します。この度ヴィリス第三王子殿下の従者として雇っていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします」
メイド流の挨拶と言うものをよく知らないので、ひとまず貴族社会で培った丁寧な所作での挨拶をしてみる。
もし私が身に着けている服が煌びやかなドレスだったら多少様にはなっていただろうが、この服装だとどう映っているのか少々心配だ。
「わぁ……綺麗な挨拶! まるで貴族様みたいですね!」
「みたいもなにも、リシアはつい先日まで隣国ディグランスの公爵令嬢だったんだぞ。今は訳あって俺が預かっているがな!」
「えええええっ!? ほ、本当の貴族様だったんですか!? じゃあなんでメイド服なんて……あ、えと、ええっと……その、失礼しましたっ!」
マルファと名乗った少女は困惑した後、思考を切り替えたのか勢いよく深く頭を下げた。
どうしよう。こういう時どう返したらいいのかな。
私の家はとっくに没落しているし、もう貴族を名乗れる立場じゃないんだけどな……
いや、こういう時は素直にそう伝えるのがベストだろう。
「頭を上げてくださいマルファさん。今の私はランドロール公爵家の娘としてではなく、ただのリシアとして参りました。どうかそのように扱っていただきますよう」
「あーそうそう。そうしてくれ。前にも言ったが堅苦しいのは嫌いなんだ。リシアもこういうプライベートの場では楽な喋り方をしてくれよな。一応公の場では周りが煩いからリシアにも従者として振舞ってもらうが……」
「なるほど、このメイド服はそのための証と」
「ん? ああ、いやそれはオレの趣味。リシアに似合いそうだったから着てもらっただけだ。何ならもう着替えてもらっても構わんぞ」
「へ……?」
「一応従者って形で預かってるが、リシアの立場はこの国の客人って感じだし、元貴族にいきなりメイド服着て奉仕しろっていうほどオレは鬼じゃねえ。まあメイド服似合ってるからちょっと惜しいけどな!」
「は、はぁ……」
「ちょっ、やっぱり特別な方だったんじゃないですか! あたしどう接したらいいんですか!?」
「だーかーらー、普通でいいんだって普通で。これから同じ屋根の下で暮らすんだから、気楽にやろうぜ」
そう。ここはヴィリス王子専用の建物の一室。
もはや家。いや、小さな屋敷と言って差し支えない大きさの建物だ。
部屋に来いと言われていたから王城内のどこかだと思っていたので来る時少々迷ってしまった。
「むぅ、いきなりそう言われたって難しいですよぉ。あたし、貴族様とお話ししたことあんまりないし、知らぬ間に失礼なこと言っちゃってたらって思うと言葉に困ります!」
「オレと喋るときの感じでいいんだよ。ってかお前、一応貴族様より偉い王族サマにそんな口聞いておいて何が今更失礼がどーたら言ってんだよ!」
「あっ、そう言えばそうでしたね! そう考えると怖くなくなりました!」
「お前ってホント単純だよな。そういうとこ好きだぜ」
「ありがとうございます! あたし殿下はタイプじゃないですけど!」
「ひっでぇなオイ! ってかもう仕事に戻っていいぜ。忙しいんだろ?」
「あっ! いけないもうこんな時間! お夕飯の準備しなきゃでした! じゃあえっと、リシアさん! よければまた後でゆっくりお話ししましょう!」
「あ、えっと、はい。お忙しい中ありがとうございました」
「ではまたー!」
そう言って大きく手を振ってマルファさんは部屋を後にした。
なんというか、明るい人だったな。
私はどちらかと言えば根が暗い人間だから、ああいう人は眩しく見える。
「ったく、アイツは相変わらずだな! オレだって面と向かってタイプじゃねえって言われるとちったぁ傷つくんだぜ!?」
「ふふっ」
「ん? どうした? オレがアイツにフラれたのが面白かったか?」
「いえ、仲がとてもよろしいのですね。なんというか、少し気が抜けてしまいました」
