第52話 死に至る病。あるいは
「リコーくん! 空気中の活性マナ濃度が急激に低下している! ここにいるとボクら以外は……」
「分かってる! リオ、時間稼ぎは任せたっ!」
「ああもう人使いが荒いなぁ!」
「ミアナ、禁域の魔女はロクに走れない! タイミングを見て抱えて持ってきてくれ!」
「んな無茶な!」
リコーは地面を覆うカビの中から倒れている少女二人を引っ張り起こし、両脇に抱え上げて走った。
走りながら後ろを確認すると、地中から呼び出されたらしい植物が竜の前脚から顔に向かって這い上がっていくのが見えた。ミアナも魔女を抱えながらなんとかついてきている。
「だっ、旦那様っ、息がっ……!」
「すまんミアナこっちの二人を先にするぞ!」
一気に顔色が悪くなったミアナから目を逸らしつつ、リコーはシェイとローメに三回ずつ、交互に息を吹き込む。
「ごほっ⁉︎ り、リコー⁉︎ アンタ生きて……幻覚?」
「ああ……よかった。灰の中から蘇ったのだな、救世主……」
「ローメの方がちょっと深刻そうだな。すまんっ」
起き上がってなお目がうつろなウシ角少女のくちびるを再び塞ぎ、息を吹き込むリコー。
その後ろでは口を押さえて我慢の限界を迎えつつあるミアナが待機している。
「ふぅ、どうだローメ、意識ははっきりしたか?」
「あ、ああ。すまなかった、我としたことが」
「旦那様わたしもまた息苦しい死ぬっ!」
「んむっ⁉︎」
ローメを蘇生するや否や、リコーは再びミアナにくちびるを奪われた。
その様子を冷ややかな目で見ているのは魔術に心得のある二人。
「別に完全に呼吸できなくてもマナマスクをつけていれば息を止める必要はないはずなんですけどね……」
「あのエルフはだいぶしたたかなところがあるからね。油断していると『持っていかれる』というのがよくわかる光景だよ」
「で、禁域の魔女。アンタはなんでしれっと現れてんのよ。まさかアイツが消えてたのと関係があるんじゃないでしょうね」
「……」
「オイ」
「しかし困ったね。あの竜、身体中に寄生させた神樹カビを一気に成熟させてしまったようだ。見たまえ、魔術師シェイエタ。それともキミには『匂い』で分かるかな?」
「そうね、いったんは棚上げにしておかないと。緊急事態だものね」
ため息を吐くのも勿体無い。
意識的に浅く呼吸しつつ、シェイは周囲の空気からほとんど活性マナの匂いがしなくなっているのに気がついた。
より正確には、魔女が絡ませた植物を振り払おうと暴れている竜の方から吹く風がまったくの無臭。
「……空気中の活性マナ濃度は、ほぼゼロ、か」
「さっきまではわずかに含まれていた活性マナが成熟したカビに全て吸収されたんだ。あれじゃマナマスクがあってもカバーしきれない。いまあの竜の周辺の空気を吸ったら、普通の生物は一瞬で昏倒することになるだろうね」
「ドライアドのアンタと、リコー以外は」
「ご明察……それで、キミはどうする? リコー」
魔女はミアナに息を吸わせ終わって立ち上がった青年に問う。
「あの竜から逃げ帰る手もある。多少のリスクは残るけど、いまなら全員生きて帰れるかもしれないよ」
「いや、あいつはここで倒す」
即答だった。
「あの竜をこのままにして逃げればあいつは他の場所に移動して、他の人たちに被害が及ぶかもしれない。放ってはおけないさ、あの竜を怒らせた責任は俺にあるんだから」
そして、死んでも治らない正義馬鹿は不敵に笑った。
「何よりあいつの呼吸を奪う攻撃は俺には効かないんだろ? なら俺が適任だ。そのための盾も持ってきたことだしな」
「……普通逃げる一択だと思うんだけどね。まああのバカと魂の形が一緒なら仕方がないか」
はぁヤレヤレ、と肩をすくめつつ、禁域の魔女はリコーの隣に歩み出た。
