第8話 デスカギヅメトカゲ
「なんか思ってたのと違うな……」
「ん、どうしました急に」
リコーの呟きに、ミアナは首を傾げた。
深く、薄暗い禁域の森。
二人が歩いているのは何度も踏み固められて土がむき出しになった、いわゆる獣道。
人工的とはいかないまでも人為を感じさせ、原始的な周囲の風景からはやや浮いていた。
「禁域って言うからさ、もっと鬱蒼とした密林をナタでバサバサ切って進む羽目になるかと思ってたんだ。それがまさか道があるとは」
「まあ探索者以外にも木こりの人とか出入りしてるでしょうしね」
「木こりって……禁域には普通入らないんじゃなかったか」
「禁域と言っても森は森ですからね。それに安全な場所で手に入る木材と違って、マスクが必要な場所で切った木には高値がつくんですよ」
「意外とカジュアルに利用されてんだな……」
「この道はこの辺りで切った木の運搬用でしょう。わたしなら、せっかくマスクがあるのにせこせこ木を切って稼ごうなんて思わないですけど。危険もありますし」
「危険って?」
リコーの質問に、彼の隣を歩いていたミアナはぴた、と足を止めた。
「旦那様って本当に何にも知らないんですね。普通に暮らしてたら禁域のことくらい耳にしませんか?」
「あ、ああ。ごめん、ちょっと事情があってこの辺りのことはよく知らないんだ」
記憶喪失と言っても混乱させるだろうと考えたリコーが誤魔化すと、ミアナはその目をじっと見つめた。
「世間知らずっぷりといい、そこそこハンサムな顔立ちと言い……実は貴族の婚外子だったりしませんか?」
「ストレートに滅茶苦茶失礼なこと聞くね⁉︎︎」
「わたしはお嫁さんですから。旦那様のことはちゃんと知っておかないと」
ミアナはマスク越しにふふふっ、と笑った。
その表情に悪意はない。単にデリカシーが無いだけで、嫌味とかではないようだ。
「あ、旦那様、動かないでください」
だからミアナが背負っていた弓に素早く矢をつがえて躊躇なく顔に向けてきたとき、リコーは一瞬思考が停止して固まってしまった。
「えいっ」
「危なっ⁉︎」
次の瞬間、放たれた矢はリコーの頭上スレスレを通過して飛んで行った。
「いきなり何するんだっ!」
「旦那様の身を守ったんですよ。アレ見てください」
「え?」
ミアナはリコーの背後へすたすたと歩くと、矢が刺さって死んでいるトカゲを拾い上げた。人の赤子ほどの大きさで、爪と尾が長い。
「カメレオン……だよな」
「カメ? これは亀じゃなくてデスカギヅメトカゲですよ。知らないんですか」
「そんなストレートに危険な名前のトカゲなんか知らないよ! えっ、デスって死のデス⁉︎ 本当にそんな名前なの⁉︎」
「木の上で待ち構えて、森を歩く動物の首に後ろから飛び掛かって喉を切り裂く害獣です。アサシンリザードっても言うらしいですけど、この辺りじゃもっぱらデスカギヅメトカゲですね。学がない平民にも分かりやすいように」
はぁやれやれ、と首を振るミアナ。
「旦那様、禁域に入るのにデスカギヅメトカゲも知らないだなんて……魔女が過保護になる理由も分かりますねぇ」
「過保護ね……まあ、そうだな」
悔しいが認めざるを得なかった。
リコーはミアナを連れ帰った昨日、再度街へ戻ってミアナの分のマスクを登録してきたのだが、魔女は街から戻った彼に「男の子はよく食べるだろ?」と食べきれないほどの量の夕食を用意していた(なおミアナはパン一切れとスープだった)。
それだけではなく、寝る時でさえ「念のため」とリコーに割り当てられたベッドに潜り込もうとしたミアナを引きずり出した(ミアナとは魔女が一緒に寝た)。
しかも今朝の禁域探索出発の際には他の装備と一緒に「腹が減ったら食べるといい」とこれまた大きな弁当箱を持たせたのだった(ミアナの分は干し肉一切れだ)。