「まぁな。アイツとはなんだかんだ付き合いも長いしなぁ。あんなんだがマルファはすげーいい奴だぜ。できれば仲良くしてやってくれ」
「はい。ぜひ」
果たして波長が合うかは分からないけれど、仲良くやれたらいいなとは思う。
正直まだ心の整理がついていないけれど、このやり取りで少し緊張がほぐれた気がする。
「あ、その前に着替えてくるか?」
「いえ、このままで。この服、意外と着心地が良いので」
「そうか、気に入ってくれたなら良かった。じゃあとりあえずそこにかけてくれ」
「はい、失礼します」
私は促されるままヴィリス王子の正面の席に腰かけた。
「さて、リシア・ランドロール。お前の身柄はこのオレ、アガレス第三王子のヴィリスが預かったわけで、これからのことについて一応話しておこうと思う」
「――はい。よろしくお願いいたします」
さて、どんな要求をされるのだろうか。
過去の歴史と伝承通りの“要の巫女”としての仕事を求められたらその時は正直に無理だというしかない。
私は初代の記憶の一部を継承しているだけで、彼女の力の全てを振るえる訳ではない。
触れるだけで人々の傷を癒し、凶暴な魔物とも心を通わせ、枯れた大地すら再生して見せた。
そんなあらゆる奇跡の如き術を行使する魔法使い。
女神に選ばれた星剣士と共に邪神を討ち滅ぼした一人。
それが現代に伝わる初代の要の巫女だ。
私にもそんな素晴らしい力があればもっと上手いこと立ち回れたのかもしれないけれど、今ないモノをねだっても仕方がない。
いきなりヴィリス王子の隣に立って戦えと言われても無理だ。
自慢じゃないけれど私は生まれてこの方、他者との争いごとをしたことがない。
魔法だって使えないわけじゃないけれど、初代のそれと比べたら真似事にすらならないだろう。
無理なものは無理なのだ。
期待外れと言われて追い出されたならその時はその時だ。
そんな思考を巡らせながら、ヴィリス王子の言葉を待つ。
すると過去一番の険しい顔をしているであろう私に対し、王子の口角が上がるのが見えた。
「はっきり言おう! お前にやってもらうことは今のところない!」
「……え?」
ヴィリス王子の口から発せられたのは予想外の一言。
「強いて言うなら積極的に街を出歩いてくれ。ディグランス王国とは色々勝手が違うだろうし、とりあえずはここを拠点にアガレスでの生活に慣れて欲しい」
何もやらなくていい?
本当にそう言っているのか自分の耳が信じられなくなった。
「えっと、その……ヴィリス王子は星剣士として要の巫女の私を傍に置くことを決められた……のですよね?」
「んー、まぁそうだな。星剣士として、っていうよりかはオレの直感がお前を傍に置いておけと言っていたからだが」
「でしたらその、オレと共に戦え! とか巫女の力をこの国に役立たせろ! とかそう言ったお言葉があるのだとばかり……」
「巫女の力ねぇ……具体的に何かこういうことができるってのがあるのか?」
「それはその……正直思い浮かびませんが……」
「じゃあ今は必要ないだろ。それに戦えって言ったって今は邪神が暴れてるわけでもないし、他国と戦争しているわけでもねえ。一体誰と戦うんだって話だぜ」
そう言われてみると確かにそうだ。
星剣士とは世界に仇なす邪神を討ち滅ぼす存在。女神に選ばれたその時代の勇者。
しかし邪神がいなければ星剣士に戦う理由など存在しない。
「つまりだ。こう言っちゃあアレだが簡潔に言うと、別に今、ウチの国に星剣士も要の巫女も必要ねえってワケだ」
「な、なるほど……しかし、それでは何故アガレス王は私たちを受け入れてくださったのでしょうか……?」
「オレは父上と違って賢くねえから明確な理由は分からないが、まあ大方保険と言ったところじゃないか?」
「保険、ですか?」
「そ、保険。今は邪神の脅威こそないが、こうして星剣士が実際生まれてるんだ。つまりいつ邪神が復活してもおかしくないとも考えるのが普通だろ。その時先代の星剣士の仲間だった巫女の末裔を手元に置いておけば何かいい事あるかもってさ」