「ボクは引き続き力を貸そうじゃないか。さて、他の三人はどうかな? きっと疲れているだろ、キミたちだけで避難してもいいんだぞ?」
「それは旦那様の正妻であるわたしにケンカを売っているんですか、ポッと出のくせに」
ミアナは魔女を睨みつつ、リコーにずい、と手のひらを差し出した。
「弓無くしたんで武器ください武器。あのこん棒、アレならわたしも使えるはずです」
「え、いや、結構重いぞ?」
「でも弓無くしちゃいましたし」
「弓、か……」
不機嫌顔のエルフから視線を逸らしたリコーに見つめられ、魔女は大きなため息を吐いた。
ほぼ同時、床からスルスルと伸びてきた一本の木が瞬く間にピンと弦の張った弓に変形した。
「非力なエルフめ、これでいいか?」
「……なかなかやりますね」
「あとは急造品だが……こうかな」
「わっ!?」
禁域の魔女に突如胸を触られたミアナが飛び退くと、その胸元には青色に光る魔法陣が輝いていた。
「摘まむ感じで引っ張り出せばキミの体内のマナを使って矢をこしらえてくれる。だが副作用があるかも。それでもよければ使いたまえよ」
「の、望むところです……! その挑戦、受けますよ!」
「別にケンカを売っているわけじゃないんだけど……」
困った魔女がリコーに視線を投げ返すと、青年は力強く頷いた。
「ローメ、これを」
そして彼は腰に差していたこん棒をウシ角の少女に手渡す。
「最初と一緒だ。まずは俺とキミで竜に接近して押し戻す。息が苦しくなったら俺を使って呼吸しろ。そして俺が注意を引いている間に、キミはあの時落とした斧をなんとかして回収してくれ」
「分かった」
「自分で言っておいてなんだけど、結構無茶を言っているぞ。不安とか、ないのか」
「無い」
ローメもまた青年のように即答し、微笑んだ。
「我はおまえのことを信じると決めているからな。救世主」
「ありがとう……で、あとは」
リコーが残る一人に視線を向けると、向けられた魔術師少女は呆れたようにふっ、と息を吐いた。
その背には悪魔のような翼と尾がゆらゆら揺れている。
「私は援護ってわけね」
「シェイ、それ……」
「アンタが必死こいて息を吹き込むからよ。まあ気にしないで、全部終わったら責任取ってもらうから」
皮肉交じりに笑いつつ、魔術師少女は魔女の方を見る。
「アンタ、杖無しで散々やってたけど、わたしにも教えなさいよ」
「いいのかい? 学院流からは大きく外れる不良的な方法だ。学院の優等生サマにうまく扱えるかな?」
「外道でも我流でもすべてうまくやってこそ真のエリート。そうじゃない? はぐれ者のぼっちさん?」
バチバチと火花を散らす二人の魔術師。
リコーは少し微笑ましく思いつつ、竜の方へと向き直る。
丁度その瞬間、空気中に火の粉が舞い始めた。
神樹の銀竜はちぎってもちぎっても絡みつく植物を魔力焔で焼き払ったのだ。
炎は地面に根付いた胞子に引火し、その上昇気流でさらなる胞子をバラ撒いている。
「竜の近くでは息を吸わないこと。呼吸がしたくなったら俺を使え。ひどい方法だけど、連携すればやれないことはないはずだ。俺とローメは一緒に突撃、ミアナは少し離れた場所に位置を取って矢で隙を作ってくれ。シェイは魔女と一緒に高火力の魔術で援護を」
手短な確認を済ませ、盾を構え、拳銃を抜き。
「行くぞっ!」
リコーは竜へ向かって駆け出した。
「俺と魔女で指示を出す! みんなは返事をしなくていいから息を温存してくれ!」
仲間たちが無言で頷く気配を感じ取ったリコーは、脚に込めた力をさらに高めて加速する。
そして、竜の方も当然黙って見ているわけではない。
竜が大きく羽ばたき、湿った胞子を含む向かい風がリコーたちとすれ違っていく。
すでに幾度となく披露された魔力焔ブレスの予兆だ。
(避けられるわけがねえ……けど、コイツがあれば……!)