「まるで子供扱いだ」
「旦那様の常識の無さでは仕方がないですよ。まあ本当に子供だったら往来でいきなり人のくちびるを奪わないでしょうけど」
「それを言うなら、常識があれば人のマスクをいきなり奪ったりはしないだろ」
「それはそうですね。マスク強盗なんて、失敗したら普通はしばり首です。わたしが新たな前例とならなかったのは幸運でした」
「……その節は本当にすまなかったな」
ムッとなって言い返したリコーだったが、ミアナの返答に過酷な生い立ちを感じてしまい、謝罪の言葉を続けた。
対するミアナは「何をおっしゃいますか旦那様」と、トカゲを捌きながら淡々と言う。
「幸運だったと言うのは命拾いしたことだけじゃないですよ。街の浮浪児からお嫁さんにランクアップしたうえ、結果的にマスクも手に入ったのです。ことわざでは言い表せないくらいのラッキーです」
「……なあ、気になってたんだがそのお嫁さんってのはさ、もしかして俺がその、キスをしたからそうなったのか?」
「そうです。というか、神様がそうしたんです」
「神様?」
「わたしたちエルフは最初の相手を神様が選びます。言ってしまえばそういう宗教観なのです」
「その言い方、信じてはいなさそうじゃん」
「信じてませんでした。ですが、街でその日暮らしを続ける浮浪エルフにキスしてくる方が現れるなんて奇跡を起こされたら信じたくもなります」
ミアナは捌き終わったトカゲの肉を手際よく腰に結びつけて立ち上がると、にっこりと笑った。
「だからわたしの今の人生は旦那様のもの。わたしのいのちは、あなたのものなんです」
「……」
マスク越しでさえ美しい笑顔。
自分より一回りも歳下(少なくともそう見える)少女に見惚れてしまいそうになった事実は、リコーの鼓動を早めるのに十分だった。
「い、言っとくがあんまり責任は取れないぞ」
「大丈夫ですよ、わたしたちは気が長い種族ですから。旦那様が本当の意味で振り向いてくれるまで待てますとも。あ、でもそうだ」
ミアナはリコーの胸元にずい、と顔を寄せて彼を上目に睨んだ。
突然の接近にリコーの心臓が飛び跳ねる
「くれぐれも他の女には迂闊なキスをしないでくださいよ。キスが重大な意味合いを持つ種族は他にもいます。普通の人は面倒なことにならないように全力で避けますが、旦那様には常識がないようなので」
「俺が誰彼構わずキスして回るキス魔かのような言い方はやめろ!」
「でも旦那様は気づいてなかったみたいですけど、昨日わたしのマスクを登録しに行った時には既に街の人たちがウワサしてましたよ。死んだ木こりが吸魂鬼として蘇ったとか、マスクを取って怒らせると魂を吸われて隷属させられるとか」
「なんで一夜にしてそんな設定モリモリの時の人になっちまってんだ⁉︎︎」
「まあわたしたちの追いかけっこ、結構目立ってましたし」
ミアナはため息をつくリコーに微笑みかけ、再び歩き出した。
「旦那様、魔女の言ってた本がこの辺にあるとも思えませんし、ひとまずこの獣道が途切れるまで歩いてご飯にしましょうよ。いつまでもトカゲの生肉の匂いをさせていたらデスヤツザキクラブあたりに襲われかねませんし」
「また物騒な名前が聞こえたな……というかそのトカゲ、やっぱり食べるつもりだったんだ?」
「おいしいですよ?」
「……楽しみにしとく」
リコーには首を傾げるミアナの腰にぶら下がった暗い緑色のトカゲの死骸が美味しくなるとはとても思えない。
(郷に入っては郷に従え、って言うんだっけか)
リコーは頭に浮かんだ謎の格言に従い、禁域の更に奥へ向かう一歩を踏み出した。
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