ヴィリス王子はあえて言葉を濁したが、早い話星剣士と共に戦う切り札として保管しておきたいわけか。
先代の星剣士の仲間は邪神討伐後、世界中に散っていった。
もし仮に今後邪神が復活したとして、再び星剣士の隣に立って戦える存在を見つけ出すのは決して容易ではないだろう。
そんな状況の中で現れたのが私たちランドロールの一族だ。
もしこれが普通の没落貴族だったらこのような待遇は得られなかっただろう。
しかし私たち一族は特別な存在だった。
だから受け入れられた。
なるほど。納得がいく。
「とまあ、そんな訳で今すぐ何かしろって事は無い。父上からも特に何も命じられてないしな」
「わ、分かりました。しかしその、こうして身を置かせてもらっている以上、何か出来ることはしたいと思っているのですが……」
「そうか。まあそういう事ならマルファの手伝いでもしてやってくれ。オレの身の回りの世話はほぼアイツ一人にやらせてるからさ」
「分かりました! その、経験はあまりないですが、頑張ってみます」
「おう。無理はするなよ!」
家事手伝いか。
正直家事に関しては全くの素人だけど、一応やっているところは何度も見たことあるから見様見真似で出来る……はずだ。
何事も一度挑戦してみるのが大事だろう。
そんな訳で翌日から、マルファさんと共に行動してみたのだが――
「ああっ、ダメですよっ! そんなに洗剤入れちゃダメ!」
「す、すみません……」
洗濯。失敗。
「ちょっとちょっと! ここ全然掃除出来てないですよ! 隅に埃が溜まってるじゃないですか!」
「あっ、その、すぐやり直します……」
掃除。やり直し。
「あああああああっ!! 火、危ない! 火!」
「あちゃー、そのお皿。ヴィリス様のお気に入りだったんだけどなぁ……」
「ぶはっ!? な、ナニコレ! 何を入れたらこんな味になるんですかぁ!?」
「うわわわわわっ! 鍋からなんかヤバい色の煙出てますって!!」
料理。地獄。
数日が経ち、夜。私はマルファさんに連れられてヴィリス王子の部屋を訪れた。
そして開口一番、マルファさんは言った。
「ヴィリス様。残念ながらリシアさん。家事の才能ゼロです」
「最初は誰だってそんなもんじゃないのか?」
「掃除洗濯炊事その他いろいろやってみてもらいましたが、安心して任せられそうなものが一つもありません。特に炊事場はヤバすぎるので出禁です! リシアさんには悪いけどあたしの仕事が増えるだけですよこれじゃ……」
「ご、ごめんなさい……」
私がここまで家事ができない無能だとは思わなかったので結構大きなショックを受けている。
メイド服を身に纏っていると何故か妙な自信に満ち溢れて、なんでもできそうな気分になっていたのだが、気分だけだった。
この数日間で温厚なマルファさんの口から何度ため息を聞いたことだろうか。
直接怒られることこそなかったが、「ここまで何もできない人は見たことがない」と言わんばかりの視線を向けられた時には思わず泣きそうになった。
と言うか今も泣きそうだ。
「そうか、なら仕方ない。悪いなマルファ。リシアも慣れないことをさせてすまん」
「い、いえ。その、出来ない私が悪いだけですので……」
「まあその、家事は今まで通りあたしが頑張るので、リシアさんは別のことに挑戦してみたらいいんじゃないかなって!」
「適材適所って言葉もあるからな。家事が出来なくたって気にすることは無いぜ。オレだって出来ないしな」
「はい……ありがとうございます」
精一杯のフォローをして貰っている自分が情けない。
正直アストラに婚約破棄を告げられた時よりもダメージが大きい気がする。
これは切り替えるまで少し時間がかかりそうだ。
♢♢♢
「気分転換も兼ねて城下町を散歩してきたらどうだ? ほら、これお前の自由に使っていい奴だから。それで好きに遊んで来いよ」