リコーは盾を持つ手を強く意識した。
同時に脳の奥でパチパチと何かが弾けるような音がする。
灼熱と窒息。
暗闇と苦痛。
記憶に遺った最期の瞬間が、もう二度とごめんだと警告を発する。
(リオ……!)
それでも青年は脚を止めない。
構えているのはあの『禁域の魔女』が作った防炎の盾。
(あれだけ厄介で病的に重いやつが作ったんだ、竜のブレスくらい絶対に防げる!)
無茶苦茶な理屈はもはや無根拠と言っていい。
だがあの深緑色の瞳を思い浮かべるだけで、不思議とリコーの震えは止まった。
そしてその時はやってくる。
羽ばたきを止めた竜は、大きく開けた口を迫る『敵』に向けた。
「来いっ!」
リコーは急停止し、盾を地面に突き立ててその陰にしゃがみ込んだ。
ほぼ同時、白銀の奔流が世界を埋め尽くす。
吹き付ける熱風がじりじりと肌を焼く感覚が痛覚に訴えかけてくる。
だが生きている。
構えた盾が灼熱の息を遮蔽し、人間が生存可能な空間を作り出しているのだ。
「よし、このまま……!」
リコーは己を鼓舞し、盾を押し続ける火焔に抗う。
まるで何時間もそうしていたかのような数秒の後、魔力焔の奔流は突然途切れた。
「耐えきったぞっ!」
「……っ!」
立ち上がったリコーの腕をローメが引っ張る。
魔力焔のブレスが空気中の活性マナを消費しつくし、早くもマスクの呼吸補助機能を上回るほどにマナ濃度が低下してしまったのだ。
「呼吸か、任せろ」
「んっ」
青年はウシ角の少女のくちびるを奪い、二回、三回と息を吹き込む。
それは一瞬の隙。
だが竜は既に、二射目のブレスを放とうと息を吸いこんでいる。
「ミアナくん! 首だ!」
「……!」
魔女の号令を合図に、速射された矢が三本、竜の喉元へと突き刺さった。
竜は甲高い声で叫び、矢を取り除こうともだえる。
「ボク以外の女とイチャついていないでさっさと行けリコーくん!」
「助かった!」
ローメと共に再び走り出したリコーたちの後方で、空中に魔法陣が浮かび上がる。
「そうそう。元々杖が詠唱の一部を代理していたと考えれば、自分の手と指でそれを行うのが自然だろ。慣れれば幼児の手遊びみたいなもんさ……ふぅむ、中々どうしてスジがいいじゃないか」
「簡単に、言ってくれる、わねっ……!」
「おっと無駄口を叩くなよ。いまキミの息はリコーくんを生き残らせるためだけに残してあるんだから。ホラもうちょっとだ。とっとと詠唱しろー、最後はボクも手伝ってやるからー」
「こいつ……!」
シェイは心底でありったけの悪態をつきつつ、素手で魔法陣を描き、完成させていく。
杖を使わない魔術詠唱は心臓を自分の意識で動かすようなもの。
普通なら試す前から無理と諦めるような離れ業に、学院一番のエリートを自負する魔術師少女は意地だけで食らいつき、再現する。
「よし、まあそんなもんでいいだろ。じゃあ狙いを定めて……せーのっ!」
魔女はシェイの汗ばむ手に自らの手を重ね、魔法陣を補強・巨大化して共に詠唱する。
「『結晶砲』っ!」
撃ちだされたのは、今までの数倍も大きな巨大魔力結晶。
極めて高い純度で生成された透明の砲弾は放物線を描き竜に直撃。
その威力は竜の巨体を揺るがし、姿勢を大きく崩させるほど。
「このまま押し切るぞっ!」
そして竜が姿勢を戻す頃には、すでにリコーとローメがその足元へ到着していた。
「ローメ、後ろにっ」
リコーはさらに一歩前に踏み出て、接近した『敵』を蹴散らすために振るわれた爪を盾で受け止める。
さらにお返しの銃弾を腕に撃ち込むと、激昂した竜はその顎で青年を噛み砕きにかかる。