翌日。
重みのある小さな革袋を渡され、私はこの建物の外に出ることになった。
昨晩で「私は家事方面において絶望的なまでの無能である」と確定した私はショックで半泣き状態になりながら眠りに落ちたわけだが、朝になってもヴィリス王子やマルファさんは私に軽蔑の視線を向けることなく笑顔で送り出してくれた。
器が大きい方たちであったことに感謝をしなくては。
もしあの場面で激しく責められていたら正直当分の間立ち直れなかったと思う。
とは言えこのままただの無能な居候の地位に甘んじるのは私の本意ではない。
今の私にも出来ることを何か見つけたい。それがどのような形になるのかは想像もつかないけれど、きっと何かあるはずだ。
自分の居場所は自分で作るもの。自分に対して改めてそう言い聞かせる。
革袋にはお金が入っていた。
一応仮にも貴族だった私たちランドロール家はこの国に来るにあたって持てるだけの資金を持ってこの国に来ている。
当分は遊んで暮らせるくらいあるはずだが、そのほとんどは父の手元にある。
つまり今自由が利くお金はそう多くないのでこれはありがたくいただこう。
「そう言えばお使いも頼まれたんだっけ」
金は自由に使ってくれて構わないが、帰りにオレの行きつけのパン屋でパンを買ってきてくれないか?
と、言われた。
ちなみにヴィリス王子は本日予定があるらしく、同行はできないとの事。
予定が無かったら町案内も兼ねてついてきてくれるつもりだったらしい。
当然私に断る理由などないので了承した訳だけど、始めて歩く町なので帰りの時間には少し余裕を持った方が良さそうだ。
そうそう。マルファさんには城下町の地図を持たされたんだった。
「本当はあたしが町案内して上げられれば良かったんですけどね。ちょっと忙しくて……でもこれがあれば多分迷子にはならないと思います!」
それはただの地図ではなく、要所要所にメモ書きが記されていた。
殿下の行きつけだというパン屋の場所も明記されているのでこれは非常に助かる。
他にもおすすめスポットや美味しい飲食店の場所なども記されており、正にいたせりつくせりと言ったところだ。
もしかして私のためにわざわざこれを作ってくれていたのかな。
そうだとしたらマルファさんには頭が上がらないな。
改めて深く感謝しつつ、私は城下町に向けて歩き出した。
「……結構賑わってる」
思わずそんな言葉が漏れてしまうほど、そこは人の往来が激しかった。
メインストリートと呼ぶべき大通りには様々なお店が展開されており、食べ歩きをする人、買い物をする人、どこに入ろうか迷っている人などで埋め尽くされている。
ディグランスの王都とはまた違った形で賑わっているその光景には目を奪われるものがあるな。
ただ私はどちらかと言えば静かな場所の方が好きなのでこういった場所はちょっと落ち着かない。
人ごみをかき分けながら大通りを進みつつ、先ほどの地図を頼りに抜け道を探す。
道中、屋台が放つ美味しそうな匂いに釣られそうになったが、その前に並ぶ行列を見るとちょっと今日はやめておこうという結論に至った。
しかし途中で見つけた家具屋やアクセサリー店には少々興味を惹かれ、導かれるようにふらふらと足を踏み入れてしまった。
結果として何かを購入した訳ではなくただの冷やかしになってしまったが、存外に楽しい時間を過ごせた気がする。
「そう言えば私、一人で街を出歩くの久しぶりかも」
これでも元公爵家の令嬢。当代の要の巫女である私が出掛ける時は大抵誰かがお付きとして付いてきた。
それはそれで悪い思い出ではないけれど、誰かに気を遣うことなく自由に歩ける時間と言うのも悪くない。
少し疲れた私は、先ほどよりは人気の少ない道のベンチに腰を掛けて休んでいた。
ちなみに今日はメイド服ではない。
私の私服の中でも比較的動きやすいラフな格好だ。
こういうのも持っておきなさいとお父様に買っていただいたものだが、なかなか着る機会がなかったのでちょうど良かった。
さて、そろそろどこかで食事でもと立ち上がろうとした時、
「隣、いいかな?」
透き通るような、それでいてどこか重みを感じる声が聞こえた。
するとそこにはサングラスをかけた背の高い金髪の偉丈夫が一人。
穏やかな笑みを浮かべながらこちらを見降ろしている。
「えっと、はい。どうぞ……?」
このベンチは数人が腰を掛けられるほど余裕があるが、他にも空いているベンチはあるはず。
何故わざわざここを選んだのかはよく分からなかったけれど、つい反射的に頷いてしまった。
「さて、初めましてと言うべきかな。リシア・ランドロール殿」
「えっ、何故私の名前を――」
「知っているとも。父上とヴィリスから聞いている」
「ヴィリス殿下から……? えっと、まさか」
「私の名はアラディン。アガレス王国第一王子と言えば分かるかな?」
そう言って彼はゆっくりとサングラスを外した。
「アラディン王太子殿下!? も、申し訳ございません! 大変な失礼を……」
驚きと動揺が同時に訪れるも、それらを押さえつけ私は急いで立ち上がり謝罪する。
何故こんなところに第一王子がいらっしゃるのか。
その理由が一切分からないが、サングラスを外したその顔は紛れもなくアラディン王太子殿下のモノだった。
ちなみにアラディン王太子殿下は先日までアガレス王国と友好関係にある国を訪れていたらしく、実際に顔を合わせるのはこれが初めてだ。
「気にすることはないとも。君はこの国に来て間もない。私の顔を知らずとも無理はないさ。それに一応お忍びと言う体で顔を隠していたのもある。あまり大きな声を出さないでもらえると助かるな」
「寛大なお言葉、ありがとうございます」
「この後時間はあるかな?」
「はい。特に当てもなく街を歩いていただけですので」
「そうか。それなら少し場所を変えよう。この近くに私のお気に入りの茶屋があるんだ。よければどうかな?」
「ぜひ」
果たしてアラディン殿下は私を探し出してここへ来たのか、それともただの偶然なのか。
それは分からないけれど、お誘いを受けたのならば断わる理由もない。
ちょうどお腹が空いてきたところだったので連れて行っていただこう。
連れていかれたのは、先ほどのベンチからも見えていた歴史の古そうな茶屋だった。
店に入ると女性店員に出迎えられ、アラディン殿下は慣れた様子で言葉を交わし、そのまま奥の席へと案内された。
「さて貴殿らがこの国を訪れてから顔を合わせるのは初めてだが、我が国はどうかな? リシア殿。ディグランスから離れたこの地で暮らしていけそうか?」
「はい。町を歩いたのは今日が初めてですが、とても活気があり明るい街と言った印象を受けました。それにヴィリス殿下にも良くしていただいております。こうして私たち一族を受け入れてくださったことには感謝の念が堪えません」
「そうかそうか。それならば良かった。しかしヴィリスの奴が半ば無理矢理巫女を囲い込んだと聞いて驚いたぞ。アイツがあんな真似をしたのは初めてだからな。大丈夫か。ヴィリスに変なことはされていないか?」
私は首を横に振り、そのようなことは無いと返した。
変なこと……強いて言うなら、初対面でいきなり口説かれそうになったりメイド服を着せられたりしたくらいか。
まあいずれも敢えてこの場で口にするほどの事ではないだろう。
「そうか。それならいい。今後ヴィリスのことで何か困ったことがあれば遠慮なく私に相談してくれて構わないからな。アイツは悪い奴ではないんだが、時折勢いのまま後先考えずに行動する悪癖があるんだ」
「ありがとうございます」
そんな会話を交わしているうちにアラディン殿下が注文していた紅茶と軽食が届いた。
サンドウィッチだ。
三角形に切られた食パンに肉と野菜が挟み込まれており、表面はきつね色に焼けていてとても美味しそう。