「そこだ」
だが竜が盾ごと青年をぐちゃぐちゃにする前に、青年の背後から跳んだウシ角の少女がその怪力でもってこん棒を竜の鼻先に叩きつける。
特殊素材でできたソレ……ある世界で警棒と呼ばれたその武器は魔女によって『改良』を加えられた結果、竜の頭骨を砕く重い一撃を産み出した。
ギャアアアアアアアアアアッ! と耳をつんざく叫び声を上げ、痛手を負った竜は大きく羽ばたいて空に舞う。
自分のナワバリであるがゆえに本能が避けていた、文字通りの必殺技。
空中からあたり一帯を火の海にするブレスを吐き下ろすのだ。
「逃がしませんっ」
だが竜が敵の声を聞いた直後、激痛と共に視界の半分が真っ暗に変わる。
悲鳴を上げる間もなく、片目を射抜かれた竜はバランスを失い墜落した。
「旦那様っ!」
「よくやった」
リコーは駆け寄って来たエルフの少女を片手で抱き止め、躊躇せずに唇を重ねる。
「リコー、私も、限界っ」
「任せろ」
そして間髪入れず、後方から追いついた魔術師少女にも息を分けた。
その隣、さっきまでシェイに背負われていた魔女は「だから投げ捨てるなって……!」と文句を言いつつ顔を上げ、見えた光景に血相を変えた。
「リコーくんっ! 竜はまだブレスを吐く気だ!」
「させるかよっ!」
魔女の警告に応え、リコーは文字通り息をつく暇もなく地面を蹴る。
ヨロヨロと起き上がりながらその口に溢れるばかりの白焔を溜めている竜に向かって、真正面から突っ込んでいく。
竜が墜落した位置まで、あと百メートルはあるだろうか。
(息は、吸わねえ……!)
青年はわざと息を吐き切り、こみ上げる力に身を委ねる。
地を蹴り砕く力が、運命を変えた力が、その身体を前へ前へと進める。
(ここまでくるともはや病気みたいなもんだよな)
リコーは自らが死に近づくほど発揮されていく力につい笑ってしまいそうになりながら、盾を渾身の力で前方に構える。
(たとえ死んでも俺は絶対に仲間を、無辜の子供たちを、焼かせたりはしない!)
それは死に至る病。あるいは、死を超える病。
リコーは己の内に燃える正義に従うまま、竜の口に盾をぴたりと押し付けた。
ほぼ同時、カッ、と閃光が走り、ブレスが放たれる。
ゼロ距離で放たれた魔力焔の熱はこれまでのそれとは比べ物にならないほどに熱く、リコーは服の端が発火していることに気がついた。
このままでは自分も無事では済まない。
「いいや、防ぎ切ってみせる!」
もちろん、青年にとってそれは何の問題でもなかった。
ここに自分が立っている限り、後ろの少女たちに危害は及ばない。
理由は、それだけで十分!
「このバカ! ボクの許可なく勝手に死ぬのは許さないぞっ‼」
「うおあっ!?」
青年の内心を読んだかのような怒声と、地面を揺るがす轟音が彼を吹き飛ばしたのはほぼ同時。
一発で竜を押し返す威力のある砲弾、それが連続して竜の身体を叩き、トカゲのごとき神樹の銀竜を大きくのけぞらせた。
その真正面に躍り出たのは、巨大な得物を構えた女戦士。
「これで、終わりっ……!」
ローメはしっかりと回収してきた両刃斧を渾身の力で薙いだ。
どっ、と鈍い音がして。
神樹の銀竜、その首が落ち。
白銀世界を染め上げる鮮血があふれ出た。
「勝っ、た……」
リコーが言葉にできたのはそこまで。
死力を尽くし続けた彼の視界は、あっという間に酸欠の暗闇へと閉じていった。
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