注文はアラディン殿下にお任せしていたので何が出てくるのか分からなかったけれど、これなら安心して食べられそうだ。
「私はここのサンドウィッチが好物でな。たまにこうしてこれを食べに足を運んでいるんだ。リシア殿を見つけたのもこの店に寄る途中の偶然だ」
なんだ。偶然だったのか。
逆によく私の顔が分かったなと思ったけれど、私がこの国を訪れたという事実を知った時点でチェックしていたのだろう。
あるいは次期国王となるお方ならば要の巫女と言う(一応)特別な存在である私の顔くらいは知っていてもおかしくはないか。
あ、サンドウィッチ美味しい。
ちょっと酸味のあるソースが絶妙にマッチしている。
ふとアラディン殿下の方を見ると、彼はおお口を開けて豪快にサンドウィッチを食らっていた。
その表情から私でも分かるくらい上機嫌になっているのが察せられる。
気分を良くしたからなのか、アラディン殿下は他のお気に入りの店やこの城下町の魅力についていろいろ教えてくれた。
その上私が理解しやすいようにと出した地図にアラディン殿下が文字を書き足したので、今後行くべき場所が増えてしまった。
そして時間を忘れて会話をしていると……
「お話し中申し訳ございません。殿下、そろそろ……」
男性が一人、私たちの席まで来てそう告げた。
先ほどまでは姿を現さなかったが、恐らく殿下の護衛の方だろう。
王太子殿下ともあろうお方が一人で出歩くハズがないので驚きはない。
「む、もうそんな時間か。すまないなリシア殿。随分と付き合わせてしまったようだ」
「いえ、楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました」
そう言って私は席を立ち、頭を下げる。
殿下は護衛の方に会計を済ませるように言うと、そのまま私を連れて店を出た。
するとそこにはもう一人の護衛と思しき人が立っていて、こちらに気づくと殿下に対して一礼した。
「さて、私はそろそろ戻らねばならんのだが最後に一つ、少し相談に乗ってもらえないだろうか」
相談? この私に?
いったい何なのだろう。想像がつかない。
「私にはやや年の離れた婚約者がいる。そこで彼女に贈り物をしたいんだ。ちょうど君と年の近い女性でな。何かもらったら喜ぶもの等があれば教えて欲しい」
「婚約者の方が喜ぶもの、ですか……」
なんと意外な。
まさか婚約者への贈り物の相談とは。
しかし困ったな。どう答えたら良いのだろう。
私の場合なら読んだことのない本とか珍しい楽器とかだと嬉しいけど……
よし、ここは無難な答えにしておこう。
普通の貴族令嬢が好みそうなものはなんとなく分かるから。
「やはりアクセサリーなどではないでしょうか? あるいは甘いモノや美味しいお茶などを頂けると喜ばれるかもしれません」
「ううむ、やはりそうか……実はとある事情で少々彼女を怒らせてしまってな。なかなかこういった事を相談できる女性が身近にいなくて困っていたんだ」
王太子殿下に怒りを示せる婚約者さん凄いなと思ったが、それだけ仲が良いという事なのだろう。
しかし機嫌を損ねた女性に対する贈り物か……あ、そうだ。
「とりあえず今回はアクセサリーでも探してみるとしよう。ありがとうリシア殿。では」
「お待ちくださいアラディン殿下。いいモノがありました」
「いいもの、とは?」
「これです」
そう言って私は懐から一つの袋を取り出した。
その袋の中身はとある植物の種だ。
それを1つ手に取ってアラディン殿下に見せる。
「これは、植物のタネか?」
「はい。レッドベリーと言う果実のタネです。これを、ええと……ここでいっか」
私は近くの土を軽く掘り、タネを一粒植える。
そしてその上に土を被せ軽く叩いた。
「リシア殿。一体何を……?」
「見ていてくださいね。この種を植えた場所に手のひらをかざして、と」
目を瞑り、深く集中する。
そしてイメージする。
この種が発芽し、実を付けるまでの過程を。
手のひらからタネへと栄養を送り込むように、私の力をやさしく注ぎ込む。
目を開ける。
すると先ほど種を植えた場所から小さな芽が出てくる。
そしてそれはみるみるうちに成長し、やがて宝石のようにキラキラと輝く小さな赤色の果実をつけた。
「こ、これは……」
驚きの表情を浮かべるアラディン殿下。
私はちょっとだけ自慢げな気分になりながらそれを手に取り、アラディン殿下に手渡す。
「レッドベリーは私も知っているが、これほどまでに美しい実を付けたものは初めて見た。これはリシア殿の力によるものか?」
「はい。植物をちょっと良い形に育てるのが私の特技でして、その力を使って作ってみました。味の方も普通のレッドベリーよりも甘くできているはずですので、婚約者様も喜んでいただけるのではないかなと」
そう。
これは私の得意な魔法の一つで、動植物にエネルギーを分け与えて急速な成長を促すことができる。
初代は枯れた大地を瞬く間に森に変えてしまうほどの凄まじい力があったらしいけれど、私にできるのはせいぜいこの程度だ。
でも有用な力に変わりはないので、今でもこうして種を持ち歩いて時々おやつ代わりに食べている。
「なるほど、これが要の巫女の力の一端と言う事か。せっかくだから一つ頂いてもいいかな?」
「はい。もちろんです。あ、毒見も兼ねて私がお先にいただきますね」
そう言って私は果実の一つを取って口に運ぶ。
濃密だが優しい甘みが口に広がる。
うん。やっぱり何度食べても美味しいな。
それを見た殿下も続けて果実を口にした。
「これは! 見た目もさることながら、なんと上品な味わいだ。これならばきっと喜んでくれるに違いない!」
「気に入っていただけたようで何よりです。是非お持ち帰りください」
「ああ。重ねて礼を言おう、リシア殿。これはありがたくいただいていく」
そのまま殿下は護衛を引き連れてお帰りになった。
とっさに思い付いたものだったけれど、上手く行って良かった。
私も後始末したらヴィリス王子用のパンを買って帰ろう。
「これでよし、と。ふう。結構探すの大変だったな」
買い物を終えた私の手には、袋にぎっしりと詰まったパンがあった。
ヴィリス殿下に「オレの使いで来たと言えば分かる」と言われたので店主にそう伝えたら、それで理解したのか、目的のパンを集めて持ってきてくれたので助かった。
それだけで済ませるのも何か悪い気がしたので自分用とマルファさんへのお土産も兼ねて店主のおすすめだというパンを購入した。
しかしこのパン屋、大通りからだいぶ離れた複雑な場所にあったので、道を探すのに少々苦労した。
アラディン殿下のお気に入りの茶屋もそうだったが、この国の王族の方は隠れた名店的なものを見つけるのが好きなのだろうか。
マルファさんの地図が無かったら絶対に迷子になっていた自信がある。
さて、日もだいぶ傾いてきたことだしそろそろ帰ろう。
暗くなってからでは余計に道に迷う危険性が高まる。
こんなことでまた殿下たちの手を煩わせる訳にはいかない。
そうしてやや足早に歩いていると、ふと気になるものが視界に入った。
「……?」
そこにあったのは大きな銅像だ。
鎧を身に着け、剣を天高く突き上げるその様はまさに英雄の如き。
不思議なことに私はその像から目を離すことが出来ず、気が付くとまるで導かれるかのようにその銅像へと歩を進めていた。
「星剣士の像」
台座にはそう書かれていた。
星剣士。それは数百年前に実在した英雄だ。
この世界を己が手にせんとする邪神を討たんとする剣士。
世界の創造主たる女神に選ばれた奇跡の代行者。
ヴィリス王子同様先代の星剣士もこのアガレス王国の王族だったと聞いている。
故に町にこのような像があってもおかしくはないのだろう。
「――うっ!?」
頭痛だ。激しく頭が痛む。
頭の中をかき乱されるような感覚。
奥底に眠る記憶が呼び起こされるような感覚。
あの時と同じだ。ヴィリス殿下と初めて出会ったときと同じ現象。
徐々に視界がぼやけていく。
世界がモノクロに染まっていく。
私の世界が蘇る。
「――――――――」
「――――――――」
声が聞こえる。
誰かが私に語り掛けている。
ここは――そうだ。
ここは彼のお墓だ。
先の戦いで命を落とした大切な人を弔う場所。
隣を見れば、長い旅路を共にした仲間たちがいる。
でも不思議とその顔は認識できなくて。
彼らが発する声には強くノイズがかかっている。
ああ。不快だ。とても不快だ。
私は彼らのことをよく知っているのに、私は彼らのことを何も覚えていない。
何故だろう。こんなにも今、近くにいるのに。
手を伸ばせば彼らに触れられるはずなのに。
彼らと私の間には決して交わることが出来ない壁がある。
「――――――」
天におわす女神の下へと旅立った彼に語り掛ける。
息を吐き、手を伸ばし、捧げられた花々へと意識を傾ける。
私が一言、声をかけると花々はまるで星のように輝きだした。
そしてそれらは宙に浮き、一つにまとまっていく。
球体の形を成したそれは、破裂音と共に花びらを散らせ、土に撒かれていく。
そして――
「―――!」
「―――――――――――!!」
仲間たちから歓喜の声が上がる。
私を称える声が聞こえてくる。
気づけば彼のお墓は美しい花畑に囲まれていた。
誰かが私の肩をポンと叩いた。
顔は分からない。でもきっと笑っている。
やがて彼らは私に背を向け、散って言った。
私は一人になった。
「――おい。嬢ちゃん! おい! 大丈夫か!」
「――えっ、あっ、ひゃいっ!」
不意に大きな声が耳に飛び込んできたので、私は驚き、変な声が出てきてしまった。
「お、おう。無事ならいいんだが、ぼーっと突っ立ったまま動かねえもんだからつい心配になって声かけちまったよ。ほれ、これ嬢ちゃんのだろ」
「あ……ああ、ありがとうございます」
そこにいたのは壮年の男性だった。
彼は私が無意識のうちに手放したであろう袋を拾い、私に手渡してくれた。
中を確認すると、変わらずぎっしりとパンが詰まっていた。
「星剣士様の銅像がそんなに気になったのか? この町じゃそんな珍しいモンじゃねえんだが、ひょっとして観光にでも来てたのか?」
「ええと、はい。そんな感じです」
「そうか。まあじっくり眺めるのも構わんが、あんまりに気を抜くといろいろと危ないから気ぃ付けな。ほんじゃあな」
「はい。ありがとうございま――行っちゃった」
私が再度お礼を言いきる前に彼は走り去ってしまった。
ふと、他に落とし物をしてないか気になって懐を確かめてみる。
良かった。大丈夫そうだ。
どうやら私は立ったまま意識を失っていたようだ。
また転生前の――初代の記憶がよみがえったようだ。
今まではこんなこと一度も無かったのに、何故急にこのような現象が起こり始めたのだろうか。
やはり秘術を解いたことがカギになっているのかな。
こうなってくるとますます知りたくなってくる。
初代の記憶。私が前世でどのような経験をしたのか。その全てを。
しかし同時に不安も襲ってくる。
転生前の記憶を完全に取り戻したその時、私は私であると言えるのか、と。
私の感覚では、私と初代は別人だ。
でもその別人の記憶が完全にこの体に定着した時、私はリシア・ランドロールではなくなるのではないか。
そう考えると恐怖も生まれてくるというもの。
「とりあえず、帰ろう」
こんなところで深く考え込んでいたら、また心配されて声をかけられるかもしれない。
もし私の人格が消えてしまったのなら、その時はその時だ。
私は一体何のために転生し、何を成そうとしていたのか。
その答えだけはいつか知りたいな。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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